2012年02月10日

薩摩の教え

Facebookの自分のタイムラインで話題になった薩摩隼人のことば。

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四と五にはならんようにしなくちゃね。twitterや2chあたりで結構見ますけど。

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2012年02月05日

地元で起こっている「独裁」

〜鹿児島・住民無視の傲慢行政 県営住宅問題に見る伊藤県政の現状(1)〜

 「夢のマイホームは最高の住環境で!!」という言葉を信用し分譲用地を購入、終の棲家ができたと考えていたら、突然、周辺地域の分譲計画自体が大幅に変えられる。

 約束された商業施設もできない。周辺の戸建て予定地を含めすべての土地が賃貸住宅に変更。分譲主体に説明を求めても問答無用で計画変更を押し切る・・・。

 そうした事態に巻き込まれた住民はどうするだろう。

 街づくりの未来図のみならず、自分たちの将来設計まで狂わされるのだから、悪徳業者を相手にした反対運動に火がつくのは当然のことだろう。

 これは、鹿児島県で実際に起きている出来事なのだが、悪徳業者が「県」だったのだから始末が悪い。鹿児島市松陽台地区における伊藤祐一郎県政の暴慢ぶりをシリーズで追う。

〜守られぬ「約束」〜
 問題の分譲地は鹿児島市松陽台町にある「ガーデンヒルズ松陽台」。下は、鹿児島県に情報公開請求して"やっと"入手した鹿児島県住宅公社がばら撒いた土地分譲を宣伝するためのチラシの一部である。

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 赤い矢印とアンダーラインで示した土地は「住宅・施設等用地」と記されている。県はこの土地をはじめ右の図面にある3区画を公社から購入、建設地Aに県営住宅約30戸を建設するほか、Bには"集会所"を予定している。Aの土地5,775uは平成22年に約3億2,000万円で、@およびBの土地4,283uは昨年2月に約2億7,000万円で取得したものだ。
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 一方、松陽台で分譲が開始された当初に公社が配布したチラシが次のものであるが、@の土地は「店舗等用地」と明記されているのがわかる。公社側は分譲開始当時からこの土地に商業施設を誘致すると明言していたとされ、地元住民が「話が違う」とするひとつの要因になっているのだ。
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県営住宅事業を所管する県建築課住宅政策室や公社は、松陽台町で開かれた地元説明会で、「店舗等用地」と記されたチラシはないと説明したというが、後にこのチラシの存在が明らかとなっている。
 
 地元住民らに話を聞いたが、平成15年の分譲開始からしばらくの間は、たしかに「商業施設ができます」という説明があったという。

 「最高の住環境」には、周辺の自然とともに子どもの通学や日常生活における買い物などの利便性が入っているはずで、県の計画変更は、それまでの約束を反故にするものとしか映らない。住民が怒るのは当然と言える。

 県の住宅政策室は「確かに県として土地は購入したが、商業施設の誘致を諦めたわけではない。誘致は続ける」としているが、具体的な動きは見えていない。

〜大幅に変えられた分譲計画〜
 松陽台の住民が反対運動に立ち上がったのは、分譲計画自体が大きく変更されたことによるのだが、住民にとってその内容は、述べてきた3区画の問題以上に深刻だった。
 
 県側はそれまで、約11haの予定地に戸建用地470区画を販売する計画だったが、思うように売却が進んでおらず、現在までに170区画程度しか捌ききれていない。
 公社の経営を圧迫していたことから考え出されたのが、ガーデンヒルズ松陽台で最大の面積を占める区画約5.6 haを「県営住宅」にしてしまおうというものだった。
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 県側は、「まだ決定したわけではない」としているが、地元住民へは「県営住宅」の建設を行なうことを既定方針として説明しているのだという。

 事実、県は10年かけて300戸の県営住宅を建設する計画であることを認めている。1年間に30戸程度を造るため、その都度公社から土地を購入していくことになるという。

 取材に対する説明とは裏腹に、計画は強引に進められているのである。

 土地購入時の説明とあまりに違う県側の方針変更に、怒りの声が上がるのは無理からぬ話だ。
 
〜隠蔽と暴政の裏に知事の意向〜
 住民の反対意見を無視して、県営住宅建設を進める手法には大いに疑問がある。
 
 取材を開始した昨年9月、HUNTERは鹿児島県に対し「鹿児島市松陽台町に移転・建設を予定している県営住宅に関するすべての文書」を情報公開請求した。

 これに対し県は、同時に提出した薩摩川内市の産業廃棄物処理場に関する請求も含め、開示決定期限を遅らせた上、「開示、不開示のいずれの判断もしない」としていったんは情報公開を拒否していた。

 隠蔽と暴政の裏には、少数意見を踏みにじる伊藤祐一郎知事の傲慢な県政運営の姿勢が存在する。松陽台問題については、さらに詳しく報じていく。
 これね、うちの近所でも有り、身内が住んでいる場所でもあるんですよ...。元々ただの山林だった場所が10年前に開墾され、駅上団地などと一緒になって今に至るわけですが。

 ここに住んでいる方々、上伊集院駅も近いし結構便利な場所では無いか、と思ってもらっては実は困るわけで、現在さまざまな問題が起こってます。その問題の一部を挙げて見ましょう。

 1.此処の小学校区は歩いていける春山小学校でも石谷小学校でもなく、上伊集院から薩摩松元まで電車で通わなければならない松元小学校になっています。最も上伊集院駅の周辺が元々春山小と松元小が混在していた地区であった歴史も有りますが。そもそもこのニュータウンの売れ行き次第では上伊集院団地や仁田尾地区を含めて石谷小学校が団地近隣に移転、もしくは松陽台小学校新設の可能性もあったし、それを見越して家を新築した方もいたはずですが、現状それもない話です。

 2.現在松陽台ニュータウン内には病院が一軒と旧松元町の物産館の支店があるのみで、コンビニは上伊集院駅まで行かないと無い、大型店舗で一番近い所迄車で数分(Acoopか、個人でやっているスーパー。もう少し走るとタイヨー松元店がある。中学校前のスーパーは昨年閉店)。ここに山形屋ストアが出来る、と言う話は平成15年ごろ、確かに自分自身聞いてました(ガセとか言う輩もいるでしょうがそれはは直接ここの住民に聞けば解る事です)。基本車を持っている方々が住んでいる団地ではありますが、やはり最初の売り文句と話が違う、と言う不満は有るようですね。もっと人口が増えれば、と言う事もあるのでしょうが、それにしてもこの団地、商業施設がないがゆえに殺風景というのかこれまでの鹿児島の大型団地である紫原や武岡、桜ヶ丘や星ヶ峰、皇徳寺とは全く違う顔を見せているような気がします。なんか暗いというのか...大型の商業施設のない(とはいえ団地から降りていくとグラード伊集院店や大型ドラッグストア、今年中にはニシムタとイオン系のスーパーが出店予定)妙円寺に似てますね。

3.実は、旧松元町には松陽台ニュータウン以外にもう一つニュータウン構想がありました。妙円寺参りで有名な伊敷街道を伊集院方向に進み、チェスト館を過ぎて2〜3kmほど進むとわかると思います。妙に整備されてはいるものの行き先がわからない道路の入り口が左側にありますが、これがその名残。ここにもニュータウンを作ろうと県の住宅公社が動いたあとです。最も計画倒れで広大な中途半端に整備された土地のみが残る結果になりましたが。

 旧松元町は鹿児島市と日置市の中間に位置しているうえに、車を使えば鹿児島中心部と谷山の工場や事業所などからの時間も同じくらい、JRの駅も通勤に使えるバス路線もあると、ベッドタウンとしてはかなり良い場所(東京で言うなら30年前の多摩ニュータウンあたりを想像していただければわかりやすいと思う)。人気もでるのでは、と言う公社の読みは外れではなかったのでしょうが、計画後の世界的な経済不安までは読みきれなかったようで。

 それに伴う計画変更はあってもかまわない、とは思いますが、住民にしっかりした説明はなされていませんよね?まさしくこの記事どおり、県営住宅になると言う情報は個人的に入ってますからね...出来ないなら出来ません、すいません、でもフォローはしますので、としっかり説明すればいいだけの話なんですが、県の住宅公社(県庁からの天下り組織でもある)には其の気は無い様で...。

 この松陽台ニュータウン問題、旧松元町時代から見ている話ですので、これからも見続けていくし、できる事なら独自に調べてFacebookなどで公表していこうと思っております。

 人には独裁だ、法に触れるんだ、とさんざん抜かしておきながらこのていたらくですか...反竹原派の皆さん、現在独裁しているのはむしろ伊藤知事なんで、あっちを攻撃すればいいんじゃねぇか?自分達で断言してるけど、竹原信一はもう叩く価値もないんだろ?だったら叩く価値のある鹿児島県庁やその天下り先、伊藤知事を攻撃しろって。たぶんやらないだろうけど。

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posted by y-burn at 11:04| 鹿児島 | Comment(0) | TrackBack(0) | モンスター達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仕事、とはこういうことさ。

 あえて変なコメントをつけるべき話では無いと思うので素直に読んでいただきたい。これ、うちらの業界でも「流す作業」から「実のある仕事」に変換させるヒントが隠れていると思ったので、紹介します。

...自分自身も反省すべき点、あるかもしれません。

 一つだけ言うのなら、以前鹿児島哲学カフェで言いたかった事の全部が此処に詰まっているような気がします。


 
〜あるレジ打ちの女性〜

その女性は何をしても続かない人でした

田舎から東京の大学に来て
部活やサークルに入るのは良いのですが
すぐイヤになって
次々と所属を変えていくような人だったのです

そんな彼女にも
やがて就職の時期がきました

最初
彼女はメーカー系の企業に就職します

ところが仕事が続きません

勤め始めて3ヶ月もしないうちに上司と衝突し
あっという間にやめてしまいました

次に選んだ就職先は物流の会社です

しかし入ってみて
自分が予想していた仕事とは違うという理由で
やはり半年ほどでやめてしまいました

次に入った会社は医療事務の仕事でした

しかしそれも
「やはりこの仕事じゃない」
と言ってやめてしまいました

そうしたことを繰り返しているうち
いつしか彼女の履歴書には
入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました

すると
そういう内容の履歴書では
正社員に雇ってくれる会社がなくなってきます

ついに
彼女はどこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました

だからといって
生活のためには働かないわけにはいきません

田舎の両親は早く帰って来いと言ってくれます

しかし
負け犬のようで帰りたくはありません

結局
彼女は派遣会社に登録しました

ところが
派遣も勤まりません

すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし
イヤなことがあればその仕事をやめてしまうのです

彼女の履歴書には
やめた派遣先のリストが長々と追加されていきました

ある日のことです

例によって
「自分には合わない」
などと言って派遣先をやめてしまった彼女に
新しい仕事先の紹介が届きました

スーパーでレジを打つ仕事でした

当時のレジスターは
今のように読み取りセンサーに商品をかざせば値段が入力できるレジスターではありません

値段をいちいちキーボードに打ち込まなくてはならず
多少はタイピングの訓練を必要とする仕事でした

ところが
勤めて1週間もするうち
彼女はレジ打ちにあきてきました

ある程度仕事に慣れてきて
「私はこんな単純作業のためにいるのではない」
と考え始めたのです

とはいえ
今までさんざん転職を繰り返し
我慢の続かない自分が
彼女自身も嫌いになっていました

もっとがんばらなければ
もっと耐えなければダメということは本人にもわかっていたのです

しかし
どうがんばってもなぜか続かないのです

この時
彼女はとりあえず辞表だけ作ってみたものの
決心をつけかねていました

するとそこへ
お母さんから電話がかかってきました

「帰っておいでよ」

受話器の向こうからお母さんのやさしい声が聞こえてきました

これで迷いが吹っ切れました

彼女はアパートを引き払ったらその足で辞表を出し
田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めたのです

長い東京生活で
荷物の量はかなりのものです

あれこれ段ボールに詰めていると
机の引き出しの奥から1冊のノートが出てきました

小さい頃に書きつづった大切な日記でした

なくなって探していたものでした

パラパラとめくっているうち
彼女は
「私はピアニストになりたい」
と書かれているページを発見したのです

そう
彼女の高校時代の夢です

「そうだ
あの頃
私はピアニストになりたくて
練習をがんばっていたんだ。。。」

彼女は思い出しました

なぜかピアノの稽古だけは長く続いていたのです

しかし
いつの間にかピアニストになる夢はあきらめていました

彼女は心から夢を追いかけていた自分を思い出し
日記を見つめたまま
本当に情けなくなりました

「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか

履歴書にはやめてきた会社がいくつも並ぶだけ

自分が悪いのはわかっているけど
なんて情けないんだろう

そして私は
また今の仕事から逃げようとしている。。。」

そして彼女は日記を閉じ
泣きながらお母さんにこう電話したのです

「お母さん
私 もう少しここでがんばる」

彼女は用意していた辞表を破り
翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために
スーパーへ出勤していきました

ところが
「2,3日でいいから」
とがんばっていた彼女に
ふとある考えが浮かびます

「私は昔
ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど
繰り返し弾いているうちに
どのキーがどこにあるかを指が覚えていた

そうなったら鍵盤を見ずに
楽譜を見るだけで弾けるようになった」

彼女は昔を思い出し
心に決めたのです

「そうだ
私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と

レジは商品毎に打つボタンがたくさんあります

彼女はまずそれらの配置をすべて頭に叩込むことにしました

覚え込んだら
あとは打つ練習です

彼女はピアノを弾くような気持ちでレジを打ち始めました

そして数日のうちに
ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです

すると不思議なことに
これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が
今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした

「ああ
あのお客さん
昨日も来ていたな」

「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」
とか
いろいろなことが見えるようになったのです

それは彼女のひそかな楽しみにもなりました

相変わらず指はピアニストのように
ボタンの上を飛び交います

そうしていろいろなお客さんを見ているうちに
今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです

「この人は安売りのものを中心に買う」
とか
「この人はいつも店が閉まる間際に来る」
とか
「この人は高いものしか買わない」
とかがわかるのです

そんなある日
いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが
5000円もするお頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです

彼女はビックリして
思わずおばあちゃんに話しかけました

「今日は何かいいことがあったんですか?」

おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました

「孫がね
水泳の賞を取ったんだよ

今日はそのお祝いなんだよ

いいだろう
このタイ」
と話すのです

「いいですね
おめでとうございます」

嬉しくなった彼女の口から
自然に祝福の言葉が飛び出しました

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは
これがきっかけでした

いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい
名前まで一致するようになりました

「○○さん
今日はこのチョコレートですか

でも今日はあちらにもっと安いチョコレートが出てますよ」

「今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ」
などと言ってあげるようになったのです

レジに並んでいたお客さんも応えます

「いいこと言ってくれたわ
今から換えてくるわ」

そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです

彼女は
だんだんこの仕事が楽しくなってきました

そんなある日のことでした

「今日はすごく忙しい」
と思いながら
彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました

すると
店内放送が響きました

「本日は大変混み合いまして大変申し訳ございません

どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが
わずかな間をおいて
また放送が入ります

「本日は混み合いまして大変申し訳ありません

重ねて申し上げますが
どうぞ空いているレジのほうへお回りください」

そして3回目
同じ放送が聞こえてきた時に
初めて彼女はおかしいと気づき
周りを見渡して驚きました
どうしたことか5つのレジが全部空いているのに
お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです

店長があわてて駆け寄ってきます

そしてお客さんに
「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」
と言ったその時です

お客さんは店長に言いました

「放っておいてちょうだい

私はここへ買い物に来てるんじゃない

あの人としゃべりに来てるんだ

だからこのレジじゃないとイヤなんだ」

その瞬間
レジ打ちの女性はワッと
泣き崩れました

お客さんが店長に言いました

「そうそう

私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ

今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ

だけど私は
このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ

だからこのレジに並ばせておくれよ」

彼女はポロポロと泣き崩れたまま
レジを打つことができませんでした

仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと
初めて気づきました

すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです

それから
彼女はレジの主任になって
新人教育に携わりました

彼女から教えられたスタッフは
仕事の素晴らしさを感じながら
お客さんと楽しく会話していることでしょう
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posted by y-burn at 10:49| 鹿児島 | Comment(0) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「偏食」は自らの未来を捨てる近道である。

〜“ほぼナゲット生活”を15年間、2歳でマックのナゲットに出会い虜に。〜


 最近は“食育”という言葉が広く使われるようになったが、自分自身の健康を意識するためにも、幼い頃から食事の重要性を知るのは大切なこと。それをあまり意識しなかったがために医師から命の危険を指摘される、17歳の少女が英国にいるという。彼女は2歳のとき、母親に連れて行ってもらったマクドナルドでチキンナゲットを食べ、その瞬間からナゲットの虜になった。以来15年間、ほとんどチキンナゲットしか口にしなかった彼女は、ついに先日栄養不足による貧血で倒れ、ようやく自分の問題に気が付いたそうだ。

 英紙サンやデイリーメールなどによると、この少女はバーミンガムにある工場で働く、17歳のステイシー・アーバインさん。「私の主食は毎日チキンナゲット」と言い切る彼女は2歳でナゲットと出会い、「ほかの食べ物を口にする気が起きなくなった」。野菜や果物はほとんど口にせず、マクドナルドやケンタッキー・フライドチキン、スーパーで買ったナゲットを食べ続ける彼女に、母イボンさんは何とかほかの物を食べさせようと努力はしたが、全く状況を改善できず、数年前にはその努力も諦めてしまった。

 ところが先日、彼女はそんな食生活の代償を身をもって知ることになる。突然貧血を起こし呼吸困難となったステイシーさんは、すぐに病院へ搬送。そこで検査を受けた結果、彼女の貧血は極度の栄養不足が原因と分かり、さらに舌の静脈が炎症を起こして腫れていた。幸い、ビタミンや栄養剤の投与で今回は回復したそうだが、彼女の食生活に驚いた医師は「こんな状態を続けていたら死ぬぞ」とハッキリ言い渡したという。

 17歳にして娘が命の危険性を指摘されたとあって、イボンさんの心配は募るばかり。病院から戻った後はさすがにナゲット以外の物を彼女に食べさせようとしたが、口にしたのは朝食のトーストとポテトチップスくらいで、やはり「ほかの物は食べられない」と拒絶されてしまった。そんな娘の変わらぬ意志に「途方に暮れている」というイボンさんは今、専門家にしっかり診てもらおうと考え、彼女の説得に当たっているそうだ。

 ただ、今回の病院搬送で、ステイシーさん自身の気持ちにも少しは変化が出てきた様子。今の食生活が「私にとって本当に良くないことだとはわかってきた」と話し、改善へのきっかけを探そうとの気持ちが芽生えてきているようだ。

 自分が「おいしい」と思う物を食べるのは、誰にとっても幸せなこと。しかし、体が健康であるからこそ初めて「おいしい」と感じられるわけで、健康の基本となる食事に気を付けるのは、幸せな生活を営む上でとても重要だ。ステイシーさんも「2人ともきちんと食べる」という5歳の弟と3歳の妹を見習って、少しずつでも必要な栄養を食べ物から摂取できるように頑張ってもらいたいものだ。

 これは凄く極端な例だけど(子供にこれを教えたら野菜を少しだけ食べるようになりました)、基本的にありえる話ですよね。

 人間の体と言うものは基本発生した頃と極端に大きく変わるものではない訳で、生物としてみた場合草食に近い雑食性です。植物だけ、また動物だけで生きていく事は困難。

 肉だけ、野菜だけ、魚だけ、といったような偏った食事は体に良くないばかりでなく、精神にも変調をきたす可能性も否定できません。例を挙げると。

 カルシウムが不足すると人間は怒りっぽくなり骨がもろくなるし、糖分や脂肪が不足すると肌はカサカサになり思考回路が停止する(考えると言う行動にはコレステロールは必須であるが故)。逆に過多だと太る(それわしや無いかい)。塩分が多いと血圧が上がりやすくなるが全く摂らないと生命維持に赤信号。ビタミンCは過剰摂取すると尿に出るだけだが不足すると壊血病...。バランスが取れていない食事は身体や精神に変調をきたし、自らの命を縮める結果に繋がります。

 よく菜食主義だから健康に成るとか言うけど、これも賛同できる代物では無いです。菜食主義者の一例としてなかなか上がらないけど有名な人はかのアドルフ・ヒトラー。溺愛していた姪っ子の自殺にショックを受けたのが原因らしいのですが、以後ほんの少しだけ肉を食べる以外は菜食主義を自殺するまで貫いたそうで...。

 菜食主義でああまでヒステリックになるのか?と言うとこれはYesです。動物由来のたんぱく質は精神を沈める働きもあるそうなんですね。この話を聞いてから、おいら菜食主義に興味持てなくなりました。

 ちなみにかの天皇の料理番である秋山徳蔵氏もこう言ってます。

「ご馳走で思い出したが、良く質素な菜食主義を唱える人があって、日本人が小柄でも戦争に強いのは(特に耐久力があるのは)、菜食が主だからだ--などの説をなすのをしばしば聞いたものだ。しかし、こういう論を鵜呑みにしては、とんでもないことになる。
 昔から、日本でも、ご馳走といえば、鶏を潰したり、魚を買ったりしたもので、それは古い文献にもちゃんと残っている。
 王朝時代の饗宴の献立を調べてみると、たいていの三分の二は動物性の食べ物なのである。
 後世、仏教の影響でだんだん動物性の食品を忌むようになってきた。これが、日本人の体格を小さくしてしまった原因の一つではないかとも思われる。昭和十五、六年の頃だったか、徴兵検査で甲種合格した壮丁の数を点々のグラフで地図の上にあらわしたものを見たことがある。それによると、海岸や、川や湖の周りに点々が真っ黒になるほど密集していて、純農山村はたいてい疎らであった。これは魚(すなわち動物性たんぱく質)を良く食う地方の若者は身体ががっしり出来上がっている事を歴然と示していたのであった。
 とにかく、昔からご馳走といえばとりや魚介類を用意していたその事実が、日本人も動物性食品のうまさと栄養価を尊重していた証拠であるから、神がかり的な菜食論に惑わされることなく、幼少年から青壮年にかけては、つとめて動物性蛋白質を取らせるようにしてもらいたいものだ。老年期に入れば、おのずとから菜食へ移ってゆくべきことは、いうまでもない。(秋山徳蔵著 「料理のコツ」1985年刊より抜粋)」


 秋山氏は基本的な栄養学は知っていただろうけど「天皇に料理を作る人」でありつづけて人生を全うした方なのです。が、こういう考え方をされていた、というのは尊敬に値します。最終的にこの考えを突き詰めると「色んなものの命を頂いて生きています」に繋がるのですが。

 あとこの話で考えたのは、独居の高齢者の食事のこと。行政の宅配給食サービスがあるならまだ良いと思うのですが、近所のスーパーで毎日同じお惣菜を買って来て食べる、とかありがちですよね?自分が在宅時代はそこまで見てヘルパーさんにバランスの良い食事を作ってください、と要請していたものです。

 あと独身で若い男性もこういった偏食に近い状況では無いのかな?とも思ったり。今はよくても数年後に恐ろしい結果として現れる可能性もあるので注意しましょう。

 ま、何でも美味しく腹一杯食べて、満足して寝てしまう。これが一番の健康法なんじゃないのかな?
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posted by y-burn at 10:44| 鹿児島 | Comment(0) | TrackBack(0) | まともな科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月29日

今回の介護報酬改定の感想...「僕には明るい未来が見えません〜!」いや、冗談抜きでだよ。

〜介護報酬改定、ネット上で否定的な声多く 〜

 2012年度からの新たな介護報酬が25日、小宮山洋子厚生労働相に答申され、決まった。メディアの報道を受け、短文投稿サイト「ツイッター」には投稿が相次いだが、改定を否定的に受け止める声が広がっている。特に、新サービスでのヘルパー不足、国が推進する施設介護から在宅介護への移行、生活援助の時間区分見直しなどに懸念の声が上がっている。

 12年度の介護報酬改定では、高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けることを目指し、一日複数回の定期訪問と随時の対応を組み合わせた新サービス「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」(24時間訪問サービス)が創設されるほか、年度末で終了する介護職員処遇改善交付金に代わり、ほぼ同要件の「介護職員処遇改善加算」が新設される。また、訪問介護の生活援助サービスについては、基準となる時間区分が60分から45分に見直された。

 24時間訪問サービスの創設に関しては、「24時間ヘルパーが来る体制と言ったって、職員が少ないんだから、来れないのが現状なのに。現状知らない人が作ってるとしか思えない」「人手足りねーってゆってんのに24時間体制のサービスって(笑)」など、サービスを提供できるだけの人材を確保できるか疑問視する指摘が相次いでいる。
 また、「施設から在宅介護への移行を図る」との12年度改定の方向性に対しても、「家で介護できるなら最初からやってるから」「介護施設を作る資金も人手もないから、在宅介護重視と言っているとしか思えない」「そこまで家で見たいというニーズは少ない気がします。多くの方が『それなら入院されてくれ、疲れたよ』が本音ではないのでしょうか」など、否定的な意見が見られた。

 生活援助の時間区分見直しに関しては、「生活援助がまた削られるのか。またヘルパーさん泣かされるのね」「生活援助が〜45分って、何が出来るんだろう。出来る人には出来るのか」「大半はそれで終わるというけど、終わらないこともよくあるって。単価も引き下げだし、ヘルパーに影響ないといいけど…」など、ヘルパーへの影響を懸念する声が続出している。

 このほか、「『介護職員処遇改善加算』を創設というが、現行維持さえ疑問だ。4万円の賃金アップという民主党の約束はどこへ?」「4万上げるって言うのが実質現状維持。ほらね。もう無理なんですよ、民主党さん」など、09年の衆院選マニフェストで介護労働者の月額賃金4万円引き上げを掲げた民主党に対する失望の声もあった。

 pdfでとりあえず目を通しましたが...ちょっと訳解らない項目なども有り、流石に全体的なコメントはしづらいので、自分が今仕事している「特定施設入所者生活介護」についてだけ言及させていただきます。

 なお、3/15に鹿児島市のみなみホールでカクイックスウイングさん主催で講演会をやってくださる、との事で、これに参加後再びコメントはさせていただきますが...。

 まず、入所費は基本的に一日当たり−11単位〜−13単位の単価減です。一月一人当たり4〜5000円のダウン、という事。めちゃくちゃ荒い計算ですが、50人満床の施設で、職員数で言うなら一人は減らさないとこれまでと同じ賃金は確保できない、という事ですかね。ここのところの経済状況や介護福祉の流れからしてある意味予測できていた事では有りますが、特に賃金計算などを行う事務方はビックリしただろうな、という事は容易に想像できます。介護職員処遇加算が付いていてもだから何?と言うレベルなんでしょうね。一人4万円の賃金アップは望むべくもない。

 民主党のうそつき♪



...民主党が緒川たまき嬢並に可愛ければ許すんですが、そうじゃないし、何しろ生活に関わるので....

 それと新設された見取り介護加算。要件を充たせる施設が幾つあるか...。要件として

1.医師の診断で回復の見込みがないと診断されたもの
2.ケアプランで利用者家族の同意があること
3.医師、看護師、介護士がしっかり連携し、随時介護が行われている事
4.夜間看護体勢加算を既に算定している事

以上の4つが上げられます。
1.3.の要件はそう難しくないとは思いますが、問題は2.4.ですかね。そもそも夜間看護体制加算を算定している施設はそう多く無いように感じますし。

 一番の問題は2.では無いかな、と。これねぇ。もう直ぐ死ぬ人に対してのケアプランを作って家族や本人に了承を得る、と言うのはお互いの心理的にも相当難しいはずです。

 これ、自分自身経験あるんです。

 以前も紹介したケースですが。

 在宅時代、末期の膀胱ガンで余命半年と言われつつ、9年生きている男性のケアプランを作成したことが有ります。ガン末期と言う自分の居た事業所では自分しか請け負ってないケースで、前の担当者も相当悩んでプラン作成していたのが記録を見て容易に理解できました。

 介護サービス自体はベッドとその付属品のレンタルのみでしたが、最初あった時から「兄さんな元気でよかね」と言われ、毎日甲斐甲斐しく介護されながら、喧嘩しつつも仲がいいご夫婦の家を訪問するのは楽しくて、つい長居してしまったり、別の用で出かけた際にふと寄ってみたりということも有りました(月一回の訪問でいいのに月4回ぐらい訪問したことも有りました・・・土曜日の帰りに寄り道したりね)。

 で、いざプラン作成、となるとこれが...。

 基本、現状維持が精一杯のケースで、リハビリが云々とかは最初から考えられるものではない。何しろ疼痛が始まるとそれまで庭を歩いていた方がいきなり寝たきりになるんだから...。今を生きる、という事を念頭に置いて余計なサービスなどを入れず、とにかく主治医との連携を...とか考えて考えて、とにかくこの方のプランは難産だった事を覚えてます。

 で、担当者会議。

 本人とその奥さん、レンタルサービス業者と主治医で行った(最後の数分だけとはいえ、実際に主治医参加したケースはこれだけでしたね、今考えると)のですが、会議が終わっていざ印鑑をもらう段階になると、本人と奥さん、涙浮かべているんですよ。

 え?まずいプラン作ったのか、俺?と思ったのですが実際は逆でした。

「いままで色んな担当さんがいて、毎回私たちの為に一生懸命すばらしいケアプランを作ってくださる。本当にありがたいことです。ここにいる皆さんがいるから『あと半年の命です』といわれつつも9年間生きてこれた。こういう素晴らしい方々にあって、真剣に考えてくださることに感謝しています...」

 このときは事業所内でパワハラを受けていたり色々あって、軽いうつ状態になってた時期なんですが、自分のやってきたことが少し報われたかな、と言う気がしました。うん、清清しかった。あとで主治医にも珍しく「良かったわね。こういう出会いも大事なのよ」と言われました。

 それから数ヶ月後、配置転換でグループホームに移る際に自宅で挨拶した時も「本当に色々ありがとう、元気でな〜」と笑顔で送ってくださったのは忘れません。それから数十日後、その利用者は天に召された、ということを主治医から直接聞きました...。

 ...見取りの為のケアプラン、毎回こういう風に上手くいくとは思えないんですよね。在宅と施設では違うだろうし、また、このケースはある意味稀ですので上手くいくよ、とも断言できない。もともと維持改善のプランは日常作っているのですが、現状維持のみのプラン、また何時急変してもおかしく無い事をスタッフ全員に周知徹底するのは実際困難では無いか、とも考えます。うちの場合看取り介護のノウハウは自分を含めてないわけでは無いけど、要件充たせなさそうですので...

 あともう一つ。ショートステイについて。

 これはねぇ...。うちは他の介護サービス事業を行っていない単独型なんですが、難しいだろ。

 ある意味サービスをなんでも持っている施設の独壇場では無いか?と思います。特に居宅支援を持っていれば、そちらから流せるわけですからね。あと80/100といわれている入所者数も場合によってはネックになるのでは...?有料老人ホームは価格の高さから敬遠される傾向もあるし、明らかに価格の安い特養待ち、グループホーム待ちで利用する方も多いですから。

 あと、この間の笑福会鹿児島の新年会でも言われているんだけど、県内の特養の殆んどが増床を始めており、それに伴い職員募集を大量にかけている現状が有ります。実際これで有料老人ホームは入所者の転床、職員の退職後の移動等、かなりの打撃を受けているんですよね...。

 介護付き有料老人ホームは特養とほぼ変わらないサービス内容なんですが、以前から特養並の報酬も加算も付いてないし、今回も...特養を超えるサービスは特定施設には必要ない、という事なんでしょうか?

 見れば見るたびに

「僕には明るい未来が見えません」
by Kenso

という言葉を思い出すような内容かな。ただこれでめげないで毎日やっていくのが大事なのかな。

 でも、本気で副業始めるべきなのかねぇ...。 

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posted by y-burn at 13:01| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 介護保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲームごときで日本が駄目にはならんだろうよ。

〜『ファミコン』が日本を駄目にした論について〜

私が小学生ぐらいの頃、周囲の大人たちは以下のようなことをよく言っていた。

「任天堂は、『ファミリーコンピュータ(以下ファミコン)』で日本の将来を駄目にするだろう」

もちろん私は『ファミコン』が大好きな小学生だったので、こうした大人たちの言葉が面白くなかったし、「任天堂がなくなってもセガが頑張るから結果は同じだ」と反論していた。この“『ファミコン』が日本の将来を駄目にする”論に限らず、その後も“テレビゲームの悪影響”は手を変え品を変え、指摘され続けてきた。例えば“ゲーム脳の恐怖”といった具合に。

あれから二十年以上の時が流れた。

セガはともかく、任天堂は世界を代表するゲーム会社の一つとなり、“プライベートな空間でゲームを楽しむ”という文化習俗をもたらした *1 。任天堂のライバル会社たちも様々なゲームをリリースし、最近はソーシャルゲームも流行っている。現場の昼休み、作業員がスマートフォンやケータイでゲームを弄っているぐらいには“プライベートな場所でゲームを楽しむ”という文化習俗は定着した。もはや、ゲームは子どもとオタクだけのものではない。

で、日本は駄目になったんでしょうかね?

年配の人たちから見れば、“ゲームのせいで駄目になった”ように見えるかもしれない。“飲みニケーション”や“付き合い”より小さなディスプレイでピコピコ遊ぶほうを優先させる“いまどきの若者”の姿は、年配の人たちから見れば駄目っぽく見えるかもしれない。「いい歳してゲームなんかやっているから結婚できないんだ」「ゲームなんかやってないで車を買ってドライブしろ」という台詞も聞こえてきそうである。このような人たちから見れば、任天堂をはじめとするコンピュータゲーム会社は、“日本の若者を駄目にした戦犯”という風にうつるだろう。


『ファミコン』なら一人でも遊べる

ところで、どうして『ファミコン』は売れたのだろうか。“面白かったから”は言うまでもない。だが、『ファミコン』だけが面白い遊びだったわけではない。当時、よくできたボードゲームもたくさんでていたし、集団での外遊びにはコンピュータゲームには代替できない面白さがあった。ほかにも草野球の類とか、色々やっていたと思う。

けれども、その『ファミコン』は他の多くの遊びにはない、特別なメリットを隠しもっていた。ボードゲームも、ケードロも、草野球も、どんなに面白くても一人では遊べない。けれども『ファミコン』なら一人でも十分に遊べる――この“一人でも遊べる”というのは、大きなアドバンテージだった。

ただ、『ファミコン』がでて間もない時期は、この“一人でも遊べる”というメリットは、それほどメリットとして意識されていなかった、と記憶している。『ファミコン』がでた当時、まだ子どもは“遊びはみんなでやるもの”という習慣を身につけていた *2 ので、“友だちの家に集まってみんなで『ファミコン』をする”というスタイルが流行っていた。少なくとも私の周囲では、そのようにして『ファミコン』を遊んでいたし、『マリオブラザーズ』『キングオブキングス』のような複数名で遊べるゲームはことのほか重要視された。また、『チャンピオンシップロードランナー』のような難しいゲームに、皆が集まって知恵をだしあうような場面もあったと思う。

だから、少なくともこの時点では“人間関係をなくしてしまった犯人は『ファミコン』”ではなかったはずである。

“一人でも遊べる”という『ファミコン』のメリットがジワジワ効いてきたのは、皆が学習塾や稽古事に通いはじめ、友だちと一緒に遊ぶためのスケジュール調整が難しくなりはじめてからだ。従来型の遊びの多くは、友だちが集まってはじめて成立したが、『ファミコン』なら一人でも遊べる。こうなると『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のような一人で遊ぶのに適したゲームがありがたくなってくる。さらに『ゲームボーイ』が発売されたことで、“一人でゲームを遊ぶ”というスタイルは一層確立したものになった……もう、友だちがいてもいなくても、いつでもどこでもゲームができるのである! それも、過去のゲームウォッチなどよりずっと複雑で、面白い内容のものが。

ここまで時代が下ると、“人間関係をなくしてしまった犯人は『ファミコン』(やその他のゲーム機)”と言いたくなる気持ちも分からなくもない。実際、誰とも会話しないで遊べるゲームが売れるようになり、そのためのゲーム機も充実していったのだから。


人間関係をなくしてしまった真犯人は誰なのか
でも、ちょっと待ってほしい。『ファミコン』だって最初はみんなで遊ばれていたし、友だちと集まって遊ぶ時間を奪った真犯人は『ファミコン』じゃない。友人関係のスケジュール調整を難しくしたのは、学習塾や稽古事の類じゃないのか?

文部科学省「子どもの学校外での学習活動に関する実態調査報告」 *3 によれば、小学生の稽古事への参加率は昭和60年度の時点で既に70%を超えており、平成5年度には76.9%まで上昇している。学習塾も、昭和60年度に小学生の16.5%、中学生の44.5%が通っていたものが、平成5年度には小学生は23.6%、中学生は59.5%が通うようになり、以後も大体これぐらいのパーセンテージが続いている。稽古事や学習塾は放課後や休日に通われるものであり、それらが増えるということ=それだけ友だちとのスケジュール調整が難しくなるということであり、一人で遊ばざるをえない時間が増えることでもある。

そのうえ、小学生が集団で遊べるような外の遊び場がどんどんなくなっているのだから、“家で一人でゲーム” “通学途中に携帯ゲーム”というスタイルが定着するのも当然、というか仕方ないだろう。*4

子どものスケジュールを稽古事や学習塾で塗りつぶし、皆で遊ぶための場所を取り上げるだけ取り上げておいて、そのくせ「最近の若者は一人でゲームばかりやっている」だの「コミュニケーションの経験値が足りない」だのと文句をつけるのは馬鹿げている、と私は思う。子どもだって、当初からゲームを一人で遊んでいたかったわけではあるまい――一人でも遊べる娯楽が、コンピュータゲームぐらいしかなかった *5 だけなのだから。小学生時代、「友だちとのスケジュールさえあうなら、ゲームも皆で遊びたかった」という人は少なくなかったはずである。そして、そのようなニーズがあればこそ、最近のネットゲームやソーシャルゲームの台頭、あるいは『MONSTER HUNTER』のようなゲームがヒットする余地もあったのだろう。「独りぼっちは、寂しいもんな」
 

『ファミコン』が流行るような社会環境が日本を駄目にしたのでは?
以上の延長線上で考えるなら、このエントリの結論はこんな感じになる。

“『ファミコン』が日本を駄目にしたのでなく、『ファミコン』が流行るような社会環境が日本を駄目にした”

“日本を駄目にした”という言い回しが気に入らない人は“若年者のコミュニケーションシーンを変えた”とでも言い換えてほしい。要は、小中学生という、遊びを介して同学年とのコミュニケーションに切磋琢磨(せっさたくま)するべき時期に、一人でゲームでもやっているぐらいしか遊びようのないスケジューリングを強いるような社会環境のほうに目を向けたほうがいいんじゃないか、ということだ。ここで“戦犯”にすべきは、『ファミコン』や漫画やアニメの類である以前に、子どもが集まって遊ぶ時間を削り取った受験戦争と、その受験戦争を要請した社会、ということにならないだろうか。

もともと任天堂は、一人では遊べない花札や麻雀(マージャン)を商売にしていた。その任天堂が、いつしか一人でも遊べるコンピュータゲーム機に手を染めるようになり、成功していったのも、そういう社会変化を察知して適応していった結果なのだろう。皮肉な話である。

*1:ただし、これは『ファミコン』だけに適用して良いものではなく、遡ってゲームウォッチシリーズや『テレビゲーム15』なども含めての話だが。

*2:ただし、これは私の育った田舎地方の話で、首都圏のニュータウン等では事情が違ったかもしれない。

*3: 「子どもの学校外での学習活動に関する実態調査報告について」 平成20年8月8日 文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/08/08080710.htm

*4:ちなみに、殺風景で安全性への配慮ばかりが優先された公園の多くは、子どもをアトラクトする魅力をあまりもっていない。

*5:ほかにもアニメや漫画も独りで遊べる娯楽として重宝するが、これらについてはまた別の機会に。

  コンピューター系のゲーム?好きですね。今はDSでイナズマイレブン3世界への挑戦ボンバーとファイアーエムブレム紋章の謎を攻略中。



 中学校時代に友人宅でファミコンと出会い、高校時代には地元にあったパソコンショップにゲームやりたさに出入りしていたし、大学〜専門学校時代はそれこそゲーマーとして廃人といわれるレベルまでやりこんだことも実際あったりなんかして。就職したらこれに加えて月20冊以上本読んで、CD聞いて、ネットで遊んで、天文館で女の子ナンパして遊んで...だからなんだかなぁ。変なエネルギーだけはあったんだよな〜。

 結婚してからは暫くゲーム自体やってませんでしたが(うちの嫁が全くこの手の物に興味の無い人でしたから実は仲良くゲームで対戦するとか無いんですよ、ベッド上でたry)、最近はまたゲーム関係復活しました。子供とDSで対戦して、とか言う事も多いです。自分の持っているソフトを子供に貸してプレイさせたり、とかね。ただ最近やりすぎ感は否めないのである程度親の権限でセーブするようにはしてます。

 ...しかし我が子ながら小2の子供がやるかね、ファイアーエムブレム。



 ファミコンの頃はそうでもなかった気がしますが、ゲームボーイ以降、ゲームの遊び方は変わってしまった気がします。というのは、うちの子と近所の友達でよくあるんですが、ただ対戦して遊ぶと言うだけでなく、どれだけ成長したかを楽しげに話している。まぁ言うならコミュニケーションツールとしての携帯ゲームになっているようです。

 自分が子供の頃はこれが週間少年漫画誌だったりテレビ番組やラジオ番組だったり、秘密基地作りなどの野外での遊びだったりするわけですが、流石に今の時代はなぁ...それは既に子どもたちにとっての共通言語足りえないんでしょうね。
 
 ここで言われているように、自分の小さい頃は今の自分の子供の過ごし方と比較してみると...まぁのんきなもんでした。当時は串木野市、田舎の漁師町に住んでいましたが、塾とか皆が通っているわけでも無し、スポーツ少年団は有りましたが参加は自由だったから参加もしないで。

 学校から帰ったらのんびり近所の友達と遊んだり、駄菓子屋で友達とバカやってたり、自宅の畑で草むしりしたりスズメバチの巣を見つけては壊してたり、野山を駆け巡って蛇の尻尾掴んで振り回してみたり、川や海に魚釣りに行ったり、近所の山に入り込んで迷子になって泣きながらさまよい歩いてうちに帰ってみたり、自宅にある本読んだり、でしたから。

 いや〜、我ながらろくなガキじゃなかったなぁ。

 徐々にこれが変化しだしたのは小学校の高学年辺りからでしたかね。周りがどんどん「勉強しないと偉くなれない」と、今考えるととても短絡的な思考に友達やその親が精神汚染されてやれ進学塾だ、英語塾だ、鹿児島市内の塾まで通うぞ、まで現れて。丁度ゲームウォッチがでてきたのがこの頃でしたね。ある意味この文章で言われている環境を体感しているのが自分も含めて40代前半以下の世代です。

 さて、ゲーム如きで本当に人間は駄目になるのか?

 個人的に言えば、そうでもないんじゃないの?と思います。

 よく言われている「ゲーム脳になる」は、明らかにおかしい。その本も読んだこと有りますが、ネタに上がっているのはアクションやシューティングぐらいで、それ以外のジャンルはあえてだろうと思うけど避けているように見えるんですよね。RPGのようにストーリーを追うタイプのゲームはむしろ小説などにも近いセンスを感じるのですが、それも一緒くたに「ゲーム脳になる。短絡的な考え方をするからいけない」。

 違うだろ。

 レトロゲームをたまに互換機引っ張り出してうちでもやってみたりすることあるんですが、容量の少ない中(スーファミでさえ容量的に言うならフロッピー数枚分のデータしか入ってない)良く考えられているな、と思います(スターラスターなんか今の技術でリメイクしても同じ雰囲気出るかどうかすら...)。またそのアイデアが脳に対して悪い影響ばかり与えるものなのか、と考え直してみるとそうでもなかったり。また、感動するようなストーリー作りはハードの差はあれど共通だとも思います。

 商売であるとはいえ、それだけの工夫や英知の詰まったものを流石にむげに「ゲーム脳だ」と否定は出来ません。

 まず作り手に失礼。

 最近は何か行動した人を貶すのがかっこいいと言う悪い風潮が有りますがそれなんかな?

 むしろこれからの高齢者のことと重ね合わせて考えると、あと20年ぐらいしたら高齢者施設のホールにはファミコン互換機が鎮座していて、利用者が懐かしそうにカセットの接続口に息拭き掛けてカセット本体に差し込んでスイッチ入れて、ゲームパッドを操作している絵が浮かんで仕方ないんですけど...。

 ゲーム脳、と言うお題目で目くじら立てるんなら、むしろそれはパチンコに言ってくれないだろうか?あ、それと携帯のソーシャルゲームも同罪です。少しやったことあるけど、その面白さが全く理解不能でした。

 既に40台以下の人間にとっては日常にあるものだったゲーム、既に文化として定着しているんだから、今更「『ファミコン』が日本を駄目にした」などと言うのはおかしくないだろうかね?

 ええ、「ゲームが日本を駄目にする」論、これもある意味「排除の論理」の一つである、ともいえます。

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posted by y-burn at 12:47| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「禁煙」という「排除の原理」で今の社会を考えてみたら、左翼思想が出てきてだな...

〜ま、今日も笑って一服・・・〜

「我々は悠然とタバコを喫えばいい」─。タバコにまつわる色々が、フシギに卑小に思える“痛快放談”!


あらゆる不満のスケープゴート
─先生は昭和六十二年、『小説新潮』で「最後の喫煙者」という短編を発表されています。これは、健康ファシズムがいきすぎた恐怖社会で、喫煙者が国家的弾圧を受け追いつめられていく様子を描いたストーリーですが、当時から嫌煙運動の兆しを感じておられたんでしょうか?

筒井 それはよくわかりましたね。やっぱりタバコを喫う人間だから、ちょっとしたイヤミや嫌悪感をひしひしと感じるわけです。

しかし、「これはタバコとは別のことで怒っているんだな」という感じはありました。「タバコが嫌い」ということではなくて、ほかのことでイラついているんだな、と。それが今やもう証明されてしまいましたね。明らかにタバコが、あらゆる不満の“犠牲”になっている。「禁煙」という一点に人々のはけ口が集約されていますね。

いずれは『最後の喫煙者』(新潮文庫)と同じような状況になるでしょう(喫煙者差別が魔女狩りのレベルに達し、殺人・私刑・放火・脅迫がおこなわれる)。まだそこまではいっていないけれど、いずれそうなる。

─当時の禁煙運動の状況は?

筒井 アメリカで禁煙運動が勃興しているというのは知っていました。

そして、日本人のほうが徒党を組みやすく、マスコミやおかみの言うことは信じるんだから、アメリカがこうなっているなら、日本ではこれはもう戦争中みたいな騒ぎになるというのは、予測がつきましたね。

日本人は、偉い人のいうこと、世の中の風潮、体制に対して、右へ倣えが激しいですからね。アメリカは個人主義だから、それほど徒党を組まないんじゃないんですか。

─もともとタバコは個人の「趣味嗜好」の問題だったのに、いつの間にか「健康問題」になっています。


筒井 健康とまったく関係ないということが、医学的にこんなにはっきり証明されているのに、「見ざる聞かざる」を決め込んでいる。嫌煙者はやっぱりアホですよね。あっちが「喫煙は健康の害になる」という前提のもとでしか発言しないのであれば、こちらは「喫煙は健康とは無関係」ということを前提にして話すしかない。

ただのアホなら許せるけれども、嫌煙権論者はヒステリックでしょう。彼らと公開で論争するなんていう、そんなバカなことをするのは実に無駄なことでね。まあ、そういう時はむこうにギャーギャーわめかせておいて、こちらは悠然とタバコを燻らせていればいい(笑)。

面白いのは、嫌煙権論者にはまともな文章を書く論客が乏しいことです。反嫌煙権の論客がきちんとした文章を書いているのに対して、彼らはデマや誤った統計によるスローガンを金科玉条のように繰り返すだけ。略してキンタマです(笑)。

それに彼らは、公開討論しようとか、あるいは新聞社にFAXを送りつけて他のFAXが入らないように妨害しようとか、ギャーギャー電話をするとか、すぐにそういう暴力的なことをする。日本のヒステリックな嫌煙者には戦時中の大政翼賛会みたいな、独特なものがありますね。


タバコは人を穏やかにする
─いまの禁煙運動は本当にファシズム的です。

筒井 言論の自由をとってみても、ほんとは新聞なんかがその代表なんだけど、新聞がそもそも愛煙家の言は載せない。載せると大変なことになってしまう。これは戦争中の大本営発表だけを載せるという、それと同じことですよ。まあ私は新聞の読書欄にそれとなく書きましたがね(笑)。

嫌煙権論者の意見は載るけれども、われわれ喫煙者の意見が載らない。マスコミが嫌煙権運動に同調している以上、喫煙は「悪いこと」に決まっているのだから、どんなに差別的なことをしてもかまわないと思っている。これに対しては何を言っても無駄だし、もう、どうしようもない。

─タバコの問題は、今や「善悪論」にまでなっています。相撲賭博の問題をみても、政治家叩きをみても、同じ匂いを感じます。

筒井 別に相撲取りがバクチをしたってかまわないじゃないんですかね(笑)。昔から、バクチくらいはしていますよ。ヤクザの集団には、必ず相撲取りがひとりかふたりついていたもんです。

現代社会の基本原理は、「排除の原理」です。これが、禁煙ファシズムにも、相撲賭博問題にも、政治家叩きにも出ている。喫煙者や相撲取りをいじめ、政治家を罵倒して痛快さを味わっている。生きた人間をいたぶるのは、嗜虐的な快感があるし、皆がやっているんだから罪悪感を感じなくてすみます。「正義」と「善」を振りかざして、嬉々としている。

最近出した『現代語裏辞典』(文藝春秋)の項目では、【善悪】について、「どちらか一方は小人物。同居させているのが大人物」としています。

─嫌煙権論者は今や相当な影響力です。

筒井 この『愛煙家通信』は、基本的に愛煙家が読むだけだから、喜んで手紙も寄越すでしょうけど、かつて『文藝春秋』に養老孟司氏と山崎正和氏の対談(「変な国・日本の禁煙原理主義」二〇〇七年十月号)が載ったときは、文藝春秋への抗議がひどかったらしい。

喫煙させている店があると、昔の憲兵みたいに嫌煙権運動をしている人が押しかけていって、「この店禁煙しろ」とギャーギャー言う。そしてシラミを潰すようにひとつずつ「この店禁煙、この道路禁煙、この区内全部禁煙、ホテル内全部禁煙……」と禁煙網を拡げていく。楽しんでますよね(笑)。

ところがそんな状態になっても、タバコを喫う人はギャーギャー言わない。皆おとなしく言うことを聞いている。それは何故か。彼らが「タバコを喫うから」です。タバコは人間を穏やかにして情緒的にするんですよ。だから、これほどまでに露骨な喫煙者イジメ、喫煙者差別にも耐えていく精神的余裕をもっている。

それは嫌煙権論者の性格との対比でもはっきりわかるし、これからますますはっきりしてくると思う。嫌煙権者もタバコを喫えばヒステリックでなくなるのにねえ(笑)。

ただ、この禁煙ファシズムはどうにもならないね。戦争中だって、「この戦争は負ける」と思っていた人は沢山いたのに、誰も何も言わなかった。この戦争が自分達の国を滅ぼすとわかっていても、何も言わないで、しかたがないと思っていた。

禁煙運動も、一度何か大きな事件でも起きて、どえらい騒ぎになるまでは収まらないでしょうね。


「犬と喫煙者立入るべからず」
─「タバコの害」も過大に喧伝されていますね。

筒井 例えば、東京の多摩川の河川敷で、みなバーベキューをやって、ゴミの山を築いて帰っていきますが、役所がその処理に何百万もかけています。タバコをポイ捨てしても、何百万もかからないでしょう。それに、公共の広場でタバコを喫っても誰も死にませんが、公共の広場でゴルフをしている人間がボールを人に当てたら死にますよ。

タバコを喫って暴れる奴はいないけど、酒を飲んで暴れる奴はいる。飲酒運転をして事故を起こす奴もいるが、喫煙運転をしての事故はなかった。なのに今は乗客にまで禁煙させる。

─『最後の喫煙者』では、「犬と喫煙者立入るべからず」という公園の看板に、主人公が怒りにうち震える場面がありました。喫煙による犯罪発生率は低いと言えるのに、なぜこんなに迫害されるのか……。

筒井 南アフリカのマンデラさんは、白人と黒人の宥和政策をとったでしょう。あれは偉いですよね。自分が白人からひどい差別をされてきたのに、いざ自分が大統領になっても逆に仕返しをすることはなかった。あの人は本当に偉いです。

アパルトヘイト下で、白人と黒人とを分けたでしょう。混血児も「Colored」といって、黒人の仲間に入れた。しかし、日本人だけは「名誉白人」といって、白人の仲間に入れたんです。だから、結局金持ちはいいんだよね(笑)。

喫煙者だってそうですよ。新幹線がタバコを喫えなくなった場合でも、僕なら大阪までハイヤーを飛ばして、中でタバコを喫いますよ。タバコの税金があがって、一本千円になろうが、一万円になろうが、タバコを喫ってたら大威張りですよ。「俺がどんだけ税金を払っていると思うんだ」ってね。

一般の人はそれができないから可哀想だけど。

僕は嫌煙権論者は、それが例え大臣であろうが、一種の“神経症”だと思いますね。神経症の一種で「肛門愛」というものがある。これは、幼少時にトイレのしつけを厳しくされた結果、几帳面、清潔好き、整理整頓、時間厳守とか、礼儀作法にうるさいとかの性格が形成されることを言うんです。

だから僕にとっては、「禁煙」「禁煙」という厚労相なんかは、「ウンコのオッサン」なんですよ(笑)。嫌煙権者はみな「ウンコのオッサン」です。「タバコの煙が嫌い」という女性は、みんな「ウンコのネーチャン」だし「ウンコのオバハン」だしね(笑)。

でもね、いかに清潔清潔と言ったって、昔は家の床の掃除にしても、雑巾で拭いていたわけでしょう。今は掃除機でゴミを吸う。便利になって、本当は逆に不潔になってきているんです。機械まかせのために「清掃」という観念が薄らいできている。

現代人は子供の時から、汚れた服は洗濯機、汚れた食器は食器洗い機と、だんだん清潔という観念から、本当は遠ざかってきているんだね。


“個”で喫煙権を主張する
─今は、しっかりした価値判断をもっている人間しかタバコを喫わなくなってきましたね。

筒井 嫌煙権論者は群れをなして来るわけですからね。けれど、こっちだって群れをなそうと思えば、できないわけじゃないですよ。喫煙者の我慢が禁煙ファシズムを助長しているとも言える部分はある。

例えば、映画の悪役っているでしょう? あれだけを集めて、マフィアみたいな格好をさせて、三十人くらいでタバコを喫いながら、千代田区(区内全域を路上禁煙地区に指定している)を歩かせる。恐ろしくて取り締れない(笑)。


あるいは、イタリアから金を払って本物のマフィアを呼んできて、葉巻くわえて百人歩かせるなんてのも面白い(笑)。条例では逮捕されないからね。(※千代田区の「生活環境条例」違反者には罰則が適用〈過料二千円〉)

禁煙タクシーには乗らない、禁煙のレストランには入らない、分煙のレストランを避ける、禁煙の建物には入らない……とか、“個人の反逆”として、ちょっとしたことだけど、ヒステリックな嫌煙者を刺激せず、目立たない形で喫煙権を主張することはできます。

先日、『現代語裏辞典』の出版打ち上げを、フランス料理店でやったんですが、そこが「全店禁煙」だったんです。

僕の担当者が、その店が禁煙なのか、喫煙できるのか、確かめないで私を招待したんだね。

というのも、私の担当編集者連中がタバコをやめたからなんですよ。会社が分煙になって喫煙所ができたんだけれど、それがいやでやめてしまった。できた喫煙室は「ガス室」と呼ばれていて、「ガス室行ってくるわ」と言うらしい(笑)。

禁煙してから彼ら元気がなくなりましたよ、可哀想に(笑)。

僕は料理を食べている間はタバコを喫わないけれど、一区切りついたデザートの前あたりには喫いたくなるでしょう。

そこが禁煙というのは知っていたけれど、「無意識に喫った」みたいな顔して喫ったんですね。そしたら従業員が灰皿を持ってきて、「すいません。店内は禁煙です」と言うから、こちらは「殺さば殺せ」とか言ってね(笑)。

二度目に「すいません」と言いに来たときは、「ま、もう一服だけ」なんて言いながら、二服三服喫って、ほとんど喫っちゃった。そういうふうに“個人の戦い”はできる。

この間も、孫を連れて静岡の川奈温泉に行ってきたんです。途中、熱海で乗り換えるんですが、熱海駅は新幹線のプラットフォームにも、伊東線のプラットフォームにも喫煙場所がない。

それで私は、伊東線のプラットフォームで喫ったんです。そしたら清掃係のおじさんがやってきて、「ここ、禁煙ですよ」というから、「どこで喫えるんですか?」と聞いたら、「外かな…」って。「外へ出たら入って来れないじゃないか」ってね(笑)。

それで、なんやかんや言いつつ一本喫ってしまいました。だから皆がそれをやればいい。「条例違反だ」と言われたら「で、どうするんだ、逮捕するのか」などと押し問答しながら一本喫っちゃうんです。喫えますよ(笑)。


タバコは十六歳から
筒井 私は高校で演劇部に入ったんですが、芝居がうまいからとすぐに舞台に出させてもらえたんです。森本薫の『華々しき一族』でした。そこで演じたのが、タバコを喫う役でした。いちばん前の席の校長がいやな顔してたけど(笑)。

だから、十六歳のときが喫煙のはじまりですよ。そして七十五歳の今でもなんともない。何ともないどころか、むしろ健康です。

カミさんとも、四十五年来のつきあいですけど、私の横にいて何ともないですしね。むしろ本人も伴侶もタバコを喫わないという人がたくさん肺癌になってる。

私が八十歳、九十歳になったら、「先生、健康の秘訣は?」なんて聞かれると思うけど、答えは「酒とタバコ」ですよ。ストレスがあるっていうのが、人間には一番の病気の原因ですね。ストレスがあると人間いっぺんに老けますよ。だから私はバカなことばかり考えて、ストレスのない生活を送っております(笑)。

今は日に二十本くらい、「VOGUE」のレギュラーを喫っています。昔は缶ピースでしたがね。

─最近、映画でも喫煙シーンがないですよね。昔は、映画の中でいい喫煙シーンが沢山ありました。

筒井 無声映画時代からありますよ。ピーター・ローレが主演で犯人役をやった「M」という映画もそう。警察の捜査会議の場面があるんですが、警部とか警部補とか署長とかが全員葉巻を喫って、もうもうたる煙の中で話をしている。昔はあんなものだったんでしょう。タバコには神経の苛立ちや感情の昂ぶりをしずめて、頭の回転をよくする効果がある。

どうやって犯人を捕まえようかという、難問を解決するための長時間の会議には、タバコは必需品なんですよ。昔の新聞社の編集会議だって同じようなものでしょう。最近、新聞の社説やコラムがつまらなくなったのは、新聞社の会議室からタバコが追放されたからだと思います。

あとは『恐怖の報酬』だね。男がタバコをくわえて運転していたら、くわえていたタバコがぴゅっと飛んでから、前の車が爆発をする。爆発音はあとから聞こえる。あれはよかった。

『最後の喫煙者』がテレビドラマになって、僕も出演しました。主人公が国会議事堂の天辺に追いつめられる最後の場面は、さすがに撮影許可が出ないので、「最後の喫煙者」である主人公が剥製にされ、タバコを喫うポーズをとって口から煙を吐いているシーンになりました。

─このまま禁煙運動がすすむとどうなりますか?

筒井 昨日までタバコを喫っていて禁煙した人が、タバコが喫えずにイライラして、他人の喫っているタバコを取り上げるようなことだって起きるかもしれない。そうしたときに、いくら喫煙者がおとなしいといったって、どんなことが起きるかわかりません。あるいは、ヒステリックな嫌煙者が、タバコを喫っている人間を刺すということも考えられる。そうなったらもう「戦争」ですよね。やっぱり殺人というのが一回か二回あるかもしれない。

─ニューヨークで全店飲食店が禁煙になったとき、タバコをめぐる口論で門番が撃たれる事件がありましたね。

私をJTの社長に
筒井 この禁煙包囲網に対しては、がんばるとかなんとかという問題ではないんだけど、「好きにやりましょう」ということですよ。好きに喫っていればいい。ギャーギャー言われても、腹を立てない。われわれはおとなしいんだから、笑ってタバコを喫っていればいい。

タバコの喫えない所へは行かなければいい。勤め人はそういうわけにいかないけど、ただそういうときでも、喫おうと思えば喫えますよ。「タバコの喫えるところはないか?」と聞けば、嫌煙権者以外はみんな親切で、同情して教えてくれたり案内してくれたりする。

─最近は奥様が家庭内で禁煙活動をしている所もあります。

筒井 夫婦のことだから、それは夫婦内で何とかしてください(笑)。

─反喫煙運動の黒幕は?

筒井 敵ははっきりしています。自動車業界とアルコール飲料業界ですよ。

嫌煙権運動の発祥であるアメリカでは、自動車産業が自分たちに有利な政策を容易に政府に強制することができる。自動車産業に対する批判、例えば、排気ガスによる地球温暖化とか、公害による喘息疾患、交通事故なんかから大衆の眼をそらさせて、嫌煙権運動に誘導している。タバコをスケープゴートにしているんですね。

自動車によって人類が滅亡することはあっても、タバコの煙で人類が消えていなくなることはないからね。もしそうであれば、とうの昔に人類は絶滅していますよ。

また、アルコールによる中毒症だとか、依存症、犯罪だってタバコの比ではありません。アルコールを一気飲みした若者が急性アルコール中毒で死ぬことはあっても、タバコの一気喫いをした若者が急性ニコチン中毒で死亡した例はありません。酔っ払いが電車内で婦女子にいたずらをしたり、乗客にケンカをふっかけたり、悪臭漂う反吐を吐いたりしても、タバコのために喫煙者が婦女子にいたずらしたり、社内で反吐を吐いたりすることはない。

そして本来であれば、その実態を指摘する役目を担っているマスコミが、それを言わない。自動車業界、アルコール飲料業界は、大きな広告主だからね。

行動分析学というのは、「いかにしてタバコをやめさせるか」なんてことをやっていたんだけど、そのいちばん偉い先生が酔っぱらいのせいでプラットホームから落ちて死んじまった。「いかにして酒をやめさせるか」を研究すべきだったでしょうね(笑)。

─タバコの警告表示も、だんだん内容がエスカレートしてきています。

筒井 JTは「喫煙は肺がんの原因の一つとなります」「心筋梗塞の危険性を高めます」と、自分のところの製品の悪口を言っている。自分の企業の製品の悪口を言うなんて、そんな会社がどこの世界にありますか。気がおかしい。

僕を、JTの社長にしないかな。社長になったら「喫煙は健康の害になります」なんてメッセージ、取っ払いますね。何もWHOの言うことを聞くことはない。

それで、あのスペースをどうするかというと、「喫煙キャンペーン」「反禁煙キャンペーン」を打つ(笑)。

「タバコは情緒を豊かにし、精神を安定させる効果を持っています」

「自動車は人間の健康に害があるばかりでなく、人類滅亡を招く危険物です」

「お酒の飲みすぎは健康を害し、他人に迷惑を及ぼし、犯罪を招く恐れがあります」

嫌煙権者がかんかんになって怒って不買運動はじめるかもしれんが、痛くも痒くもないもんね(笑)。


タバコが原稿を書かせる
筒井 近所のスモークバーには、ときどき行くんですが、葉巻を喫うと、葉巻用の灰皿を持ってきてくれるんです。そういう天国のようなところがある。世の中こうなってくると、どこかに喫煙者にとっての“天国”のようなスポットができてくるでしょうね。乗客が減ってくると日航や全日空が争って喫煙室を作る、客の奪い合いで飛行機と競争して新幹線は喫煙展望車を作る(笑)。

─これだけ「禁煙」「禁煙」と騒ぐと、普通の人は思考が停止してしまうのではないでしょうか。

筒井 思考能力の低下がとくに激しいのは、以前タバコを喫っていて禁煙した人たちですよ。やたらヒステリックになって、人がタバコを喫っているのが我慢できなくて、ギャーギャーわめく。あれは一種の精神異常ですね。自分もこの間まで喫っていたクセに、やめたとたん、禁煙によるストレスを嫌煙権運動で発散させている。

タバコをやめた連中は、きっと長生きしてゲートボールしたり、行方不明になりたいんでしょう(笑)。でも恐らく短命なんじゃないかな。

僕は高齢者の行方不明というのは、実はいいことじゃないかと思うんだよね。昔の「姥捨山」は子供が親を捨てたけど、子供には迷惑をかけたくないと、自分からいなくなる。

僕も万が一、百歳まで生きていたとしたら「年金は一年くらいならもらっておけ」「私のことは探すな」と言い置いて旅に出る。格好いいでしょ(笑)。

─先生はすぐ見つかりそうです。

筒井 百歳になればもう忘れられてますよ。

─「タバコ依存」という言葉にしても、人は何かしらに必ず「依存」しているものです。「依存=悪」という図式はおかしい。

筒井 人間はまず仕事に依存しないと、食っていけない。その証拠に、仕事をやめたらすぐに死ぬ人が多いでしょう。

僕のことを言えば、本当にありがたいですよ、ふつうは六十歳で定年なのに、そこから十五年、こうして仕事はいっぱいあるし、こういうインタビューも次々依頼してきてくれますしね。普通なら定年後十五年もしたら、ボケてきますよ。

古井由吉氏に言わせれば、小説家は書くことがなくなってからが勝負だそうですよ。丸谷才一さんなんかは、作家は八十歳になってからだ、なんて言っています。そうかもしれんね。何も欲望がなくなって、真実が見えてくるというのはありますからね。

─タバコは創作活動を、高める効果がありますね。

筒井 タバコを一日百本喫っているという作家がいるでしょう? あれはタバコが原稿を書いているんだと悪口を言う人がいます。じゃあ、あんた一日百本タバコを喫って、この人以上の小説を書けるかといえば、書けないでしょう?

クスリも同じようなものかもしれませんね。昔は麻薬をやっている作家がたくさんいて、「麻薬が小説を書かせている」なんて言う人もいたけど、麻薬を喫って同じような小説が書けるもんじゃない。大傑作ばかりだもの。

─これからの喫煙者は、ある意味ユーモアをもって、まわりの強い風当たりに対処していく必要があるんじゃないでしょうか?

筒井 あのね、どんなにユーモアを交えて話しても、「ウンコのオッサン」「ウンコのオバハン」にはそんなユーモア、通じないんですよ。かえってその方が怒ります。こちらが笑えばかっとするんです。だからといって、こちらまでヒステリックになってはいけない。もっと笑えばいい。

あのねえ、この年になるともう、怖いものがなくなってくるんです。「殺さば殺せ」じゃないけど、死ぬのが怖くなくなってくる。それはつまり、セックスの欲望がなくなるということです。リビドー(性本能)が低下すると死ぬのが平気になる。皆さんもそのうち死ぬのが平気になって、盛大にタバコを喫えるようになりますよ(笑)。

 すいませんねぇ。暫くFacebookで遊ぶ癖がついたらブログがおろそかになってしまった。

 また別の記事で書くけど、結構な有名人とお友達になって充実してますので...。もしこのブログの読者でFacebookにアカウントがある方はメールでお知らせ下さい。お友達になりましょう。

 さて。

 ブログ再稼動一発目で持って来たかったネタ。以前も筒井さんのタバコに関する文章はこのブログで紹介してますが、以前から自分自身がネット上で経験してきたことと妙に絡んでいるな、と思いまして。

 筒井康隆氏の作品は結構好きで読んでいるし、最後の喫煙者は高校時代に読んでます。非常に筒井さんらしい作品だ、と当時から思ってました。 

 自分自身喫煙者でもある(1日20本ぐらいゴールデンバットにフィルター付けて)んですが、禁煙運動のこの過激さはなんだろう?小学校でアホなこと教えてるなぁ、おかげで甥っ子から「ガンになるんだよ」と突っ込まれては「ふ〜ん、だったらガンになる理由を400字詰め原稿用紙10枚以内にまとめて提出しろ!内容によってはノーベル賞で一億円もらえるから」と突っ込み返している(あくまで冗談ですよ、と書いておかないと輩どもが発狂しますので...)んだがなぁ、と常日頃思っていたのですが、さすが日本の文壇の大御所筒井康隆さん、一発でこの状況を説明してます。

 身の回りが清潔(物理的、と言う意味だけではなく)である事が行き過ぎ、一種の神経症になってしまうと他人の行動にまでいちいち口出ししないといけない状況になってしまう。その事柄に歴史や文化、哲学があろうともそんな事は関係ないわけです。

「○○は悪い事だから、社会全体で管理しなければいけない」...ええ、余計なお世話ですよ。もうその言葉の裏にはなんか赤いものがちらついている。

 そりゃね、もし本人の命や存在に危機があるレベルであるならそういう働きかけは必要だし、元々自分の仕事もそういうことだ。しかしわざわざそのレベルでない人間に対して国や自治体が干渉するのがまともな民主主義かね?

 医療費の問題云々で反論する人もいるけど、これも正直に言うなら、
「タバコと肺気腫の関連性はいざ知らず、タバコと肺がんの関連性は未だに完全に証明されていない」
訳だから。うちに来る音楽の先生、未だに日に20本以上の喫煙をするヘビースモーカーですが、83歳でも青年の如く矍鑠としていらっしゃる。肺に関する病気は全くされてない。
 また、大きな病院なんかでは禁煙薦めるべき医師が裏の喫煙所で隠れつつタバコふかす姿が、なんてのも結構ある話です。嘘だと思うなら鹿児島大学病院の喫煙所をみてみ。堆く積まれた吸殻が凄い状況だから。

 2chで喫煙者だからケアダメは、とかぬかす連中は医学的な誰でも納得できる医学的な論文でも書いているんだろうかね?と言うか見せてみ♪もしそんな論文あったら簡単にノーベル賞取れますから。人バカにする前に論文発表して1億円貰って来いや。ずっと幸せな生活送れるだろ。

 ま、持ってこれないだろうけどね〜。

 ...結局禁煙運動=排除の論理である、と筒井さんは言っている訳ですが、これ、今の社会にとってはタバコだけの問題では無い気がします。

 例えば「橋本市長=ハシズム」や、「竹原さん=独裁者」と断言する輩ども(しかもそれが日本全体の20%にも満たない事が最近判明してますが)なんか、まさしくこの文章で言われている「ウンコのオッサン」「ウンコのオバハン」ですわね。禁煙運動者と地方自治に物申す輩どもには本当に良く似ている図式があって、

・ある事象について、そうなった原因が本人やそのもののみに存在する、と信じてやまない。具体的に言うなら、その原因の前に何があってこのようになったのか、という事に気が全く回ってない。要は今その現象だけで全てを判断している事。

・「多様性を認めてない」と言う論調ではあるが、それ言っている本人自身に多様性が全く存在しない事。

・ユーモアの感覚がない。人のギャグをマジにとってそれでバカにするのを見て、駄目だこいつら、と思わざるをえない。

・難しい言葉で人を混乱させる事が大好きであること。「私は誰にでも解る文章で本を書く」と言われていた一万円札の中の人が草葉の陰で泣いていると思います。

 こういった特徴がある。

 実は以上のようなキャラクターはうちらの業界には全くと言っていいほど向いていない。人生の歴史を紐解く事でその人らしい生活が何か、のヒントになるから過去の事象も調べなきゃいけないし、多様性が無いと個別処遇は無理。ユーモアの感覚のある無しで職員がどういう人か、と判断される事も多いし難しい言葉で自分を飾るのは利用者からも同僚からも嫌われる。

 逆に言うなら、これを排除できる介護職はそれだけでも他の介護職の一つ上をいけそうな気もします。

 こういった排除の論理を振りかざす人間の行きつく先が、以下のような「嫌な意味で赤い」キャラクターなのかな、とも。あ、ある人が言ってましたね、上のような特徴を持つキャラクターは公務員系の労組加入者そのものだ、とも。


バカでもわかる左翼

   「ぼくがかんがえたりそうしゃかい」

 人々がみな平和で幸福であればいい。それが私の理想です!

 ……なのになぜ、金持ちや権力者は楽々暮らし、弱い人は置き去りにされるのだろう。
 世の中の不公平は全てなくさなければいけない!
 資産は個人が持っちゃいけない! みんなで共有してみんな平等な世の中を作るんだ!

 そうだ! 世界中そんな世の中にすればみんな幸せになれる!
 そうすれば国境なんか簡単に越えられる!
 国家がなくなれば戦争もなくなるぞ! 人類は進化してるんだ!
 きっとそんなふうに文明は進歩していくに違いない! 私たちは進歩的文明人だ!

 ……なに? こんなすばらしい考えに反対するやつがいる?
 けしからん! そんな発言は許すな!
 今後、私の許す言論以外は発表を禁ずる!
 この素晴らしい理念を実現するためにはどんな手段も正当化される!
 邪魔な奴は殺しても構わん! 殺せ!
 安心はできん。きっと内部にも裏切り者がいるに違いない。
 おまえだな裏切り者は! お前もだろう!

 みんな粛清だーっ!

――20世紀にこのようなカルト思想が全世界の半分を席巻し、1億7000万人の犠牲者を出した。

そのカルトの名は社会主義。マルクス主義ともいい、より急進的なものを共産主義という。
そしてその信奉者を『左翼』という。


 何の事はない。左翼や自治労や日教組は禁煙論者と同列、いやそれ以下の「ウンコのオッサン」「ウンコのオバハン」な訳。以前Twitterでおいらをバカにしたり、今もしている連中も全く同じ。潔癖で純情真っ直ぐで、って言うのは小説の中ならまだいいけど、実際の社会では...。

 実際問題政治的に橋下市長などに突っかかっている連中は左翼思想を持つ人間が多い(最近橋下市長に逢ってもいないのに病名つけて話題になった香山リカさんとかも典型的ですね)ことからしても、排除の論理はとても民主主義とは思えないし、少なくとも自分自身の信条からは程遠いものです。

 意見を多数決で排除するのではなく、賛成反対の意見を時間をかけてでもすり合わせるのが本来の民主主義。今の地方自治が民主主義ですか?と聞かれてもその答えはNO、と言わざるを得ないでしょう。議会が市民の為でなく、ある特定の思想を持った役所職員が外圧をかけて...なんてのは論外ですし、それで市長になって何も波風立ててない、これがまともな市政運営なんて本来の民主主義ではあり得ない話でしかないでしょう。

 独裁、では無いけど彼らの言う独裁的な地方自治については、今のお遊戯的な議会であるならこの方法もやむなし、と言った所でしょうか。橋下さんの今の政治形態は民主主義に至るための一つの通過点、とも捉えられませんかね?

 ところで。

 ...共産主義と言う思想の最大の弱点、それは人間の本質が何かを知ってないもしくは目をつぶってみようとしない、ということ。

「人間は 欲に手足の ついたもの」

 江戸時代の川柳ですが、これほど人間の本質を突いた文章を自分は知りません。現に共産主義国のトップは「赤い貴族」だったわけで、市民に本来分け与えるべき金を独占していたわけだし。

 その欲が自分だけでなく他者にもいい影響を与えるものならそれを否定すべきではない。欲があってこそ、人生自体がエキサイティングに、また毎日が楽しくなるし、目標や希望を持って生きていく事も出来るわけですからね(ただそれに正しい間違いはあるとは思いますが)。

 欲を否定する、と言う事。この事象だけで共産主義や左翼は信用できません。また、狭い視点だけで排除の論理を振りかざす輩はある意味左翼的思想を持っている、と言い切ってもいいんじゃないのかな。

 これ言い出したら、ケアプランのNeedsなんてのは「本人を自立支援出来るようにするために、どんな欲を使うのか?」そのもので計画組む事もあるしね。いや〜、何て民主主義なんでしょう。

 ....本題に戻りましょう。

 こういう輩どもにとっては排除の論理を推し進めていくとどうなるか?と言う考えもないんだろうなぁ、と思います。その行き着く先はユートピアでもなんでもない。

 RUSHのアルバム「2112」で歌われていた「シリンクスの寺院で偉大なるコンピュータの前でお告げを聞いている司祭達、それで動かされる一般市民。音楽と言う過去の財産を発掘した若者は排除する!」...こんな社会、お望みなんでしょうか?

 少なくとも、おいらは嫌です。そんな社会だったら世捨て人にでもなって自然と共に生きる方がどれだけ楽しいか、と思う。

 ま、今年もどんどん誹謗中傷していただければ。ただ、カスみたいな輩がまたやってるんだ、と突っ込んで、面白いものはFacebook上でネタとして共有させて頂くだけですから...。

 ...という事で、今年になってもう一月近くなりますけど、宜しくお願いします。

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posted by y-burn at 12:31| 鹿児島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月23日

数年来の自分の考え方が正しかったかどうか検証に阿久根まで行って来ました

 きっかけは「阿久根二十日会」をやります、と言う竹原えみ議員のブログ。

 先月は丁度哲学カフェと被って参加できず、でしたが、今月は21日が早出で、4時終わりなら車で走れば7時には間に合いそうだな、と思って。片道約80kmと(実は都城に行くより遠い計算になる)かなりの距離ですが、まぁ、行って見りゃなんとかなるかな、と。

 それもありましたし、自分が少なからず支持している人間と直に逢って話をして見たいな、と言う事もあったし、仕事上の営業(ま、分かるでしょ)も兼ねて、と言う事も込みで、入浴介助後速攻で阿久根まで自家用車で突っ走ったわけですよ。

 気合入れすぎたのか5時半には既に道の駅あくねに到着。そこでTwitter友達の女の子と少しだけだけど話して(実は彼女も反竹原派からの相当な嫌がらせを受けていた過去が。20代前半の可愛い女子を竹原支持だから、というだけでネットでいじめる...連中の腐った人格が分かるよね)そこから更に20km以上先にある三笠を目指して...

 阿久根市街は2年ぶりに通ったけど、小学校の土手以外のあくねアートはまだ健在でした。清田先生の仕事がまだ息づいているのはなんか嬉しい。あとこれは...と思ったのは、串木野もかなりのもんなんですが、パチンコ屋が多い。港町にパチンコ屋が多いのはどうも鹿児島の特徴らしいんですが、A-Z以外の町並みが暗めであるが故、どうしても目立つし、又下品でもある。食の街阿久根を目指すのであれば三号線沿いのパチンコ屋は潰して食の関連施設などを作っていくべきじゃないのかな?

 こういう事を言うとまた某所で「自分の好き嫌いで判断」とか突っ込まれるけど、逆にパチンコの「利」が何なのか、箇条書きにして400字詰め原稿用紙3枚以内で明日までに提出しなさい。話はそれからだ。

 確か阿久根のコメリの隣だったよな...って、あら、6時過ぎには着いてしまったわ。

 ほぼ同時にえみ議員が到着し、挨拶。いや〜凄く人懐っこい、笑顔の素敵な方だなぁ、と言う印象。そこから十分過ぎて竹原さんも到着。少し話して思ったのは、「ああ、この人、マスコミやネット上で話されているキャラクターじゃないし、この人を自分が支持していたのは間違いじゃなかったんだな」という事でしたね。愛媛に帰郷されていた仙波さんは少し遅れる、と言う話でした。

 一つだけ突っ込ませていただくと...あの〜さつまさん、竹原さんのどこがシャイなんですか?逢って数分話しただけで、おいらと政治漫談ネタ合わせしないで出来そうなキャラじゃないですか。

 6時半過ぎからわらわらと人が集まり始め、約30〜40名の方が時間である7時には来ておられましたね。殆んどが60〜80歳の阿久根在住の高齢の方々でしたが、中にはおいらと同い年ぐらいと見受けられる男性や、いちき串木野市から来られた男性もいました。前回は市外からの参加者は殆んどいなかったようなので、それだけでも双方に価値はあったのかな、と思います。ただ、竹原派と呼ばれていた議員さんたちの出席はなし。現在、えみ議員は派閥とかに加入せず、孤立している形のようです。悲しい事ですが。

 内容は竹原さんが大阪市長選についての話をされたり、えみ議員が現在の阿久根市議会で行なわれている内容報告、糸島市での研修の話、8時から参加された仙波さん(熊本で乗っていた車がオーバーヒートで壊れたと言う話)は結構な爆弾話、原発と阿久根の関係について、などと2時間あっという間。来られた方々もおとなしく聞いているわけではなく、「うんにゃ、そんたいかん」「じゃっどなぁ」「反省せないかんどなぁ」等と皆声を出して相槌を打ったり、笑いが絶えないような。反竹原の連中がいう所の「宗教的な集まり(いや、本当にいるんだよ)」じゃなくて、「近所のお茶会が少し大きくなったかな?」と言った様相。お三方と阿久根の地元の方々との結びつきのすばらしさを感じましたね。第三者としてみて少しうらやましくも感じました。

 反竹原派の皆さんに於いては、笑いの絶えない会合のどこが尊師の言葉を聞く宗教的集まりかどうかもう少し考えたほうが良いと思いますけどね。新興宗教のああいった会合では基本笑いとかないから。それでも宗教だ、というなら申し訳ないが世間を読む力不足、と認識せざるを得ない。

 その話の中で面白かったのを少しだけ紹介すると...。

・介護の世界ともリンクする話なので。

 我々ケアマネージャーの作るケアプランはアセスメント〜プランニング〜プラン遂行〜モニタリングの循環で成り立ってます。これを一般の会社や役所、議会で行っている物になるとプラン〜ドゥ〜チェック〜アクション、PDCAと呼ばれるものになるわけですね(ん?ちょっと苦しいかな?)。これが阿久根の現状の議会や役所では全くなされていないのが現状である、と言う事でした。最もこれは阿久根だけの話では無いと思いますが。又、自分達は出来ていないのにケアマネージャーにはそれをやれ、やったかどうか監査する、やられて無ければ返納だ、と言っているお役所は自分で出来ない事を人に押し付けて、なんかおかしくねぇか?と思いました。それを発言したら、竹原さんは「いや、お役所とはそういうもんだ」と一言。PDCAを完璧にこなす役所職員なら、そもそも阿久根や大阪や名古屋のような事は起こっていないわけで、そのあたりは反省すべきことなんじゃないのかなと。最も我々もそうですけどね。この流れをスタンダードにする事も私たちの仕事なんだ、とえみ議員はおっしゃってました。

・仙波さんによるかなりの爆弾話。

 竹原さんが市長時代に民間採用した課長職(話では大河原さんの事では無いようなんですが)の一人をどうしても辞めさせたい職員(係長職)がいて、実行に移したようです。それがねぇ...市の実印を勝手に持ち出して決済書類に印を押したと。いや、おかしいだろ。で、もっと問題なのは西平現市長はそのことを知らない。竹原さんに言わせれば「西平市長もある意味被害者なんですよ。一部の市役所職員にいいように使われているだけだから」...以前阿久根アートの決済書類がネットに流出してさも知ったかぶりが「この書類はおかしい」などとコメントしていたこともあったけど、それ以上の問題ケースですね。もしばれたら議員や役所職員の首が数個すっ飛びかねない大事になる、と言う話でしたが....

 はい、ここでばらしましたwww。

 勇気あるマスコミの方、詳細はその全ての流れを熟知している仙波さんに聞いて下さい。面白い記事が書けると思いますよ。

・笑い話。ある阿久根市の市役所職員が民間の方から責められて窮地に立ったときの捨て台詞、と言うのを紹介して貰いました。
「わいたちゃ、組合に言うでな(お前達、組合に言ってしまうからな)!」
...いや、言ってそれが果たしてどうなるのか逆にお聞きしたいんですが?

・これは会が終わった後に竹原さんと2人で話したこと。竹原さんが最近「日本の論点」と言う本に寄稿しており、こういったことを書かれています。
「...議員も首長も、自分達が給与を決めているという感覚はなく、税金を取られる住民の痛みを感じることもない。そして「官僚の気持ちに沿う自治体にすることが、より多くの補助金を得る道であり、官僚とのパイプを太くするのが政治家の仕事」と本気で考えています。つまり、自治など、無いも同然なのです...」

...このプリントを会の前に貰って読んで、あれ?と思ったことがあったので聞いて見ました。

「竹原さん、この文章の「官僚とのパイプ」で引っかかったことあがるんですが。鹿児島の高校の進学校で未だに『補習』と呼ばれている悪しき伝統が続いている理由と官僚とのパイプとの関連性、そこについての言及が無いのは...?」

「...え?どういうこと?」

「官僚とのパイプを、と言うのは政治家だけの話じゃなくて、鹿児島の場合は県教委も絡んでいる、という事です。進学校が補習でアホみたいな詰め込みをやっている理由、それは記憶力のある一部の生徒に良い成績をとってもらって東大を初めとする一流校に進学し、官僚になってもらう。官僚になったらそこでパイプが出来るから、官僚の采配で一円でも多く鹿児島県に国からの補助金を下ろしてもらう。そういう意図があるからこその進学校での補習、という事です」

(ちなみにこの話補足すると、県の教育関係者から直接自分自身が聞いているし、教員だったうちの両親も「簡単に付いて行けないカリキュラムや補習である程度の落ちこぼれを作り出して、それに耐えたものを最終的に官僚にするシステムを保持しましょう」という話を県での研修で聞いた、とはっきり明言してます。陰謀とかじゃない、県のお役人の本音の話なのであしからず)

「...でしょうね。役人の考えそうな事だ...うわ〜、でもそれは知らんかったなぁ...ありがとう。参考になりました!」

 ...普通、自分より年下で格下の人間の話を聞いて、こういう感想を持つ方と言うのは(自分も含めてだけど)なかなか居ないわけですよ。これだけでも、竹原さんがどういう方なのかよく分かりました。

 ストレートな物言いやその行動力で損している点はあるけれど、凄く全うで正直な人。
 これは竹原さんだけでなく、えみ議員や仙波さんからもそういう印象を受けました。更に言うなら仙波さんからは燃え上がる正義感も感じます。ネットやマスコミで言われているような極悪人じゃない。

 え?それでも極悪人だと?こちとら施設などで人生経験の長い1000人ぐらいの人間を公正中立の視点で観察して、性格なども掴んで仕事しているんだ、大きく間違ってはいないだろうよ。

 同時にマスコミの印象操作というものの恐さ、それを鵜呑みにして追随する輩どもの愚かさも感じましたね。ちなみに竹原さんの市長時代に阿久根のネガティブな記事を書いていた記者Sさんは現在南日本新聞の社長だそうですから...なんとも言えんね。悪い奴ほど出世する、ってのはどうもうちらの業界だけじゃないようだ。

 会が2時間、そのあといちき串木野から来られた方と自分とお三方を交えて30分ほど話して、9時半に三笠興産を出ましたが、いや〜、往復5時間半かけていっただけの甲斐はあったかな。すばらしい会でした。結局川内で遅い晩飯食べて12時に無事帰り着きました。流石に160km、自分にとっては長距離のドライブは疲れたけど、心地良い疲れで。

 確かに竹原さんは市政運営に失敗した。それも本人からの原因も少しはあったけど、大部分はマスコミや労組のでっちあげによるものだった。で、今は西平さんが跡を継いでいる。ただ、失敗した事で前からの支持者や市外の人間がより政治を身近に感じ、動こうとしている姿が垣間見れる。これだけでも正直、竹原市政の意義はあったんじゃないかなと思います。同時に西平さんはこれから苦労するのかな、とも。目覚めた市民が本気で動き出した時、彼がどういう対応をするかによって阿久根の未来が変わる訳だから。

 逆にこういう動きの全く無い鹿児島市に住んでいる事に恥ずかしさと言うものを感じざるをえませんでした。鹿児島市の議員さんよ、こういった会を開いてください。そして住民に、行政や議会で行われている事や市の未来を示すべきでしょう。阿久根に未来は無い、と言う輩もいますがそうじゃない。しっかり政治へ参加すると言う意識の目覚め、その動きがあるだけでもうらやましいし、未来は出来たも同然です...。と言うより、我々も行動起こさなきゃ駄目、ってことなんだろうな。福祉の世界では少しづつ形にしようとはしているんですが...。

 改めて。

 竹原さん、えみ議員、仙波さん、今回は本当に有難うございました。次回12月20日、仕事を調整して再び参加したいと思います。あ、ちなみに調整速攻で終わりました。

 あと、ポジティブネガティブ関わらず「竹原信一とはどんな人なんだろう?」と思っている人は是非参加をお勧めしたい。いや、本当に面白いから。


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posted by y-burn at 10:56| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

そもそも、劣悪な環境に置かれた介護士や看護師が、利用者への真心のサービスが出来る、と思う?

〜ストライキ:鹿児島市の介護老人保健施設で 労働条件改善など求め /鹿児島〜

 鹿児島市の介護老人保健施設「フェニックス」(同市谷山中央1)で26日、看護師や介護士らが労働条件の改善などを求めて無期限のストライキに入った。スト突入により、市は施設を運営する「医療法人紘淳会」に対し、利用者へ影響が出ないよう要請した。

 県によると、00年の介護保険制度導入以来、県内の介護施設でのストライキは初。全労連・全国一般労働組合鹿児島地方本部谷山中央医療福祉分会(約60人)に所属する約40人の職員が参加し、退職を強要する配置転換、人事異動の中止▽タイムカード導入▽誠実な団体交渉の実施−−などを求めている。

 ストには職員の約半数が参加。給食要員らは利用者への影響を考慮しストには参加していない。

〜老人保健施設で40人スト 介護保険導入後、県内初〜

 鹿児島市の老人保健施設で26日、看護師や介護士らが、不当労働行為改善などを求め、無期限の全面ストライキに入った。 

県によると、2000年の介護保険制度導入依頼、県内の介護施設でのストは初めて。

 ストがあったのは、医療法人紘淳会が運営する老人保健施設「フェニックス」(同市谷山1丁目)。全労連・全国一般労働組合鹿児島地方本部谷山中央医療福祉分会(約60人)に所属する約40人(通告分)の職員が参加し、無理な配意転換や人事異動の中止、タイムカードの導入などを求めている。

 職員のスト突入を受け、鹿児島市介護保険課と同市保健所保険予防課は同日、利用者へ影響のない運営体制を取るよう、紘淳会に文書で求めた。市によると、文書を渡した際に紘淳会側は「必要な体制は取っている」と説明したという。

 組合によると、ストには施設職員の約半数が参加。給食要員や紘淳会傘下の医療機関職員らは影響を考慮し、外している。

 組合の分会長は「ストはやむを得ない選択だった。利用者を思うと心苦しいが、決して無理なことは求めていない。安心して働ける環境つくりは、利用者のためにもなると思う」と話している。

 

 sandanshikomiさんのブログでこのニュースを知りました(うち南日本新聞取ってないからわかんなかった)。

 実はね...この施設についてはおいらの親友というか、腐れ縁というか、元同僚が一時期この施設で働いていたり、ここの施設長とある研修で話をしたことがあったり、と言うこともあってある程度の内情はつかんでいたんですが...

 最初にこの話を聞いて、「ああ、だろうな」とビックリもせずに妙に納得してしまいました。

 県内の老健でも労働環境の悪さは群を抜いていた、と言う話です。あと施設長のプライドの高さもあったのかな、と。良い悪いは別として、絶対に現場の職員の目線で施設を見なかったと言う話も聞いてます(介護の代わりなんざ募集かければ何人でもいるんだ、と研修中ここの施設長が言っていたのも聞いてます)。多分フェニックスの職員は上司に対して何らかのアプローチをしてきていたんだろうけど、それすら無視してたんだろうな、とも。

 こういう劣悪な環境なら普通は辞める方向なんだろうけどね。施設側もまさかこういう手に打って出る、とは思わなかっただろうな、と思う。

 さて。

 介護保険では人員の規定、と言うものがありまして。施設サービスごとに本来は定員が決まってます。グループホームなら日勤換算で3名とか、入所系施設なら看介護職員:入所者=1:3とかね。

 法的には基本何処もそれは守られているだろうし、守られて然るべきもんだ、と思う。
でも、もっと大きな問題。

 法ではあくまで最低限の人数を決めているだけだし、状況によっては法的な人数で間に合わない状況も出て来るわけですが、事務方は絶対人数を増員しない方向に働く。更に、本来介護や看護をしていない人間も人数に入れて誤魔化している可能性もある(これは実際研修などでみた施設でそういう所があったから知っているんですが)。

 実際、同じ介護付の有料老人ホームとしても、その施設の平均介護度により必要な職員数は変わるはずです。でも、絶対に増員しないでしょうね。増員を職員側から要望しても、今度は法を立てに拒否するはずです。

 要は、今の介護保険法での人員の取り決めを、もっとフレキシブルに出来ないのか、と思うんです。介護度により施設人員を増減できる、と言うことにしないと、事務方は最低限での職員しか採用せず、労働環境の劣悪化を来すのでは、とも。

 そもそも、劣悪な環境に置かれた介護士や看護師が、利用者への真心のサービスが出来る、と思う?出来たらそれは人間じゃなくて神様だよ。それともうちらに神になれって?

 じゃ、幹部の皆様、ハローワークの求人票には「神募集」と言うことにして下さいな。人間いらないんでしょ?

 冗談はさておき。

 今回のストはこれまでの介護従事者のストレスが表面に出てきた鹿児島県に於ける最初のケース、とも言えるんじゃないだろうか、と見ています。

 もっと悪い事も予想してます。フェニックスに続け、とばかりに他の施設もストののろしを上げるのでは、とね。

 ストをするのは悪い事ではない(公務員などのガチガチに守られた環境でのごね得ではないわけだから)んですが、この環境の中に置かれた利用者の立場はどうなるのか、と言うことも考えるんですよね...この事態を出来るだけ早く収束させることをフェニックスの幹部は考えるべきでしょう。そしてこれまでの人的環境の反省もしっかりするべきだと。ええ、介護士はその辺の石ころじゃないんだから。

 ストを起こされる前に、全国の福祉施設や事業所の幹部はもう一度施設内の人的環境を見直すべき時期なのかも知れません。

 それも含めて、介護保険という法律の是非も同時に考えるべきだろうな...。

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posted by y-burn at 20:43| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

あえてコメント付けませんが、介護を含むサービス業で大事なことだと思うのでブログにも残しとく。

宝塚歌劇団の舞台裏に貼られているそうです。

【ブス25箇条】
 1・笑顔がない
 2・お礼を言わない
 3・おいしいといわない
 4・目が輝いていない
 5・精気がない
 6・いつも口がへの字をしている
 7・自信がない
 8・希望や信念がない
 9・自分がブスであることを知らない
10・声が小さく、いじけている
11・自分が正しいと信じこんでいる
12・ぐちをこぼす
13・他人をうらむ
14・責任転嫁がうまい
15・いつも周囲が悪いと思っている
16・他人にシットする
17・他人につくさない
18・他人を信じない
19・謙虚さがなく傲慢(ごうまん)である
20・人のアドバイスや忠告を受け入れない
21・何でもないことにキズつく
22・悲観的にものごとを考える
23・問題意識を持っていない
24・存在自体が周囲を暗くする
25・人生においても、仕事においても、意欲がない

まずは、笑顔からなんですね〜☆
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posted by y-burn at 13:46| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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