2011年05月20日

お客さん主義が大学や社会までも駄目にする

〜年間5万人 就職できない有名大学 「第3の入学組」の悲劇 AO入試合格組 大手企業人事担当者も要マーク〜


 就職できない大学生たちは約13万人。4月になり、社会に出ていたはずだった彼らは、"就職浪人"としていまだ入社試験の日々だ。だが、氷河期と言われる就職難も、不況のせいだけではないのだ―。

〜筆記試験なしで合格〜

 「僕はね、AO入試は不正入学だと言っているんです。『多様な人材や意欲のある人を求める』なんて真っ赤なウソ。早慶ですらAOで学力の低い学生を入れている。これはいつか地盤沈下が起こる。早慶がそうなると、他の私大はさらに沈む。 AO入試組が、なかなか就職できていないというのはあるでしょう。勉強していないくせにリクルートスーツを着て、普段使わない言葉を使っても、企業に見透かされますから」

 こう話すのは、法政大学理工学部・川成洋(かわなりよう)教授だ。

 厚生労働省と文部科学省の発表では、今年3月に卒業予定の大学生の内定率は2月1日現在で80.0%と、統計開始以来、過去最低の数字を記録した。

 13万人もの就職浪人が生まれたのは、もちろん日本経済の不況が直接的な原因だ。しかし、川成教授が廃止すべきと唱えるAO入試という制度も、少なからず影響している。

 AO入試のAOとはアドミッションズ・オフィスの略で、大学や学部の理念に合った学生を求めるといった意味。基本的に筆記試験は行わず、面接やディスカッション、小論文などで合否を判断するシステムだ。

 学力そのものが試されるケースは少ない。一般入試、推薦入試に次ぐ"第3の入学組"と言われ、'90年、慶応大学総合政策学部と環境情報学部が先駆けて導入して以降、多くの大学に広まった。実はこの制度が就職への大きな障壁となっているのだが、その具体的なケースは後述しよう。

 就職浪人中の早稲田大学政治経済学部5年の桜井泰崇君(仮名)もAO入試組だ。

「金融やメーカーなど30社受けましたが、最終面接にすら行けなかった。何が悪かったのかわからないんです。僕は大学に筆記試験なしで入り、ロクに勉強もしない4年間でした。それがいけなかったのか、採用面接では『大学時代何をしたか』という質問への答えにいつも窮してしまったんです」

 同じく内定ゼロに終わった有名私大法学部.藤岡俊介君(仮名)もこう話す。

「AO入試の面接の際、僕たち学生側は意気込んで、緊張して面接に臨んでいるのに、面接官は志望動機など通り一遍の質問をして、5分程度で面接が終わってしまい拍子抜けしました。これでは誰だって、『そこそこ有名な大学でも、こんなに簡単に入れるんだ』と勘違いしてしまいます。入学後も授業に身が入らず、ダラダラと過ごしてしまい、就活で失敗しました」
 川成教授は、「学生全体の質が下がっている」としたうえで、AO入試組はさらにレベルが低いと言う。

 「私は英語を教えていますが、一回音読を聞いたら、その学生がAO入試か、一般入試かすぐわかります。AO入試組はローマ字さえ読めない学生もいますから。第2外国語なんてなおさら無理。神奈川の名門公立校から入ったある学生は、中学レベルの英単語すら知りませんでしたね。呆気(あっけ)にとられましたよ。彼らは知らないことが恥ずかしいと思わない。どの先生も今の学生は『無反応だ』と言います。10年前とは学生の質がまるで違う。やはり、AO入試があるかないかの違いが大きいですよ」

〜「独りよがりの根性なし」〜

 当事者である大学側は、AO入試についてどう考えているのか。法政大学入学センターに聞いた。

 「ウチは自己推薦という形ですが、学力が整ったうえで応募してくるというのもなかなか難しい。志望書ではそつなく書くのですが、とってみたいという生徒はそう多くないという話を面接官から聞いたことがあります。ただ、学部にマッチして活き活きとやっている学生もいますので、大事な入学経路ではあると思っています」

 と、AO入試のデメリットも認識している。この状況に一足早く手を打ったのは国立大学だ。九州大学法学部や筑波大学国際総合学類、一橋大学などは AO入試を廃止、または縮小している。九大は'00年、国公立では初めてAO入試を導入し、最も力を入れていた大学の一つだった。

「九大法学部は入学後の学生の追跡調査をするなどして、意図していた生徒がとれているかを検証していると思います。それを踏まえての廃止でしょう」
(河合塾教育情報部.富沢弘和氏)

 筑波大学アドミッションセンターは、国際総合学類のAO(筑波ではACと呼ばれる)入試廃止の経緯についてこう答える。

 「最初の頃は特異な経歴や独特のユーモアを持った学生が入ってきたのですが、徐々に普通入試の学生と変わらない志願者が増えました。逆に言えば、普通入試でもウチの求める人物像を理解した人が増えたということです」

 一般入試で合格した学生は、一つの壁を越えた経験を持っている。あるいは、浪人の経験で挫折も味わっている。ところが、AO入試組は一部を除き、挫折も大きな成功体験もないまま合格し、大学生活を送るわけだ。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏は、AO入試組は就職活動において打たれ弱い傾向があると話す。

「僕の取材経験で言うと、march(明治、青山学院、立教、中央、法政)のAO入試組が最も打たれ弱い。大学の名前と学生本人の乖離(かいり)に気付かないまま就活に臨むため、面接官の何気ない問いかけに過剰に反応して圧迫面接だと感じてしまう人もいます」

 全国学力研究会理事長.河本敏浩氏がAO入試組に共通する特徴を話す。

「自己推薦の形で入学しますから、自分を出すことはうまいが、嫌いなものや苦手なことと付き合えない。一度に多くの課題を出された時、優先順位をつけて全体を見ながら進めることができないのです。
端的にいえば、段取りが悪く、独りよがりで根性がない。早慶レベルでもそれは同じ。そういう子たちが就職活動をしてもうまくいかないのは容易に推測できます」

〜質より数を求める大学〜
 ただでさえ、採用に慎重になっている企業側は、AO入試組への対応にも慎重を期している。そのため、各企業の採用担当者は大学だけでなく出身高校を必ず見るという。

「つまり受験の経験が重要視されるんです。基礎学力とラーニングアビリティの高さ、もう一つはストレス耐性があるか。メンタルな問題を抱える社員が増えていますが、その大きな理由は入社までストレスがない中でやってきたからです」
(大学への就職支援などを行うクオリティ・オブ・ライフ代表で、高知大学客員教授の原正紀氏)

 受験で鍛えられたストレス耐性が、AO入試組にはないというわけだ。実際の採用面接の現場では、AO入試をどう捉えているのか。大手家電メーカー人事担当者が明かす。

「弊社の新卒採用では、若い社員から始まり、役員まで4回面接を行いますが、話をしていてその学生がAO入試組かどうかは、言葉遣いや身振りで、なんとなくわかる。もちろん面接官が尋ねたり、会話の中で出ることもあります。5年前、弊社では『AO入試組は自分の武器を生かしている。 企業も企業人として特徴のある優秀な人材を』ということになり、積極的に採用したのですが、これが失敗でした。彼らに共通しているのは人としての基本能力の欠如です。 先日、ある商社の人事担当者とAO入試組の話になりました。その社員は学生時代、TOEICで900点を誇ったのですが、配属先の部長から文句が来た。『自分の言いたいことしか言わず、相手の話を聞かない。顧客とも社員とも協調しようとしない』と言ってきたそうです。このタイプは残業をしないし、会議でも自分の意見だけ言う」

 ここまで来れば、学生個人の資質だけの問題とは言いがたい。大手通信会社社員によると、企業の人事担当者に敬遠されている有名大学の学部があるという。

「この学部の学生たちは、成績は優秀なのですが、大学でずっとコンピュータだけと向き合っていたため、偏りすぎているんです。周囲と馴染めず、適応能力がない。調べてみると、この学部はAO入試の割合がかなり高かった。履歴書にこそ書かせませんが、『AO入試組はやっぱり使いづらい』と企業側が感じるようになっているんです」

 では、学生にとっても、企業にとってもいいところのないAO入試がここまで浸透したのはなぜなのか。

「大学側の一方的な都合です。現在、中堅以下の私大では約7割が一般入試以外の入学。この層は試験が苦手、勉強が嫌い、もしくは勉強をしない。推薦組は、部活や生徒会での実績などの評価があるが、AO組にはそれすらない。従来だと大学に入れなかった層と考えられます」
(前出・原氏)

 '09年は、高校卒業者のうち4年制大学に入学する者がついに5割を超えた。つまり2人に1人が大学に入る時代になったのだ。そのうち、推薦とAO入試による入学者は半数を超え、現在、AO入試組は約5万人と言われている。

 少子化で学生数が減っているのに大学の数が増え、とにかく学生を集めたいという大学が山ほどある。なかには、面接当日に合格を通知したり、ある大学では一年中AO入試を実施するという青田買いが当たり前のように行われている。

 人集めに躍起になる大学は、学生の数を見るだけで質を見なくなってしまった。学生の質が落ちるのがわかっていながら、大学がAO入試を拡充する理由は定員確保ともう一つ、偏差値の維持だ。AOで多く採用すれば、一般入試の枠が少なくなり、偏差値が上がりやすくなるという単純な理屈である。

 昨年3月、これを問題視した文科省は、'11年度からAO入試の願書受付は8月1日以降にし、各種条件を課す通達を出した。が、あくまでガイドラインのため、糠(ぬか)に釘だという指摘が多い。

〜私学の雄は"無試験だらけ"〜

 こうした大学全体の"無試験化"が進むなか、有名大学もその波に流されている。HRコンサルティング会社「ニッチモ」代表の海老原嗣生著『学歴の耐えられない軽さ』(朝日新聞出版)によれば、早稲田大学の看板学部、政治経済学部の入学者に占める一般入試の割合が年々下がり、'09年度では、わずか39.9%。他学部も、法学部32.6%、商学部39.8%といずれも4割を切っているのだ。

「推薦入試、近年のAO入試枠の拡充に加え、早大学院や早実など、付属校からの入学者がかなりの割合を占めます。国際教養学部などの学部を増設しても、総学生数は増えていないため、一般入試の割合が減っています。これでは、私大の雄としての看板を保つのは難しい」(早大関係者)

 AO入試組とともに、推薦組、付属組も企業からは警戒されている。意外なところでは、名門高組も警戒の対象だという。

「採用側は大学名だけでなく、中高大のヒストリーを見るようになってきています。付属高出身はもちろん、開成、麻布、桜蔭などの名門高校出身者も警戒されつつある。彼らは企業に入った時に上司と融和できるのかという問題を抱えている。また、東京の私立出身の学生は受験勉強もマニュアル的にやるので、どこかナメているところがあるんです。

 いま、企業が最も欲しがる人材は、公立中学〜地方の名門公立校〜一流大学という経歴の学生です。さまざまなレベルの子が集まる公立中学で勉強を続けることは、タフでないとできませんから」(前出.河本氏)

 少子化、大学増加が拍車をかけたAO入試の拡大化。大学生たちの悲劇はまだ終わらない。

 自分が大学入試の際はOA入試などと言うものは存在しなかったんだが。当時はガチンコで受験勝負に挑んだもんでしたがね...。

 この間Facebookでこのニュースについて国際大の古瀬先生や又座さんと話をしたのだが、その中で出たのが「学ぶ意欲の無いお客様としての学生」ということ。ある意味学歴を金で買えるようになったのが現在の大学で、その金目当てに大学が生徒を「OA入学」と言う名目で確保しているのが現状なのでは、という事でした。

 でも、もっと考えると、お客様がいるのは大学だけでは無いのでは?と思います。会社員や公務員、福祉の世界の中にも、稼ぐという事はすれどもその後の研鑽を怠り、流れるまま...という人間はいます。学生と同じ範囲で考える事は少し乱暴なのかもしれないけれど、これも一種の「お客さん」では無いのかな、と思うんですよね。

 勉強と言うのは別に学校だけでやるものではなく、職場などでも必要不可欠なもの。上から与えられた命題だけこなせばいいものではなく、自分で現象を見つめ、考え、まとめて、上申し、実現するべきものだと思います。既存の発想から抜け出て、更なる高みに上り詰める為にはそういった日々の学習や思考能力が不可欠なのですが。大学でそれを教えない、教えられない、また社会人になっても出来ない、というのであるのなら、そういう人物に価値を求めても無駄です、といわざるをえません。申し訳ないが、そういった人物を実際にも、又ネット上でも相当数見てきています。軽蔑、とまで行きませんが、かわいそうだな、こんな貧しい発想しか出来ないのか...とは思いますよ。

 もうこうなったら、いっそのこと大学まで義務教育にするとかしないと...。

 最も、いま社会人入学を進めている大学も多いです。提案したいのは、これをもっと低価格で誰でも都合のいい時間に学べる(放送大学とか通信制大学のように)、ネット上でも学ぶことが出来る、と言うシステムを作ることや、大企業の人事などでもそういった努力をしてきた社会人の採用を重視するなど、既存の教育システムを少しでも変えていく事も必要では無いのかな?少子化で生徒が確保しづらいのなら、若い頃に学びたかったけど学べなくて今に至る、でも学ぶには少し経済力が..というような社会人にももう少し目を向けるべきでは無いのか?と思います。

 AO入試は最終的には大学や企業や社会までにも大きな傷を残しかねないシステムでは無いのだろうか?今こそ大学側も考え直すべき時期なのでしょう。
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2011年05月13日

生ける物を取り入れると言う「原罪」

〜幻想の衣食住 その2 四角い肉〜

 環境の基礎はなんといっても食料です。人間が命を保つためには、三度の食事を別にして考えることはできません。この節では食べもののなかでも最近、急激に増えてきた冷凍食品を題材に取り上げて「環境」を考えるスタート・ラインにつきたいと思います。

 冷凍食品の代表格といえば、多くの人は「ハンバーグ」や「コロッケ」などを思い浮かべます。たしかに、現代の冷凍食品はそういうものが多いのですが、最初の冷凍食品はおかずではありませんでした。

 もともと、冷凍食品が普及するには、冷蔵庫の登場が必要で、それは二○世紀の初めです。最初の冷凍食品は「イチゴ」。アメリカのコロラド州でジャム用にイチゴが冷凍されたのが、その始まりでした。そして、日本に冷凍イチゴが上陸したのは、一九三○年。不漁で魚が捕れず、空いていた冷凍設備を有効に活用するために考え出されたものでした。当時の技術者が苦心惨憺して作り上げた商品は「イチゴ・シャーベー」です。

 ブリキ缶入りで価格は三○銭。大阪・梅田の阪急百貨店地下のアイスクリーム売り場で売りだされ、たちまち人気を呼んで、家庭用冷凍食品の第一号市販品の栄誉を得たのです。それから約七○年の時を経た現在では、冷凍食品の種類も増え、品質も良くなり、果物、野菜、魚介などの素材から、加熱するだけの調理食品は和風、西洋料理、中国料理、エスニック風のものまで、数えきれないほどの食品がでまわっています。今では、おおよそ一七○万トンも売られています。

 冷凍食品はいつでも冷たいものを食べられたり、忙しいときに食事がすぐできたり便利なものですが、実は、わたしたちから大事なものをそっと盗むことも上手な食品でもあります。

 なにをわたしたちから盗んでいるのでしょうか?

 ひと昔まえ、まだ家がまばらに建っている頃、家の周りに塀が巡らしていることも少なく、家の裏には小高い丘があり、竹藪や背の低いブッシュが生えていました。

 そのころ、どこの家庭でも時々、家で食べる「にわとり」を絞めるのは父親と決まっていました。場所は裏庭。今夜はニワトリのごちそうとなると、父親がにわとりを締めに裏庭に行きます。子供たちは物陰に隠れて、こわごわと父親の様子を見るのです。そうして、にわとりが「ギャー」という断末魔の鳴き声をあげると子供たちは耳をふさいで震えます。

 それからしばらくして、舞台は台所に移ります。ふだんは、あんなに優しい母親が包丁をもって、あの絞めたばかりの鶏を血だらけでさばいているではありませんか!その様子を物陰から子供たちがおそるおそる見ます。その一つ一つが感受性の高い子供の心に深く焼きつき、命の尊さ、その命を頂いて生きる人間というものをおぼろげながら知るのです。

 やがて、あのにわとりがホカホカの肉片となって食卓に上がります。子供はそれを複雑な面もちで見て、口にします。もごもごと口を動かしながら、子供はあの断末魔の声、毛の抜けたボツボツの肌、血だらけの肉を思い起こしているに相違ありません。

 自然との共存、人間と自然との関係はニワトリを裏庭で絞め、血だらけでさばく一連の行動とともにその子供たちに理解されます。

 最近はニワトリを裏庭で絞めることはなくなりました。かつて、血だらけのニワトリをさばいていた親は居間のソファに座ってテレビを見ています。子供が「お腹が減った」と言いますと「冷凍庫の・・・をチンしなさい」と言うだけです。そして、たちまちの内に四角い肉片が皿の上にホカホカになって出てくる。子供は、その四角い肉片がかつて生きていた動物の一部であると感じることはできません。

 まして、生まれてこの方、都会に住み、ニワトリという動物すらほとんど間近に見たことがない子供にとっては、チンをした肉片が、生きものの一部であり、自分が、命を頂いて食べているという実感を感じることはむつかしいでしょう。

 かくして、子供は冷凍食品をほおばり、テキストをもって塾へと走りだし、現実を喪失した世界へと旅立つのです。

 かつて人類は食糧を得ることを最大の目的として家族を維持してきました。親は、弓矢を持って狩りにでかけ、畑をたがやし、菜を育て、豆を煎りました。子供は少し大きくなると手伝いをしたり、あるいは田畑で両親が働いているまわりを飛びはねていました。

 そうして一日が過ぎ、家族での食事がはじまるのです。収穫と、その日一日の安全を神に感謝し、そして口に運びます。目に見るもの、手に触るもの、そして口の中で感じられるものは、昼間のあの「もの」なのです。

 狩猟時代ほど昔では無くても、著者の子供のころは食べものを「実感」することができました。茶碗のなかに暖かいご飯がよそってあります。のぞき込むとご飯粒が見えます。そして、その白く小さく半透明のご飯粒に、農家の人の姿が映ったものです。

 腰を曲げて田植えをする姿、夏の灼熱の太陽のしたでの草取り、滴る汗をふきとるしわだらけの手と黒光りした額(ひたい)、そして秋には収穫の喜びに顔がほころんでいる一家、さらに冬には囲炉裏の周りで藁をなう老人・・・そんな農家の一年が茶碗の中のご飯粒に見えるのです。
そして、茶碗のなかのご飯粒をすこしでも残そうものなら「お米を作った人に申し訳がないでしょ!全部、食べなさい!」と叱られて、最後の一粒までお箸で拾ったものです。

 それは魚でも野菜でもそうでした。台所に運ばれた魚は、頭(かしら)を切りとり、内臓(わた)を取りだし、何枚かにおろして初めて食べることができました。魚をさばくあいだには、魚の目が充血して真っ赤になっているのを見たり、ウロコで手をケガすることもありました。

 「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。……漁師のむすめ達が臑をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景のすべてが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」(渡辺京二「逝きし日の面影」。幕末の日本を描写した女流旅行家イライザ・シッドモアの記録から)

 自分が田畑を耕したこともなく、漁船に乗ったことがなくても、生活のまわりには自然がありましたから、魚をとってくれる人たちの生活を頭に浮かべることが容易だったのです。そして、目の前の食料が自然からとれたものであること、それが、生物のかけがえのない命を頂いていることを確実に感じることができました。

 もちろん、一見、美しく楽しく見える、このような生活には苦しみはありました。恒常的に不足する食糧、病気、貧困、子沢山などがつきまとっていましたし、この本に引用した昔の情景のなかには、美しさや躍動感とともに、登場人物の役割分担がきびしく感じられます。

 昔というものが、美しく、それと同時に哀しさを持っていたことをうかがわせるのです。

 現代社会は冷凍食品に代表されるような、架空で実感のないものに取りかこまれています。食事の準備、頭や内臓をさばかなければならない魚、とりたての野菜・・・すべてやっかいなものです。これらはいずれも「効率」を第一にする社会では嫌われます。かくして、食料は四角くきざまれ、ときに「チン」するだけで食べられるようになってきました。その中で人間はどのようにして「実物」を感じることができるのでしょうか?一度も見たこともなく、一度も経験したことがないもの、形も味も全くちがうものを人間は想像することができません。架空のなかで食事をし、生活をするようになります。

 すでに都会の子供の大半が、架空の食事をしています。小さいころ、すこしでも自然の恵み、自然からの食事を経験していれば、それが原体験となって、こころに残りますが、いちども稲を刈りとったこともなく、海から魚を釣ったこともなく、両親が、豪快に生きものを調理する姿を見たこともない・・・その子供は、自分の目のまえのお皿に乗っている「物体」が命あるものであり、自分が生きるためには命を頂かなければならないこと、それをとってくれた人のひたいの汗を感じることはできません。
 武田先生のコラムから。

 ついこの間twitterやfacebookで投稿したことと被るんですけどね。

 数年前、まだ上の子が幼稚園に行っている頃の話。昼ご飯にさつま揚げ食べていたんですが、長男がさつま揚げを指して「ねえ、パパ、これ美味しいけどどうやって作るの?」と聞いてきたんです。西丸震也氏ばりの冗談(彼は山の中に住むばあさんに、かまぼこが海に浮いている生物だ、と嘘を行った事がある)で「うん、これはね、海の上をぷかぷか浮いていてね、漁師さんが大きい網で掬うんだ」とわざととぼけて回答したら、それ聞いてた嫁に「パパ、嘘ばっかついているんじゃないわよ!」と怒られました。「じゃ、どうやって作るの?」「見たい?パパが作って見るよ」「うん、お買い物にも行くんだよね?」「一緒に行くか?」「行く。」...と言う会話があり、近所のスーパーで小アジやとびうおのすり身を買い込み、親子で夕飯作り、となった事がありました。冗談から始まったけど、食育としては良かったんじゃなかろうか?その後こういうことに興味を持ち出して、今は兄弟でピザ生地練っている姿も見るし。

 自分の食べる物がどうやって出来ているのか、の過程を見せるのは食育の範疇にとどまらない、大事な教育でしょうね。

 食のバーチャル化、と云ってしまえばそうなのかもしれませんが、調理前の食材を見る機会と言うのはどんどん失われているようです。武田先生の話している「鶏を締める」ことも、実は自分の世代以降の人間は殆ど経験が無いはずです(同世代で出来ます、と言う人を実は見たことありません)。

出来合いのものや総菜、弁当、果てはファミレスなど、「何をどう食べているるのか」がどんどん見えなくなってくる。それが行き着くと「マクドナルドのパテはミミズ肉」などというありえねぇ都市伝説まで出て来るのだろうな、と思う。あ、ちなみに仮にミミズ肉を使う場合、グラスフェッドの牛肉を得るための牧場や工場の数倍以上の投資をしなければならないので絶対にあり得ませんからね。

 動物植物関係なく、食べるものから命を得る、食べるものから活かされている、命で命を繋ぐことでしか人は生きていけない。これが人が人である「原罪」である。ベジタリアンだって植物の命で命を継ぐのだから結局この原罪からは逃れられるべくもない....。こういった教育をしないでおいて何が受験勉強だ、っての。性格的に歪んだ子供がどんどん出来ている理由の一つはこれなんじゃない?

 活かされていることに感謝する。それが日本語で美しい言葉の一つ「いただきます」なんじゃないかな。

 生きている鶏を肉にまでする過程は、うちの子供らにいつかは見せてあげたい、と思っている。多分彼らは泣くんだろうけど、泣くことも覚えさせなきゃ。

 地に足の付いていない知識だけが人生にとって大事なことではないのですから。
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2010年06月02日

コッペパンと酢の物とぜんざいとゆで卵と牛乳、と言うのは変なメニューでは無いんですね?ここから考えると?

〜学校給食はワンダーランド 「焼きそばと生クリームパン」「うどんとたこ焼き」〜

 焼きそばと生クリームパン、うどんとたこ焼き、メロンパンと煮物――まか不思議な組み合わせの学校給食が話題になっている。栄養士がバランスを考えて献立を作っているはずなのに、なぜこうなるのか。

 『変な給食』(幕内秀夫著、ブックマン社)では全国の公立小学校で実際に出された給食を再現し、写真付きで紹介している。2009年12月12日に発売して話題になり、2010年5月時点での発行部数は4万5000部にのぼる。

ジャムトーストにみつ豆??
 
 パンと麺類のように炭水化物が異様に多い給食、菓子パンとしょっぱいおかずの味覚がおかしくなりそうな組み合わせ、串焼きや軟骨からあげといった居酒屋で出てくるようなおかずが入ったものなど73パターンの「変な給食」が載っている。

 沖縄市の小学校で、カレーうどん、アメリカンドッグ、おぐら白玉、牛乳が09年1月9日に出た。うどん、アメリカンドッグの外側の部分、白玉はすべて炭水化物だ。ミルク食パン半分、煮込みうどん、五目まめ、清見オレンジ、牛乳(神奈川県川崎市09年3月3日)や、ピザ、変わりチャンポン、ヨーグルトポンチ、牛乳(東京都江戸川区05年5月27 日)も炭水化物が多い。

甘いものが2つも入った給食も登場する。ジャムトースト、酢豚風、みつ豆、牛乳(東京都調布市08年5月13日)、チョコチップパン、ワンタンスープ、たこ焼き、ジョア、アイスクリーム、牛乳(神奈川県川崎市04年10月29 日)、揚げパン、洋風卵スープ、杏仁豆腐、牛乳(東京都文京区08年9月9日)などで、糖分が多そうだ。

 また、ハンバーガー、ピザ、ラーメン、菓子パンも多く、幕内さんは「まるでファーストフードのオンパレード」で、6年間も食べたら健康問題だけでなく味覚形成の上でも大きな影響があると指摘している。

「見えないところでいろんな制約がある」

 学校給食の献立は栄養士が考えている。その際に参考にしているのが、文部科学省がエネルギーやタンパク質など栄養素の摂取量を定めた「学校給食摂取基準」だ。例えば6〜7歳の場合、給食1回あたりのエネルギーは560キロカロリー、タンパク質が16グラム、カルシウムが300ミリグラムなどと細かく決まっていて、栄養士は基準を守り、1カ月単位で献立を考える。

40年間、学校栄養職員として勤めた関春子さんは、
「学校給食摂取基準のほかにも、見えないところでいろんな制約があり、栄養士はもんもんと悩みながら献立を考えています」
と明かす。

例えばラーメンの場合、ほとんどの学校で専用のどんぶりではなく、普段、味噌汁などの汁物を入れるお椀を使っている。これでは麺が少ししか入らず、エネルギーが足りないという。足りないエネルギーを麺に合うおかずで補おうにも、予算、設備、調理スタッフの数といった制約がある。結局、付け合わせをパンにせざるを得ないことがよくあるそうだ。

また、お菓子のような甘い物が入っているのは、生徒の要望を取り入れているから。最近の子どもはチョコレートなどの洋菓子を好み、揚げパンは今も昔も変わらず人気メニューとなっている。一方で気になる糖分については「さほど多くはないはず」という。
 カレーうどん、アメリカンドッグ、おぐら白玉、牛乳・・・ありえんだろ。ある意味「子供だから・・・」と言って笑えないし。

 というのは、福祉施設や在宅の弁当配食サービスでも、実はおいら似たような経験何度もしています。例えば・・・。

1.某町内の配食サービスのメニューを実際食べてみようという企画に参加したときのこと。値段的にはまぁ納得できる(当時400円ぐらいだったかな?)けど、メニューが最悪。コロッケ、シュウマイ、しそ昆布・・・何処の冷凍食品や加工食品の集まりだよ、と言う。更に、明らかに冷凍の里芋使った煮っ転がし・・・勿論、文句言いましたわ、業者に。それ以降、町もこれでは、という事で業者変えましたけどね。

2.某老健。温かい物と冷たいものを分けるような配慮もしてあるので、さぞ旨いんだろうな・・・と思っていたらさにあらず。材料を明らかにケチっているだけに、焼き魚はぱさぱさだわ、野菜は古い奴だわ、で結構大変でね。残食多いです、とか栄養士言っていたが、当たり前の話だろ、それは。その時知ったんだけど、栄養士っていうのは、栄養の計算は出来ても、その食材をどう調理したら美味しく食べる事が出来るのか、と言うことに詳しいわけでは無いんですね(グループホームの方が料理が美味しい、と言われた事もあるし)。これまた別なケースで、あまりにも検食が不味かったので、検食簿のコメントに一言「不味い」と書いて栄養士泣かせて、あとで施設長に説教食らったことも・・・(いや、ごめん、だって本当に不味かったんだもん)。

 学校給食は教育の一環、施設の食事は一日の楽しみ、と違いはあるのは承知していますけど、どちらも一日のリズムを作ること、それに楽しむことを学ぶ事、というのは同じなわけで、いくら給食費未払いがあろうが、いい加減なメニューづくりはして欲しくないし、美味しくないものを作って提供して欲しくないな、と思います。制約はあるけど、制約があるからこそ工夫のしがいもある(グループホームでの調理もそんな感じでしたね)だけに。

 価格を考えたら、地産地消メニューって、夢のまた夢、なんでしょうかね?

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そもそもそういう授業をやっているし、教師がフォローしてないから、でしょう?

〜高校生、4人に1人が授業「脱落」 PTA調査〜

 高校生の4人に1人が「授業が難しくてついていけない」と感じていることが、全国高等学校PTA連合会の調査で分かった。小学生時代から“脱落”し続けている生徒も目立つ。

 研究者は「授業を理解できていない生徒が予想以上に多い。教師が幼少時から一人ひとりに目を配るとともに、家庭や地域で学び直しを支援する必要がある」と指摘している。

 同連合会は文部科学省の委託事業として高校生の意識や生活を調査しており、
昨年秋に全国の普通・専門学科高校など45校の2年生に質問票を配布、6119人にアンケートした(有効回答率99.2%)。

 授業についていけないことがあるか尋ねたところ、「毎回」「よくある」と答えたのは男子で計26.3%、女子で計28.3%。「時々ある」も含めると、6割前後の生徒が授業の理解に苦労している。完全に理解できるとする割合は男子で10.6%、女子は5.8%にすぎなかった。

 ついていけなくなった時期は高1が最多で、男子が30.3%、女子が34.3%だった。続いて中2が男子で14.4%、女子は16.3%で多かった。小学生時代を挙げた生徒は男子で計6.1%、女子で計7.5%おり、早い段階でついていけなくなったまま高校に入る子も多いことが浮き彫りになった。

 生活実態では、帰宅後の勉強を「まったくしない」生徒が男子で53.0%、女子は43.9%に。勉強している生徒の平均時間は男女とも1日当たり1.6時間だった。

 一方、携帯電話は男子の93.0%、女子の96.4%が持ち、1日の平均使用時間(画面を見ているだけも含む)は男子が2.8時間、女子が4.2時間に達した。

 分析した京都大大学院の木原雅子准教授は「予想以上に多い。家庭での勉強習慣がない子が増えている可能性があり、高校に入った途端につまずくのではないか」と指摘。「小中学校でのきめ細かい指導に加え、つまずいた子も勉強をやり直せる仕組みを地域でつくるべきだ」と話している。
 この「学習におけるつまづき」について、少し陰謀めいた話をすると・・・

 日本という国を動かす際、国民全てが学習能力の高いエリートであるというのは実は非常に問題がある。ホワイトカラーだけで国が成り立つわけじゃない。工場で働いたり農業にいそしんだり、と言う所謂「ブルーカラー」な国民もどうしても必要。だから、本来の年齢で理解出来ないわざと困難な授業をやり、更に教師がフォローしない事で選り分けているんだ、と言う・・・。今まで教育と言うものを見てきていると、あながち嘘ではない、と思いますがね。これが事実であっても、おいら自体は否定はしませんって。ただ、そうはいっても、この格差が有るからこそ、それをモチベーションに努力はする奴はするだろうし。

 そういうおいらも高一の数学で思い切り躓いてしまって、それっきりですから。しかし、今になって考えると、高校時代の授業で役に立っているのは現代文と日本史世界史と化学と音楽(今改めて嫁さんに習ってますwww)ぐらいだな。それ以外は皆無駄。むしろ中学校時代の技術家庭や保健の授業がここまで実際の仕事に役立っているとは・・・www

 今の小中高の子どもたちにアドバイスしたいのは、勉強はそこそこで良いけど、読書にいそしむ時間をしっかり作って、どんどん読んでほしいかな、という事。読む、そして考える、と言うことの出来ない大人は、会話していても底が知れるし、第一つまんないぜ。2chの公務員板にいる「公務員はすばらしい」とか抜かすああいう大人になっちゃダメだからwww。

 携帯については、持つな、とは言わんけど、使い方が問題。パソコンの代用品としてなら問題は無いのかもしれないけれど、ただ電話とメールだけです、ではねぇ・・・。出会い系サイトにつなぐから、と否定的な教育関係者も多いけど、逆に、有用な使い方をするならこんなに便利なことは無いわけで。おいら?twitterと2chとwikipedeiaツールになっているから、電話としての機能は・・・。

 こういう格差は実際の所、本人のやる気でいくらでもカバー出来る面もある。第一、学力が良くて将来良い会社や公務員になっても、それが幸せかどうかは分からない。幸せかどうかの評価は、最終的には死ぬときに笑って死ねるか否か、だけですからね。それに対して、たかが12年の学習結果が一生に影響を与える、と言う今の教育の有り方自体、乱暴この上ない、と個人的には思っています。そういう教育の均等化、と言う意味でも、ヨコミネ式には期待している訳。

 とにかく、老いも若きも、本は読めよ、という事で。あまりまとまりのない文章だな・・・。まぁいい。

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2010年05月27日

こういう「キャンプ」や「野外活動」のスキルも子供には必要なんですけどねぇ・・・

〜ボーイスカウト全盛期の3割〜

 広島県内のボーイスカウトの会員数が激減している。会員数は約30年前のピーク時の約3割弱に低迷している。少子化のうえ、塾通いの増加や習いごとの多様化が背景にある。「野外活動がつらい」という現代っ子気質も影響しているという。

 日本ボーイスカウト県連盟のまとめでは、2008年の会員数は1613人だった。最も多かった1981年は5758人。全盛期から約7割も減った。指導者と子どもの両方が不足し、団体数は72から29に減った。全国の会員総数も約32万人から約17万人に落ち込んでいる。

 県連盟の阿部芳行事務局長は「塾通いや習いごとを理由に辞める会員が目立つ。週末に親子での触れ合いを大事にする傾向も強まった」とみる。

 ボーイスカウトは5歳から入会できる。異年齢で班行動して、キャンプや奉仕活動に取り組む。

 子どもを狙う凶悪犯罪の多発に伴い、自宅から活動現場まで車で送迎する保護者も増えた。街中で制服姿を見かける機会が少なくなったのも、下火になる原因だという。
 実はおいら、資格として「ボーイスカウト指導員」を持っています(失効しているかも知れんけど)。専門学校時代にボーイスカウトでボランティアしていて、その際に取得したものです。鹿児島市では照国神社でやっているそうで、もしうちから近ければ参加させているんだけどなぁ・・・とりあえず、今年はうちの子らと甥っ子達に、夏休みに飯盒炊爨の簡単な奴はやらせてみようかな、とは思っているんですけどね。

 ちなみに。ボーイスカウトの発祥は鹿児島の「郷中教育」である、といっている方もいらっしゃいますが、似て非なるものです、実際は。ある程度参考にはしたらしいですが、完全に一緒では有りません。「郷中教育」の中に陰湿ないじめが存在していたのも事実ですが、スカウトの場合、それは指導者が完全に止めるので、有りえません。

 スカウトで学ぶ事の中には、キャンプ等で自然を守りつつ、いかに楽しく過ごすか、と言う事もあります。学校だけでは無い、自然とのふれあいや他者への優しさが学べる場所として本来有効なんですが、どうもねぇ・・・。塾や習い事だけじゃなくて、うちの周辺の場合は「愛護会」なものもありまして、おそらくそれで参加できないのでは、とも思うし。難しいんだよね・・・。

 一年でも良いから、ボーイスカウトやカブスカウトでの活動をするのは、子供の人生にとっては損にはならない、と思うんですがねぇ・・・今の状況では難しいのかな?おいらはその頃得た知識を少しづつでも子供に教えていきたいと思っているし、実際やってます。将来どうなるか、はわかんないけどさ。

 昔関わっていたものとしては、これ以上の低迷は無し、の方向を願うばかり。

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2010年05月11日

中村讓委員長、あんたのほうがおかしい

〜「国旗に起立強制おかしい」 日教組トップ発言に批判〜

 日教組トップの中村讓中央執行委員長が、日経ビジネスのインタビューで明らかにした内容にネット上で批判が相次いでいる。愛国心を強制するな、学校はもっと牧歌的でいい、などの主張が一般常識とずれているというものだ。日教組では、「言葉尻を捉えられた」と釈明するが…。

 中村讓委員長のインタビュー記事が2010年4月21日に日経ビジネスサイトに載ると、そのコメント欄に批判的な声が殺到。23日夕までに170件以上がアップされ、炎上状態になっている。

○「社会科の校長が音楽の教師らを指導することは疑問」 委員長激白が波紋

 記事は、見出しもセンセーショナルだ。「『日教組』ってイメージ悪い?」に、「執行委員長が激白『それは校長がだらしないから』」というサブタイトルが付いている。

 中村委員長は、まず脱ゆとり教育について聞かれた。これについて、東大を目指すだけの詰め込み主義の危険性を指摘し、次のように述べた。

「子どもが進むべき道って。もっと牧歌的でもいいんじゃないか」

 土曜授業の話が出ると、「そんな質問より、教職員の数を増やしてもらいたいね」。そして、日経ビジネス記者が、違法献金事件を起こした北教組の組合員は楽をしたいとばかり考えている、という校長の意見を紹介すると、「(校長に)指導力が欠如している」「だらしない」「だからつけ込まれる」と色をなして反論した。

 一方で、教育職場は、上意下達のない「なべぶた式」でよいと主張。その理由に教員が専門職であることを挙げ、例として、社会科の校長が音楽の教師らを指導することに疑問を呈した。

 また、グローバルな時代だとして、「愛国心を強制するな」と訴えた。国旗掲揚時などの起立強制もおかしいとしている。

 記事は、コメント欄ばかりでなくネット中で話題になり、そのほとんどが批判的な意見だ。批判で多いのは、次のようなものだ。

「子どものことを考えず自分が楽をしたいだけ、北教組のことなどまるで他人事ではないか、税金を使う公務員なのに勝手なこと言うな、愛国心を持たない人間が世界を愛せるわけがない…。」

○日教組「言葉尻を捉えられた」

 これに対し、日教組の広報部長は、取材に対し、次のように釈明する。

 「記事では、発言を継ぎ接ぎして書かれ、言葉尻を捉えられてしまいました。インタビューの流れの中で言っており、記事ではニュアンスが違うところもあります」
  
 当初の取材説明では、校長や主任らの管理職が学校組織をどう動かすかというテーマだったという。それが、最終的に北教組の問題などにすり替わっていたというのだ。ただ、発言については、「言っていることはそうかもしれない」としている。

 ネット上の批判について、広報部長の説明はこうだ。

 楽をしたいことについては、日経ビジネスが指摘しただけと反論。

 「教職員は、事務仕事が増え、むしろ休みが取れないほど働き詰めです。インタビューでは、子どもたちと接する時間がないという意味で言ったわけです」

 日教組は連合体なので、運営方針の違う北教組には押しつけはできないとし、公務員管理については、「管理職は、時間やお金の使い方をきちんとさせればいいわけで、教育の内容については、一緒に考えるようにしてほしいということです」と言う。また、愛国心については、「一律に日本を愛せとはどうなのかとは言いました。諸外国を知るようになるから、日本のよさが分かるということです」とした。

 そのうえで、広報部長は、「委員長が悪いのではなく、記事の載せ方が悪いと思っています」と話す。日経ビジネスに抗議などはしないものの、今後はインタビューを受けないとも言う。

 一方、日経ビジネスの編集部では、「今回お尋ねの日教組に関する記事に関して、弊誌の記事掲載後に、取材者である当方には取材対象者である日本教職員組合から直接、公式にご連絡を頂いたことはありません。そのような状況で、第三者である御社からの質問やコメント依頼にお答えするのは適切ではないと考えます」とコメントしている。
 日教組が馬鹿の集団なのは知っていたが、ここまで酷いとは思っておりませんでした。

 どうしようもない発言ばっかで頭痛いが、ま、一番突っ込みを入れたいのは、「愛国心を強制するな」、これだよな。今年、おいらの長男が小学校に入学しました。入学式、しかもスーツを着込むなんてのは久しぶりでなかなか大変でしたが、国歌と国旗がしっかり準備してあったことには感心しましたね。鹿児島県教委の有り方は常に批判(いつ解決してくれるのかな?N教頭の件?)しているおいらですが、流石に国家と国旗に敬意を払うことはしっかり認めざるをえないようです。大体日本だけでしょ?国旗に唾を吐き、国歌を呪いの言葉としろ、と生徒に教える日教組の馬鹿教師のいる国は?普通の国は、朝礼や授業前に国を愛することを宣誓する儀式が有ります。日本だけですって、無いのは。理由はたぶん、また戦争になってはいけないから、と言う事なんでしょうが、国旗を愛するから戦争になる、とか馬鹿な思考の。

 逆に聞きたいのは、我が国を愛せない人間が、海外の国も愛せるのでしょうか?という事。自国を愛さず、その文化も政治も何も学ばない人間が海外に行っても、いくら語学が出来ても他者との会話が出来ず、文字通り話にならない、と思うのだが。第一みっともないでしょ?自国の文化を全く知らないで海外の文化だけに飛びつく輩の姿を見ているとそう思うんだけど。ま、福祉の世界にも「北欧馬鹿」がいるからなんともいえませんがね。

 あと、「教職員は、事務仕事が増え、むしろ休みが取れないほど働き詰めです。」だと?介護の世界はもっと酷いぜ。なにしろ、公務員と違って、土日なんて無い上の事務仕事の増加だからな。多忙すぎて(人員は基準を満たしていても)利用者とのふれあいの時間が無くて当たり前、ですもんね。そもそもおかしくない?同じ特定施設でも、介護型は3:1なんだが、重介護者でも軽介護者でもその比率を変えていないんだからね。

 更に悪いのは、逆切れして以降の取材拒否、だって?笑わせるな。ものを教える人間の集まりであれば、もっとわかりやすく「何故愛国心があると問題なのか」説明出来るはずだろ?それすら出来ないというのは、そもそも論理が破綻しているから。国を愛する心を教えるのは、決して間違ったことじゃないんだよね。

 今の日教組がここまで馬鹿の集まりだったとは・・・。教員どころか、人間失格の集まりな訳だな。これからもどんなトンデモ発言をするか、見ておく必要があると共に、彼らの主張の間違いはしっかり解析し、間違いはちゃんと正すべきだろうね。

 あと民主党は、本来あるべき姿をねじ曲げるようなこんな「ゴネ得」組織から票を貰って恥ずかしくないのだろうか?この集団を容認する事が、結局阿久根の問題とも繋がっている(それがわからん馬鹿どもの2ch公務員板の書き込みは不気味以外の何ものでもない・・・)。

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2010年03月16日

良い私立学校に行っていても、その子が「良い子」だとは限らない

〜学習院で“学級崩壊”「イジメ多い学校として有名」保護者らが実態暴露〜

 皇太子家の長女で学習院初等科2年の愛子さま(8)が8日、6日ぶりに登校された。だが、学習院が抱える問題の火種は依然としてくすぶっている。今週発売の女性週刊誌では、現役保護者らが“学級崩壊”の実態を次々と暴露。なかには「粗暴」という言葉では済まない児童もいる、との指摘もある。

 宮内庁によると、愛子さまは8日、4時間目の授業から登校。皇太子妃雅子さまが付き添い、授業を参観された。授業終了後には給食を食べずに2人で帰られたという。

 今月5日、宮内庁の野村一成東宮大夫が会見で突然明らかにした愛子さまの不登校問題は、さまざまな波紋を呼んでいる。中でも、これまで皇室問題を大きく取り上げてきた女性週刊誌はそろって“学習院問題”を特集した。

 「週刊女性」最新号は「イジメは昨年からありました。陰湿で、愛子さまに向かって暴言を吐いたり、持ち物を隠したりしたそうです」という東宮関係者の証言を掲載。

 子供を同校に通わせている父親も「1年生の1学期から、すでに学級崩壊状態」とし、問題行動を繰り返す男子児童について「担任が全く注意をしないので増長してしまったのです。授業中に堂々と“DS”をしたり、あるときはイスを持ち上げてお神輿ごっこをしていた」と語っている。

 一方、「女性自身」は保護者の証言として、前出の児童と同一と思われる男子児童による愛子さまへの「乱暴」の具体的内容を暴露。

 同誌によると、「乱暴」があったのは今年3月2日のことで、愛子さまは下校途中、日ごろから問題行動が指摘されている男子児童たちと衝突。その際に児童は「『痛えよ! お前』と叫んで悪態をつき、愛子さまの足を蹴った」のだという。

 9日付の日刊スポーツも「(学習院は)いじめが多い学校として有名。無視をしたり、靴を隠したり、ボールを当てたり、文房具を隠す」という保護者の言葉を紹介している。
 名門・学習院で一体、何が起きているのか。
 え?学級崩壊じゃなくて?

 しかし、この事件、戦前じゃなくて良かったねぇ。これもし天皇=神の時代だったら(そういう時代も今となってはどうか、と思うけどね)明らかに親子共々厳罰だぜ。まぁ、おそらくこの騒ぎを起した子はこの報道を受けて、学習院から退学した可能性は高い、と思うけどね。

 しかし、このニュース、別に学習院だけの問題ではなくて、今や普通にどこの学校でも起こっていることではないでしょうか?それがたまたま今回皇族であったが故に大きなニュースになっただけ。そういう事でしょう。名門であろうがどうであろうが、駄目な生徒は駄目な生徒。その生徒をどう教育しなおすかが教員の仕事であり、その保護者の仕事なんでしょうが、それすら今の義務教育では機能しないんでしょうかね?

 「イジメ多い学校として有名」であるのならば、早いうちに学校側が手を打つべきであろう。イジメの場合、理由がどうであれいじめる側が100%悪いもの、として処理するのが正しい方法論であり、それ以外にこの悪しき風習を絶つ方法はないもの、とすべきでしょう。こういう事を放っておくからこそ、自殺等も出てくるわけですからね。粗暴な生徒がいるのなら、出来る限りの方法でその行動を止めるべきでしょう(暴力教師を送り込んで事態を収拾しようとする鹿児島県教委みたいなお粗末な教育委員会もあるわけだが・・・)。それが出来ない教師は教師ではないし、親も親で親失格。失格している親が金だけで良い学校に通わせて、その反面、才能ある貧乏な家庭の子供が経済的な強さがないが故に埋もれる、というのは日本の将来的にどうなんでしょうか?

 名門だから良い生徒が集まっている、と言う認識はもはや過去のものなんでしょうね。生徒を御せない先生が集まっていること自体名門の名に恥じた状態であるわけだし。むしろ、小さな山間部とか海沿いの廃校寸前の小学校の方が全然イジメもなく、良い生徒が育っている可能性が高かったりして。

 これ以外にも学習院、と言う学校は問題ありありらしい。最も、学習院に限らず、日教組の問題や大分や鹿児島の県教委の問題など、子供を本来まっとうに教育すべき機関が問題を抱えている現在・・・これでは、子を持つ親は何を信じて子供を学校に行かせて良いのかすらわからない。うち?先生よりも両親を信じろ、と教えていますけどね。

 どんなに良い学校に通っていても、精神が貧困なままならそれはそれで貧しい一生を送る羽目になる。それで良いんでしょうかね?

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2010年03月13日

なんなんですか、この日教組、と言う組織は?

【民主党を支援する日教組の暗部】自殺に追い込まれた校長

 広島県立世羅高校の石川敏浩校長(当時58)が自宅の物置小屋で、首をつって亡くなったのは卒業式を翌日に控えた、1999年2月28日のことだった。遺書はなかったが、車の中から手書きのメモが発見された。メモにはこうあった。「何が正しいのか判らない。管理能力がないことかもしれないが、自分の選ぶ道が何処にもない」。

 この悲劇をもたらしたのは、広島県の教育界を支配する異常な抑圧された空気だった。石川校長の自殺後、広島県教育委員会は調査報告書を作成した。石川校長は前任校時代から、日本教職員組合(日教組)傘下の広島県教職員組合(広教組)や他団体から圧力を受けていたことが分かった。

 石川校長は前任校で、ある教師を教頭に推薦した際、同校の組合分会の了解を得なかった。世羅高校に着任早々、この件を追及され、反省文を書くように要求された。広島でいかに教職員組合が公教育を支配しているかが分かるエピソードだろう。

 石川校長は「まず、前任校の教職員に対して謝罪する」「97年度人事における人事推進の反省のもとに、今後このようなことがないよう本校における人事推進は協定書に反しないように進めていく」などと、つるし上げのような状況で謝罪文を書かされたという。

 そして、さらに大きな問題が待ち受けることになる。98年12月17日、県教育委員会は文部省の指導に従い、「入学式、卒業式の国旗掲揚・国歌斉唱を実施させるように」と県内各校長に通達した。これに対し、広教組は部落解放同盟広島連合会とともに通達撤回を求める闘争を始めたのだ。

 この年、サッカーW杯フランス大会に日本代表が初出場を果たした。フランス各地で翻った日の丸や君が代に多くの国民が胸を躍らせたことを振り返れば、教育界の“浮世離れした”特殊性が浮き彫りになる。

 翌年2月になると、解放同盟広島は各地区で校長を召集し、広教組と約100人にもおよぶ「大衆団交」を行った。同月25日から27日にかけて数時間の職員会議が連日行われたが、教職員らは断固反対のまま。板ばさみになった石川校長はついに自殺に追い込まれた。

 7年後の2006年、石川校長の自殺が公務災害と認定された。高校の職員が誰一人として焼香に来なかった異常な日々を経て、遺族の無念が晴らされた瞬間だった。

 実は、広島県だけでなく、日教組の勢力が強い他県でも校長や教職者の自殺が頻繁に起きている。現実から遊離した特異なイデオロギーにしがみつき、まるで中国の文化大革命のような粛清が教育界で行われてきたのか。昨年の事業仕分けの際、仙谷由人行革担当相(現国家戦略担当相)が「政治の文化大革命だ」とつぶやいたことが思いだされる。

【民主党を支援する日教組の暗部】善意の寄付でマネーロンダリングか

 幹部4人の逮捕者を出した北海道教職員組合(北教組)の違法献金事件の余波は、国会も揺るがした。今月3日の参院予算委員会で、自民党の義家弘介氏は、同じ日本教職員組合(日教組)傘下の山梨県教職員組合(山教組)による政治資金規正法違反事件にも言及。略式起訴され停職処分も受けた教員が、昨年、何事もなかったように教頭に昇進したことを明らかにしたのだ。

 義家氏の指摘に委員会室はどよめいた。産経新聞がかねてから報じていた問題だが、知らなかった国会議員が多かったのだ。山教組は、北教組のようにあからさまな反日偏向教育を行っているわけではない。むしろ、文部科学省の定めた「日の丸、君が代」の取り決めにも従っている。

 ところが、山教組は6年前の参院選で、元山教組委員長である民主党の輿石東幹事長代行を支援するため、組織をフル動員し、学校の備品、FAXなどを使った選挙運動を繰り広げた。

 この時、冒頭でも触れた、組合員から集めた寄付金を収支報告書に記載しなかった政治資金規正法違反事件が起きている。当時、輿石氏は「資金集めについて自分は何も知らない」と語った。これには組織を挙げ、リスクを冒してまで輿石氏を支えた山教組にも波紋が広がった。

 山教組の問題は深刻だ。事件で起訴された教員が昇進していく事実が象徴するように、各自治体の教育委員会や県・市町村の行政にまで、日教組の隠然たる組織力が及んでいると思われるのだ。

 教員の昇進基準が、教育の能力や熱意、子供たちへの情熱よりも、県教組のために、どれだけ忠実に組合活動をしたかで決められていくとすれば、教育にとって重大な問題といえる。

 輿石氏は昨年1月、日教組の会合で「教育の政治的中立はあり得ない」「(これからも)日教組とともに戦っていく」などと公然と語ったという。なぜ、教育基本法や教育公務員特例法にも抵触しかねない暴言が見過ごされているのか。

 2月17日、自民党の赤池誠前衆院議員が主催した「教育再生in山梨」という集会があり、私も参加した。そこで、義家氏がまた衝撃的な事実を暴露した。

 昨年5月の山教組定期大会で“子どもの学び保障救援カンパ”が全会一致で採択され、翌月、日教組が全国で行うカンパになった。主に、あしなが育英会奨学金に寄付するとされたが、集まった約1億7000万円から、あしなが育英会に寄付されたのは7000万円だけ。残りは連合に寄付され、連合から日教組へ助成金として交付されたというのである。

 これは、週刊新潮(3月11日号)でも詳しく報じられている。善意の寄付者を欺く行為、いや、マネーロンダリングと言ってもいい。こんな組織が民主党政権を支えているのだ。(ジャーナリスト・評論家 西村幸祐)

 ■にしむら・こうゆう 1952年、東京都生まれ。慶大在学中より第6次「三田文学」編集担当。80年代後半からF1やスポーツをテーマに執筆活動を始め、その後、拉致問題や歴史認識にも幅を広げる。現在「撃論ムック」編集長、「表現者」編集委員。著書に「反日の構造」「イチローと村上春樹は、いつビートルズを聴いたのか」など。2月末、「メディア・パトロール・ジャパン」を開設した。
 前も話したけど、うちの親は双方日教組だった。しかし、組合活動に積極的ではなかったわな。「自分と家族と指導する子供を守る為」の参加であったから。鹿児島の日教組はここまで酷いことをしない(むしろ、本隊の鹿教委が相当酷いけどね、また記事が出てきたので近いうち公開予定)から、ま、わかんなかったけど。

 感想?酷いの一言に尽きる。こういう連中に教員の資格は無い。そもそもお前ら、何処の国の教員なんだろう?アジアの三馬鹿に阿り、上司である校長を精神的にいたぶり、日本の国歌と国旗を認めない。更に善意の募金を組合活動にロンダリング・・・?明らかに犯罪行為であり、子供をまともな大人に教育しよう、という姿勢すら見えない。

 公務員は組合活動が認められているようだが(個人的には認めるべきではない、と言う見解ではあるけどね)、そもそもその活動で子供を政治的に染める事自体も問題ではなかろうか?「教育の政治的中立はあり得ない」だと?大人ならともかく、子供は先生のいう事をそのまま吸い取ってしまう。凄く危険なことであり、これは親が守ろうとしても難しいところでもある。左に傾いた思想を元に戻すのは難しいんだよね。反日本組織と言うところと繋がっているんじゃ、民主党に未来は無いわな。

 いや、マジで心配なんだよ。うちの子が今度小学校に上がるんだけど、こういう思想を植えつけて欲しくないんだよね。先祖を大事にしないで、むしろ馬鹿にするような人間にはなって欲しくないし、間違っているものを黙って見過ごすヘタレにもなって欲しくないから。

 日教組の存在について、一般の皆さんが考え直す時期に来ているのかも知れないね。必要ないなら潰す方向性で。

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2010年03月01日

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔の生すまで

〜やっぱり先生が国を滅ぼす? 「国歌斉唱は当たり前」橋下知事答弁〜

 大阪府の橋下徹知事は26日の府議会代表質問で、学習指導要領に基づく学校現場での国歌斉唱の指導について「子供たちが歌えないのは国として尋常じゃない。(「君が代」が)国歌として定められている以上、しっかりとみんなが起立して歌うことは当たり前」との見解を示した。

 自民党府議団の吉田利幸幹事長の質問に答えた。国歌について、橋下知事は「現場ではいろんな考え方を持っている人がいるかもしれないが、ルールで決まっている。起立して斉唱ができないなら、社会で自立できない」などと話した。

 吉田幹事長は、国歌のほか、学校現場で国旗掲揚が行われていない現状について「府立支援学校の元校長、一止(いちとめ)羊大(よしひろ)さんが書いた書籍『学校の先生が国を滅ぼす』(産経新聞出版)の中でも国旗、国歌の指導が十分に行われていないことが明らかにされている。現状はどうなっているのか」などと指摘。

 中西正人教育長は「一歩一歩前進していると思う。引き続き努力していきたい」と述べるにとどまった。
 海外の国歌というのは、いわば日本で言う所の「軍歌」「戦意高揚歌」が相当ある事はご存知でしょうか?平和な唄って、殆んど無いんですよね。それを考えると、「君が代」っていう歌は、歌詞をよく読めば、ひょっとしたらいわゆるラブソングとも見てとれる(あなたと永遠の愛を誓います、とか言う。言い過ぎかも知れない・・・)わけで、こんなに平和な歌は無いはずなんですが。

 国歌と国旗を蔑む人間がいることが信じられない。国、と言うものに心理的に相当依存している訳では無いのだが、やはり日本人だから。授業の前に教育勅語的な文言を唱えさせる国も結構あるのだが、それをやったらたぶん・・・と言うわけだな。国旗と国歌でこれだけ大騒動しているぐらいなのだから。大阪の公立がこれじゃ、そりゃ、おいらの甥っ子も鹿児島の私立中学に逃げるわな。

 でも、こういう事をおかしいと思う心は「ネトウヨ」らしい。海外の普通の国民の考え方がネトウヨなら、ブサヨってなんなんだろう?自国を蔑んで快感を得る、ドMかなにかかね?

 自分の思想の為ならルールを破ってもかまわない、と言う人間は教育者としていかがなもんだろうね?少なくとも、自分の子供の担任ならチェンジ要求の範囲だろうね。

 鹿児島はこういう事は無いけど、それ以外の問題が・・・

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2010年02月13日

学力確保の方が良いなぁ・・・

〜学生の質と数、確保に苦心 推薦・AO 見直し課題に〜

 高校入試でひずみが表面化した推薦制度だが、大学入試でも「学力低下の一因となっている」との指摘がある。だが現実には、少子化時代の学生獲得策として「やめたくても、やめられない」事情もあり、逆に推薦枠を広げる大学が増えている。学力確保か、定員確保か。九州の大学を舞台に揺れる入試事情を探った。
 
 ■ハードル
 
 「新聞すら読めない。知識が中学生レベルの学生も少なくない」。九州北部の私立大。文系学部の男性教授は「もちろん推薦でも優秀な学生はいる」と前置きした上で「受験勉強の時間が少なくて済む推薦が、学力低下につながっているのは確かだ」と指摘する。
 
 推薦入試は原則として、学力試験を課さない。書類(内申書など)・面接・小論文による選考が一般的で、高校の推薦状を必要としない自己推薦型もある。面接や小論文で意欲などを評価するAO(アドミッション・オフィス)入試を採用する大学も増えている。
 
 文部科学省によると、全国の大学における2008年度の推薦入試の実施率は97%、AO入試も6割を超えた。この男性教授の大学でも、定員の半数近くを推薦・AO組が占めている。「少子化で学生確保が難しくなっている。定員を埋めるにはハードルを下げざるを得ない。とはいえ…」
 
 ■一石二鳥
 
 こうしたジレンマは、全国の大学現場に広がっている。文科省の07年度全国調査でも、推薦入試を導入する学部の54%、AO入試を行う学部の61%が「入学者の基礎学力の担保に課題がある」と回答した。
 
 ところが、現役学生の学力レベルが、必ずしも世間における大学の評価につながらない“からくり”がある。受験生が志願先を選ぶ際に参考にする偏差値は、主に一般入試前期の難易度が反映される。この枠を狭き門にして競争率を高め、学力の高い受験生を選抜すれば、偏差値が落ちない。
 
 そうして一般入試枠から絞り込んだ分を、今度は推薦やAOに振り分ける。評価と定員確保を狙った一石二鳥の策。ある私大関係者は「一部の優秀な学生に依存する形で偏差値を保っている大学は少なくない」と打ち明ける。
 
 日本私立学校振興・共済事業団(東京)によると、08年度決算で私立の約4割が赤字。経営環境が厳しい上、定員割れすれば補助金の減額もありうる。とはいえ「見掛け上の偏差値」(日本私立大学連盟)が許されるわけではない。
 
 ■全入時代
 
 定員を確保しつつ、学生の質も落とさない?。この難題を解こうと、推薦・AO入試の見直しを試みる大学も出てきた。
 
 大分大医学部は定員の一部を学校推薦からAO入試に切り替えた。「高校側でふるいをかける学校推薦より、大学として、複数回の面接などを通して本気度を見極められる」などの理由からだ。国公立で推薦志願者に大学入試センター試験を課す学部も増えており、今回は全国で123学部(前年比5増)が実施する。
 
 「入学後」に対策をとる大学もある。鹿児島大は高校時代に未履修だった科目を中心に、新入生を対象とした補習授業を導入。私立でも福岡大が理系の推薦組を中心に、入学前に予備校などで受講しておくよう呼び掛けている。
 
 それでも「さらに1年くらい補習をしないと追いつかない」(福岡県内の私大関係者)のが実情で、各大学は推薦枠拡大の副作用に頭を悩ませる。
 
 大学・短大入学者数を志願者数で割った収容率は昨春、92%に達した。「大学全入時代」が目前に迫り、推薦枠拡大による学生獲得競争は今後、激しさを増しそうだ。九大の八尾坂修教授(教育行政学)は「入学時に基礎学力を確保するのが望ましい。同時に、卒業時に求める学生像を明確にし、入学後のサポート体制を強化する必要がある」と提言していた。

AO入試
 AOはアドミッション・オフィスの略。論文、面接を中心に意欲や個性などを測り、大学が求める学生像に合った受験生を選抜する入試方法。学力試験偏重への反省から、1990年度に慶応大が初めて導入した。2000年度から九州大など国立でも始まり、実施校は年々増加。文部科学省によると、08年度は全大学の約65%に当たる498校が実施した。  入試方法に法的な定義はなく、試験内容は各大学で工夫できる。推薦入試と異なり、出身校の推薦状や内申書が不要な場合もあり、浪人生に門戸を開く大学もある。願書の受付期間にも制限はなかったが、学生を囲い込む“青田買い”を懸念した文科省は10年度から「8月以降」と設定した。基礎学力確保の観点から、国公立を中心に、AO志願者に大学入試センター試験を課す大学も増えている。
 かなり難しい入試をくぐりぬけた世代としては、うらやましい限り。AO入試が自分が受験の頃にあればなぁ・・・。

 しかし、少子化、というのは、このような業界にまで影響を与える物だ、というのは理解していたが、本来高いレベルの教育を施すはずの大学に、本来高校レベルでない学生が入らざるを得ない、というのは・・・少しおかしいと思う。

 大学での勉強は、受験の時のように与えられたものをこなす能力ではなく、あるテーマを自分なりに考え、消化して行くものだと思う。それなのに、基本的な学力が無いと、大学は卒業したけれど・・・的な人間を量産してしまいかねない。日本の総合力が落ちている原因もまさにそこにありはしないのだろうか・・・?考えすぎかな。

 大学という教育機関としては、これからは少子化に向けた対応より、むしろ社会人で勉強したいけど・・・という人間にもっと大きく門戸を開く、という方向性が良い、と思うけどね。大卒、という就職に有利な資格を与える機関と言う今の位置づけでは、これからはどうしても行き詰まる。安くで社会人が無理なく勉強できる(通信教育はあるけどあれもなかなか・・・)ようになり、生涯学習の出来る機関としての位置付けがこれからは重要になると思う。

 大学全入、と言う時代なら、むしろ専門学校で技術を身につけるぜ、という気合いの入った学生なら、むしろその後の将来は保証されると思うのだが。



posted by y-burn at 22:58| 鹿児島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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