2012年02月05日

仕事、とはこういうことさ。

 あえて変なコメントをつけるべき話では無いと思うので素直に読んでいただきたい。これ、うちらの業界でも「流す作業」から「実のある仕事」に変換させるヒントが隠れていると思ったので、紹介します。

...自分自身も反省すべき点、あるかもしれません。

 一つだけ言うのなら、以前鹿児島哲学カフェで言いたかった事の全部が此処に詰まっているような気がします。


 
〜あるレジ打ちの女性〜

その女性は何をしても続かない人でした

田舎から東京の大学に来て
部活やサークルに入るのは良いのですが
すぐイヤになって
次々と所属を変えていくような人だったのです

そんな彼女にも
やがて就職の時期がきました

最初
彼女はメーカー系の企業に就職します

ところが仕事が続きません

勤め始めて3ヶ月もしないうちに上司と衝突し
あっという間にやめてしまいました

次に選んだ就職先は物流の会社です

しかし入ってみて
自分が予想していた仕事とは違うという理由で
やはり半年ほどでやめてしまいました

次に入った会社は医療事務の仕事でした

しかしそれも
「やはりこの仕事じゃない」
と言ってやめてしまいました

そうしたことを繰り返しているうち
いつしか彼女の履歴書には
入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました

すると
そういう内容の履歴書では
正社員に雇ってくれる会社がなくなってきます

ついに
彼女はどこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました

だからといって
生活のためには働かないわけにはいきません

田舎の両親は早く帰って来いと言ってくれます

しかし
負け犬のようで帰りたくはありません

結局
彼女は派遣会社に登録しました

ところが
派遣も勤まりません

すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし
イヤなことがあればその仕事をやめてしまうのです

彼女の履歴書には
やめた派遣先のリストが長々と追加されていきました

ある日のことです

例によって
「自分には合わない」
などと言って派遣先をやめてしまった彼女に
新しい仕事先の紹介が届きました

スーパーでレジを打つ仕事でした

当時のレジスターは
今のように読み取りセンサーに商品をかざせば値段が入力できるレジスターではありません

値段をいちいちキーボードに打ち込まなくてはならず
多少はタイピングの訓練を必要とする仕事でした

ところが
勤めて1週間もするうち
彼女はレジ打ちにあきてきました

ある程度仕事に慣れてきて
「私はこんな単純作業のためにいるのではない」
と考え始めたのです

とはいえ
今までさんざん転職を繰り返し
我慢の続かない自分が
彼女自身も嫌いになっていました

もっとがんばらなければ
もっと耐えなければダメということは本人にもわかっていたのです

しかし
どうがんばってもなぜか続かないのです

この時
彼女はとりあえず辞表だけ作ってみたものの
決心をつけかねていました

するとそこへ
お母さんから電話がかかってきました

「帰っておいでよ」

受話器の向こうからお母さんのやさしい声が聞こえてきました

これで迷いが吹っ切れました

彼女はアパートを引き払ったらその足で辞表を出し
田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めたのです

長い東京生活で
荷物の量はかなりのものです

あれこれ段ボールに詰めていると
机の引き出しの奥から1冊のノートが出てきました

小さい頃に書きつづった大切な日記でした

なくなって探していたものでした

パラパラとめくっているうち
彼女は
「私はピアニストになりたい」
と書かれているページを発見したのです

そう
彼女の高校時代の夢です

「そうだ
あの頃
私はピアニストになりたくて
練習をがんばっていたんだ。。。」

彼女は思い出しました

なぜかピアノの稽古だけは長く続いていたのです

しかし
いつの間にかピアニストになる夢はあきらめていました

彼女は心から夢を追いかけていた自分を思い出し
日記を見つめたまま
本当に情けなくなりました

「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか

履歴書にはやめてきた会社がいくつも並ぶだけ

自分が悪いのはわかっているけど
なんて情けないんだろう

そして私は
また今の仕事から逃げようとしている。。。」

そして彼女は日記を閉じ
泣きながらお母さんにこう電話したのです

「お母さん
私 もう少しここでがんばる」

彼女は用意していた辞表を破り
翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために
スーパーへ出勤していきました

ところが
「2,3日でいいから」
とがんばっていた彼女に
ふとある考えが浮かびます

「私は昔
ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど
繰り返し弾いているうちに
どのキーがどこにあるかを指が覚えていた

そうなったら鍵盤を見ずに
楽譜を見るだけで弾けるようになった」

彼女は昔を思い出し
心に決めたのです

「そうだ
私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と

レジは商品毎に打つボタンがたくさんあります

彼女はまずそれらの配置をすべて頭に叩込むことにしました

覚え込んだら
あとは打つ練習です

彼女はピアノを弾くような気持ちでレジを打ち始めました

そして数日のうちに
ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです

すると不思議なことに
これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が
今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした

「ああ
あのお客さん
昨日も来ていたな」

「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」
とか
いろいろなことが見えるようになったのです

それは彼女のひそかな楽しみにもなりました

相変わらず指はピアニストのように
ボタンの上を飛び交います

そうしていろいろなお客さんを見ているうちに
今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです

「この人は安売りのものを中心に買う」
とか
「この人はいつも店が閉まる間際に来る」
とか
「この人は高いものしか買わない」
とかがわかるのです

そんなある日
いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが
5000円もするお頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです

彼女はビックリして
思わずおばあちゃんに話しかけました

「今日は何かいいことがあったんですか?」

おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました

「孫がね
水泳の賞を取ったんだよ

今日はそのお祝いなんだよ

いいだろう
このタイ」
と話すのです

「いいですね
おめでとうございます」

嬉しくなった彼女の口から
自然に祝福の言葉が飛び出しました

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは
これがきっかけでした

いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい
名前まで一致するようになりました

「○○さん
今日はこのチョコレートですか

でも今日はあちらにもっと安いチョコレートが出てますよ」

「今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ」
などと言ってあげるようになったのです

レジに並んでいたお客さんも応えます

「いいこと言ってくれたわ
今から換えてくるわ」

そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです

彼女は
だんだんこの仕事が楽しくなってきました

そんなある日のことでした

「今日はすごく忙しい」
と思いながら
彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました

すると
店内放送が響きました

「本日は大変混み合いまして大変申し訳ございません

どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが
わずかな間をおいて
また放送が入ります

「本日は混み合いまして大変申し訳ありません

重ねて申し上げますが
どうぞ空いているレジのほうへお回りください」

そして3回目
同じ放送が聞こえてきた時に
初めて彼女はおかしいと気づき
周りを見渡して驚きました
どうしたことか5つのレジが全部空いているのに
お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです

店長があわてて駆け寄ってきます

そしてお客さんに
「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」
と言ったその時です

お客さんは店長に言いました

「放っておいてちょうだい

私はここへ買い物に来てるんじゃない

あの人としゃべりに来てるんだ

だからこのレジじゃないとイヤなんだ」

その瞬間
レジ打ちの女性はワッと
泣き崩れました

お客さんが店長に言いました

「そうそう

私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ

今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ

だけど私は
このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ

だからこのレジに並ばせておくれよ」

彼女はポロポロと泣き崩れたまま
レジを打つことができませんでした

仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと
初めて気づきました

すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです

それから
彼女はレジの主任になって
新人教育に携わりました

彼女から教えられたスタッフは
仕事の素晴らしさを感じながら
お客さんと楽しく会話していることでしょう
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2012年01月29日

ゲームごときで日本が駄目にはならんだろうよ。

〜『ファミコン』が日本を駄目にした論について〜

私が小学生ぐらいの頃、周囲の大人たちは以下のようなことをよく言っていた。

「任天堂は、『ファミリーコンピュータ(以下ファミコン)』で日本の将来を駄目にするだろう」

もちろん私は『ファミコン』が大好きな小学生だったので、こうした大人たちの言葉が面白くなかったし、「任天堂がなくなってもセガが頑張るから結果は同じだ」と反論していた。この“『ファミコン』が日本の将来を駄目にする”論に限らず、その後も“テレビゲームの悪影響”は手を変え品を変え、指摘され続けてきた。例えば“ゲーム脳の恐怖”といった具合に。

あれから二十年以上の時が流れた。

セガはともかく、任天堂は世界を代表するゲーム会社の一つとなり、“プライベートな空間でゲームを楽しむ”という文化習俗をもたらした *1 。任天堂のライバル会社たちも様々なゲームをリリースし、最近はソーシャルゲームも流行っている。現場の昼休み、作業員がスマートフォンやケータイでゲームを弄っているぐらいには“プライベートな場所でゲームを楽しむ”という文化習俗は定着した。もはや、ゲームは子どもとオタクだけのものではない。

で、日本は駄目になったんでしょうかね?

年配の人たちから見れば、“ゲームのせいで駄目になった”ように見えるかもしれない。“飲みニケーション”や“付き合い”より小さなディスプレイでピコピコ遊ぶほうを優先させる“いまどきの若者”の姿は、年配の人たちから見れば駄目っぽく見えるかもしれない。「いい歳してゲームなんかやっているから結婚できないんだ」「ゲームなんかやってないで車を買ってドライブしろ」という台詞も聞こえてきそうである。このような人たちから見れば、任天堂をはじめとするコンピュータゲーム会社は、“日本の若者を駄目にした戦犯”という風にうつるだろう。


『ファミコン』なら一人でも遊べる

ところで、どうして『ファミコン』は売れたのだろうか。“面白かったから”は言うまでもない。だが、『ファミコン』だけが面白い遊びだったわけではない。当時、よくできたボードゲームもたくさんでていたし、集団での外遊びにはコンピュータゲームには代替できない面白さがあった。ほかにも草野球の類とか、色々やっていたと思う。

けれども、その『ファミコン』は他の多くの遊びにはない、特別なメリットを隠しもっていた。ボードゲームも、ケードロも、草野球も、どんなに面白くても一人では遊べない。けれども『ファミコン』なら一人でも十分に遊べる――この“一人でも遊べる”というのは、大きなアドバンテージだった。

ただ、『ファミコン』がでて間もない時期は、この“一人でも遊べる”というメリットは、それほどメリットとして意識されていなかった、と記憶している。『ファミコン』がでた当時、まだ子どもは“遊びはみんなでやるもの”という習慣を身につけていた *2 ので、“友だちの家に集まってみんなで『ファミコン』をする”というスタイルが流行っていた。少なくとも私の周囲では、そのようにして『ファミコン』を遊んでいたし、『マリオブラザーズ』『キングオブキングス』のような複数名で遊べるゲームはことのほか重要視された。また、『チャンピオンシップロードランナー』のような難しいゲームに、皆が集まって知恵をだしあうような場面もあったと思う。

だから、少なくともこの時点では“人間関係をなくしてしまった犯人は『ファミコン』”ではなかったはずである。

“一人でも遊べる”という『ファミコン』のメリットがジワジワ効いてきたのは、皆が学習塾や稽古事に通いはじめ、友だちと一緒に遊ぶためのスケジュール調整が難しくなりはじめてからだ。従来型の遊びの多くは、友だちが集まってはじめて成立したが、『ファミコン』なら一人でも遊べる。こうなると『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のような一人で遊ぶのに適したゲームがありがたくなってくる。さらに『ゲームボーイ』が発売されたことで、“一人でゲームを遊ぶ”というスタイルは一層確立したものになった……もう、友だちがいてもいなくても、いつでもどこでもゲームができるのである! それも、過去のゲームウォッチなどよりずっと複雑で、面白い内容のものが。

ここまで時代が下ると、“人間関係をなくしてしまった犯人は『ファミコン』(やその他のゲーム機)”と言いたくなる気持ちも分からなくもない。実際、誰とも会話しないで遊べるゲームが売れるようになり、そのためのゲーム機も充実していったのだから。


人間関係をなくしてしまった真犯人は誰なのか
でも、ちょっと待ってほしい。『ファミコン』だって最初はみんなで遊ばれていたし、友だちと集まって遊ぶ時間を奪った真犯人は『ファミコン』じゃない。友人関係のスケジュール調整を難しくしたのは、学習塾や稽古事の類じゃないのか?

文部科学省「子どもの学校外での学習活動に関する実態調査報告」 *3 によれば、小学生の稽古事への参加率は昭和60年度の時点で既に70%を超えており、平成5年度には76.9%まで上昇している。学習塾も、昭和60年度に小学生の16.5%、中学生の44.5%が通っていたものが、平成5年度には小学生は23.6%、中学生は59.5%が通うようになり、以後も大体これぐらいのパーセンテージが続いている。稽古事や学習塾は放課後や休日に通われるものであり、それらが増えるということ=それだけ友だちとのスケジュール調整が難しくなるということであり、一人で遊ばざるをえない時間が増えることでもある。

そのうえ、小学生が集団で遊べるような外の遊び場がどんどんなくなっているのだから、“家で一人でゲーム” “通学途中に携帯ゲーム”というスタイルが定着するのも当然、というか仕方ないだろう。*4

子どものスケジュールを稽古事や学習塾で塗りつぶし、皆で遊ぶための場所を取り上げるだけ取り上げておいて、そのくせ「最近の若者は一人でゲームばかりやっている」だの「コミュニケーションの経験値が足りない」だのと文句をつけるのは馬鹿げている、と私は思う。子どもだって、当初からゲームを一人で遊んでいたかったわけではあるまい――一人でも遊べる娯楽が、コンピュータゲームぐらいしかなかった *5 だけなのだから。小学生時代、「友だちとのスケジュールさえあうなら、ゲームも皆で遊びたかった」という人は少なくなかったはずである。そして、そのようなニーズがあればこそ、最近のネットゲームやソーシャルゲームの台頭、あるいは『MONSTER HUNTER』のようなゲームがヒットする余地もあったのだろう。「独りぼっちは、寂しいもんな」
 

『ファミコン』が流行るような社会環境が日本を駄目にしたのでは?
以上の延長線上で考えるなら、このエントリの結論はこんな感じになる。

“『ファミコン』が日本を駄目にしたのでなく、『ファミコン』が流行るような社会環境が日本を駄目にした”

“日本を駄目にした”という言い回しが気に入らない人は“若年者のコミュニケーションシーンを変えた”とでも言い換えてほしい。要は、小中学生という、遊びを介して同学年とのコミュニケーションに切磋琢磨(せっさたくま)するべき時期に、一人でゲームでもやっているぐらいしか遊びようのないスケジューリングを強いるような社会環境のほうに目を向けたほうがいいんじゃないか、ということだ。ここで“戦犯”にすべきは、『ファミコン』や漫画やアニメの類である以前に、子どもが集まって遊ぶ時間を削り取った受験戦争と、その受験戦争を要請した社会、ということにならないだろうか。

もともと任天堂は、一人では遊べない花札や麻雀(マージャン)を商売にしていた。その任天堂が、いつしか一人でも遊べるコンピュータゲーム機に手を染めるようになり、成功していったのも、そういう社会変化を察知して適応していった結果なのだろう。皮肉な話である。

*1:ただし、これは『ファミコン』だけに適用して良いものではなく、遡ってゲームウォッチシリーズや『テレビゲーム15』なども含めての話だが。

*2:ただし、これは私の育った田舎地方の話で、首都圏のニュータウン等では事情が違ったかもしれない。

*3: 「子どもの学校外での学習活動に関する実態調査報告について」 平成20年8月8日 文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/08/08080710.htm

*4:ちなみに、殺風景で安全性への配慮ばかりが優先された公園の多くは、子どもをアトラクトする魅力をあまりもっていない。

*5:ほかにもアニメや漫画も独りで遊べる娯楽として重宝するが、これらについてはまた別の機会に。

  コンピューター系のゲーム?好きですね。今はDSでイナズマイレブン3世界への挑戦ボンバーとファイアーエムブレム紋章の謎を攻略中。



 中学校時代に友人宅でファミコンと出会い、高校時代には地元にあったパソコンショップにゲームやりたさに出入りしていたし、大学〜専門学校時代はそれこそゲーマーとして廃人といわれるレベルまでやりこんだことも実際あったりなんかして。就職したらこれに加えて月20冊以上本読んで、CD聞いて、ネットで遊んで、天文館で女の子ナンパして遊んで...だからなんだかなぁ。変なエネルギーだけはあったんだよな〜。

 結婚してからは暫くゲーム自体やってませんでしたが(うちの嫁が全くこの手の物に興味の無い人でしたから実は仲良くゲームで対戦するとか無いんですよ、ベッド上でたry)、最近はまたゲーム関係復活しました。子供とDSで対戦して、とか言う事も多いです。自分の持っているソフトを子供に貸してプレイさせたり、とかね。ただ最近やりすぎ感は否めないのである程度親の権限でセーブするようにはしてます。

 ...しかし我が子ながら小2の子供がやるかね、ファイアーエムブレム。



 ファミコンの頃はそうでもなかった気がしますが、ゲームボーイ以降、ゲームの遊び方は変わってしまった気がします。というのは、うちの子と近所の友達でよくあるんですが、ただ対戦して遊ぶと言うだけでなく、どれだけ成長したかを楽しげに話している。まぁ言うならコミュニケーションツールとしての携帯ゲームになっているようです。

 自分が子供の頃はこれが週間少年漫画誌だったりテレビ番組やラジオ番組だったり、秘密基地作りなどの野外での遊びだったりするわけですが、流石に今の時代はなぁ...それは既に子どもたちにとっての共通言語足りえないんでしょうね。
 
 ここで言われているように、自分の小さい頃は今の自分の子供の過ごし方と比較してみると...まぁのんきなもんでした。当時は串木野市、田舎の漁師町に住んでいましたが、塾とか皆が通っているわけでも無し、スポーツ少年団は有りましたが参加は自由だったから参加もしないで。

 学校から帰ったらのんびり近所の友達と遊んだり、駄菓子屋で友達とバカやってたり、自宅の畑で草むしりしたりスズメバチの巣を見つけては壊してたり、野山を駆け巡って蛇の尻尾掴んで振り回してみたり、川や海に魚釣りに行ったり、近所の山に入り込んで迷子になって泣きながらさまよい歩いてうちに帰ってみたり、自宅にある本読んだり、でしたから。

 いや〜、我ながらろくなガキじゃなかったなぁ。

 徐々にこれが変化しだしたのは小学校の高学年辺りからでしたかね。周りがどんどん「勉強しないと偉くなれない」と、今考えるととても短絡的な思考に友達やその親が精神汚染されてやれ進学塾だ、英語塾だ、鹿児島市内の塾まで通うぞ、まで現れて。丁度ゲームウォッチがでてきたのがこの頃でしたね。ある意味この文章で言われている環境を体感しているのが自分も含めて40代前半以下の世代です。

 さて、ゲーム如きで本当に人間は駄目になるのか?

 個人的に言えば、そうでもないんじゃないの?と思います。

 よく言われている「ゲーム脳になる」は、明らかにおかしい。その本も読んだこと有りますが、ネタに上がっているのはアクションやシューティングぐらいで、それ以外のジャンルはあえてだろうと思うけど避けているように見えるんですよね。RPGのようにストーリーを追うタイプのゲームはむしろ小説などにも近いセンスを感じるのですが、それも一緒くたに「ゲーム脳になる。短絡的な考え方をするからいけない」。

 違うだろ。

 レトロゲームをたまに互換機引っ張り出してうちでもやってみたりすることあるんですが、容量の少ない中(スーファミでさえ容量的に言うならフロッピー数枚分のデータしか入ってない)良く考えられているな、と思います(スターラスターなんか今の技術でリメイクしても同じ雰囲気出るかどうかすら...)。またそのアイデアが脳に対して悪い影響ばかり与えるものなのか、と考え直してみるとそうでもなかったり。また、感動するようなストーリー作りはハードの差はあれど共通だとも思います。

 商売であるとはいえ、それだけの工夫や英知の詰まったものを流石にむげに「ゲーム脳だ」と否定は出来ません。

 まず作り手に失礼。

 最近は何か行動した人を貶すのがかっこいいと言う悪い風潮が有りますがそれなんかな?

 むしろこれからの高齢者のことと重ね合わせて考えると、あと20年ぐらいしたら高齢者施設のホールにはファミコン互換機が鎮座していて、利用者が懐かしそうにカセットの接続口に息拭き掛けてカセット本体に差し込んでスイッチ入れて、ゲームパッドを操作している絵が浮かんで仕方ないんですけど...。

 ゲーム脳、と言うお題目で目くじら立てるんなら、むしろそれはパチンコに言ってくれないだろうか?あ、それと携帯のソーシャルゲームも同罪です。少しやったことあるけど、その面白さが全く理解不能でした。

 既に40台以下の人間にとっては日常にあるものだったゲーム、既に文化として定着しているんだから、今更「『ファミコン』が日本を駄目にした」などと言うのはおかしくないだろうかね?

 ええ、「ゲームが日本を駄目にする」論、これもある意味「排除の論理」の一つである、ともいえます。

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posted by y-burn at 12:47| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

哀れイノシシ・・・信じられないが、本当...らしい。

〜昔、友達から聞いた話だが〜

 とある田舎に老人ホームがあった、それはのんびりしたもので、近所のじいさんばあさんが なんとなしにあつまって、日がな過ごしているようなものだった。

 ところがある日、じいさんばあさんが集まってゲートボールをしているとそこに体重70kgほどのオスのイノシシが暴れこんできた。審判をしていたホームの人はパニックになってたったまま泣き出したが、おじいさん達は、ゲートボールのスティックを握ると、70歳以上とは思えない動きで イノシシの動きをさえぎり、イノシシをグランドの隅に追い込んでいく。さらにいつの間にやら、おばあさん達は料理室からなべを持ち出し、そろえてじゃんじゃん鳴らす。追い払うのかと思ったら、みんなしてグランドの隅の方に追い込んでいく。普段車椅子の人が、車椅子バレーのネットをいつのまにか持ち出して投網代わりにしている。

 あっという間に、バレーのネットが網代わりになりイノシシの動きを封じ込める。「それが車椅子の人の動きか」と思うぐらいの見事さ、パラリンピック出場可能。網にかかって倒れこんだイノシシを、おじいさんたちが交代でゲートボールのスティックで殴る。普段ベットで寝ているおじいさん達が、元気に駆けつけて殴り役を交代する。

 警察が機動隊装備を持って駆けつけてきたときには、すでにイノシシは息絶えていたので、とりあえず事情聴取。と思っていると、警察官2人は、おじいさんたちの自慢話を聞かされるはめに 警察官が気づいたときには、おばあさん達イノシシを解体している。慌てて止めようとする警察官に、おばあさん達「おまわりさんの分もあるでよ」「おすそ分けじゃ、もって帰るか、汁にして食べていくか。」狩猟法どうたらは言い出せず。

 「老人ホームにイノシシ乱入」ということでさらに機動隊員6人登場。おじいさんたちに、「そんなもん着とったらイノシシ倒せん」と笑われて警察官退場。結局、その老人ホームのイノシシ鍋になってしまったそうな。

 まあ、イノシシは70歳以上のおじいさん16人程度の強さてことだ。

 ちなみにその際、警察の要請で救急ヘリが万一に備えて出動待機に入っていたのだがこの結論をきいてあきれていた。
 最近見つたサイト(最近うちの子供らがハマっている『ヘタリア』からのリンクで飛んで見た。つか、世界史を覚えさせるのになんと言うソースを使っているのだ、我が家はwww)「信じられないが本当だ」というサイトがございまして。軍事ネタ満載でいろいろ笑わせていただきましたが、高齢者関係のネタがあったので思わず転載いたしました。うん、後悔はしていない。

 冗談抜きでこういう元気でイノシシぐらい料理できる高齢者がいそうな気がするのは何故だろうか?

 前もここで書いたことありますけど、加齢による身体の変化は人それぞれだし、それまでに培った経験や教養も人それぞれ。幼稚園や小学校のように「●歳児の特徴はこれこれ」と簡単に説明は出来ないんだよね。別例を挙げれば「磯野波平さんより島耕作さんが実は年上」とかいうのもあるしな。だからこそ、高齢者の介護というのはどうしても難しくなる。似たようなケースはあっても子供よりも違いは大きいわけです。同じ歳でもこのようにイノシシを調理できる高齢者がいると思えば、寝たきりで動けない高齢者もいるし、そう言う姿を見ただけで卒倒してしまう高齢者もいることでしょう。

 その要因として前に挙げた経験や教養の他にも疾病や既往症もそうでしょうし、大きな意味での環境との関わりもそう。ICFを使えば細かく説明はできるんでしょうけど、膨大になりそうなので...こちらのサイトを参考あれ。ケアマネくんの作者、高橋泰先生が監修しております。おいらもこのサイトダウンロードして見たいときに気軽に使えるようにしているんですけどね。

 しかしなぁ・・・こんなに元気な年寄り集団というのも凄いと言えば凄い。近所走っている猟師さんは確か似70代の方は多いんですけど...。おいらも間違って車で撥ねてしまったウサギや狸を料理したことはあったが、さすがにイノシシは経験ないもん。で、この事件の皆さん、まだお元気なんでしょうか?元気であって欲しいね。この武勇伝を未来永劫まで伝えて欲しいし、出来れば若い我らにやりかたを教えて...。いや、何処で使えと言うのだ、この技術。

 たまにはこういうネタも良いんじゃないかな?
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posted by y-burn at 10:28| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月19日

今回の東日本大震災に対しての有名人からの応援メッセージをまとめてみました。

 今回の震災が起こってから一週間が過ぎ、いろいろな方々からの被災者に対してのメッセージが届いています。そういうのをまとめたサイト、ひょっとしたらあるのかもしれません。ただ、このメッセージを自分のtwitterのタイムラインで埋めておくのは嫌なので、今回まとめてみました。
 元気出せニッポン、と言う事も含めて。

 ・ジェンソン=バトン氏(F1ドライバー) 2011年3月12日 
「日本の東京と仙台から衝撃的なニュースを聞いた。影響を受けた皆さんのことを思っている」「強く、そして協力しあってください」「最後に、今日のトラックでのイベントは、日本で大惨事に見舞われた皆さんのことを様々な視点から考えていることを付け加えたい。今は日本の皆さん、特に最も被害のあった仙台のことを想っている。僕の気持は彼らとともにある」


・道端ジェシカさん(モデル) 2011年3月12日
「地震被害者の方のみならず、都内に沢山いる帰宅出来なくて困っている方々が今夜無事に過ごせることを心から祈っています」

・フェルナンド=アロンソ氏 (F1ドライバー)2011年3月12日
「今日、日本に起こっている惨事を考えれば、F1、それにタイヤやウイング、エンジンといった問題など、優先リストはずっと低い」
「今日は、まずなによりも被災者の皆さんとその家族の方のことを考えている」


・小林可夢偉氏(F1ドライバー) 2011年3月12日
「今日は予選の練習とほぼレース距離といった予定されていたプログラムを実施しました。でも、今は日本の皆さんのことで頭がいっぱいです」「僕の母国は大震災に見舞われました。重苦しいニュースですし、本当に悲しいです。なんて言っていいかわかりません」


・ブライアン=メイ氏(Queenギタリスト) 2011年3月12日
「起きてテレビをつけたら、悲惨な津波の光景が目に飛び込んできた。すぐに涙が溢れてきた。ショックで悲しくて、無力に感じる」「命や家、家族を奪われた友人のみんなに、愛のメッセージと同情の気持ちを送りたい」「僕たちと日本は強い絆で結ばれている。みなさんが一日も早くこれまでの生活を取り戻し、この悲劇を記憶のはるかかなたに追いやれることを祈っている」


・タルン=ビジェイ氏野党インド人民党下院議員)2011年3月14日
「日本はインドの親友だ。集会を開くことで、私たちの気持ちが日本とともにあることを示したかった」


アスラニ氏(元インド駐日大使)2011年3月14日
「インド人は今回の事態を自国の出来事のように受け止めている。日本は今回の大災害にも立ち向かう不屈の精神、回復力を持っている」


・バントロワ枢機卿(ノートルダム寺院枢機卿)2011年3月14日
「フランスの全てのカトリック信者の代弁者として、日本国民のために祈りたい」と表明。「日本の人々へ連帯の意思を示すため、できる限りの援助をしよう」


・世界中の名も無き有志の皆様 2011年3月14日 



・小林可夢偉氏(F1ドライバー) 2011年3月14日
「その時僕はスペインでのテスト走行でしたが、日本に居る知人からの連絡で同日11日の朝(ヨーロッパ時間)地震の事を知りました」「まず、被災者の皆様の安全を心配しました」「僕は、このテストが終了後すぐに日本に帰ってきて今日本の状況が本当に今まで自分が見た事も無い状況で僕が何か出来る事が無いかちょっとした事でもまず節水、節電から始めてます」
「僕は、16年前阪神淡路大震災で地震の経験をしましたがあれ以上の地震が今回東北を襲ったと思うと本当に辛いです。また津波まで街を襲い言葉を失うばかりです」
「連日のニュースの報道を見ると、地震と津波によって沢山の亡くなられた方や行方不明者の方、そしてそのご家族や関係者の皆様の事を考えると悲しい気持ちで胸が痛いです」
「僕自身出来るだけこの災害に対して協力していきます」
「皆さん、一つになってこの大きな壁を乗り越えましょう!!」
「最後に、今回お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます」


・アウン=サン=スー=チーさん(ミャンマーの民主化運動指導者)2011年3月14日
「日本国民が災害を乗り越えることを信じている。心は常に日本国民と共にある」


鳥山明氏(漫画家)2011年3月14日
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・ニコラス=ヤコービ氏をはじめとしたドイツの有志の皆様 2011年3月14日
「一人一人の力は小さいが、力を合わせれば助けになれることを示したい」
「復興支援や献金で力になれる。私たちは日本の味方だ」


・スティーヴ=ハリス氏(アイアンメイデン ベーシスト)2011年3月14日
 「我々は先日の痛ましい災害と、それによって東京での2つのショウをキャンセルせざるを得なかったことをとても悲しんでいます。日本のファン、日本の人々、そして津波で被災されたすべての方々に心より見舞い申し上げます。また我々は、アイアン・メイデンのショウを観るために世界中のさまざまな地域から東京へやって来た多くのファンがいることも承知しております。みなさんがご無事であることを願っております。我々はこの素晴らしい国と長い関係を築いており、いつも大歓迎されているように感じていました。今回で16回目の日本ツアーとなる予定でした。悲劇にも命を落とされた方々のご家族、ご友人に、心から哀悼の意を表します」。


・ダライ=ラマ14世(チベット指導者)2011年3月14日
「日本のために般若心経を10万回唱えること」


・高須克弥高須クリニック院長(通称かっちゃん)2011年3月14日
「まもなく美容外科医師会でも被災者支援の活動をおこします。赤坂高須クリニックでは今日から疎開してきた被災者の方々の治療を一年間無料で行わせていただきます。美容医療は心にアプローチする幸福医療です。僕の技術で少しでも幸福を取り戻していただけたら僕自身の心も癒されます。お会いできる日を心待ちしております。」


・大河原邦夫氏(メカニックデザイナー)2011年3月14日
今日は。地震、津波。原発、で被災された方々にお見舞い申し上げます。復興に携わっている方々、自衛隊の方々、有難うございます。がんばれ日本。がんばれ日本。257529472.jpg


・田村英里子さん(女優)2011年3月14日
「多くの人が救済を待つエリアでは電気と水がカットされている。毛布や水、食料など、この危機を生き残るために不可欠です」
「米国赤十字社のネットやメールで寄付ができます」
「(ひたちなか市に住む家族と連絡が取れず)胸が張り裂けそう」


マリア=シャラポワさん(女子テニスプレーヤー)2011年3月14日
「日本には素晴らしい思い出がある。そこで起こっていることを見ると、とても悲しい」
「事故はかなり前でも、今も影響が残る。特にそこで生まれた人々には、放射能汚染による障害がある人が多い」
※彼女の両親はチェルノブイリで被災しております。


・ナターシャ=グジーさん(バンドゥーラ奏者、歌手)2011年3月14日
大地震と原発のことについて

3月11日に大地震がおきたとき、わたしは東京で、卒業式に出演して
歌をお届けしたあとで、ロビーにいました。信じられない揺れ方でしたが、
パニックにならずに全員が無事に避難できて、本当に良かったです。
でも、しばらくは恐ろしくて震えがとまりませんでした。

そして、すこしづつ地震や津波の被害がわかってくると、あまりの光景に
言葉もなく、涙があふれました。コンサートで訪れた気仙沼や宮古の美しい風景や
優しい人々を思い出しながら、こころから無事を祈っています。

原発の事故のことも、ニュースなどで知り、大きなショックを受けました。
私の大好きな、そして大切な日本で、私の体験した悲劇が繰り返されないことを、
そして、人々が私のようにふるさとを失うことがないように、こころから願っています。

少しでも早く、人々のこころに安らぎがもどり、こころに希望の灯がともることを
神様にお祈りしています。
※彼女はチェルノブイリ原発事故の際、原発からわずか3.5キロで被曝した。



・福原遙ちゃん(まいんちゃんの中の人) 2011年3月15日
☆出来る事があったら☆


・泉谷しげる氏(江戸っ子で孫溺愛するじいじでたまにフォーク歌手)2011年3月15日
緊急!泉谷しげる24時間ユーストリーム映像生配信「お前ら募金しろ!」3/19決定!トーク&ライブが全部中止になってさ〜お前ウチに居ろってか!だったら居ながらヤッてやれ!停電しながらかも!一緒に募金の行方考えてくれ!日に詳しく報せる。石原ぁ〜許せんぞぉ思考停止ジジィめ!


・KISS(ポップロックバンド)2011年3月15日
「日本で被災した俺たちの忠実なファンと友人、その家族たちへ。俺たちは、みんなのそばにいる。そしてサポートしているよ。この悲劇を受け、みんなのことを祈り続けている」


・エアロスミス(ポップなバラードバンド)2011年3月15日
「この非常に困難な状況において、俺たちがみんなのことを考えているって知って欲しい。俺たちの思いと心は、みんなに向けられているんだ


・ユーライア・ヒープ(対自核というジャンルなロックバンド)2011年3月15日
「我々の思いと願いは、日本の人々と共にある。君たちの素晴らしい国で長年に渡り、我々は多くの友人を得た。つい数か月前にも日本を訪れており、みんなの友情ともてなしに深く感動したばかりなんだ。困難に立ち向かう時、ユーライア・ヒープ・ファミリー全員が君たちと共にあることを知っていて欲しい」


・シンディ=ローパーさん(歌手)2011年3月15日
「最初は何が起きているか分からなかった。どんどん被害が拡大し、心が痛んだ。空港で毛布で眠る人も目の当たりにした」
「私たちは歌うことが仕事。力を与えたい」
「ライブでは募金や電気の節約を呼びかけたい」。
「明るい気持ちになって」
「日本は、これまで世界中の困っている人を助けてきた。だから今回はみんなで日本を助けたい」。


・オノ=ヨーコさん(レノンの嫁 芸術家) 2011年3月14日
「われわれの心は一つ。(難局を乗り切るため)持ち前の底力とエネルギー、知恵や回復力を発揮すべき時だ」


・天皇陛下(天皇陛下)2011年3月16日



・WWE(世界最大のプロレス団体) 2011年3月16日
 WWEスーパースター、ディーバをはじめスタッフ一同より、3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」の犠牲になられた方に、心よりお悔やみ申し上げます。また、被災されたみなさまには、心よりお見舞い申し上げます。

そして、災害が発生して以来、昼夜を問わずレスキュー、復旧活動に従事するボランティア、医師、消防隊員、レスキュー隊員、日本赤十字社などをはじめとする全ての皆様にお礼いたします。みなさんの助けが、多くの人たちに復興への勇気をもたらしています。

1人でも多くの命が助かること、そしてみなさんの安全を心よりお祈りしております。

また、WWEは日本赤十字社を通じて義援金の寄付のご協力をお願いしております。詳しくは日本赤十字社ホームページをご覧くださいませ。

WWEとしても米国赤十字社に寄付を行います。日本のWWE Universeの皆さまからの温かいご支援ご協力を心から感謝しております。

WWE


・スタン=ハンセン氏(元プロレスラー、現PWF会長兼高校教師)2011年3月16日
日本が早く元気を取り戻してみんなが普段の生活に戻れることを切に願います。
 仙台市やその周りのすべての方々が悲惨な状況に遭遇していることに私自身も悔しい気持ちでいっぱいです。
 でも、みんなが「戦う気持ち」を持ってここから復活することを心の底から願い応援しています。
 Never Give up! (絶対、あきらめないでください!)


・GPWA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)2011年3月16日

日本の、この非常に困難な時期に対して、すべてのF1ドライバーたちによるサポートの気持ちを日本の人たちに対して表明します。

私たちは、天災が日本を襲ったと開いて強いショックを受けたのと同時に、心の底から心配しています。長年にわたり、日本と私たちの関係はいつも素晴らしいものでありました。常に日本におけるレースでは、私たちはあなた方からいつも暖かい歓迎と愛情を受け取ってきたからです。

日本でレースをすることは、いつも私たちの大きな喜びでありました。私たちは、あなたの国が大好きです。

私たちに共感してくれた暖かい気持ちを持つ日本へ、この大惨事を克服するための勇気と強さを、心を込めて送ります。


・ジョーダン=ルーデス氏(ドリームシアター キーボーディスト)2011年3月16日
FOR JAPAN



・SHOW-YA(ハードロックバンド)2011年3月16日
寺田恵子(vo)
「PRAY FOR THE EAST
1人より2人、2人より3人……。1人では非力かもしれないけど、みんなが集まれば、すごい力になると思う。協力よろしくお願いします」

中村美紀(key)
「まだまだ続く余震。小さな余震でさえ、ドキッとしてしまうのに、どれほどの衝撃だったのかと思うと……言葉もありません。被災した方たちが、少しでも早く落ち着いた生活が取り戻せるように、祈るばかりです。みんなの気持ちが少しでも形になって、役に立てたら……と思っています」

五十嵐☆sun-go☆美貴(g)
「被災された皆様にお見舞い申し上げます。ご家族や大切な方を亡くされてしまった方の悲しみを想うと言葉もありません。心からご冥福をお祈りします。私に出来る事は、祈ることとguitarを弾くこと。本当に小さな事でしかありませんが、皆さんの力になれれば幸いです。そして時に心に寄り添える様な、そんな音を届けることができたらと思います」

仙波さとみ(b)
「この度の地震で被害にあわれた方々、今も懸命に救助活動をしている方々をニュースの画面で見ながら心痛めています。日増しに事の大きさを実感しながら自分に何が出来るかを考え、小さくともみんなの力を合わせ被災者の方々の一刻も早い復旧にお役立ていただければと思います。
被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます」

角田“mittan”美喜(dr)
「健全な生活を送っている私達にできることは、音楽を届けることと、できるだけの行動を起こすことだと思っています。ほんの小さい力ながら、少しでも被災者の方々の助けになれれば、そして少しでも早く被災者の方々の健康と安全が確保されるよう、心から願っております」


・ローリング・ストーンズ(ロックバンド)2011年3月18日
「Japan - our thoughts and prayers are with you」(われわれの思いと祈りは日本のみなさんと共にあります)
「日本の事が心配でなりません。」

 「悲惨で大変な時、私達、ローリングストーンズは日本の沢山の友達、ファンに心から同情しています。命を落とす事や破壊されているとこを見るのは心が痛みます。しかし、日本人の強い意志と団結力がこの悲惨な状況に打ち勝つことになるようお祈りしています。」


・菅野よう子さん(作曲家、元てつ100%キーボーディスト)2011年3月18日



・布袋寅泰氏(ギタリスト)2011年3月18日
NHKに寄せられた被災者の声。「被災者は被災地で戦っている。日本の経済は被災しなかった人たちにかかっている。それぞれの場所で頑張ってください」そうだ!今までのように、いや今まで以上に自分のやるべき事を精一杯やる。被災地の皆さんに申し訳ないではなく、被災地の皆さんの為に頑張ろう!


・西村麻聡氏(ベーシスト、アレンジャー)2011年3月18日
被災された皆様へ。その過酷な心中全てを計り知る事はできませんが、いつでも皆さんを思っています。心はいつでも皆さんと一緒にいます。離れた場所の私達にできる事は微々たるものですが、同じ時を過ごしている今、少しでも早い復興を願って私達にできる事は精一杯頑張ります。頑張りましょう。


・松山千春氏(歌手)2011年3月15日
「知恵がある奴は知恵を出そう.力がある奴は力をだそう.金がある奴は金を出そう.『自分は何にも出せないよ・・』っていう奴は元気出せ!」


・マーティ=フリードマン(ギタリスト exMEGADETH)2011年3月18日
 「メガデス時代のすべてのギターをチャリティーオークションに出し、全額を被災者のために寄付したい」
「ニュースを見ていて言葉が出ないほど悲しくなりました。僕は日本に対して非常に深い思いを持ってます。日本に来てから次から次へ夢がかないました。日本人の素晴らしさ、力、思いやりには常に感動しています」
これから始まる日本の未来に向けて皆さんの素晴らしさ、力と思いやりを忘れないでほしいです。日本人の団結力は世界一だと思います」

・・・うちのTLで埋もれていた、今回の大震災に対しての激励の言葉はこのくらいかな...。

 かなり偏りはあるんだろうけど、この言葉や音楽、絵で感銘を受け、日本を救う、と言うやる気を出していただければ幸いです。もう落ち込んでなんかいられない。

 最後に今回の大震災について自分自身のコメントを改めて。

「多分今の日本、特に被災地は暗闇の中でしょう。でも日本で無事だった地域だけじゃない。世界中が日本という国に注目し、また応援しています。その応援に是非応えましょう。いつか日本中が笑いあえる日が来るまで...そこが今回の天災、と言う自然からの戦争に勝利した瞬間です。その日は絶対に来ます。諦めないで!」

これからも心に残る有名人からのコメントは載せていく予定です。

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ラベル:pray for japan
posted by y-burn at 11:31| 鹿児島 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月10日

これこそ隠れた「鹿児島B級グルメ」なんですけど・・・

〜桜島フェリーの名物うどん店、鹿児島中央駅前にも〜

 桜島フェリーの名物うどん店「やぶ金」が、JR鹿児島中央駅前にオープンした。1981年の開店以来、乗客の胃袋を満たしてきたフェリー名物「やぶ金うどん」。九州新幹線全線開業を機に「県外からの多くの観光客に味わってほしい」と意気込んでいる。

 経営する新徳産業(鹿児島市)の新徳国公社長(68)は30年前、「手軽に食べられるおいしいうどんを提供したい」と桜島フェリーで開店。乗船時間は15分と短く、客が来るか不安だったという。東京で見た立ち食いうどんをヒントに素早くゆであがる自家製麺を使用。カツオなど6種類の魚介類のつゆが人気となり、たちまちファンが増えた。

 「いすに座ってゆっくりと食べたい」との声を受けて2月に開店した新徳社長は、「新幹線開業という絶好のタイミングで開店できた」と話す。

 エビや旬の野菜の天ぷら付きのうどんやそば(700〜750円)をはじめ、4月からは黒豚を使った新メニューも登場する予定。開店時間は午前11時〜午後2時半、午後5時半〜同10時半で、日曜夜は休み。問い合わせは同店(099・256・7005)へ。

 元々麺類は好きなので良くいろんなお店で食べていますが、この桜島フェリーの「やぶ金」は凄く美味しい。以前は本当に桜島フェリーに乗った時にしか味わえない知る人ぞ知るうどん(あ、某番組で紹介されていたからそうでもないのかな?今は?)でしたが、ついに中央駅前にですか。医師会館での研修のお昼や、市ケアマネ協会や笑福会鹿児島の飲み会上がりで小腹空いた後に使えそうで良いですね。

 鹿児島といえば食の聖地、というようなPRを今回の新幹線全面開通でしていますが、わざわざ新メニューを考えるだけではなく、こういった地元に埋もれている「ほんとうにうまいもん」を紹介する事も大事だと思います。そういう意味では今回の出店は正解では無いかな、と。これ以外にも谷山の重吉そばとか、鹿児島ラーメン(とんこつだけではなく、本当にその種類はさまざま)なども紹介すべきじゃないかな?ただ、このうどん「だしが甘め、麺の腰は結構弱め」な鹿児島県独特なものなんですよね・・・讃岐や大阪のうどんに慣れた人間はどう評価をするのかは正直心配。

 新幹線が来ます、ああ良かった・・・では無くて、こういった小さくても実力のある企業がそれに甘えずアグレッシブに打って出よう、という心意気は好感が持てますね。そういう力が少なからず見えてきているのはとても良いことだと思います。見習わなければならない大手企業も多いんじゃないのかな?

 やぶ金うどん、鹿児島にお越しの際は是非!

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↑焼酎も忘れないでね。すき焼きの日本酒代わりに使うと肉の質が上がるよ。
posted by y-burn at 10:46| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

ネタが豊富なお国柄ですなぁ・・・

〜韓国が『2ちゃんねる』の801板を八百長と勘違いしてサイバーテロ攻撃!〜

 フィギュアスケートで韓国代表キム・ヨナ選手の高得点が八百長だと日本のネット住人が騒いでいる。その原因は3回転決めてノーミスだった浅田真央選手よりも3回転飛んでおらずミスまでしたキム・ヨナ選手の方が5点も得点が高かったことに原因がある。そんな八百長騒動の中、面白い珍事が起きた。韓国のネット住人が『2ちゃんねる(正式にはbbspink)』の『801(やおい)板』を八百長と勘違いしてサイバーテロ攻撃を仕掛けた。スレッドを乱立するという荒し行為や「Hey Monkey」といった日本人への煽り書き込みまで、なんとも豪快に誤爆してくれている。

 801(やおい)とは「やまなし、オチ無し、意味無し」の意味で、オタク女性が好む性描写の含むボーイズラブのことを指す。現在そんな『801板』に興味の無い住人まで集まってきておりお祭り騒ぎの最中だ。日本のネット住人も韓国側を煽るようなスレッド「韓国人さん!八百長板へようこそ Korean’s Welcome」「801板がキムチ臭い」などを立てており、『801板』は現在麻痺状態。

 これが誤爆でなければ『2ちゃんねる』住人も怒り心頭だっただろうが、壮大な誤爆サイバー攻撃に「マジで突撃しててワロタ」「八百長専門板があっても不思議ではない」「国を挙げてボケてはるんすか」「相変わらず韓国は一流の芸人だw」など笑いのタネになってる始末だ。

 数年前にも韓国が『2ちゃんねる』をサイバーテロ攻撃した際にバーボンハウスに飛ばされ、『2ちゃんねる』が降伏したと勘違いしたというおもしろオチで幕が閉じた。言葉の壁があるものの、韓国のサイバーテロ集団はドジッ子が多いのだろうか。


 ちなみにバーボンハウスとは「やあ (´・ω・`) ようこそ、バーボンハウスへ。 このテキーラはサービスだから、まず飲んで落ち着いて欲しい〜」からはじまる釣り書き込み(いわゆるトラップ)のことをいう。興味のそそるスレッドタイトルにして誘導させておいてその先はバーボンハウスだったという2ちゃんねらー内では周知の罠である。 
 バンクーバーオリンピックは、もう良いわ。ここまで商業化&ネタの宝庫だったオリンピックもそう無いでしょう。最終日のカナダのスーパーロックバンド、Rushの出番だけだ、後の見所は・・・とか言う噂はあったけど、結局出ませんでした・・・

 明らかに日本に対する判定が辛い競技が多かったのだが、特にフィギュアの点数のつけ方、素人目で見てもあれはないわ。女子の点差開きすぎだし。色々な情報は錯綜しているけれど、どうも今回はあの日韓ワールドカップ並みかそれ以上の金がIOCと韓国の間で流れていたんじゃないのかな?そう思わざるをえない。

 また、韓国の観客がカナダで相当あくどい応援をしていた、と言う情報もある。世界の嫌われ者になってまでも、自国のすばらしさを強調したいという、どっかの会社の幹部にもいそうなあほさ加減に、全世界が感動の涙を流している事だろう。

 さて、この801=810事件。日本語が不自由なのは仕方ないとしても、「キムヨナが八百長」と言う意味に良く取れたもんだ、とある意味感心してしまう。というか、そういう意識があったのかな?どうであるしにろ、日本に対するサイバーテロは道義的に許されるものでは無い。それがまた、本来オリンピックを語るのではない、男色萌えな板で・・・というのもある意味韓国らしい、と言う。

 しかし、それを余裕で受け流す2ちゃんねらーの度量の深さも壮絶なものはあるわな。以前にもこういうサイバーテロを経験しているとはいえ、本来怒るところを笑いに変えるセンスの良さというか図太さというか・・・。

 韓国のネット住民は、バーボンハウスでまず1杯飲んでから、頭を冷やして欲しい。次回のソチ五輪では、今回のようなマンセー状態、起こさせませんからね・・・。

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posted by y-burn at 14:57| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

カレーは日本の家庭料理です

〜ドゥ・ハウス、自宅で作るカレーに関するアンケート、牛肉と豚肉では「豚肉」を具材に選ぶ傾向に〜

 ドゥ・ハウスは、同社の運営するネットリサーチASPサービス「きかせて・net Myアンケート」で1月に「自宅で作るカレーに関するアンケート」を実施。全国の20代から50代までの女性254人の回答を得た。その結果、カレーは、手軽で、作り置きができる、家族が喜ぶ、食材の受け皿が広い点が魅力と感じていることがわかった。

 今回は「自宅で最近作ったカレー」についてアンケート行った。“その日、なぜカレーを作ったのか?”“あなたにとってカレーとはどんな存在?”という質問から、「いまどきのカレー」を探っている。

 “その日、なぜカレーを作ったのか?”については、フリーアンサー(自由記述式)で回答してもらった内容を分類して整理し、傾向をみた。「無性に食べたくなった」13%、「家族、恋人に食べさせたかった」(リクエストがあった、好物だから、家族が揃う)11%、「作り置きをしたかった」(留守にしてしまうので家族だけで食べられる、外出して帰りが遅い)11%、「食材があった」(カレーに合った材料があった、余っていた食材を使い切りたかった)10%となった。ただし、これを属性別にみると、少々状況が異なる。専業主婦では「家族、恋人に食べさせたかった」14%、有職主婦で子どもと同居では作り置きしたかった」15%、有職主婦で子どもと非同居では「無性に食べたくなった」26%、未婚一人暮らしでは「無性に食べたくなった」と「おいしそうなカレーを見た」が24%だった。在宅時間や家族構成によってカレーが登場するオケージョンは異なるようだ。

 「専業主婦」は(家族のリクエスト)など、家族の好みにフォーカスが当たっている。回答の中では「好み」「ご馳走」「ワイワイ」といったキーワードが目立った。「子どもへのご褒美」という言葉も見られた。一方、「有職主婦で子どもと同居」では、自分が不在でも家族だけで食べられる料理、帰りが遅くなっても短時間で作れる料理という機能面がより大きなポイントとなっているようだ。帰りが遅くなる事情も、仕事だけではなく、家族との外出もあれば友人との会食もあり、主婦がより活動的になっている中で、機能面は、より重要度が増しているようにも思える。「有職主婦で子どもと非同居」「未婚一人暮らし」は、家族や時間という視点よりも「自身が食べたかった」という点が高く、嗜好性がうかがえる。「未婚一人暮らし」については、「無性に食べたくなった」と同率で、「おいしそうなカレーを見た」も最も高くなっていた。具体的には、(おいしそうなカレー、レシピをテレビ、雑誌、店頭でみた)(店頭で珍しいルウをみつけたから)という内容で、媒体や店頭で触発されたことが献立決定の要因になっている。

 “あなたにとってカレーとはどんな料理か”についてもフリーアンサー(自由記述式)で回答してもらい内容を分類して整理した。「簡単、手軽に作れる料理」(忙しいときに簡単においしく作れる必殺技料理、献立に困ったときの定番お助け料理 等)27%、「作り置きができる料理」(数日間かけて食べても飽きない、1度で2度以上おいしいい料理、作り置きができる便利料理、自分(主婦)が居なくても家族が勝手に食べられる料理、家族が好きな時間に勝手に食べてもらえる料理 等)11%、「家族が喜んでくれる料理」(家族が喜んでくれる、みんな大好き料理、家族へのご褒美料理 等)11%、「食材の受け皿が広い料理」(アレンジが効いて、食材の受け皿が広い料理、買物要らずで常備食材で作れる料理、余り食材をキレイに使い切れる料理)9%となった。

 カレー入れる定番具材では、肉が豚肉42%、牛肉35%、鶏肉25%。野菜がタマネギ95%、ニンジン88%、ジャガイモ80%となった。「肉」については「豚肉」が「牛肉」よりも高くなっている。「野菜」については、「ジャガイモ」が他の野菜に比べてやや低い結果
となった。

 アンケート結果から、家庭内におけるカレーがもたらす価値の幅広さが印象的だった。一品であっても家族を納得させられるということから、「他のおかずを作らずに済む」という利点がある。「おかわりをして食べる」ことも前提となっている。これは献立の品数を少なくできることで、調理の手間を少なくしてくれる料理ともいえると思われる。

 「飽きない料理」であることから、翌日まで食べることまで見越して作るケースも多く見受けられた。これは、主婦にとっては翌日の食事の支度を減らすことにつながる。食材が常備されているもので賄える点も魅力だ。買物に行きそびれた、行きたくないときにも重宝されている。自分が外出してしまうときには、家族だけでも食べてもらえうとの声もあった。家族で外出して帰りが遅くなったときにも、短時間で作れるので助かる点も魅力となっているものとみられる。

 そして、どんなときでも、「失敗がない」「味を外さない」という点も魅力の1つだ。回答の中には、「忙しいときの必殺技」「定番のお助け料理」という言葉がみられた。これは、現在において、カレーを作る手順と使用する材料、そして味の「標準」が各家庭にほぼ浸透しているということの表れであるとも受け取れる。

 このように手間を少なくし、調理自体も「簡単」「手軽」でありながら、家族にとっては「ご馳走」であり、ときには「ご褒美」にまでなるという点が、カレーの大きな魅力のようだ。ここには、「忙しいときに、できるだけ少ない手間で、家族にご馳走感を与えられるメニューが欲しい」という気持ちがあるように思われる。

 一方で、「アレンジが効く」「じっくり手間と時間をかけて楽しみながら作る」というように、ときには調理の楽しみを与えてくれ、「オリジナリティを発揮できる」という面も持ち合わせてもいる。ある一定の味を最初から作るのではなく、既に一定のベースがあった上でプラスアルファを付け加えていくという点も、カレー作りを楽しめる要素になってもいそうだ。そうして「標準の味」に自分らしさを加えて「自分のオリジナルの味」が生まれていく中で、やがてそれが「家庭の味」「母親の味」になっていくということなのかもしれない。「そのまま作っても失敗のない味で家族を満足させられるけれど、さらに一手間加えて自分の味にしていきたい」という気持ちを、実現してくれているのだと思われる。属性別の対比でもみられたが、「機能性」と「嗜好性」のどちらにも、必要に応じて対応してくれる存在でもあるといえる。

 このように「手軽に作りたい」と「手間をかけてしっかり作りたい」いう相反する気持ちの双方に、オケージョンによって変幻自在に応えてくれるのが、自宅におけるカレーの醍醐味のようであると考えられる。
 確かに。メニュー考えたくない時の最終兵器なんだよな、カレーライスって。

 良く、休みの日の夕食はおいらが作ります。丁度嫁さんがその時間帯に仕事に入る(ピアノの先生だから)上、子供は6時にはいただきます状態。カレーは大体月一回は作ります。

 自分が最近作るカレーの特徴は
1.豆が必ず入る。水煮大豆が多いけど、たまにはひよこまめとかなた豆が入ったりする
2.子供がまだ辛いカレーに慣れていないので、バーモントカレーの甘口を使う事が多い。
3.具材を煮るのに水だけでなくて、野菜ジュース一本と不二家ネクターピーチ一本が入る。
4.肉は大体豚肉のバラ塊を自宅で切った奴。
5.季節によっては牛蒡が入ったり、椎茸が入ったり、里芋入ったり。
6.たぶん普通のカレーよりジャガイモが大きくてごろごろ大量に入っている。
7.あめ色になるまで玉葱をいためるのはデフォルト。
8.だいたい余るので、余ったら冷凍。この季節はしないけど。
9.牛肉で作るときには醤油を少し入れて炒める。隠し味だ。豚肉の場合は、ウイスキーでフランべします。
10.皿の端には福神漬けではなくて、鹿児島の壷漬けが付く。
・・・こんな所でしょうかね。

 で、更にサラダとしてもう一品付ける時には、丸々一本大根サラダ、と言う荒業料理をします。レシピは、
1.大根は葉つきの物を購入すること。うちは実家の畑に生えているものをそのまま抜いてきます。
2.葉っぱはざく切りして塩もみ&塩抜き。根っこはスライサーで千切り。
3.千切りして水洗いした大根は水を絞って、塩コショウとツナ缶一個、マヨネーズ適量を加え、味を調える。
4.で、葉っぱの塩もみを最後に混ぜる。
これだけなんですが、結構旨い。この時期は大根が良いおかずになるので、スライサーは欠かせません。紅白ナマス作ったり、納豆サラダ作ったり、うちでは「じいちゃん大根」と呼んでいる(うちの親父の大好物な所から命名)、千切り大根に酢と砂糖をかけて上に味噌乗せた変わりなます作ったりするときに・・・。

 しかし、カレーと言う料理、インド発イギリス経由で日本に伝わり、日本の家庭料理の地位まで上り詰めましたねぇ。まさにインド人もびっくり。

 明日はカレー作ろうかね。

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posted by y-burn at 13:34| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月22日

鹿児島国際大の生徒の皆様、昨日の古瀬先生の授業、ご苦労様でした。

 うちのブログと、鹿児島国際大学の古瀬先生のブログを見ていただければ分かる、と思いますが、昨日、うちのブログの「ぶるーくろすが教えること1〜最後」までを使い、福祉科の一年生が授業をしました(詳しくはこちらをご参照あれ)。

 こんな福祉行政に対して、悪口ばかりのブログを使って授業が出来るのか?とも思いましたが、意外と・・・だった様子。うちにたくさんのコメントをくださいましたので、逆にグループ毎に対してコメントしてみようかな、と。


プリキュア5
 はじめまして。 古瀬先生の授業でコメントさせて いただきます。 保険について知識が薄い私たちは、 毒舌な考えに、共感いたしました。届けてあろうが無かろうが やはり、良い施設は良い! 悪い施設は悪い! その通りだと思います。 保険、虐待、とても勉強になりました!福祉に関わるので 保険について学ぶ事が大切だと 思いました!! 失礼します。 鹿児島国際大学・介護コース1年
・・・介護保険については何年で学ぶのかおいらはよく分からないけど(そもそも自分は福祉系大学じゃなくて、一般教養系の大学からフリーター兼ニートを経て、専門学校ですから)、介護保険が始まってこの10年で高齢者福祉のあり方はかなり様変わりしています。その方向性がおかしいと思うから、毒舌にもなるわけでね。それと、良い施設作りをしたい、と願っても、金銭面や人材面等でなかなか困難な施設も多い、と言うことは覚えておいてください。介護保険法の見直しで、そのあたりが改善されればいいのですが。

琉くんの家part8

 はじめまして 鹿児島国際大学介護コースの1年です。 古瀬先生の授業でコメントさせていただくことになりました。 わたしたちは中間施設になる老人保健施設というものがどういうものか詳しくはわからないですが、たしかに入院していた患者さんがいきなり社会復帰するのは難しいと思いました。  誰にでも準備をする期間というものは必要だと感じたし、その権利はあると思いました。以上でコメントを終了させていただきます
・・・入院から在宅復帰の際に大きな働きをしなければいけないのが中間施設です。そのための施設が「老人保険施設」なのですが、説明しているとおり、そのあり方は本来とはかなり変わっているのが実情です。介護保険法について詳しく学習するのなら、本当はケアマネ受験者用のサイトなのですが、「どんたくアカデミー」が参考になります。一度目を通してみるのはいかがでしょうか?

プリキュア5〜介5〜

はじめまして!鹿児島国際大学の介護福祉コース1年生の古瀬先生の講義を受けているものです。 記事を拝見させていただきましたが、難しい内容で私たちが理解するには時間が掛かりました。しかし、みんなで色々な講義を振り返り考えてみました。そして、記事にもあるように日本は資本主義であり利益を重視するあまり、患者のための医療ではなく医者のための医療になっているのではないか、という意見が出てきてみんな共感しました。  コメント失礼しました。
・・・少し違うのかな?患者のための医療でないことは間違いないのですが、医者のため、だけでもない、と自分は受け取っていたのですが。むしろ、「医療も行政にその舵取りを握られている、と言う面では介護と代わりはない」と言う認識です。医者、と言うか、医療については、こちらのサイトを一度目を通してください。結構まともなこと、論じています。最近うちのブログではあまり医療について書いてはいませんが、実は日本の医療はコストと技術に於いては、世界でも類を見ないほど優秀です。しかし、それは何故可能なのか?ということ、考えてみてください。

NOKO

 お疲れ様です。鹿児島国際大学一年で、古瀬先生の授業です。介護従事者の待遇改善で、介護従事者に金を配るのではなく一定期間実務従事した者に対して、一切の税金・保険料を控除するのが一番早い方法とありますが、これ以外の方法もまだあるのかと思います。 それはまだわかりませんが、これから勉強していく中で見つけていこうと思います。失礼しました。ありだとうございます
・・・去年それ以外の方法として、介護従事者何たら、と言う援助金が出ましたけど、月額20000円上げる、と言っておきながら、実情は5〜6000円がやっと、らしいです(残りは事業所の赤字補填のため使っている様子)。別な方法としては、介護保険料の大幅な増額、と言うこともあるのでしょうが、今でさえ高齢者は(つーか、自分も今年から払っています)介護保険料を少ない収入の中から払っている実情があり、うまくいくものではありません。期待するのは、現在の経済状況が良くなり、国の税収が上がることですかね。そうすれば、福祉にもお金が回るようになります。国の経済と福祉政策は、実は密接な関係があります(昔のおいらの上司には、全く関係ない、と言いきったトンデモ保健師がいましたけどね)。覚えておいてね。

琉くんの家Part8

こんにちは。鹿児島国際大学1年の古瀬先生の講義を受講しているものです。ただでさえ、施設が不足していると騒がれているにも関わらず、国やマスコミはこぞって批判しているのはおかしいと思います。本当に国民のことを考えているのであれば、全力で施設を支援する必要があると思います。長文失礼しました。鹿児島国際大学1年琉くんの家Part7
・・・支援するのは施設だけでなく、在宅の介護事業所も、です。今回の学習の際のブログではおそらく書いていないと思うのですが、病院経由の介護保険サービスと、福祉事業所経由の介護保険サービスとは、現状その報酬に大きな差があります。例えばデイサービスとデイケア、これはかなり似ているサービスなのですが、大本の介護報酬や、付随する「加算」について大きな差があります。この差が埋まることも必要かもしれません。現状として、おそらく行政側はこれ以上の施設の増加は避けたいだろうと思っているのでは?ちなみに、鹿児島市は既に4年前にこれ以上の新規グループホーム立ち上げは必要無い、と断言しています。うちの近所にはグループホームを作ったのに認可が下りず、今は食堂になっているところすらあります。

NOKO

 こんにちは鹿児島国際大学の介護コースの古瀬先生の授業中です。私は、この記事を読んで、介護保険にはいろいろな見方をする方々がいらっしゃると思いますが、私は、もっと行政が地域の介護保険の被保険者の方々の実情というのをよく把握する必要があると思いました。本文中にもあったように、生活保護が息子の酒代などに使われてしまうケースなどは、ケアマネージャーだけでなく、地域主体の取組が重要になってくると思いました。 以上です。失礼します。
・・・介護保険という法律の悪い面の一つです。行政がそれまで保健師がやっていた仕事を、すべてケアマネに押し付けたようなもんで、住民台帳以外の情報の把握が出来ていない、と思われるケース、在宅ケアマネ時代に何度も経験しています。現在、地域全体で高齢者をみていこう、と言う動きはありますが、田舎ならともかく都市ではなかなか難しいところではありますね。自分ちは鹿児島市のかなり田舎なんですが、うちの集落の高齢者が毎月二回集まり、地域の歴史の編纂(この間小冊子をもらいましたが、うちの亡くなった祖母が地域の皮膚病で困っている方々を、産婆の知識のみで治そうとした話も載っていたのにはびっくりしました。孫であるおいらすら知らなかった・・・)や地域の子供達に伝統的な遊び等を教えているサークルがあります。こういう試み、色々なところで取り組むべきではないか、と思います。また、施設と地域との係わり合いも重要でしょう。実はこれ、自分の職場の施設の大きな課題の一つでもあります。

ゴーオンジャー

 こんにちは(^◇^)私 たちは鹿児島国際大学の1年生の者です。今回授業で貴ブログを読ませていただきました。 実際読ませていただいたんですが、理解するところが少なくてまだまだ勉強が足りないなと思いました。これから先もっと勉強していきたいと思います!! 失礼しました
・・・うちの子供らはシンケンジャーはあまり好きではなく、ゴーオンジャーのビデオを未だに・・・じゃなくてwww。皆さんまだ1年生だし、福祉の勉強をしている範囲も狭いので、まだまだ分からなくて当たり前です。自分だって、専門学校生の時にこんな文章読まされたら、そりゃとまどうわ。わかんなくて。あまり気にしないように。でも、少しは心の隅にとどめておいて、後々の授業や研修で、「あ、こういう事だったんだ」的に気づいてくれればそれで良いのかな、とも。 
総評(いや、おいら先生じゃないんだがwww)
・・・福祉、というジャンルの中で、介護保険というのはその中の一つです。福祉を学問として総合的に学習している皆さんと違い、こちらは知識的に介護保険とその周辺の法律しか分からないんですね。だから、いきなり「障害者自立支援法がどうのこうの」とか「福祉の歴史についてどうこう」とか言う話題にはついて行けませんし、わかりません。しかし、今、介護保険という法律の中で、利用者や従事者がどういう事になっているのか、と言う事については話できますし、その考えを述べることも出来るわけです。今回のぶるーくろすの話は、そう言う、自分自身の高齢者福祉に関する考え方をまとめたものでした。実は、続編もあるのですが、まだ公開するに至っていないので。

 今、こうやって福祉を学んでいる皆さんへ。おいらにはあと20年そこらしか仕事をする時間は残っていません。しかし、皆さんはまだまだ、その倍以上の時間がある。つまり、法的におかしい、と思うことをどんどん替えていく力を自分の倍以上持っているわけです。その力のために、福祉についてもっと勉強していってください。在学中だけでなく、卒業してからもそれを怠らないように。それを怠って途方に暮れていたり、訳分からずに時間に流されて仕事していたり、施設や組織内政治に仕事以上に時間をかけるような愚かなケアマネ・介護士・看護師は皆さんが想像している以上に多いです。将来、そうならないことを祈ります。

 ま、皆さんのコメントを見て思いついたことを書いてきましたが、もし興味があるのなら、これからもうちのブログ、覗きに来てくださればありがたいかな、と。福祉だけじゃなくて、自分自身興味のあること、政治や経済や人権のような堅い話から、プロレスやF1や音楽、果ては「ヲタク」な話までやってますので。

 それでは。これからも自己研鑽、お願いしますね。

・・・出来れば、直接会って話できれば良いんだろうけどねぇ。こちらも仕事もあるし、難しいかな? 

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posted by y-burn at 11:25| 鹿児島 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月13日

これが、究極の『バリアフリー』ってのは、言い過ぎなんでしょうか?

〜異性と触れ合い求め〜

 熊本市のアパートに一人で暮らす40代のタカハシマサルさんには月2回、特別な日がある。なじみの風俗嬢を自宅に呼ぶ日だ。その日はヘルパーに手伝ってもらって風呂に入る。重度の脳性まひで手足がほとんど動かないからだ。

 いつもは入浴後、ヘルパーに睡眠薬を飲ませてもらって眠る。体の緊張を解くためだ。しかし、予約した日だけは「大事なことの前に寝てしまってはいけない」と薬を飲まずに待つ。

 話が合う女性と過ごすのは楽しい。女性は最後に睡眠薬を飲ませてくれて「また呼んでくださいね」と笑顔で帰っていく。背中を見送りながら、ふとむなしくなる。ほんとうは、すてきな女性とホテル最上階のレストランで食事したり、白川沿いの遊歩道を歩いてみたい。でも、出会う機会もないし、「障害者には手が届かない」。

 施設で20年近く生活した後、一人暮らしを始めた。「食事や入浴は必要だから介護を受けられる。性は生死に直接関係ない。でも障害者にだって意思も欲もある」。人間としてありのままに生きたいと思った。

 熊本市には障害者専用の風俗店がある。客が申し込むと、まず男性従業員が自宅に来て、障害の程度や体のどの部分を押さえてはいけないかを聞き、「カルテ」の人体図に書き込む。予約した日は車いすで乗れるリフト車で迎えに来てくれる。ヘルパーも同伴して出かける。

 ホテルに着くと、ほどなく女性が部屋に来る。その一人、すらりとした美人のセリナさん(28)。「こげん体だけん」と気にする客もいるが、セリナさんは笑顔で接する。好きな歌やお笑いの話もし、着替えを手伝う。帰りは従業員が客を車で家まで送る。

 セリナさんは客が部屋から出て、待機するヘルパーに会う時の顔が好きだという。「とてもいい顔。喜んでもらったのが分かる」。ときどき、感謝のメールも届く。「不自由な手で大変だろうと思う」と気づかう。「おしゃれに気を配る男性もいる。障害がある人もない人も、私たちにとっては、普通の男性」と語る。

 障害者向け営業について、店の代表ヒガシアキオさん(42)は「送り迎えで一人の客に半日がかり。事前訪問や運転手の手配も必要で人件費がかかる。実は、やればやるほど赤字なんです」という。他にも経営する店が複数あってその収益で成り立たせている。それでも続けるのは「救われるから」だという。

 借金生活から抜け出そうと風俗店を始めた。商売が軌道に乗っても「親兄弟や親類には言えない」と葛藤があった。事故で下半身不随になった30代の男性客から「ここの女の子は優しいね。ありがたいよ」と言われた。「社会で必要としてくれる人がいる」と思った。「障害者は異性との出会いも恋愛も難しい」と知り、リフト車を買って営業を始めた。

 障害者の自立支援のために活動するNPO法人・ヒューマンネットワーク熊本(熊本市)の山下紘史さん(54)が障害者から受ける相談には「自分には男性、女性としての魅力がない」というものも多い。

 「重度の障害者ほど、家族がつきっきりか、施設での生活が長い。大人扱いされず、自信が育ちにくい一方で、異性への関心や恋心は芽生え、苦しんでいる。男性、女性として見られることは、人に大きな自信を与え、人生を輝かせてくれる」(文中カタカナは仮名)。
 「性」の問題は、福祉という「聖」なる行いと違うから・・・という発想、いや、妄想かな?どうもそういうのが福祉、と言う世界には存在するみたい。おいらだけでしょうか?そう考えている福祉従事者は?

 障害者が手軽にこのような風俗を使える環境を整える、これが究極の「バリアフリー」なんじゃね?道路とかお店とかは当たり前になっているのなら。ああ、勿論普通に恋愛できる環境も大切だ。でも、健常者でも風俗使うケースはある(童貞が30越えたら魔法使い、と言うケースはまた別だが)。異性と心と体をともに過ごせる、という事を、障害者も利用できて何か問題でも?

 もう7〜8年前になるかな?友人で風俗やっている人間がいて、「障害者を対象にしたデリヘルはどうだろう?」と言う相談を受けた事がありました。説明すると「う〜ん、相当難しいね」と。結局出来なかったんですけどね(それ以外の問題もあっただけに)。成功させたかったんだけど、他の賛同者、というのが当時いませんでしたからねぇ。

 確かにハードルは高いし、スタッフを集めるのは困難だと思う。又、介助のやりようによってはお客さんを傷つける可能性もある。でも、収入はともかく、やりがいはあるだろうね。

 必要なものを隠して、「福祉です」なんて言う綺麗事はやめにしないか?今の時代「普通の人間らしく」じゃなくて、障害者が「普通の人間以上」を求めてもおかしくない(ゴネ得を求めるのは勿論駄目だけどね)。普通以上の願望がかなうのを「バリアフリー」といっても良いんじゃないのかな?

 こういうサービスがどんどん出来てくると良いんだけどな。最も、どっかの役所があまりいい顔はせんだろうけど(ヤクザとのからみを指摘しそうだし)。もし、鹿児島でこういうサービスをしている風俗や、やりたいと思われている業者の皆さま(組系の舎弟な店は・・・申し訳ないがお断りします)、一度ご連絡ください。このブログで紹介いたします。

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posted by y-burn at 13:08| 鹿児島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

棒ラーメンは最強です。

〜「棒状ラーメン」低カロリー、割安感で脚光〜

 1959年から60年にかけて九州で「棒状ラーメン」が相次いで発売されて半世紀になった。

 カップ麺(めん)の登場で売り上げが落ち込む時期もあったが、ノンフライ麺の特徴が消費者のダイエット志向に合って復権。1年間で売り上げが3割近く伸びたメーカーもある。景気悪化で外食を控えるムードが広がる中で、1食数十円で楽しめる「お買い得感」も追い風となって再び脚光を浴びている。

 棒状ラーメンは、1959年に、マルタイ(福岡市西区)が「即席マルタイラーメン」を、サンポー食品(佐賀県基山町)が「三宝ラーメン」を発売して人気が広がった。翌60年には、江崎製麺(福岡県筑後市)の「福島ラーメン」や五木食品(熊本県城南町)の「アベックラーメン」が続いた。

 池田勇人内閣が所得倍増計画を決定したのが60年。「ラーメンひと図鑑」などの著作がある九州ラーメン研究会代表の原達郎(たつお)さん(66)(福岡市南区)は「当時は生きるための食事から楽しむための食事へと移っていく時代。とはいっても、まだ外食は珍しかった」と振り返る。

 「棒ラーメン」を商標登録したマルタイによると、こうした時代背景のもと、創業者の藤田泰一郎氏(1899〜1986年)が「外で食べるラーメンを家庭でも食べられるようになれば」と開発を始めたという。

 58年には日清食品(大阪市淀川区)が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を売り出した。一方、藤田氏は「生麺の味をいかに家庭に届けるか」に苦心。「麺を油で揚げない方が味がいいのでは」と考え、麺を自然乾燥させ、スープを別添えにするなどの工夫を加えた。発売を始めると、生産が追いつかなくなるほど人気を博し、販路は全国に拡大した。

 71年には日清食品が世界初のカップ麺となる「カップヌードル」を開発。以後、カップ麺に押されてきたが、2000年頃から女性誌でカロリーが低い食品として取り上げられて人気を取り戻してきた。

 ここ数年は、景気が悪化したが、逆に売り上げは増加。マルタイでは2008年2月〜2009年1月の事業年度の販売額は約15億9700万円と前年比27%増で、3103万7000食から3551万7000食に伸びた。サンポー食品も同時期の売り上げが前年比で数十%増えたといい、五木食品も「売り上げは順調」としている。

 マルタイは、しょうゆ味や豚骨味など18種類の棒状ラーメンを作っており、3月には新商品を発売する。また、50周年記念事業として社史の編さんも進めている。市場開発室の中園秀樹室長(53)は「2食入りの1袋が百数十円。カップ麺より割安だと価値を見いだしてもらえたのでは。これからも消費者に受け入れられる商品作りを進めたい」と話している。

 ◆棒状ラーメン マルタイによると、小麦粉の生地にかん水や塩を加え、棒状に延ばしたものを熱風で乾燥させて製造する。麺を油で揚げて乾燥させるフライ麺に比べて、乾燥に時間がかかるが、カロリーは低いという。
 神奈川で独り暮らしのときに、参ったのはインスタントラーメンの不味さでした。当時は九州系とんこつラーメンは「うまかっちゃん」位しかない時代でしたから。基本的に関東の醤油ラーメンは舌に合わなくて駄目だし、うどんやソバのつゆの濃さはもう地獄、としか言いようが無くてなぁ・・・。実家から「アベックラーメン」送ってもらって食ってました(関東の醤油もおいらいまだに苦手です。甘くないと特に鶏刺には絶望的に合わない。逆に鹿児島の甘い醤油に山葵溶いてそれで焼肉食べてごらん?ビーム吐く位旨いぞ)。

 調理の際吹きこぼれの心配はあるけれど、揚げ麺系のラーメンより味は深く、美味しいので、もっとメジャーになれば・・・と思います。今は結構100円ショップでも扱っているからねぇ。ちなみに最近お気に入りは「ロン麺」。ひとり前130円前後、と高いけど、味は保障します。ダイエット、とか関係無しで、本当にいいものはいい、そういうこと。

 あと、この手の棒ラーメンで、冷やし中華、も無茶苦茶旨いので、夏の暑い時にはお試しあれ。大体の棒ラーメンのパッケージには作りかたは載っているので、参考にすると良いよ。

 昔からの棒ラーメンFanには、結構いいニュースですね、これ。ま、たまにはこんな話題も。

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posted by y-burn at 12:57| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ほのぼの・・・・? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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