2011年05月20日

おぼえがき:梅加工食品いろいろ

 以前FacebookでJunkoさんとかM尾さんとかからリクエスト有りましたので、そろそろ梅が市場に出回る今日この頃、毎年個人的に作っている(去年は不作で出来なかったけどさ)梅加工食品について説明しましょうか。

◆梅シロップ&梅ジャム
材料:・梅2kg(青梅でも熟したのでも良いが、出来るだけ瑞々しいもの)
   ・三温糖2kg(自分はこれで作りますが、白でも黒でもお好きなものを。白砂糖なら味は素直、黒砂糖ならコクが出ます。覚えて欲しいのは梅と砂糖の割合は1:1である、ということ)

作り方:
1)梅は水洗いし、そのあとしっかり水気を取る
※梅加工の際に最大の大敵は水滴です。水滴から雑菌が入り、だめになる例があるのでご注意!

2)消毒した広口瓶(熱湯でもアルコールでもお好きな方法で)を用意。

3)フォークで梅の表面を2〜3箇所突き、穴を開けつつ広口瓶に詰める。瓶には梅、砂糖と交互に漬けて下さい。
※氷砂糖を使わないのは、梅から出来るだけ早く果汁を出したいため。勿論、梅を割り入れてもかまいませんが、かなり手間がかかります。割れた梅をシロップ用、割れてない梅を梅酒用、と分けて作る事も有りましたね。

4)蓋をして冷暗所に。約一週間でシロップが上がってきます。

5)砂糖が完全に溶けた時点でシロップと梅を分けます。シロップは消毒した瓶に入れ、冷蔵庫へ。酸と糖分が強いためカビや雑菌は容易には入りませんが、絶対に室温に置かない事。発酵して異臭が出る事も有りますので。だいたい土曜の丑辺りまでは持ちます。冷凍すればもっと持ちます。

6)飲む際はカルピスと同じ様に、シロップ1に水4〜5の割合で薄めて。また、うちではシロップをベースに梅寒天や、青魚を煮る際の調味料として、カレーの隠し味として、味噌と混ぜて酢味噌として使うことも有ります。

7)で、残った梅の実。ある程度軟らかくなっているので包丁を使えばで簡単に種は取れるはずです。果肉を少し包丁で刻んで、ホーロー引きの鍋に入れ、それに全体が被るぐらいの水と適量の砂糖を入れてとろ火で灰汁を取りつつ煮込んでください。トロミがつけば梅ジャムが出来上がります。
※パンに塗ってもいいし、これ自体がチャツネに近いものなのでカレーの隠し味として使えます。ただし、しっかり灰汁を取らないと梅独特の苦味が出ることがあるのでご注意。
※この砂糖漬けの梅を更に市販の赤梅酢と塩で漬け、梅干にする猛者もいるようですが、自分はまだ試したことないです。今年は挑戦してみようかな。

◆梅酒
材料:・梅(これは青梅でないといけませんね)
   ・氷砂糖
   ・トリスウイスキー(ええ、うちではホワイトリカーではなくて、ウイスキーを使います。基本30%以上のアルコールなら何でも良い。それこそスピリタスでもね)
※分量について。一升の酒を使う場合、梅は大体1〜1.2kg、氷砂糖は梅と同量だと甘め。梅の70〜80%ぐらいが適量ではないかと思います。

作り方:
1)梅は水洗いし、そのあとしっかり水気を取る。

2)広口瓶に梅、氷砂糖を詰めていく。これは実に穴はあけません。

3)ウイスキーを注ぎ入れ、蓋をして冷暗所に。

4)半年後に梅の実は取り出します。これは使いようがないので捨てています(コンポストで納豆菌植え付けて処理してます)が、上記のようにひょっとしたらジャム作れるかもしれません。

5)うちはこの状態で一年以上寝せておき、飲みはじめます。基本自分はアルコール呑まないので、もっぱら嫁さんが呑みますが、「ホワイトリカーの梅酒より味が複雑で美味しい」らしい。
※この変形で昔やったのは、氷砂糖の変わりにニッケ玉を入れて作ったたことが有りましたが...不評でした。ニッキの味と梅の味がぶつかって美味しくないらしい。

◆梅干約一年分(減塩?何それ?美味しいの?バージョン)
材料:・梅5kg(黄色くなっているものの方がよいようです)
   ・塩1kg(何回か作ってみて思ったのは、無印のJTの塩の方が味は素直。にがり入りの塩は変な癖が出ることが多いようです)
   ・焼酎200t(種類や銘柄は何でもいいんじゃないかな。黒伊佐ミニカップ使ってますが、出来るなら魔王とかでやってみてください。でも味は変わらんと思うよ) 
   ・明日葉の葉5〜6枚  
   ・赤紫蘇適量(店で売っている塩漬けをそのまま使うことが多いなぁ・・・)

作り方:
1)梅は水洗いし、そのあとしっかり水気を取る。土用干しを考えれば、6月上旬あたりに作業開始するのが鹿児島では標準では、と思います。

2)100円ショップのバケツと梅漬け用のビニル袋、重し用の2000ccのペットボトルを用意(5kg程度ならこれで充分です)。

3)で、そのバケツにビニル袋を被せて、その中に漬けていく。最初に明日葉の葉をビニル袋の下に敷いておきます。
※なお、明日葉の葉を使うのは薬効を少し期待しているのと、かすかな香りをつけたいだけのこと。無ければ使わなくてもかまいません。地方によっては松葉を5,6本入れるところもあるらしいです。

4)梅を漬けていきます。まず梅を焼酎にくぐらせ、それに塩をつけてバケツに入れます。梅でバケツの底が見えなくなったら塩を入れ、塩で完全に梅を覆い、又その上に・・・と言う感じで。梅を全部入れたら、残りの塩と焼酎を入れます。
※ここで作る梅干は塩分20%で計算して有ります。今の店頭で売っている梅干は減塩志向で塩分10〜12%が多いようですが、これは正直近所の梅干ばあさんでも5割は失敗するレベルで、自宅で素人が真似するのはほぼ不可能です。具体的に言えば10%の塩分では真っ正直に漬けた場合、梅雨の時期に確実にカビます。店頭で販売している減塩タイプはアルコールや人工保存料、食酢を使ってこの塩分を実現させているケースがかなり多いので、実はあまり価値がないのでは・・・と個人的には思っています。塩分が気になるなら完成後に塩抜きをして食べればいいだけのこと。保存できない梅干には意味は無い、と思いますのでこの塩分量です。木の桶につけていた時代は塩分40%クラスの梅干だか塩だか訳分からんものもあったようです。

5)蓋をして、だいたい2kgぐらいの重しをした後、これも冷暗所に。

6)一週間もすれば塩は全部溶けて梅酢が上がってきます。あまりにも梅酢が多い場合はペットボトルにでも移し変えて保存してください。蒸発した後に追加すれば問題無しです。
※この工程までで出来るのが「塩梅」。これで普通に食べる事も出来ます。梅の素直な味が楽しめる一品で、初夏になると職場に持って行って職員みんなに振舞ってます。うちのばあちゃんは梅干までにしないのを結構な量作って、これで食欲の落ちる夏場はご飯食べてました。ただ寝かせているわけではないので、塩分のきつさには注意かな。

7)梅酢が上がった時点で赤紫蘇の塩づけを入れます。そこで重しは取ってしまいます。

8)土用干し。7月後半の晴れの日の朝(一時雨、とか天気予報で言っている日は絶対ダメですからね。濡れたらそこでおしまいです)にビニールシートを庭に敷いて、新聞紙を敷いて、その上に実を並べていきます。赤梅酢も一緒に陽に当てます。で、乾いたのを確認したらひっくり返します。破れとかがあるならこの時点で選り分けます。で、破れが補修できるなら補修、出来ないのは集めておき、あとで果肉だけ集めてすり鉢で潰し、練り梅にします。夕方には又赤梅酢の中に入れて休ませます。
※練り梅はそうめんの薬味や白身魚に塗って梅肉焼きなどに使えます。沢山ある場合は梅床、として野菜や肉をつける風習が和歌山にはあるようです。

9)これをあと2回。でもって夜干しを3回...。とは言いますけど、うちは夜干しは基本しません。季節柄にわか雨や桜島の灰が降る可能性もあるので、あえて避けています。

10)土用干しが終わったら梅干と赤紫蘇と赤梅酢と分けます。梅干は100円ショップで買った漬物入れに入れてます。赤紫蘇は梅と一緒に入れていてもいいんだけど、うちはこれを更に日干しして細かく砕いて粉にしたものに白ゴマを入れてゆかりのふりかけにしちゃいます。赤梅酢は簡単に腐るものでもないので、瓶に詰めて調味料として使います。紅白なます作る時のベースにはこれを使うことが多いです。あと、梅酢に砂糖や蜂蜜を適量加えてゴーヤを漬けたりとか、保存しておいたのを翌年の今頃に出回るラッキョウを漬けたりとか、漬物のベースとして使うことも有ります。

◆究極の民間薬、梅肉エキス
材料:・青梅10kg。これでだいたい150g〜200gぐらいしか取れないのかな・・・確か。
作り方
※作り出したら朝からでも一日仕事になるので時間に余裕のある時にどうぞ。
1)青梅を割る。しかし10kg割るのは大変だ・・・
2)割った青梅は小さくきざんで、更にミキサーやミンサーでペースト状にします。
3)ペースト状になった青梅を絞る。
※水を加えるのは絶対やめてください。
4)青梅の果汁を火にかけます。長丁場になるのは目に見えているので、のんびりと。
5)沸騰したらかき混ぜます。焦がさないように。
6)煮詰めて黒くなったら完成。ガラス瓶に入れます。
※薬効としては強力な殺菌作用。具体的には下痢、胃痛、胸やけ、口臭予防、切り傷殺菌(塗ると凄く痛いけどな)、風邪などに効果があります。ただし、カリウムを多く含むため、透析を受けていたり、腎機能が低下したりしている方の服用はオススメできません。
   
 文章だけで見ても分かりづらいと思いますので、来月頭に作業工程を撮影してもう一度掲載したい、と思います。また、質問とかあればどうぞ。出来る限りの範囲で答えたい、と思います。

 今年も職場で梅干し作りたい、と上申したけど衛生面でどうだろう?と遠回しに断られました。ふん。

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posted by y-burn at 12:05| 鹿児島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 田舎暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「介護施設船」...我ながらものすごくアホな発想だとは思うけど。こういった夢を語れる政治家さんとかお役所の職員とかいませんかねぇ?

〜日医、病院船建造に賛同 〜

 日本医師会の石井正三常任理事は5月18日、超党派の国会議員でつくる「病院船建造推進議員連盟」(会長=衛藤征士郎衆院副議長)の会合に出席し、「病院船はあった方がいい」と述べ、病院船建造に賛同する考えを示した。

 石井常任理事は、「救急医療では、既に全都道府県でメディカルコントロール体制の整備が終わっている。海も同様に考えないといけない」と指摘。その上で、「(国際的にも)日本が(病院船建造を)考えるか考えないかで、全く存在感が違ってくる」と述べた。
 また、同席した日医の藤川謙二常任理事は、東日本大震災に伴い発生した福島第1原子力発電所の事故などを踏まえ、「被ばくした人たちを助けるための特殊な船舶を持っておく必要があるのではないか」との考えを示した。また今後、さらに大きな災害の発生が想定されるとして、「できるだけ早く病院船を造るべき」とした。

 同議連は19日、今年度の第2次補正予算に病院船の建造に向けた調査費を盛り込むよう求める要請書を枝野幸男官房長官らに手渡す予定だ。

 この病院船のニュースを見て考えたことなんですが。

Z003 船上高齢者施設を夢想しよう
.2011年5月18日 20:53 鹿児島古稀の会さん作成.
アイデア y_burn氏のtwitter 2011.05.18 より

船上の施設としてはすでに、

・軍事施設  航空母艦

・医療施設  病院船

・高級世界一周旅行

などがある。

そのような実際にあるものをイメージしながら

「船上高齢者施設」

特例法を制定する。

・介護保険法の特例とする

・船舶法の特例とする

・医療法の特例とする

などなど

実際には、

・ショートスティ船版

・元気な人も予防用

・災害用に予備を相当持つ

・国際救助を重点に行う

・予備の船では、介護・災害救助などの訓練を行う

運営主体

民間に。

金持ちにはいまの金持用ので任せる。

船上カラオケ大会  鹿児島のZ先生のような

余興 古いタイプの紙芝居


 病院船と言うものと今回米海軍の「トモダチ作戦」を見て少し考え併せてみたんですよね。

 今回作戦に参加したロナルド・レーガン空母は、戦闘機の離着陸用艦船としてだけではなく、一つの都市としての機能も有しています。大型の軍艦と言うのは得てしてそういうものです。勿論医療についても通常の田舎町以上の施設を持っていますね。このクラスの超弩級空母を戦闘という意味合いで使うのではなく、医療メインで使える船として、国内のみならず海外にも派遣できる体制を作る。さらにそれに付随する護衛艦隊も整備し、紛争やテロなどで被害を受けた海外の市民を救う手立てにする。軍隊派遣ではなく、国際救助をメインとするのなら国内外の反対も少ないだろうし、世界に対しての貢献で文句を言われることもなくなるでしょう。

 で、そこからまた発想したのが「高齢者福祉船」というのは有りなのか無しなのか?ということ。

 離島の多い地方自治体、具体的に言えば東京都、長崎県、熊本県、鹿児島県、沖縄県、それに瀬戸内に面する中国四国地方あたりは小さな島や自治体が多く存在している上、高齢者も多い状況。当然大都会と比べて高齢者福祉は満足したサービスが受けられる状況には無いわけですよね?だったらそういう島々に施設を作るのではなく、いっそのこと施設が動いてしまうのはいかがだろうか?

 船上で行なわれる事はだいたい古瀬先生のかかれたことと同じなんですが、「島々をめぐる小規模多機能施設」的なものを発想していました。10箇所ぐらいの離島をエリアとして、それぞれの島に一〜二週間ぐらい停泊してショートステイやデイサービスを提供、どうしても長期の介護が必要な場合は船上で数ヶ月過ごしていただくことになるが、基本在宅復帰を目指す(重介護者は勿論近くの都市の施設に任せざるをえないでしょうが)。海上保安部の巡視艇のように船にヘリコプターを常駐させておき、いざという時にはヘリで利用者を病院や島までまで送迎できるようにすれば、まだまだ出来る事は多くなると思います。

 もちろん、こういうシステムを作るのに対して船作りや法整備や介護士の確保、さまざまな問題もあるでしょうし、国としてもわざわざこういうことに金を出すとは思えません。

 でも、こういう夢を見て、じゃ、どうすれば実現するか?と考えてみるのも自由。日本はそもそも海洋国家なんだもん、こういった発想も悪くは無いでしょ?

「絶対出来ないのにバカなこと考えやがって」と思ったりどっかの掲示板でバカにするのは簡単だけど、「私は柔軟に物事を考えられない」と宣言するのはスマートなことでは無いと思いますよ。

 うん、実現可能かどうかはともかく、将来的な高齢者福祉の有り方のモデルの一つとしての形はおぼろげながら出来たのかな。こういった夢を語れる政治家さんとかお役所の職員とかいませんかねぇ? ...なんかいなさそうですけど。

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posted by y-burn at 11:35| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まっとうなことができない国や大企業。だから批判する目で見ざるをえない

〜東京電力を破産させられないような国ではベンチャー企業は育たない〜

 ウォールストリート・ジャーナルは、「自由主義経済の国であれば、東電は破産させた上で被害者を救済するのが当然なのに、東電という会社を救済しようとしている日本はやはり社会主義」と痛烈に批判している。

 私自身、昔から「日本は自由主義経済の衣をかぶった社会主義」だとは思って来たが、この何かというと「大企業や既得権者を守る」姿勢が、「大企業の正社員とそれ以外」という社会の二重構造を生み、経営陣の「逃げ切りメンタリティ」を助長し、本来ならば国の発展の原動力となるべき「ベンチャー企業」の活躍を阻止していることは注目に値する。

 日本政府は、ときどき思い出した様に形だけの「ベンチャー支援」のようなものをするが、ベンチャー・ビジネスを活性化するのに最も大切なものは、国からの支援なんかではなく、「自由競争」である。日本では、既得権者が官僚と癒着して、さまざな規制や免許制度で市場への参入障壁を高くしてベンチャー企業の進出を阻んでいる。競争力を失った大企業をいつまでも延命するから、資金や人が潤沢にベンチャー企業に流れない。そしてそんな競争力を失った大企業ばかりが幅を利かせているから、日本のビジネス全体がグローバルな戦いに取り残されてガラパゴス化してしまう。

 マスコミは何かというと現政権を批判するが、もっとも批判すべきは、この「大企業・既得権者を優遇する仕組み」を作って来た日本の官僚組織である。

 今回の原発災害に関して、もっとも大切なことは、
(1)被災者をキチンと救済すること、
(2)電力の安定した供給を確保すること、
(3)国民の負担(税金+電気料金)を最小にとどめること、
である。電気料金の値上げなど、今の段階で口にしてもいけない。それよりも、これを機会に送電ビジネスと発電ビジネスを分離し、発電ビジネスに競争原理を導入することにより、危険な原発に変わる自然エネルギーの開発を民間の力で強く押し進めるべきだ。

 手続きとしては、ウォールストリートが書いている様に「東京電力の破産手続き」がもっとも公平で、かつ、国民の負担が最小になる。

 まずは100%減資により株主に責任を取らせ、次に経営陣をすべて解雇する。そして債権者(債券の所有者、貸付金を持つ銀行、年金受給者である社員と元社員)と政府との協議で債務の減額処理をした上で、東京電力を、送電ビジネス、配電ビジネス、そして廃炉・被災者救済のための法人の三つに分割する。後に送電ビジネスと発電ビジネスを別会社として上場させ、その上場益を廃炉・被災者救済の財源とする(もう少し具体的な提案は「東京電力、解体・再生プラン」を参照)。

 結局のところ、「東電の破産」という「自由主義経済の国として当然の手続き」ができるかどうかが、「日本がベンチャー企業を起業するのに適した国かどうか」を知る良いリトマス試験紙になる。財界や官僚たちの反対を押し切って「まっとうなこと」ができるかどうか、日本の未来がかかった重要な局面だ。
 日本が本当の意味での民主主義ではなく、ソ連末期の「赤い貴族」が国政も経済も握っていたバイオハザードの状況に近いのでは無いか?と言う疑問は常に持っていました。名古屋や大阪や阿久根、桐生の状況、またケアマネ、と言う職種を通じての市町村の状況を見ることでおそらくそうなんだろうな、と言う気はしてましたが、今回の東日本大震災や福島第一原発の事故、またその後処理の動きを見て、確信せざるを得ません。

 なんのことはない、日本は社会主義国家、もっと詳しく言えば「官僚主義国家」なんだ、と。

 例を挙げればきりが無いんだけど、一例として介護保険法を挙げるのならば、「一般企業やベンチャーも自由参入できると銘打って始められたが、成功例があまりなく、介護保険施行前の社会福祉法人や医療法人がそのまま勝ち組になっている」「介護保険法がケアマネージャーという資格を作り、その資格取得や更新の為の特殊法人や研究所に国庫や資格取得希望者からの金が入るようなシステムを形作った」「介護保険全体のシステムは、保険者である市町村から各事業所に対し『最低限のサービスで最高のパフォーマンスを行う様指導』され、完全に利用者本位で手厚い介護を受けられるものでは無い」...民間参入といっても、厳しい監査や少ない報酬などで結局廃業せざるをえない事業所も多いですからね。

 東電問題もまさしくその流れで説明できる。武田先生の話を転用すれば、こんな会社なんですが・・・
「東電は、原発で収入を得て年俸4000万円を取っていたのに、東電は、60京ベクレルを漏らしてもバスを用意しません。東電は、水を汚してもペットボトルを用意しません。東電は、土地を汚しても元に戻すこともしません。東電は、児童が被曝していても疎開の学校を用意しません。東電は、それでも重役が報酬を受け取っています。最近では見ることができないほどの悪質な会社です・・・・・・・・・」

 こんな会社を救うのが国益、というのであるならば、最初にあるようにウォールストリート・ジャーナルから痛烈に批判されて当然。これだけじゃない。過去に核惨事を何度も起こしているロシアからも痛烈な批判が出ている。公務員や大企業のお偉いさん達、それに2chの公務員板に張り付いている粘着厨どもはこの動画を見て、己を恥じるべきではないのかな?




一般市民から批判されても仕方ないし、恥じるどころか居直る姿勢だもん。

 日本のお役所や大企業には本来民主主義としてなければならない「民主・自主・公開の3原則」(原発に限った事では無いですよね?これ?)が無い。実際前述した市町村では衆愚主義やそれをよしとするマスコミに邪魔されているし、今回の事故でまさしく三原則が無い事が証明されている。また、無いからこそまっとうなことができないし、やろうとしても現状維持が好きな輩どもに潰されるわけだ。

 でも、今回東電を潰すことはおそらく無い。国際的に「やっぱおかしいわ、日本」といわれても仕方が無い道をこのまま選ぶのは間違いない。一般市民の為?いいえ、官僚や公務員、天下り先の大企業の為、です。

 ただ、そういう道を選ぶのなら日本と言う国はこのまま先進国としての地位は保てないだろうし、市民は今以上に「お上」を信用しない国になるだろう。何しろ、国から自分達の存在を守られないわけだから。

 最後に言う。こんな情けない国、誰が望んだのだ? 
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posted by y-burn at 11:27| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モンスター達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実例が近くに何人もいますので、良くわかります。

〜楽器を演奏していると老化が遅くなることが明らかに〜

楽器の演奏は老化を食い止める効果があるということが、ある最新の研究結果によって明らかになりました。

特に9歳以前から楽器のレッスンを続けていた人と、生涯にわたって長く同じ楽器を演奏し続けていた人にその傾向が強かったようです。

研究者によると、45〜65歳で楽器を演奏している人たちは、同年代のそうでない人たちよりも記憶力と、雑音の中でスピーチを聞き分ける能力が高かったということです。これ以前に行われた学生を対象にした実験では、音楽の指導を受けた生徒は勉強がよくできる傾向があったという結果がでていたとのことで、音楽がよい影響を与えるのは若者だけではなかったということが証明されたようです。

特に雑音下でスピーチを聞き分ける能力は、同じくらいの年格好の人でも著しく個人差が出るとのこと。その理由として、高齢になると社会的に孤立してしまいがちであることや、気分の落ち込みが関連しているのではないかとも言われています。

その理由をさらに詳しく突き止めるため、アメリカ・イリノイ州にあるノースウエスタン大学の聴覚神経科学研究所は、音楽を趣味とする18人のグループと、そうでないグループ19人を対象に比較実験を行いました。被験者の年代は45〜65歳でした。

すると、楽器を9歳より以前に始めた人や、1つの楽器を生涯を通じて演奏し続けている人は、楽器に触れていない人よりもずっと優れた聴覚・視覚能力を発揮したそうです。

この研究の共同執筆者であるNina Krausさんは「幅広い音域から意味のある音を選び取って奏でる経験は、聴覚を増強します」とコメントしており、楽器の演奏によって聴力が鍛えられることを明かしています。

しかし聴力が鍛えられるといっても、音楽を趣味にすることで音がよく聞こえるようになるというわけではなく、楽器で正しくメロディーを演奏しようとすることで、聴覚の神経系が微調整されるという方が適切なようです。

「音色というのは楽器を演奏する人にとってみれば、いわば画家が扱う絵の具のようなもの。曲を演奏するために正しい音を扱うことで、聴覚や記憶が鋭くなるのだと仮定できます。音楽をたしなむことで、加齢によって起こる、コミュニケーションに必要な能力の低下を食い止めることができるのです」とKrausさんは解説しています。
 まさしく。実例が何人も自分の身の回りに居ますもん。

 うちの音楽療法の先生である財津先生(前にこの先生の論文をこのブログでも紹介していますが)は御年83歳。音楽療法では鍵盤楽器演奏がメインでは有りますが、実はチューバやサックスなどの管楽器や、ギターやバイオリンなどの弦楽器も一通りこなせる凄い方です。前KTSでの放送や古瀬先生のブログで姿を見ている方がいると思いますが、まだまだ青年。下手するとうちの職員のほうが年取っているかもしれないぐらいです。実際初対面から15年以上経っているのに全く年を取った、と感じません。

 うちの母親もそれに近いもんが有りまして。そもそも音楽教師だったため、ピアノ専門ですがかなり弾ける方です。今でも暇があれば自宅のピアノの前に座り「ボケ防止なの」といいつつエリーゼの為に、とか弾いてますね(ただ、「あんたの嫁さんにはかなわない」と言ってますが)。もうすぐ70で股関節オペしてますが元気ですよ。

 自分もここ数年ギターを練習したりベースを練習したりしているので良くわかりますが、楽器演奏ってそう簡単なものでは無い(コツつかめばどうかわからんが)。むしろ演奏より楽器を作ったり改造したりする方がよっぽど簡単...でもないか。そこで正しい音階を見つけ、演奏するというのは脳にとって良い意味での負担を掛けるのでは無いのかな、と思います。

 ただ、勘違いしてほしく無いのは「じゃ、認知症高齢者に器楽演奏をやってもらえば認知症の予防になるのでは?」と短絡的思考。70〜90歳の高齢者の場合、財津先生やうちの母親のような特別な例を除けば、小さい頃から器楽合奏をしてました、と言う例はそう多くないはずです。もし対象となる高齢者が器楽演奏を過去にしていた、というのであればともかく、そうでないケースに楽器を持たせ、「演奏しましょうね〜」...これ、少なくとも自分達が小学校時代に器楽演奏に対してストレスを感じていた覚えがあったり、音楽の時間が楽しくなかったり、というような場合は絶対にやるべきじゃ有りません。自分達が小さい頃嫌いだったことを今利用者に押し付けるのは療法でもレクリエーションでも何でもありません。ただのレクという皮を被った自己満足、もしくは施設におけるルーティンワークです(言い過ぎ?でもそう思うんだよね、おいらは)。これを薦める従事者は、上手く演奏できないことで利用者のプライドが傷つけられ、参加に消極的になりえる、下手すれば生活意欲も低下させる危険性があるという可能性があるのでは、と言う考えは無いのでしょうかね?むしろそれは認知症を推し進める結果に繋がります。

 逆に、今の介護従事者は嫌いじゃない限り楽器演奏の練習はすべきでは無いかな、と思います。レクの幅が広がる事もあるし、将来的にアンチエイジングになるならねぇ。笑福会にも軽音楽部あるぐらいだから、若々しく介護に従事できるのはいいことだと思いますよ。

 ちなみに施設の夏祭りでジミヘンの「Purple Haze」を弾こうか...と画策している不良中年初心者ギタリストがここにいますがwww。練習中です。

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posted by y-burn at 11:15| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | まともな科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お客さん主義が大学や社会までも駄目にする

〜年間5万人 就職できない有名大学 「第3の入学組」の悲劇 AO入試合格組 大手企業人事担当者も要マーク〜


 就職できない大学生たちは約13万人。4月になり、社会に出ていたはずだった彼らは、"就職浪人"としていまだ入社試験の日々だ。だが、氷河期と言われる就職難も、不況のせいだけではないのだ―。

〜筆記試験なしで合格〜

 「僕はね、AO入試は不正入学だと言っているんです。『多様な人材や意欲のある人を求める』なんて真っ赤なウソ。早慶ですらAOで学力の低い学生を入れている。これはいつか地盤沈下が起こる。早慶がそうなると、他の私大はさらに沈む。 AO入試組が、なかなか就職できていないというのはあるでしょう。勉強していないくせにリクルートスーツを着て、普段使わない言葉を使っても、企業に見透かされますから」

 こう話すのは、法政大学理工学部・川成洋(かわなりよう)教授だ。

 厚生労働省と文部科学省の発表では、今年3月に卒業予定の大学生の内定率は2月1日現在で80.0%と、統計開始以来、過去最低の数字を記録した。

 13万人もの就職浪人が生まれたのは、もちろん日本経済の不況が直接的な原因だ。しかし、川成教授が廃止すべきと唱えるAO入試という制度も、少なからず影響している。

 AO入試のAOとはアドミッションズ・オフィスの略で、大学や学部の理念に合った学生を求めるといった意味。基本的に筆記試験は行わず、面接やディスカッション、小論文などで合否を判断するシステムだ。

 学力そのものが試されるケースは少ない。一般入試、推薦入試に次ぐ"第3の入学組"と言われ、'90年、慶応大学総合政策学部と環境情報学部が先駆けて導入して以降、多くの大学に広まった。実はこの制度が就職への大きな障壁となっているのだが、その具体的なケースは後述しよう。

 就職浪人中の早稲田大学政治経済学部5年の桜井泰崇君(仮名)もAO入試組だ。

「金融やメーカーなど30社受けましたが、最終面接にすら行けなかった。何が悪かったのかわからないんです。僕は大学に筆記試験なしで入り、ロクに勉強もしない4年間でした。それがいけなかったのか、採用面接では『大学時代何をしたか』という質問への答えにいつも窮してしまったんです」

 同じく内定ゼロに終わった有名私大法学部.藤岡俊介君(仮名)もこう話す。

「AO入試の面接の際、僕たち学生側は意気込んで、緊張して面接に臨んでいるのに、面接官は志望動機など通り一遍の質問をして、5分程度で面接が終わってしまい拍子抜けしました。これでは誰だって、『そこそこ有名な大学でも、こんなに簡単に入れるんだ』と勘違いしてしまいます。入学後も授業に身が入らず、ダラダラと過ごしてしまい、就活で失敗しました」
 川成教授は、「学生全体の質が下がっている」としたうえで、AO入試組はさらにレベルが低いと言う。

 「私は英語を教えていますが、一回音読を聞いたら、その学生がAO入試か、一般入試かすぐわかります。AO入試組はローマ字さえ読めない学生もいますから。第2外国語なんてなおさら無理。神奈川の名門公立校から入ったある学生は、中学レベルの英単語すら知りませんでしたね。呆気(あっけ)にとられましたよ。彼らは知らないことが恥ずかしいと思わない。どの先生も今の学生は『無反応だ』と言います。10年前とは学生の質がまるで違う。やはり、AO入試があるかないかの違いが大きいですよ」

〜「独りよがりの根性なし」〜

 当事者である大学側は、AO入試についてどう考えているのか。法政大学入学センターに聞いた。

 「ウチは自己推薦という形ですが、学力が整ったうえで応募してくるというのもなかなか難しい。志望書ではそつなく書くのですが、とってみたいという生徒はそう多くないという話を面接官から聞いたことがあります。ただ、学部にマッチして活き活きとやっている学生もいますので、大事な入学経路ではあると思っています」

 と、AO入試のデメリットも認識している。この状況に一足早く手を打ったのは国立大学だ。九州大学法学部や筑波大学国際総合学類、一橋大学などは AO入試を廃止、または縮小している。九大は'00年、国公立では初めてAO入試を導入し、最も力を入れていた大学の一つだった。

「九大法学部は入学後の学生の追跡調査をするなどして、意図していた生徒がとれているかを検証していると思います。それを踏まえての廃止でしょう」
(河合塾教育情報部.富沢弘和氏)

 筑波大学アドミッションセンターは、国際総合学類のAO(筑波ではACと呼ばれる)入試廃止の経緯についてこう答える。

 「最初の頃は特異な経歴や独特のユーモアを持った学生が入ってきたのですが、徐々に普通入試の学生と変わらない志願者が増えました。逆に言えば、普通入試でもウチの求める人物像を理解した人が増えたということです」

 一般入試で合格した学生は、一つの壁を越えた経験を持っている。あるいは、浪人の経験で挫折も味わっている。ところが、AO入試組は一部を除き、挫折も大きな成功体験もないまま合格し、大学生活を送るわけだ。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏は、AO入試組は就職活動において打たれ弱い傾向があると話す。

「僕の取材経験で言うと、march(明治、青山学院、立教、中央、法政)のAO入試組が最も打たれ弱い。大学の名前と学生本人の乖離(かいり)に気付かないまま就活に臨むため、面接官の何気ない問いかけに過剰に反応して圧迫面接だと感じてしまう人もいます」

 全国学力研究会理事長.河本敏浩氏がAO入試組に共通する特徴を話す。

「自己推薦の形で入学しますから、自分を出すことはうまいが、嫌いなものや苦手なことと付き合えない。一度に多くの課題を出された時、優先順位をつけて全体を見ながら進めることができないのです。
端的にいえば、段取りが悪く、独りよがりで根性がない。早慶レベルでもそれは同じ。そういう子たちが就職活動をしてもうまくいかないのは容易に推測できます」

〜質より数を求める大学〜
 ただでさえ、採用に慎重になっている企業側は、AO入試組への対応にも慎重を期している。そのため、各企業の採用担当者は大学だけでなく出身高校を必ず見るという。

「つまり受験の経験が重要視されるんです。基礎学力とラーニングアビリティの高さ、もう一つはストレス耐性があるか。メンタルな問題を抱える社員が増えていますが、その大きな理由は入社までストレスがない中でやってきたからです」
(大学への就職支援などを行うクオリティ・オブ・ライフ代表で、高知大学客員教授の原正紀氏)

 受験で鍛えられたストレス耐性が、AO入試組にはないというわけだ。実際の採用面接の現場では、AO入試をどう捉えているのか。大手家電メーカー人事担当者が明かす。

「弊社の新卒採用では、若い社員から始まり、役員まで4回面接を行いますが、話をしていてその学生がAO入試組かどうかは、言葉遣いや身振りで、なんとなくわかる。もちろん面接官が尋ねたり、会話の中で出ることもあります。5年前、弊社では『AO入試組は自分の武器を生かしている。 企業も企業人として特徴のある優秀な人材を』ということになり、積極的に採用したのですが、これが失敗でした。彼らに共通しているのは人としての基本能力の欠如です。 先日、ある商社の人事担当者とAO入試組の話になりました。その社員は学生時代、TOEICで900点を誇ったのですが、配属先の部長から文句が来た。『自分の言いたいことしか言わず、相手の話を聞かない。顧客とも社員とも協調しようとしない』と言ってきたそうです。このタイプは残業をしないし、会議でも自分の意見だけ言う」

 ここまで来れば、学生個人の資質だけの問題とは言いがたい。大手通信会社社員によると、企業の人事担当者に敬遠されている有名大学の学部があるという。

「この学部の学生たちは、成績は優秀なのですが、大学でずっとコンピュータだけと向き合っていたため、偏りすぎているんです。周囲と馴染めず、適応能力がない。調べてみると、この学部はAO入試の割合がかなり高かった。履歴書にこそ書かせませんが、『AO入試組はやっぱり使いづらい』と企業側が感じるようになっているんです」

 では、学生にとっても、企業にとってもいいところのないAO入試がここまで浸透したのはなぜなのか。

「大学側の一方的な都合です。現在、中堅以下の私大では約7割が一般入試以外の入学。この層は試験が苦手、勉強が嫌い、もしくは勉強をしない。推薦組は、部活や生徒会での実績などの評価があるが、AO組にはそれすらない。従来だと大学に入れなかった層と考えられます」
(前出・原氏)

 '09年は、高校卒業者のうち4年制大学に入学する者がついに5割を超えた。つまり2人に1人が大学に入る時代になったのだ。そのうち、推薦とAO入試による入学者は半数を超え、現在、AO入試組は約5万人と言われている。

 少子化で学生数が減っているのに大学の数が増え、とにかく学生を集めたいという大学が山ほどある。なかには、面接当日に合格を通知したり、ある大学では一年中AO入試を実施するという青田買いが当たり前のように行われている。

 人集めに躍起になる大学は、学生の数を見るだけで質を見なくなってしまった。学生の質が落ちるのがわかっていながら、大学がAO入試を拡充する理由は定員確保ともう一つ、偏差値の維持だ。AOで多く採用すれば、一般入試の枠が少なくなり、偏差値が上がりやすくなるという単純な理屈である。

 昨年3月、これを問題視した文科省は、'11年度からAO入試の願書受付は8月1日以降にし、各種条件を課す通達を出した。が、あくまでガイドラインのため、糠(ぬか)に釘だという指摘が多い。

〜私学の雄は"無試験だらけ"〜

 こうした大学全体の"無試験化"が進むなか、有名大学もその波に流されている。HRコンサルティング会社「ニッチモ」代表の海老原嗣生著『学歴の耐えられない軽さ』(朝日新聞出版)によれば、早稲田大学の看板学部、政治経済学部の入学者に占める一般入試の割合が年々下がり、'09年度では、わずか39.9%。他学部も、法学部32.6%、商学部39.8%といずれも4割を切っているのだ。

「推薦入試、近年のAO入試枠の拡充に加え、早大学院や早実など、付属校からの入学者がかなりの割合を占めます。国際教養学部などの学部を増設しても、総学生数は増えていないため、一般入試の割合が減っています。これでは、私大の雄としての看板を保つのは難しい」(早大関係者)

 AO入試組とともに、推薦組、付属組も企業からは警戒されている。意外なところでは、名門高組も警戒の対象だという。

「採用側は大学名だけでなく、中高大のヒストリーを見るようになってきています。付属高出身はもちろん、開成、麻布、桜蔭などの名門高校出身者も警戒されつつある。彼らは企業に入った時に上司と融和できるのかという問題を抱えている。また、東京の私立出身の学生は受験勉強もマニュアル的にやるので、どこかナメているところがあるんです。

 いま、企業が最も欲しがる人材は、公立中学〜地方の名門公立校〜一流大学という経歴の学生です。さまざまなレベルの子が集まる公立中学で勉強を続けることは、タフでないとできませんから」(前出.河本氏)

 少子化、大学増加が拍車をかけたAO入試の拡大化。大学生たちの悲劇はまだ終わらない。

 自分が大学入試の際はOA入試などと言うものは存在しなかったんだが。当時はガチンコで受験勝負に挑んだもんでしたがね...。

 この間Facebookでこのニュースについて国際大の古瀬先生や又座さんと話をしたのだが、その中で出たのが「学ぶ意欲の無いお客様としての学生」ということ。ある意味学歴を金で買えるようになったのが現在の大学で、その金目当てに大学が生徒を「OA入学」と言う名目で確保しているのが現状なのでは、という事でした。

 でも、もっと考えると、お客様がいるのは大学だけでは無いのでは?と思います。会社員や公務員、福祉の世界の中にも、稼ぐという事はすれどもその後の研鑽を怠り、流れるまま...という人間はいます。学生と同じ範囲で考える事は少し乱暴なのかもしれないけれど、これも一種の「お客さん」では無いのかな、と思うんですよね。

 勉強と言うのは別に学校だけでやるものではなく、職場などでも必要不可欠なもの。上から与えられた命題だけこなせばいいものではなく、自分で現象を見つめ、考え、まとめて、上申し、実現するべきものだと思います。既存の発想から抜け出て、更なる高みに上り詰める為にはそういった日々の学習や思考能力が不可欠なのですが。大学でそれを教えない、教えられない、また社会人になっても出来ない、というのであるのなら、そういう人物に価値を求めても無駄です、といわざるをえません。申し訳ないが、そういった人物を実際にも、又ネット上でも相当数見てきています。軽蔑、とまで行きませんが、かわいそうだな、こんな貧しい発想しか出来ないのか...とは思いますよ。

 もうこうなったら、いっそのこと大学まで義務教育にするとかしないと...。

 最も、いま社会人入学を進めている大学も多いです。提案したいのは、これをもっと低価格で誰でも都合のいい時間に学べる(放送大学とか通信制大学のように)、ネット上でも学ぶことが出来る、と言うシステムを作ることや、大企業の人事などでもそういった努力をしてきた社会人の採用を重視するなど、既存の教育システムを少しでも変えていく事も必要では無いのかな?少子化で生徒が確保しづらいのなら、若い頃に学びたかったけど学べなくて今に至る、でも学ぶには少し経済力が..というような社会人にももう少し目を向けるべきでは無いのか?と思います。

 AO入試は最終的には大学や企業や社会までにも大きな傷を残しかねないシステムでは無いのだろうか?今こそ大学側も考え直すべき時期なのでしょう。
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2011年05月13日

生ける物を取り入れると言う「原罪」

〜幻想の衣食住 その2 四角い肉〜

 環境の基礎はなんといっても食料です。人間が命を保つためには、三度の食事を別にして考えることはできません。この節では食べもののなかでも最近、急激に増えてきた冷凍食品を題材に取り上げて「環境」を考えるスタート・ラインにつきたいと思います。

 冷凍食品の代表格といえば、多くの人は「ハンバーグ」や「コロッケ」などを思い浮かべます。たしかに、現代の冷凍食品はそういうものが多いのですが、最初の冷凍食品はおかずではありませんでした。

 もともと、冷凍食品が普及するには、冷蔵庫の登場が必要で、それは二○世紀の初めです。最初の冷凍食品は「イチゴ」。アメリカのコロラド州でジャム用にイチゴが冷凍されたのが、その始まりでした。そして、日本に冷凍イチゴが上陸したのは、一九三○年。不漁で魚が捕れず、空いていた冷凍設備を有効に活用するために考え出されたものでした。当時の技術者が苦心惨憺して作り上げた商品は「イチゴ・シャーベー」です。

 ブリキ缶入りで価格は三○銭。大阪・梅田の阪急百貨店地下のアイスクリーム売り場で売りだされ、たちまち人気を呼んで、家庭用冷凍食品の第一号市販品の栄誉を得たのです。それから約七○年の時を経た現在では、冷凍食品の種類も増え、品質も良くなり、果物、野菜、魚介などの素材から、加熱するだけの調理食品は和風、西洋料理、中国料理、エスニック風のものまで、数えきれないほどの食品がでまわっています。今では、おおよそ一七○万トンも売られています。

 冷凍食品はいつでも冷たいものを食べられたり、忙しいときに食事がすぐできたり便利なものですが、実は、わたしたちから大事なものをそっと盗むことも上手な食品でもあります。

 なにをわたしたちから盗んでいるのでしょうか?

 ひと昔まえ、まだ家がまばらに建っている頃、家の周りに塀が巡らしていることも少なく、家の裏には小高い丘があり、竹藪や背の低いブッシュが生えていました。

 そのころ、どこの家庭でも時々、家で食べる「にわとり」を絞めるのは父親と決まっていました。場所は裏庭。今夜はニワトリのごちそうとなると、父親がにわとりを締めに裏庭に行きます。子供たちは物陰に隠れて、こわごわと父親の様子を見るのです。そうして、にわとりが「ギャー」という断末魔の鳴き声をあげると子供たちは耳をふさいで震えます。

 それからしばらくして、舞台は台所に移ります。ふだんは、あんなに優しい母親が包丁をもって、あの絞めたばかりの鶏を血だらけでさばいているではありませんか!その様子を物陰から子供たちがおそるおそる見ます。その一つ一つが感受性の高い子供の心に深く焼きつき、命の尊さ、その命を頂いて生きる人間というものをおぼろげながら知るのです。

 やがて、あのにわとりがホカホカの肉片となって食卓に上がります。子供はそれを複雑な面もちで見て、口にします。もごもごと口を動かしながら、子供はあの断末魔の声、毛の抜けたボツボツの肌、血だらけの肉を思い起こしているに相違ありません。

 自然との共存、人間と自然との関係はニワトリを裏庭で絞め、血だらけでさばく一連の行動とともにその子供たちに理解されます。

 最近はニワトリを裏庭で絞めることはなくなりました。かつて、血だらけのニワトリをさばいていた親は居間のソファに座ってテレビを見ています。子供が「お腹が減った」と言いますと「冷凍庫の・・・をチンしなさい」と言うだけです。そして、たちまちの内に四角い肉片が皿の上にホカホカになって出てくる。子供は、その四角い肉片がかつて生きていた動物の一部であると感じることはできません。

 まして、生まれてこの方、都会に住み、ニワトリという動物すらほとんど間近に見たことがない子供にとっては、チンをした肉片が、生きものの一部であり、自分が、命を頂いて食べているという実感を感じることはむつかしいでしょう。

 かくして、子供は冷凍食品をほおばり、テキストをもって塾へと走りだし、現実を喪失した世界へと旅立つのです。

 かつて人類は食糧を得ることを最大の目的として家族を維持してきました。親は、弓矢を持って狩りにでかけ、畑をたがやし、菜を育て、豆を煎りました。子供は少し大きくなると手伝いをしたり、あるいは田畑で両親が働いているまわりを飛びはねていました。

 そうして一日が過ぎ、家族での食事がはじまるのです。収穫と、その日一日の安全を神に感謝し、そして口に運びます。目に見るもの、手に触るもの、そして口の中で感じられるものは、昼間のあの「もの」なのです。

 狩猟時代ほど昔では無くても、著者の子供のころは食べものを「実感」することができました。茶碗のなかに暖かいご飯がよそってあります。のぞき込むとご飯粒が見えます。そして、その白く小さく半透明のご飯粒に、農家の人の姿が映ったものです。

 腰を曲げて田植えをする姿、夏の灼熱の太陽のしたでの草取り、滴る汗をふきとるしわだらけの手と黒光りした額(ひたい)、そして秋には収穫の喜びに顔がほころんでいる一家、さらに冬には囲炉裏の周りで藁をなう老人・・・そんな農家の一年が茶碗の中のご飯粒に見えるのです。
そして、茶碗のなかのご飯粒をすこしでも残そうものなら「お米を作った人に申し訳がないでしょ!全部、食べなさい!」と叱られて、最後の一粒までお箸で拾ったものです。

 それは魚でも野菜でもそうでした。台所に運ばれた魚は、頭(かしら)を切りとり、内臓(わた)を取りだし、何枚かにおろして初めて食べることができました。魚をさばくあいだには、魚の目が充血して真っ赤になっているのを見たり、ウロコで手をケガすることもありました。

 「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。……漁師のむすめ達が臑をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景のすべてが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」(渡辺京二「逝きし日の面影」。幕末の日本を描写した女流旅行家イライザ・シッドモアの記録から)

 自分が田畑を耕したこともなく、漁船に乗ったことがなくても、生活のまわりには自然がありましたから、魚をとってくれる人たちの生活を頭に浮かべることが容易だったのです。そして、目の前の食料が自然からとれたものであること、それが、生物のかけがえのない命を頂いていることを確実に感じることができました。

 もちろん、一見、美しく楽しく見える、このような生活には苦しみはありました。恒常的に不足する食糧、病気、貧困、子沢山などがつきまとっていましたし、この本に引用した昔の情景のなかには、美しさや躍動感とともに、登場人物の役割分担がきびしく感じられます。

 昔というものが、美しく、それと同時に哀しさを持っていたことをうかがわせるのです。

 現代社会は冷凍食品に代表されるような、架空で実感のないものに取りかこまれています。食事の準備、頭や内臓をさばかなければならない魚、とりたての野菜・・・すべてやっかいなものです。これらはいずれも「効率」を第一にする社会では嫌われます。かくして、食料は四角くきざまれ、ときに「チン」するだけで食べられるようになってきました。その中で人間はどのようにして「実物」を感じることができるのでしょうか?一度も見たこともなく、一度も経験したことがないもの、形も味も全くちがうものを人間は想像することができません。架空のなかで食事をし、生活をするようになります。

 すでに都会の子供の大半が、架空の食事をしています。小さいころ、すこしでも自然の恵み、自然からの食事を経験していれば、それが原体験となって、こころに残りますが、いちども稲を刈りとったこともなく、海から魚を釣ったこともなく、両親が、豪快に生きものを調理する姿を見たこともない・・・その子供は、自分の目のまえのお皿に乗っている「物体」が命あるものであり、自分が生きるためには命を頂かなければならないこと、それをとってくれた人のひたいの汗を感じることはできません。
 武田先生のコラムから。

 ついこの間twitterやfacebookで投稿したことと被るんですけどね。

 数年前、まだ上の子が幼稚園に行っている頃の話。昼ご飯にさつま揚げ食べていたんですが、長男がさつま揚げを指して「ねえ、パパ、これ美味しいけどどうやって作るの?」と聞いてきたんです。西丸震也氏ばりの冗談(彼は山の中に住むばあさんに、かまぼこが海に浮いている生物だ、と嘘を行った事がある)で「うん、これはね、海の上をぷかぷか浮いていてね、漁師さんが大きい網で掬うんだ」とわざととぼけて回答したら、それ聞いてた嫁に「パパ、嘘ばっかついているんじゃないわよ!」と怒られました。「じゃ、どうやって作るの?」「見たい?パパが作って見るよ」「うん、お買い物にも行くんだよね?」「一緒に行くか?」「行く。」...と言う会話があり、近所のスーパーで小アジやとびうおのすり身を買い込み、親子で夕飯作り、となった事がありました。冗談から始まったけど、食育としては良かったんじゃなかろうか?その後こういうことに興味を持ち出して、今は兄弟でピザ生地練っている姿も見るし。

 自分の食べる物がどうやって出来ているのか、の過程を見せるのは食育の範疇にとどまらない、大事な教育でしょうね。

 食のバーチャル化、と云ってしまえばそうなのかもしれませんが、調理前の食材を見る機会と言うのはどんどん失われているようです。武田先生の話している「鶏を締める」ことも、実は自分の世代以降の人間は殆ど経験が無いはずです(同世代で出来ます、と言う人を実は見たことありません)。

出来合いのものや総菜、弁当、果てはファミレスなど、「何をどう食べているるのか」がどんどん見えなくなってくる。それが行き着くと「マクドナルドのパテはミミズ肉」などというありえねぇ都市伝説まで出て来るのだろうな、と思う。あ、ちなみに仮にミミズ肉を使う場合、グラスフェッドの牛肉を得るための牧場や工場の数倍以上の投資をしなければならないので絶対にあり得ませんからね。

 動物植物関係なく、食べるものから命を得る、食べるものから活かされている、命で命を繋ぐことでしか人は生きていけない。これが人が人である「原罪」である。ベジタリアンだって植物の命で命を継ぐのだから結局この原罪からは逃れられるべくもない....。こういった教育をしないでおいて何が受験勉強だ、っての。性格的に歪んだ子供がどんどん出来ている理由の一つはこれなんじゃない?

 活かされていることに感謝する。それが日本語で美しい言葉の一つ「いただきます」なんじゃないかな。

 生きている鶏を肉にまでする過程は、うちの子供らにいつかは見せてあげたい、と思っている。多分彼らは泣くんだろうけど、泣くことも覚えさせなきゃ。

 地に足の付いていない知識だけが人生にとって大事なことではないのですから。
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posted by y-burn at 10:59| 鹿児島 | Comment(1) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

目的と手段がごっちゃになった結末。

〜利益優先社長率いる焼肉酒屋えびす店員「休憩時間削られた」〜

 4人もの死者を出した『焼肉酒家えびす』の集団食中毒事件。同焼肉店チェーンを運営するフーズ・フォーラスの勘坂康弘社長(42)。1997年、28才のときに同社を開業した彼だが、その半生は倹約に次ぐ倹約の日々だった。まず開業資金調達のときには、

「地元の工場への派遣で2年半ほど働いて1000万円ほど貯めました。お金を貯めるのは非常に簡単なことで、使わなければいいんですよ」

 こうインタビューで語っていたほどだった。 当時の友人はこう証言する。

「勘坂くんは仲間で集まって飲むときも1、2杯飲むと“お先に”といって、ひとり帰るほど徹底した節約ぶりでしたね。食事もかなり無理をしていたみたいで、1号店を出したときは、かなり痩せ細っていましたよ」

 そんな勘坂氏は、会社を大きくすることだけにすべてを懸けていた。

「ひとつ店を出すと、“次の店、次の店”と、店を出し続けることに熱中してましたね。店にも出ないで売り上げデータと絶えずにらめっこ状態だったそうです。利益優先になってしまっていたところはあるんでしょうね」(会社関係者)

 焼肉酒家えびすでアルバイト経験がある大学生はこういう。

「6時間勤務につき45分間の休憩が定められていますが、えびすでは、実際に休憩はありませんでした」

 会社を大きくするために、人件費も“もったいない”と倹約していたのだろうか。
 介護の現場でケアプラン作る時にも結構ありがちな事ですが、目的と手段がごっちゃになった、という事なのかも。

 良くいるんですよ。長期目標や短期目標に「リハビリ」と書くケアマネ。リハビリはそれをやる事によって何が出来るのか?の手段であり、リハビリをする事が目標になってはいけません。最もケアプランだけじゃなくて、「市民の為に一生懸命働く」事が目標のはずである市役所職員が「一般市民より良い生活をするために労働組合でごねる」とかもあるしね〜。しかもそれが正当だ、と主張する方々もいるわけだし。

 実際、このフーズ・フォーラスの勘坂康弘社長も本当の目的は「美味しい焼き肉をお客さんに食べて貰い、満足していただく」事ではなかったのかな。でもどこかでそれを見失って「会社を大きくしていく」のが目的になってしまった。従事者に休憩時間を与えない、という事がそれを如実に表している、とも思うのですけどね。

 店を大きくする事や安い仕入先を探すのは後々の会社発展の手段として必要ですが、それに固執するあまり本来のサービスを忘れてしまう。う〜ん、これは実際うちらの業界でも考えればありそうな話ですね。「時間がないから」と言って介助のペースを本人の意思無視でやってしまったり、「一寸待ってね」と待たせたりと言うのも目的と手段の取りちがえだろうし。探せばまだまだありそう。しかもこれはもっと大きな目で見ればすべての職種に当てはまる事でもありそうです。

 今の日本には「手段と目的」について、ゆっくり考える時間が必要なのかも。

・・・で締めようと思ったら、それこそ武田先生のコラムに全く同じような文章がありましたので、こちらに掲載します。

〜手段の目的化はそろそろ止めたいものだ〜

「手段」はすぐ「目的」になる.

 「リサイクル」という手段はなにを「目的」にしているかはっきりしない.リサイクルした方がゴミも増えるし,税金も増える。でも,すでに目的化しているので,どのぐらいの資源の節約になっているのか,日本社会あまり関心を示さない.

 私は「リサイクルの目的は中国の子孫を利すること」と考えているが,なかなかそこまで議論が進まない.

 「ダイオキシン」もそうだった.ダイオキシンの毒性にはほとんど関心がなく,「規制値を4ピコから2ピコに下げる」ということだけに熱中しておられる運動家にひどく怒られたのだが,「ダイオキシンの毒性についてどのようにお考えですか?」とお聞きしても答えは無かった.

 もちろん「温暖化」も完全な手段と化している.

 ヨーロッパは「アジアの発展を押さえるため」という目的を持っており,中国は「日本からの技術供与を安く得ることができる」というのが目的である.

 「温暖化で日本は良いことが多く,被害は少ない」と私がいうと,マスメディアは相手にしない.リサイクルの時もそうだったが,「温暖化」という手段が目的化すると,本来の目的はどうでも良いのだ.

 次のステップでは,目的化した「温暖化防止」を利用して,いかに税金を取るか,排出権をどうするか,太陽電池で補助金を貰うかというようなことに夢中になる.そのような人たちをマスメディアは取りあげるのだ.

 でも,それは大きな被害を生む。

 金融崩壊も手段の目的化の一つで,倒産した多くの金融を取り扱う会社の首脳部は年俸1億ドル(100億円)をもらっていたとも言われる.

 年間100億円というと,一日2700万円も使わなければならない.年俸を10年で使っても,毎日,270万円だ.

 こんなにお金を使うためには,「お金を使うために人生を送る」ことになる.それも,本来は多くの人がもらってその人生を楽しむためのお金である.

 「お金の金額が目的」という手段の目的化が,金融崩壊を招き,日本はアメリカの強欲の犠牲になり,それでもアメリカは頭を下げない.

 考えてみると,先の戦争では広島,長崎,東京など多くの日本人が犠牲になったが,これも「戦争」という手段が目的化したことによる.

 だから,戦争を終わって「なぜ,戦争したのですか?」と聞かれると,時の首相も外相も答えられなかった.「みんなが戦争をしたいと言ったから」と今のリサイクルや温暖化と同じことを言った.

 もう繰り返すのは止めたい.

 ついでに少し話しを広げると,「柔道の世界選手権で金メダルを取る」というのは,手段であって,目的ではない.

 目的は何かというと柔道をスポーツとして自分の人生の大切なものにすることであり,金メダルというのは練習の励みにするための手段である。

 温暖化という問題を通じて,少なくとも私たち日本人は,手段を目的にする事を止めて,より本質的なことを考えたいと私は思う.(平成21年9月25日(金))武田邦彦
 日本人に限らず、世界中のお偉いさんがまだまだこういうこと繰り返しそうで怖いんですけどね...。blogram投票ボタン


posted by y-burn at 10:39| 鹿児島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 事件・・・その後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スウェーデン、ああスウェーデン、スウェーデン、と言っているどこぞの業種と一緒だな。

〜ドイツ好き・・・ドイツ、ドイツ〜

 私の友人にはドイツに生活し、ドイツ語が堪能な方が多くおられる。その方々は決して心が狭くないし、全体を見る力も持っておられる。どこから見ても立派な人格者だ。

 ゲーテ、ベートーベン、そしてヘーゲル・・・私の人生に大きな影響を与えた偉人にはドイツの人が多い。その作品や思想は素晴らしく、人類の至宝でもある。

 しかし・・・

 今から60年間に起こった太平洋戦争。その前夜、日本はドイツを尊敬した。時あたかもヒットラーが登場してヨーロッパを席巻していた頃である。

 「民主主義などは劣った制度だ。全体主義こそこれからの国家体制に違いない。ドイツを見れば判るじゃないか。フランスも占領されたのはグズグズ理屈をこねているからだ」と主張し、日本の文化人はドイツを褒め称え、政治ではヒットラー政権と連携を深めた。
 第二次世界大戦が始まり、緒戦こそはドイツが勝ち進んだものの、やがてソ連戦で躓いていた頃、日本は情報統制が行われ、局地戦におけるドイツの敗北はほとんど報道されなくなった。

 一度、偉そうに言ったこと・・・「ヒットラー・ドイツが正しい」ということを訂正することができなかったのである。そして日本は戦争に突入し、310万人の犠牲者を出し、多くの子供たちがその将来を失った。

 現代、またそれが繰り返されようとしている。

 環境というと必ずドイツが出てくる。時にはこの世界にはドイツ以外の国はないのかと思うほどドイツである。

 リサイクルと言えばドイツ、デポジット言えばドイツ、そしてペットボトルのリユースと言えばドイツである。

 「それではフランスは?スペインは?」と私が質問しても、専門家すら口を開かない。戦前と同じように、日本の知識人がすっかり「環境ドイツ病」にかかってしまったからだ。

 ドイツは閉鎖的な海域である北海に面していて、河川も国際河川が多い。原子力発電所は動いていないが、フランスから原子力発電の電気を多く購入している。ドイツの環境はまったく日本と異なる。

 環境が日本と似ていると言えば大西洋に面し、比較的気候が温暖なスペインなどであるが、環境関係の専門家は見向きもしない。日本の九州や沖縄県はスペインよりまだ気候が温暖だから、環境を考えるときには、ドイツはもちろん、スペインすらあまり参考にならないのだ。

 環境とは「気候、風土、地形」と切っては切り離すことができない。月の基地でリサイクルしていようと、風車で電気を起こそうと、それは四面を海に囲まれた温帯の島国である日本とはまったく違うのである。

 ドイツに罪はない。でも、なんで日本人は「ドイツ、ドイツ」というとひれ伏すのだろうか? 私は一種の「茶髪主義」だと思うし、白人コンプレックスの用にも感じられる。
 自分のことは自分で考えればよいのだ。「ドイツはリサイクルしている」、「ドイツはデポジット制だ」、「ドイツは製造者責任だ」、「ドイツはリユースしている」、「ドイツは風力発電だ」、「ドイツはビールだ、ワインだ」、「ドイツは・・・」。網いい加減にしてもらい、「なぜ、ドイツなのか」を説明して欲しい。

 今、ドイツはリサイクルを反省し、ゴミの焼却に向かっている。もともとヨーロッパには「焼く文化」はなく、それは日本の物だった。そうなると、戦前と同じように情報は統制され、ドイツのリサイクル率の実態すら報道されない。 (平成20年4月5日 執筆)

 え〜と、twitter上で「竹原尊師のお抱え学者、武田邦彦氏が...」とか抜かしつつ中傷していたどアホう(おはよう21みたいな名前の輩)がおりました。テレビではちょくちょく見かけるけれど、あまりこの方に詳しくないと言う事もあり、武田さんのネット上での論文をいくつか読んでみたんだが、逆に考えさせられる事や同意する事(もちろん同意にはほど遠い論調も有った事は言っておく)もあったので、いくつか紹介したいな、と思って。

 ネット上では結構批判されているようですが、まともな事言っているじゃん。Wikipediaの記事がよっぽどあれです。

 日本と言う国は長い歴史の中、それなりに独自の社会システムが機能していたのに、歴史的にも浅い欧米から持って来たシステムがすべて良い、と言う勘違いを明治維新以降やらかしてます。例えば旧陸軍はプロイセンの真似、旧海軍はイギリスの真似、戦後なら社会保障はスウェーデンの真似...というのが目立つ状況です。で、まさに今エコロジーはドイツなんだ。

 環境、と言えばドイツが出てくるように福祉、と言えば北欧、特にスウェーデンが出てくるのがうちらの業界では一般的です。もちろん参考にすべき事が全くない(ラホヒタイヤとかは是非参考にしたいもんです)、とは言わないし、その概念を取り入れている面も現状ありますよ。でも、どうなんだろ?貧しいながらも近所や村で互助してきていた江戸時代や明治時代辺りも参考にするなら納得もするけど、「北欧大好きです〜真似します〜」で果たして日本の高齢者は幸せになるのかな?それともそう言う疑問すら全うなケアマネは持ってはいかんのかね?

 個人的にはスウェーデンの福祉システムは経済の成長と高負担の税金が必要不可欠である、と判断しています。もし北欧型福祉を続けるのであれば国が経済をバブル期レベルまで回復させなければならない。もちろん現状ではそんな事はできないわけで、別記事でも書いたように大震災の影響がおそらく医療保険や介護保険にも何らかの影響を与えていくでしょう。

 スウェーデンと言う国は、家庭崩壊、経済悪化、犯罪の増加で自国民が苦しんでいるのに、移民は大切にして誰の国なのかわからない状況、言わば社会的弱者が強者となり、自国民の労働者に高負担の税金負担を強いている、で抑圧された若者が自殺に走ったり犯罪に手を染めたりネオナチとして社会運動を起したり、というのが現状だったりするのですが。これを理想とするのが果たしてまともなのだろうか?

 「気候、風土、地形」に加え「歴史、宗教、国民性、文化」まで加味して考えたシステムとして現在の日本の社会保障は機能しているとは思えません。「北欧のシステムが一番」で思考停止すべきではないし、それをもっと改良すべきです。そもそももともとあるものをもっと良い物に改良するのが日本人の長所であったはず。今の介護保険法はまだその枠から抜け出している、とは思えないんですよね...残念な事に。

 武田先生のネット上の論文、まだまだ良い物が沢山あるので、少しづつ紹介していきたい、と思ってます。じっくり読んでいると、ある意味大学で授業受けているような感覚になることもありますけどね。

 これに批判コメントを書きたい方は2ch上じゃなく、コメント欄にしっかり書き込んで欲しいもんだね。シャイなのか内弁慶なのか一度もそう言う勇気ある輩は出てきてませんが。

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posted by y-burn at 10:32| 鹿児島 | Comment(0) | TrackBack(0) | モンスター達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どんな理由があるにせよ命を絶つのだけは止めて欲しかった...

〜”貧乏ドル”上原美優さん、首つり自殺…ブログで悩み激白〜

明るいキャラクターで“貧乏アイドル”という言葉を広めた上原さん。突然の自殺は恋愛の悩みか、それとも−

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 “貧乏アイドル”としてバラエティー番組などで人気でZAKZAKのアイドル企画「ZAK THE QUEEN 2007」のファーストステージにも登場していたタレントの上原美優(本名・藤崎睦美=ふじさき・むつみ)さん(24)が12日未明、東京都目黒区中央町の自宅マンションで首をつっているのが見つかった。上原さんは搬送先の病院で死亡が確認された。警視庁目黒署は自殺とみている。

 関係者によると、同日午前2時すぎ、マンションを訪れた知人が首をつっている上原さんを発見、119番通報した。救急隊が駆け付けたときには意識がなく、約1時間半後に死亡が確認された。上原さんは居室のドア付近で首をつっていたという。遺書の有無など詳細は不明。5月2日に誕生日を迎えたばかりだった。

 上原さんは5月10日に更新した自身のブログに「リアルに私、恋愛ができない」「今日の上原さんおかしいです」と、恋愛面での悩みをうかがわせる内容の文章を掲載していた。

 12日朝、自殺の速報を伝えたフジテレビ系「とくダネ!」では生出演中だった姉貴分で女優の眞鍋かをり(30)が号泣した。眞鍋は上原さんと親しく、上原さんのブログに2人で楽しく食事する様子などが頻繁に紹介されていただけに、突然の悲報に言葉を失っていた。芸能評論家の前田忠明氏は「恋人がいたが、うまくいかないと悩んでいた」と話した。

 上原さんは鹿児島県種子島出身。2006年にレースクイーンとしてデビュー後、グラビアなどに登場するかたわら、10人兄妹の“大家族貧乏アイドル”として人気を集めた。「花や草がおやつ」「7枚のパンツを姉妹で奪い合い」といった貧乏エピソードを告白。愛らしいルックスとのギャップで、バラエティー番組で一気にブレークした。

 その一方、一昨年5月に出版した自叙伝で、荒れていた鹿児島での高校時代や、その後の壮絶イジメによる退学、上京後の薬物自殺未遂といった衝撃的な過去を告白。テレビ番組では、鹿児島時代に2人の男に暴行された過去を明かしたことも。最近では毒舌を売りにする新たなキャラクターとして売り出していたが、思うように仕事は増えず、本人も悩んでいたという。「こうした思い切った過去の告白が、逆にファン離れを加速させた」と同情する業界関係者も多い。

【最後のブログ全文】

 リアルな話。2011/5/10 19:47

 今日の空嫌いだったーねぇ!皆さんリアルに私、恋愛が出来ないーーー恋多き女だった私が、、恋の仕方も、恋愛の仕方も、リアルにわかんなくなってる。てか完全焦ってるな私。だって今すぐフジテレビの廊下をめっさ叫びながら走り回りたいもん。私の周りはどんどんみんなHAPPYloveになって美優も嬉しいけどそうなんだぁって冷静保ってるけど本当の心の美優、ヤバいヤバいヤバいヤバいうらやましーーと叫びたいんよ。イヤ、皆さん今日の上原さんおかしいです。てか、最近気づいた前はね、てか昔はね、ハーってloveなため息ついてたの、。。でも、ハー疲れたぁってのため息だもん。好きな人がいると、幸せすぎて本当にご飯が喉を通らなくて空飛びたい気分でも今は、ご飯を食べてる時が幸せで時間があれば常に食べてる。リアル太って空も飛べない早く結婚したいのにまぢ焦るーーー汗って感じの上原なので、アドバイス求む。リアルに。美優

 昨日の朝PC立ち上げてニュース見たらスペインの大地震とこれがトップだったのにビックリしました。

 鹿児島出身ということもあるし、そのキャラクターは個人的には好きだっただけにショックでしたね。確かMBCのTEGE2の初回ゲストも彼女だったはず。

 生き急いだ結果がこれであるとは思いたくないんだけど、彼女の波乱万丈の24年間の人生で、本当に幸せだった時期はいったい何時だったのかな、とぼんやり考えてしまう。テレビやグラビアの仕事が本当に幸せだったのかな、貧乏ながら家族と一緒に楽しく生活していた頃が一番良かったのかな...とも。

 身内に近い人間が自殺した経験を持つ自分だから言うんだけれど、自殺された家族やその回りの人間は、辛くなる思い出やその死と向き会わなければならない、と言う重い十字架を背負う事になります。その十字架は自殺した人と同じ場所に行くまで決して消える事の無いものです。現に自殺で家族を失った方は今も自分の恩師である人間に合いに来るたびに泣き出す状況です。

 いくら現状が悪くても、逃げる場所があるのなら逃げてしまえば良い。逃げずに戦うのならとことん戦うのも悪くは無い。

 でも、その結果自ら命を絶つ、という事だけは絶対にやめて欲しい。彼女も様々な事情はあったにせよ、すべてを捨てて種子島に逃げればまだ救われたのかも知れない。結婚、と言う夢もかなったかもしれないのですが...。

 上原美優さんのご冥福をお祈りいたします。

 あと、もしこのつたないブログを見つつ自殺を考えている人がいるのであれば、絶対やめてください。身内や親友に重い十字架を背負わせる事のないようお願いします。

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posted by y-burn at 10:21| 鹿児島 | Comment(1) | TrackBack(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これや東日本が全世界での政治経済が大きく動く引き金にならなければ...

〜スペインで地震、10人死亡 建物が損壊、軍部隊出動へ〜

 【パリ共同】スペイン南東部ムルシア地方で11日、2度にわたって強い地震があり、政府によると、建物の損壊などで少なくとも10人が死亡した。現地の病院関係者によると、負傷者も数十人に上る見通し。政府は被害者救出のため、軍の緊急展開部隊を現地に派遣した。在マドリードの日本大使館担当者によると、日本人が被害に遭ったとの情報はない。

 米地質調査所(USGS)によると、最初の地震は11日午後5時(日本時間12日午前0時)すぎに発生し、マグニチュード(M)は4・5。同7時前に起き、より大きな被害をもたらした2度目の地震はM5・1で、震源の深さは約1キロ。
 ニュージーランド、日本、そしてスペインと今年は地震の当たり年ではないか、と言うぐらい酷い状況ですが。

 マグニチュードがたいした事無い、と思うべきでは無いです。そもそもヨーロッパは地震の少ない場所でもあり、数百年を越えたレンガ造りや石造りの建築物が多く存在する場所でもあります。現地映像でもレポーターの前に大きな石の塊が落ちてきたのがあっただけにね。もしこの間の東日本大震災クラスならスペイン南部は全滅だったはずです。

 この地震で思い出したのが、「リスボン大震災」の事。
「1755年リスボン地震(1755ねんリスボンじしん)は、1755年11月1日に発生した地震。午前9時40分に[1] 西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含む、5万5000人から6万2000人が死亡した。推定されるマグニチュードはMw8.7。リスボン大震災(リスボンだいしんさい)ともいう。

Gutscherがサイエンスに投稿した論文での、
An active subduction zone off southern Iberia poses a long-term seismic risk and is a likely candidate for having produced the Great Lisbon earthquake in 1755.
という記述から、イベリア半島南西沖の寄生マイクロプレートにおける弓状の沈み込み帯で発生した地震であると考える説もある。

リスボンは地震の後、津波と火災によりほぼ灰燼に帰した。これによりポルトガル経済は打撃を受け、海外植民地への依存度を増した。ポルトガルでは国内の政治的緊張が高まるとともに、それまでの海外植民地拡大の勢いはそがれることとなった。

また震災の悲報は、18世紀半ばの啓蒙時代にあった西ヨーロッパに思想的な影響を与え、啓蒙思想における弁神論と崇高論の展開を強く促した。リスボン地震によって思想的に大きな変化を蒙った思想家には後述のようにヴォルテールがいる(『カンディード』を参照)。

当時、ポルトガル王ジョゼ1世の下で宰相の地位にあったセバスティアン・デ・カルヴァーリョ(後のポンバル侯爵)は、リスボンの再建を積極的に推進した。」

(Wikipediaより抜粋)
 そもそもの母国であるスペインや新興国のオランダや他の大陸に新天地を求めた北欧各国やフランス・イギリスに植民地をめぐる争いで窮地にたたされていたポルトガルに最後のとどめをさす事になったこの震災(その割には世界史で習った覚えがないんですが...)。実際復興はしたものの、最盛期のポルトガルまでの国力を維持できる時代はこの震災以来今にいたるまで来る事はありませんでしたし、これからもそうであろうと予想されます。

 つい最近、世界第9位の経済力を持つスペインがIMFに対して資金援助を依頼していたと言うニュースもありましたが、この震災がスペインのみならずEU圏、ひいては東日本大震災とセットで世界経済に対して多大なダメージを与えることに繋がりかねません。日本のこれからの動向にも少なからず影響ある物と考えています。

 もう一つ。大規模な天災・人災と言うのはそれ以降のあるべき歴史を捻じ曲げる、しかも天災・人災以前に戻るのは不可能及び困難な道であるということ。関東大震災がその後の太平洋戦争へと繋がる事になった事は容易に想像がつきますし、江戸幕府の政権の力を奪うきっかけになったのは浅間山の大噴火や当時の冷夏だったと思います。政治が動き、それまでの政権が倒されるきっかけが食糧不足、その原因の天災であったと言う事は歴史が証明しています。今回のいくつかの震災もそういった政治的、社会的なねじれの原因になるのではないだろうか?少なくとも介護保険も今回の震災の影響を受けるだろう、と思います。

 9.11が世界の流れを曲げ、更に3.11と5.11が...そんな気がしてならないのです。

 そういう時代に我々が生きている事、この時代に出来たすべてを子供達に未来として引き継がなければなら無い事。せめて暗黒の未来を子供達に引き継がせる事は無い様、我々は生きていき、社会を作っていかなければならないのだろう。
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posted by y-burn at 10:11| 鹿児島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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