2011年05月20日

「介護施設船」...我ながらものすごくアホな発想だとは思うけど。こういった夢を語れる政治家さんとかお役所の職員とかいませんかねぇ?

〜日医、病院船建造に賛同 〜

 日本医師会の石井正三常任理事は5月18日、超党派の国会議員でつくる「病院船建造推進議員連盟」(会長=衛藤征士郎衆院副議長)の会合に出席し、「病院船はあった方がいい」と述べ、病院船建造に賛同する考えを示した。

 石井常任理事は、「救急医療では、既に全都道府県でメディカルコントロール体制の整備が終わっている。海も同様に考えないといけない」と指摘。その上で、「(国際的にも)日本が(病院船建造を)考えるか考えないかで、全く存在感が違ってくる」と述べた。
 また、同席した日医の藤川謙二常任理事は、東日本大震災に伴い発生した福島第1原子力発電所の事故などを踏まえ、「被ばくした人たちを助けるための特殊な船舶を持っておく必要があるのではないか」との考えを示した。また今後、さらに大きな災害の発生が想定されるとして、「できるだけ早く病院船を造るべき」とした。

 同議連は19日、今年度の第2次補正予算に病院船の建造に向けた調査費を盛り込むよう求める要請書を枝野幸男官房長官らに手渡す予定だ。

 この病院船のニュースを見て考えたことなんですが。

Z003 船上高齢者施設を夢想しよう
.2011年5月18日 20:53 鹿児島古稀の会さん作成.
アイデア y_burn氏のtwitter 2011.05.18 より

船上の施設としてはすでに、

・軍事施設  航空母艦

・医療施設  病院船

・高級世界一周旅行

などがある。

そのような実際にあるものをイメージしながら

「船上高齢者施設」

特例法を制定する。

・介護保険法の特例とする

・船舶法の特例とする

・医療法の特例とする

などなど

実際には、

・ショートスティ船版

・元気な人も予防用

・災害用に予備を相当持つ

・国際救助を重点に行う

・予備の船では、介護・災害救助などの訓練を行う

運営主体

民間に。

金持ちにはいまの金持用ので任せる。

船上カラオケ大会  鹿児島のZ先生のような

余興 古いタイプの紙芝居


 病院船と言うものと今回米海軍の「トモダチ作戦」を見て少し考え併せてみたんですよね。

 今回作戦に参加したロナルド・レーガン空母は、戦闘機の離着陸用艦船としてだけではなく、一つの都市としての機能も有しています。大型の軍艦と言うのは得てしてそういうものです。勿論医療についても通常の田舎町以上の施設を持っていますね。このクラスの超弩級空母を戦闘という意味合いで使うのではなく、医療メインで使える船として、国内のみならず海外にも派遣できる体制を作る。さらにそれに付随する護衛艦隊も整備し、紛争やテロなどで被害を受けた海外の市民を救う手立てにする。軍隊派遣ではなく、国際救助をメインとするのなら国内外の反対も少ないだろうし、世界に対しての貢献で文句を言われることもなくなるでしょう。

 で、そこからまた発想したのが「高齢者福祉船」というのは有りなのか無しなのか?ということ。

 離島の多い地方自治体、具体的に言えば東京都、長崎県、熊本県、鹿児島県、沖縄県、それに瀬戸内に面する中国四国地方あたりは小さな島や自治体が多く存在している上、高齢者も多い状況。当然大都会と比べて高齢者福祉は満足したサービスが受けられる状況には無いわけですよね?だったらそういう島々に施設を作るのではなく、いっそのこと施設が動いてしまうのはいかがだろうか?

 船上で行なわれる事はだいたい古瀬先生のかかれたことと同じなんですが、「島々をめぐる小規模多機能施設」的なものを発想していました。10箇所ぐらいの離島をエリアとして、それぞれの島に一〜二週間ぐらい停泊してショートステイやデイサービスを提供、どうしても長期の介護が必要な場合は船上で数ヶ月過ごしていただくことになるが、基本在宅復帰を目指す(重介護者は勿論近くの都市の施設に任せざるをえないでしょうが)。海上保安部の巡視艇のように船にヘリコプターを常駐させておき、いざという時にはヘリで利用者を病院や島までまで送迎できるようにすれば、まだまだ出来る事は多くなると思います。

 もちろん、こういうシステムを作るのに対して船作りや法整備や介護士の確保、さまざまな問題もあるでしょうし、国としてもわざわざこういうことに金を出すとは思えません。

 でも、こういう夢を見て、じゃ、どうすれば実現するか?と考えてみるのも自由。日本はそもそも海洋国家なんだもん、こういった発想も悪くは無いでしょ?

「絶対出来ないのにバカなこと考えやがって」と思ったりどっかの掲示板でバカにするのは簡単だけど、「私は柔軟に物事を考えられない」と宣言するのはスマートなことでは無いと思いますよ。

 うん、実現可能かどうかはともかく、将来的な高齢者福祉の有り方のモデルの一つとしての形はおぼろげながら出来たのかな。こういった夢を語れる政治家さんとかお役所の職員とかいませんかねぇ? ...なんかいなさそうですけど。

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posted by y-burn at 11:35| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

高齢者施設に於ける音楽療法についての考察・・・というほど高尚なもんじゃないですが。

〜まず最初に〜

 twitter上で自分の施設の音楽療法の話題をすると、結構詳細を聞いてこられる方が多いので、今回はそのまとめ、としてこのブログに載せよう、と思います。

 現在高齢者施設で行われている音楽療法はどのようなものか、を再度考慮してみましょう。その内容は合唱や器楽演奏では無いでしょうか?まさかモーツアルトやベートーベンを施設内に流すだけで「ハイ、音楽療法うちの施設で行ってます」とかじゃないでしょうね・・・最悪です。
 
 基本的な事を考えて見ましょう。われわれが学生時代、音楽の授業で扱う楽曲や器楽演奏は心から楽しい、と思えるものでしたか?ちょっと違うんじゃ無いでしょうか。音楽の教師に半ば強制的に押し付けられる音楽ならぬ「音が苦」ではなかったでしょうか?その証拠に、音楽を職業としている人間以外、学校時代学んだ音楽が歌えたり演奏できたり、というケースは相当少ないはずです。最も、好きな音楽を演奏する、ライブをやる、というのはまた別な話ではあるんでしょうけどね。その学生時代の「音が苦」を利用者に強制している、というのが、実は現在行われている音楽療法の一部である、とも言えましょう。施設は学校じゃ無いんです。それを理解しないで押し付けの音楽療法は療法ですら無い、無駄な修行だと思います。

 特に器楽演奏については将来的にはともかく、現状では行うべきでは無いです。音楽を演奏する、という学習もしていないし、その風習の無い状態の高齢者に無理に楽器(それも打楽器もどきでしか無い物が多いですよね)を持たせ、演奏させる、というのは、上手く行かない場合のその高齢者の気持はどうなるでしょうかね?もっと上手くなりたいから練習する、というポジティブな感情になる例はおそらくまれでは無いでしょうか。その殆どはその事で落込み、音楽療法に参加しません、という言につながる、と思います。

〜日本の大衆音楽の歴史を知らずして音楽療法を語るべからず〜 

 実際問題として、音楽療法に取り組む際に必要な情報がある、ということを介護従事者は知らないのでは無いでしょうか?これは当然と言えば当然の話で、介護福祉士育成の為の専門学校ではそういう事は教えて貰え無いし、実務に追われていればそう言う事を調べる時間的、精神的余裕も無い。音楽療法士はこの事を知らなければならないはずなのに、知らない方も多い・・・

 明治維新〜大正末期の頃やそれ以前に大衆音楽が無かったわけでは有りません。日本最初のコマーシャルソングを作った平賀源内の歯磨きの歌などは有りました。その当時は所謂「邦楽」と言われる民謡や小唄がメインでした。音楽と関わるのは所謂祭りや酒の席などが主であり、普段から音楽観賞などという趣味はなかった、と思っても良いでしょう。只、西洋文化の一環として西洋音楽が入って来たのは明治維新以降です。

 大正末期から戦前に大衆に音楽を広める役割を果たしたのは映画であり、ラジオでした。確かに音楽というものが初等教育に入っていたのは否定しません。が、あくまで教育の一環。たとえばこの当時、「かごの鳥」等歌うような子供は不良扱いされたと聞いています(あれは妾さんが表に出てこれない、という内容の哀歌ですからね)。音楽教育では、今となっては「三国志」の知識が無いと歌詞が理解出来ない「箱根八里」などが歌われていました。

 で、忘れていけないこと。「学校教育で使われている歌、所謂文部省唱歌にも、歴史がある」ということです。例えば、「鯉のぼり」。二曲ありますよね。「屋根よ〜り高〜い」と「甍〜の波と〜」と。これは後者の方が古く、後者のみしか知らない高齢者はいらっしゃいます(最近少なくなりましたが)。文部省唱歌に限らず、個人個人で好む曲、というのは戦前に於いてもかなり開きがある物です。それを集団療法としてたかだか数曲しか取り上げない、というのはおかしい、と思います。

 音楽療法で良くありますね、童謡を演奏させるとか歌わせるとか。これも酷い話で、童謡を好んで聴く生活をしていたのならともかく、そうで無い人間に押し付けるのは・・・。本来ならその人の生活歴から良く聴いていたなじみの曲を見つけ出して、それを聴かせるのが音楽療法の正しいやり方では無いでしょうか。

〜日本人の音楽を「感じる」特性を知る事〜

 現在の施設利用者が良く音楽を聴いていた、と思われる時代、戦前〜昭和40年代後半までは映画やラジオ、遅れてテレビが大衆音楽の供給源でしたが、この頃の音楽を聴く、という行動は現在まで実は受け継がれています。この当時の映画音楽の主題歌の歌詞を見て見ると、歌詞が「起承転結」の流れ、なのですね。ある意味一種の短いストーリーをなしている曲が多いです。今、思いつくだけで「月月火水木金金」や「ラバウル小唄」、「ズンドコ節」「鐘のなる丘」「洒落男」などはその典型例です。

 この流れは現在まで生きています。

 実は多くの日本人は曲を「音」で覚えていません。「歌詞」で覚えているんです。この傾向はカラオケが娯楽のメインストリームに上り詰めた昭和50年代にますます強くなるのですが。その証拠に、歌詞のある曲をインストで流してもわからない利用者や職員が多い、という事があげられます。つまり、海外で行われている音楽療法のセオリーは、日本ではそのまま通用しない、ということです。音楽で生計を成すプロや、ジャズや海外のロックを聴きなれた人間ならその話は当てはまりませんが、高齢者に限らず、日本人の根底には「歌詞があってこその歌」は強くその脳内に染み付いています。これは日本人の特性ですが、これが良い悪いはまた別の話しですけどね。

 更に言えば、クラシックを聴いた事の無い人間に対してクラシックを聴かせて・・・というのはかなり乱暴な話です。α派が出るから良い?それも疑わしい話ですね。いかに美しい旋律とはいえ、聴き覚えの無い音楽が果たしてその人の脳や感情にどういう影響を与えるのか・・・「美味しいもんをたらふく食べて腹の調子がおかしい」というのは良くある話ですが、強制的になじみの無い曲を聴かせるのが利用者の脳内で同じ事が起こりかねない事態だ、という事まで考えが回りますか?

 おかしいのは、回想療法とか勉強している介護士やケアマネが、「クラシックは脳の活性に役立つ」と言い切るところですね。なじみの無い曲を聴かせるのが良い刺激になるとでも?悪影響だとしか思えませんけどね。

〜じゃ、あんたの施設はどうしてんだ、ということについての解答〜 
 うちの施設で行っている音楽療法は、こういう感じです。
1.最初に利用者にリクエストを取る。
2.で、そのリクエストを演奏者に演奏して頂く。
3.だいたい20曲で一時間強ぐらいの時間を使う。
4.いつも20曲リクエストが出る、とは限らないので、その場合は似たような曲や暫く出て無いリクエスト曲などを出す。この辺りは司会者のさじ加減でもある(実はこれがおいら以外のうちの施設の職員では出来ない点でもあります)。
5.リクエストした利用者にマイクを回してカラオケの状態にもなるが、そうじゃない場合は他の利用者や職員が歌うこともある。
6.だいたいリクエストはその日に完全消化するよう心がける。
7.利用者に楽器を持たせない。
8.痰痰と流すのではなく、途中に笑いを入れて進行する

 こんな感じですかね。実はこの光景、自分が司会をしている様が1年以上前にKTSで報道されているんですが・・・。演奏者は鹿児島県内でも有名な音楽家兼薬剤師の方です(医療福祉関係でわかる人はわかると思います)。

 以上の話は、その先生との音楽療法中やその後の雑談で良く出る話なんです。先生とはもう15年以上のつきあいがあるので、結構くだけた話などもしますが、その端端に音楽についての真面目な話も出て来るので油断できません。結構真剣勝負です。

 ま、とりとめのない考察もどきになりましたが、こういうことを念頭に置いた音楽療法もあるよ、と言う紹介です、と言うことで。もし詳しく聞きたい場合はコメント欄に質問などくだされば有り難いです。

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posted by y-burn at 14:46| 鹿児島 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

認知症であろうが、障害があろうが、一人の人間に変わりはないわけで。

〜認知症 見守りケア 徘徊止まった〜

 1週間ぶりに訪れたヘルパーに、女性は言った。「夫は具合が悪いので寝ています」。だが、ヘルパーが見たのは、ベッド脇の床に横たわる遺体だった。

 死後数日たったと思われる遺体には布団がかけられており、女性は夫の死を理解していない様子だった。昨年秋、東京都内の70歳代の夫婦宅でのことだ。

 地元の在宅介護支援センターによると、夫婦とも認知症と見られていた。同センターの職員は介護保険の利用を勧めていたが、女性は拒否。説得の末、自治体独自の家事援助サービスを使い始めてすぐの悲劇だった。「認知症との自覚がない人も少なくない。そうなるとサービスにつなげること自体が難しい」とこの職員は嘆く。

 「いいかげんにして」

 都内の主婦(34)が声を荒らげた。認知症の義母(78)の便を処理している最中に、義母は平手でたたいたり、けったりする。週5回デイサービスを使っているが、家にいる時は紙を食べたり、外に出て行ってしまったり。介護に疲れても、認知症を理由に施設での短期入所を断られる。「介護保険で助かったことは多いけれど、自宅での介護は難しい」。主婦の実感だ。

 グループホームを始め、小規模介護拠点の整備など、介護保険の導入とともに認知症ケアのサービスは充実してきた。だが、その量や種類は十分とはいえない。国の推計では、現在約200万人の認知症高齢者は、2025年には300万人を超える。どう支援していくかが、今後の課題だ。

 新たな取り組みの一つが、東京都武蔵野市で行われている長時間の見守り介護だ。

 駅前の喫茶店で、認知症で要介護3の女性(74)がカフェオレの香りを楽しんだ。向かいに座るのは、市の福祉公社のヘルパー。女性は週に1度、散歩の途中に喫茶店に寄るのを何よりも楽しみにしている。

 週最大4時間、1時間500円でヘルパーの見守りを受けながら、好きなところに行ける。同市が、介護保険外の事業として08年に始めた。「家族の負担軽減につながっただけでなく、徘徊(はいかい)が止まった人もいる」と市では話す。

 医療との連携も、今後の課題だ。群馬県の70歳代の女性は、アルツハイマー型認知症の薬を処方されたが、暴力は増す一方。4か所目の医療機関で、別のタイプの認知症と診断され、薬を変えると症状は治まった。

 診察した群馬大医学部の山口晴保教授はこう話す。「医療側の十分な知識と経験があれば、家族の負担はまだ減らせる。長寿を喜ぶのに、それを支える体制ができていないことが問題だ」。
 認知症介護での問題。まず介護と医療の連携、という意味で現状問題あり。介護保険法ではその連携を強化するように、という事をうたっている訳ですが、それがなかなか上手く言ってないのが現状です。特に認知症の場合は、医療的観点からその利用者を見ていく、という事も必須なのですが、医療、特にドクターが多忙でなかなか症状に対しての意見が聞けないことも・・・。

 認知症ケアの最前線たるグループホームについても実は・・・という話もあります。新しいサービスが故に、施設によってそのサービスがまだ固定されていない面も有るし、少人数の老健になっている所も少なくないようです。人員的不足、というのはない(1ブロック日勤者3名、を明確に記している為。特養や特定施設もそう言う規定にして欲しい)のですが、入所者が認知症が行きすぎて、日常生活を自分でやって貰うと言う本来のグループホームの理念が何もできないような状況の施設、多いです。おいらのいたグループホームも、料理なんて出来ない。玉ねぎの皮剥きが関の山で、それも「何処までが皮やったけ〜」と言いながら最後まで・・・なんてのもあったぐらいです。

 認知症でも楽しく暮せる社会作り(施設は出来ているから)、というのをもっと目指さないといけないのは分かります。しかし、認知症に対する偏見や、家族の負い目など、そのような「負」のファクターを取り除かないと、それも困難になるのでは。
 
 今の日本のおかしい点ですね。長寿というおめでたい事を素直に喜べない、というのは。うちの施設でも、経管栄養で四肢の拘縮がある利用者なのに、「うちの家族を生かすのに金が掛かるから、介護度をこれ以上上げないで下さい」と言われるような家族もいるぐらいです。満足な介護が受けられず、負のスパイラルにはまるのは目に見えているんですが、それでも家族の意見は無視出来ない(家族の許可無しに勝手に変更申請できるわけじゃないからね)わけで・・・。

 認知症や障害などがあっても、長寿である事を素直に喜べる、そう言う社会作りに関わっている介護従事者は、誇れこそすれ卑下するべきじゃない。卑下させたくてたまらないのが2ch@公務員板にいますが、それは又別な話です・・・。

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posted by y-burn at 10:58| 鹿児島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

これでまた入所系介護施設に対する締め付けが・・・

〜介護施設火災 「1人夜勤」を解消せねば 〜

 札幌市のグループホームが火事を出し、入所していた7人が亡くなった。いずれも認知症で介護を必要とする高齢者だ。職員1人もやけどを負った。

 介護施設の火災は、過去にも多数の犠牲者を出している。

 2006年には長崎県の認知症高齢者のグループホームで7人が死亡。昨年3月、死者10人を出した群馬県の老人施設「たまゆら」は、ずさんな施設運営が大惨事を招いた。苦い教訓が生かしきれていない。

 防火対策は強化されつつある。いまは小規模な施設にも、消防署などと直結する火災通報装置の設置が義務づけられている。スプリンクラーの設置も進んできた。

 このグループホームは市に消防計画を届け出ていなかった。防火態勢のどこに問題があったのか。丁寧な検証が要る。

 根本の対策が抜け落ちている。夜間の施設の人繰りだ。厚生労働省が定める介護職員の配置基準が、そもそも低すぎるのだ。

 厚労省基準では、グループホームは原則、9人の利用者に対し夜勤職員は1人。出火当時、このグループホームには8人の入所者と当直勤務の女性職員1人がいた。基準は満たしている。

 だが、入所者の多くは体が不自由で、自力の避難が難しい。建物は2階建てで、入所者は各階に分かれていた。緊急時に、1人の職員だけで8人を誘導するのは、どう考えても無理がある。

 「1人夜勤」は各地のグループホームで常態化している。職員の負担は重い。常に緊張を強いられ仮眠も取れない。この状態を放置してきた厚労省の責任は重い。

 グループホームは、認知症ケアの切り札として期待されている。地域に密着していて、少人数の家庭的なケアが受けられるため、人気が高い。認知症高齢者の新たな住まいとして全国で整備が進んでいる。だからこそ、火災への備えを固めておくことが重要になる。

 防火の設備を充実させることはもちろんだ。とともに、万が一のとき、高齢者をいち早く避難させる態勢づくりが欠かせない。

 施設側は日ごろから近隣と協力関係を築いておきたい。ただ、今回のように未明の火災で火の回りが早い場合、近所の助けはあてにできない。やはり施設内に十分なマンパワーが必要だ。

 職員の配置基準の引き上げが不可欠だ。厚労省はグループホームをはじめ小規模施設の夜勤態勢をより手厚くし、それに見合う介護報酬を整えなくてはならない。
 今回の火災の被害に遭われた入所者の皆様や、関連事業所の職員様方には、哀悼の意を表します。

 群馬の「たまゆら」はともかくとして(あれはあれで別な問題が多かったので)、長崎と言い札幌と言い、いったん介護福祉施設で、夜間に火の手が上がるとそれはもう「入所者の焼死」を意味する、と言う事を証明したようなものですね。悲しい事実ですが・・・。

 北海道という寒い地域なら、ストーブを一晩がんがん焚いての夜勤、と言うことも考えられますが、その近くに洗濯物を干す(湿度保持の絡みでそうした可能性は大きいでしょうね)のは常識的にあり得ない行動。本来ならオール電化&太陽熱や風力での自家発電、という方策で乗り切れそうな気もしますが、これはおそらくその地方のことを考えれば、考えが甘いのでしょう。

 この問題、厚生労働省は「防火のための方策を徹底しましょう」的な通達や火災報知器の設置、さらにスプリンクラーの設置義務づけ(これって、その手の業者にとっては良い機会だったんだろうけど、経営的に大きくない施設などでは相当な金銭的負担を強いることになりかねない、まさに悪魔の通達だったんだよな。これで新設しようと言う意志のある法人がいなくなった可能性もある)などでお茶を濁しているようですが、これはあくまで対症療法ですよね。医療的な観点から言えば。

 むしろ、入所系施設で現在言われている、俗に「利用者:職員=3:1」の比率を、2:1とまでは行かなくても、2.5:1ぐらいまで持って行くこと、また、それに見合う介護報酬の改正をするのが本来先でしょうね。特に入所系施設は現在介護度がどんどん高くなっているのが現状。経営側としても、余計な介護職員は取らず、最低限で回そうとする(うちの施設はそうです)でしょうし。そうなると、従事者の負担が大きくなり・・・

 要は、3:1の基準と、それに見合う報酬体系ではこの悲劇がまた繰り返されても仕方がない、と言うことです。現状、夜勤一人は仕方ないのかもしれません。しかし、事故が起こっても、それを助けられない、と言うことに等しいと言うことを証明したわけですからね、この火災で。来年度に報酬と介護保険法本体の改正が重なりますので、そこでさらなる悲劇を生まないような法改正をお願いしたいです。

 介護をもっと手厚くするのは小規模施設に限りません。中規模や大規模、特養も老健も有料ホームもそうあるべきであり、更に言えば、加算用件についても差別を本来付けるべきじゃない。口腔ケア加算とか特養にはあるのに有料ホームにはない・・・これでは、有料ホーム職員のモチベーションは上がらないだろうね。離職の原因の一つにもなるんじゃね?え?入所時一時金?あれは廃止の方向で。

 入所時一時金の問題は、教育と同じで、介護にも「大きな格差」を作るの?と言うことが頭に残る。ある程度の格差は良いとしてもだ、これまで一生懸命国を、地域を、家族を支えてきた方々に、格差あり、と言うその扱いはなかろう。ま、もっとも、「介護保険は最低限のサービスだけを提供するもの」と言いきった日置市の介護保険課の方もいましたけどね。

 介護保険がらみのこういう事件や事故が起こるたびに、介護保険の無力さ、行政のおろかさ、我々がどうあるべきか・・・毎度の事ながら、考えることは多い。考えずに、素直に遂行できるような法律なら問題ないのだけど・・・。

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posted by y-burn at 09:03| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

今年は回想法も兼ねて、自分の施設で消費する分の梅干を漬けてみたい、と思っています。

〜「回想法」認知症防ぐ試み 思い出話で感情豊かに〜

 高齢者が昔の思い出や自分の人生について語ることで、認知症予防に効果があると期待される「回想法」。

 福祉施設だけでなく、地域や家庭でも活用すれば、高齢者が周囲との交流を深めるきっかけになるという。

 茨城県龍ヶ崎市の市歴史民俗資料館の一角には、昭和初期から戦後にかけて使われた生活用具が展示されている。お櫃(ひつ)や羽釜(はがま)、電気行火(あんか)、火鉢……。今月5日、展示品の前に60代から90代の男女6人が集まり、懐かしそうに見入っていた。

 同館では、NPO法人龍ヶ崎市回想法センターが月5回、高齢者に人生を振り返ってもらう取り組みを行っている。ガイド役のスタッフが「こんな湯たんぽを使っていましたか」と尋ねると、近くに住む鹿志村正さん(80)が話し始めた。「やかんでお湯を入れて使った。下が平らで細長い、かまぼこ形のものもあったね」

 この活動は4年前に始まり、鹿志村さんは、ほぼ毎回同館に通っている。「同世代の友人が少なくなり、家族以外と話す機会がほとんどなかった。集まった人たちと話すと、昔の生活の記憶がよみがえって楽しい」と笑顔を見せる。

 回想法は米国で盛んになった心理療法で、日本では1990年代から本格的に研究が行われた。この10年ほどは、認知症予防の効果を期待され、福祉施設などで取り入れられてきた。

 国立長寿医療センター(愛知県大府市)包括診療部長の遠藤英俊さんは「人生を振り返ることが、自信を持ったり、自分の存在意義を見いだしたりするきっかけになる。会話をすることで感情が豊かになり、社会的なつながりができる効果もある」と指摘する。

 家族同士で昔の話を聞いてみる取り組みも、お勧めだという。回想法の普及活動を行うNPO法人シルバー総合研究所理事長の来島修志さんは「自宅にある古い写真などを用意すれば昔の事が思い出しやすくなり、家族同士でも気軽に『回想』できます」と話す。洗濯板などの古い生活用具や、お手玉などのおもちゃも、手に取った時に記憶を呼び起こしやすい。

 写真などが見つからなければ、昔の生活習慣などを映像で再現した市販のDVDを一緒に見たり、地元の歴史資料館などで生活用具を見学したりしてもよい。思い出を孫らに伝えたり、文章に書き出したりすると、生きがいになり、回想法を継続的に行うことにもつながる。

 特に、幼少期の話を親に聞くことを勧めるのは、福祉施設などで回想法を指導するNPO法人日本回想療法学会(茨城県取手市)会長の小林幹児さん。「記憶がほとんどない時期の話を聞くことで、子どもは親の苦労を知り、親は子育てを振り返って自分の役割を改めて肯定できる」と強調している。

回想法のコツや注意点
 (来島さんの話をもとに作成)

 ・昔の家事や遊び、小学校の思い出など楽しかったこと、得意だったことを聞く。

 ・生活用具の名前や、使い方などを具体的に聞く。

 ・当時の風景や色、音、におい、味、手触りなど、五感を使って感じたことを聞く。

 ・過去の体験を踏まえ、伝えたいこと、今後やってみたいことを聞く。

 ・細かい事実関係が間違っていても、誤りを指摘せずに、話の内容を肯定し共感する。
 ・思い出したくない様子だったら無理に聞かない。

 ・プライベートな思い出を聞いても、本人の許可を得ずに第三者に話さない。
 自分もこの回想法の応用版のレクをやる事があります。おいらの場合、「梅干の漬け方を教えて下さい」とか、「あくまき(鹿児島で言うちまき)はどうやって作っていましたか」とか、「味噌を作るんだけど、材料は何でしたっけ?」とか。食べ物の作り方とかを元ネタにしての回想療法を良くやります(得意分野のひとつなんです)。昔主婦だった皆様が多いもんでねぇ。鹿児島の場合、食文化が独特なので、自分の知っている方法と違う事があったりして、実際楽しいです。

 本当は、これで予習して、実際に味噌づくりをしたり、梅干を漬けたり、というレクなら良いんでしょうけどね。グループホーム時代はそういったことやりましたが、今の職場である特定施設では出来ないのか?と事務方とこの間相談した所「保健所とのからみの問題があって・・・」といわれましたが。本当はどうなのかは分からないのでそれ以上の追求はしませんでしたが、本当だとしたら、「自立支援」を唄った介護保険に対して保健所が「拘束」をしていることになりゃあしないのか?と思わずにはいられません(梅干を塩分20%で漬けて食中毒の問題がある、という事は科学的には無い、と思うんですけどねぇ・・・)。

 あと、これは試みてはいないんですが、「youtube」や「ニコニコ動画」などのWebサイトを施設内の大型テレビとHDMIケーブル(グラボは発色のいいRADEONならなおベスト)で繋いで、昔の歌謡曲や軍歌などの映像で回想療法を行う、と言う事も出来はしないだろうか、と思っています。うちの施設で行われている音楽療法も実は回想療法の一種(簡単に言えば、療法開始時に昔の曲をリクエスト、ないし司会者がピックアップし、演奏して頂く。歌う歌わないはリクエスト者の自由)なんですが、せっかく今の福祉施設にはネット環境があるんだから使わない手は無い。おそらく、「システム構築の値段を考えると」というのが事務方の意見だと思いますがね。試してみる価値はあるのかもしれないし、もしかしたら試している施設もあるんじゃないでしょうか?

 レク担当をやっていたこともあった(junko姉さんにはかないませんが)し、以前から「ちいちいぱっぱ」的な体操レクには否定的(これしかやらない特養もあるんですよね、実際)だったので、このような普通と違うアプローチのレクリエーションは、まだまだ学んでいかなければならないことも多いです。最も、金銭的とか言う面でどうしても出来ないこともあるんですが、そこは工夫とか、方法論とかになるんじゃないかな。

 ただ、思うのは、認知症予防というよりその時を楽しめる、そんなレクの方がおいらとしては理想です。個人個人考え方や感じ方は大きく違うので、全体で、というより個人個人に支援できればいう事は無いんですが、職員によっては「あの職員は誰々さんと遊んでいる、まじめにルーチンワークをしていない」という目でしか見ない輩もいるだけに。難しいところです。

 今のこの方法でいいのか、と言うのもあるので、回想法、個人的にネットで資料集めてやってみましょうかね。

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2010年02月01日

てろめあ

〜年齢より若く見える人は長生き? 見た目年齢と寿命の関連性を調査。〜

 人間は年を重ねれば肌のハリを失い、シワが増え、その年齢相応の顔立ちになっていくもの。しかし、中にはいつまでも実年齢よりも若く見える人々もいる。そうした見た目の違いが、実は寿命にも関わっているかもしれない――。そんな研究結果をデンマークの研究グループが発表した。

 英紙ガーディアンによると、この研究は南デンマーク大学で老化を専門にしているコーア・クリステンセン教授らのグループが行い、英専門誌「British Medical Journal」で発表したもの。クリステンセン教授らは、2001年1月時点で生存していた1,826人の双子(70歳以上)をサンプルに選び、その写真を20人の看護師、10人の若い男性、11人の中年の女性に見せた。そして、写真の人物がいくつに見えるか、年齢を推測するよう依頼。この質問結果と、 2008年の生存状況の関連性を調べた。

 ここで双子を取り上げた理由については、老化に関わる遺伝子情報を同様に持っている点を考慮。環境の違いにより生じた見た目の変化が、寿命の違いに結びつくのかどうかを容易に掴めるためだ。英紙デイリー・メールによれば、クリステンセン教授らは同じ双子の写真は別の日に見せ、客観的にその人の年齢を推測させるようにしたという。

 調査の結果、2008年の生存状況では、全体の37%に当たる675人が亡くなっていたことが判明。その多くは2001年の年齢推測の際に、実年齢より老けて見られた人だったことから、「見た目の年齢は、生存状況とかなり関係している」と結論付けている。

 また、同じ双子の間で推測された年齢の幅が大きいほど、老けて見られたほうは先に亡くなっていた例が多く見つかったという。この結果にクリステンセン教授は「簡単に言えば『厳しい人生を歩んできた人は寿命が短い』。その人生は、顔に反映される」(デイリー・メール紙より)と語っている。

 また、米紙ニューヨーク・デイリーニュースによると、研究ではサンプル者らの染色体調査も実施。この中で教授らは、染色体の末端に見られる「テロメア」という部分の長さを調べている。「テロメア」は染色体末端部を保護する役割があるとされ、「この部分が短い人は、老化のスピードも速く進行すると考えられる」という。すると、今回の研究でも若く見えた人ほど、長い「テロメア」を持っていることが分かったそうだ。

 クリステンセン教授は「成人の人が『年齢より老けて見える』と言われれば、健康状態が良くない証だ」(ガーディアン紙より)と忠告する。肌のシワやたるみなども、軽く見てはいけないのかもしれない。
 おいらとうちの親父はよく言われるんですが、「今お幾つですか?え〜、うそ〜、若いですね〜」・・・お世辞だとは思うんだけどね。うち自体もともと親は双方長命の家系ではあるから、もしかしたらそうかもしれん。わかんないけど(高校時代はこれでもオッサン呼ばわりだぜ・・・実際)。

 本題。どうもこの説は経験上、当たっているような気がする。『厳しい人生を歩んできた人は寿命が短い』というのは、人生の中にマイナスの心理状態が多いという事でもある。そういう心理状態が、というか「こころ」が体にもいい影響は与えない、という事であろう。そういう意味でも心理状態をニュートラルやアッパーに持って行く事が大事なんでしょう。泉重千代さんみたいに、「年上の彼女が欲しい」とかいう冗談か前向きなのか良く分からん話が出来ればベターかな?

 年齢と高齢者介護、というのは実は難しい話で、年齢が高いと介護度も必ず上がる、と言うものでは無い。その人間の既往歴や現在罹患している病気、生活歴が介護の手間に大きく反映される。これが介護、特にケアプランを難しくしている理由の一つでもある。

 具体的に言えば、四肢麻痺もなく現在大きな病気もしていない、言動も一見まともに見える。しかし一回見ただけではわからない認知症や精神疾患があり、施設からひょいひょい飛び出すわ、職員や家族や他の利用者に暴言を吐くわ、普段の話が自分の過去の仕事の自慢だわ、果ては家族に有料老人ホームに棄老されるわ・・・これは軽いけれど介護度はつきます。見た目ではわからないファクターをどう吸い出して、忠実に訪問調査時に調査員に説明するか、これも大事な仕事ですね、ケアマネや相談員の。

 見た目な美容だけに気を使うのではなく、若いという精神状態をキープするのが大事なのかもしれません。もっとも、「健康の為なら命もいらない」と云う様になったらそれは別な病気ですけどね。

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posted by y-burn at 13:27| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

政治の才能がない首相が何を言うか

〜「高齢者は才能ない」 恥知らず首相発言の真意〜

 これほど平気で人間の尊厳を傷つける政治家が、総理大臣を続けていることに強い憤りを感じる。25日、かつて自らが会頭を務めた青年会議所の会合で飛び出した麻生首相の「高齢者は働くことしか才能がない」などとする一連の高齢者冒涜発言は、絶対に容認できるものではない。批判を浴びた首相は「真意が伝わっていない」「その部分だけを切り取られた」との弁明をしているが、前後の発言も含めると決してそうではないことが分かる。首相発言を検証してみたい。

 「高齢者、いわゆる65歳以上の人たちが元気。全人口の約20%が65歳以上、その65歳以上の人たちは元気に働ける。介護を必要としない人たちは実に8割を超えている」 まず、介護を必要としない人たちが8割超との発言だが、「介護崩壊」との声があがる現場を知らぬ妄言でしかない。介護保険制度の失敗は歴然としており、制度の不備や金銭的理由から、受けたくてもまともに介護を受けられない高齢者は多い。認識不足では済まされない内容だ。

 「元気な高齢者をいかに使うか、この人たちは皆さん(青年会議所のメンバー)と違って、働くことしか才能がないと思って下さい。働くということに絶対の能力がある。80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら青年会議所の間くらいだ。そのころから訓練しておかないと、60過ぎ、80過ぎて手習いなんて遅い」

 前段よりの発言の流れからすると、介護のいらない高齢者が多い → 高齢者は青年会議所のメンバーとは違って働くことしか能がない → この労働力をどのように利用するか考えよう、ということになる。さらに、青年会議所のメンバーである30歳台から遊びを覚えることができる人間でなければ、遊んだり、趣味を見つけたりすることは無理だと言う。まさに特権階級の論理である。炭鉱主として成り上がった麻生の血ゆえの発言か、青年会議所の考え方なのか、ぜひ聞いてみたい。いずれにしても一般社会では受け入れられまい。

 「国民を死ぬまで酷使し、税金を搾り取るためには、高齢者に60の手習いなどムダ」。首相はそう考えているとしか思えない。でなければ、高齢者を労働力として利用しようという話に、遊びや手習いのことを持ち出す必要はない。自分たちだけは、若いころから遊びや趣味を覚えることができる人種だったから、高齢になっても悠々自適が許されるが、それ以外はダメだと言いたいらしい。

 多くの高齢者が、自己のためだけでなく、家族や地域社会を守るため、懸命に生きてきた。趣味や遊びには目もくれず、立派に子どもを育て上げ、社会を支え、静かに逝った人は数え切れまい。そうした先人たちの努力の上に現代社会は成り立っているのだ。

 麻生発言は、まじめに生きる全ての日本人に対する侮辱でしかない。こんなバカを総理大臣にした自民党は、潔く責任をとって、選挙前に下野すべきだろう。

 「働ける才能を使ってその人たちが働けるようになれば納税者になる。税金を受け取る方ではなく、納税者になる。行って来い。日本の社会保障は、全く変わったものになる。どうしてそういう発想にならないのか。明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会、これが日本の目指す方向だ。もし、高齢化社会の創造に日本が成功したら、世界中、日本を見習う」

 つまり、年金もらったら、その分働いて税金を払えということ。「搾取」という言葉があるが、総理大臣が炭鉱の親方なみの思考回路しか持ち合わせていないということだ。これでは国民=納税者は救われない。もちろん、世界の物笑いにはなっても、見習う国など皆無である。

 高齢者の労苦に報いるということは、働きたいと思う人、ゆっくり余生を送りたいと願う人、それぞれに応えることのできる社会環境を整備するということだ。それが政治家の使命でもある。発言の真意を探れば、麻生太郎は、総理大臣としても政治家としても失格だったという結論しか見えてこない。人間としての見識も疑わざるを得ないが・・・。
 すまん、学習院大学って、日本でも相当レベルの高い大学じゃないんだっけ?そこの卒業生がこのレベルか。卒業して何十年も経っているとはいえ、これは大問題じゃねぇの?大学だけじゃないのかな?炭坑の坊ちゃんの発言だからなぁ・・・

 元気な高齢者の社会進出が、これからの日本には必須であることは間違いない。少子化が止まるような社会政策や風潮が無くならない限りそれは必要だ。でも、「働くことにしか才能がない」って何だよ。誰がそうしたのか分かっているのか?あんたら自民党や官僚の政策でしかないんだって、それは。そうなった高齢者を、まだまだ酷使するのが青年会議所の仕事、と言いたいわけか。

 最も、今は働かなけりゃいけない状況になっているのが現状ではある。年金は多くないし、労働力の低下もある。将来に不安を抱えての生活を強いられるのは嫌だからね。介護保険や長寿高齢者医療などの法律があっても、弱者救済ととても言えない法律だから、将来が不安。しかも一見健康な高齢者が多いとはいえ、動けないほどではない整形系の病気や高血圧や軽度の糖尿など、何らかの病気を抱えつつ、だ。そもそも将来に不安を抱えつつ働く環境を国民に強いるのはどうなんですか、と言う話だよ。

 ま、80過ぎで遊びを覚えられない云々って言っているが、遊びを覚えられない、ワーカホリックであるべきだ、というような教育をそもそもしているわけだろ(意外とこれが分かっていないサイトも多いんだよね、この件は賛同する、とか言っている)。勿論それは人間らしい生活、とは言えない。現在の高齢者はこれ自体はどうしようもないと思うし、ある意味麻生さんの言葉は正しいのかもしれない。でも、だからといって、「働かすだけ働かそう」というのはどうだろうね。むしろ、遅くとも遊び、や余裕を覚えていただく方向性でいくべきだろうけどね。それも含めて、高齢者に不安のない社会整備をすべき。そんな仕事政治家も官僚も自分に関係ない(年金ありますからね)からしてないだろ?

 不安のない社会を国民が欲しているのに気づかないし、それを身内の咳で言って悦になる・・・政治すら才能のない首相が何言っても、時代はあなたの望まぬ方向に動く。そういうもん。

 ただ、これが今回の選挙でのマスコミの「民主誘導」なのかも知れないね。言動がどうであれ、そういう誘導には注意すべきだと思うよ

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posted by y-burn at 07:10| 鹿児島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

書類を作れ、と言うくせに、報告基準を定めていない自治体の矛盾・・・介護従事者バカにしとんのか、おまいら?

〜介護サービス事故、国が集計断念 自治体で報告基準に差〜

 全国の介護サービス事業所で起きた事故について、厚生労働省が事故の形態や件数を調べようとしたところ、都道府県によって報告を求める際の事故の基準が異なるなどしており、集計を断念したことがわかった。民間研究機関の全国調査では、回答を得た都道府県のうち約2割が基準を定めていなかった。同省は今後、介護事故の定義や報告の手順などについて検討する。

 厚労省は昨年11月、全国の介護事故の調査に初めて乗り出し、都道府県に事故の報告を求めた。事故が起きた際、介護サービス事業者は保険者である市町村に対して報告が義務づけられており、都道府県は一定の基準を設けて市町村から報告を受けるケースが多い。

 だが、その基準は「死亡または3カ月以上の入院、加療」(福岡県)、「医療機関での受診」(熊本県)、「緊急性、重大性のあるもの」(大阪府)、「重大なもの」(東京都)などと、都道府県によってまちまちだった。

 また、「感染症」を報告対象に含めるかどうかも都道府県で異なっており、同省は今年3月、集計をあきらめた。

 同省が補助する調査研究事業として、三菱総合研究所(東京)が昨年度、47都道府県を対象に調査したところ、回答を得た31自治体のうち2割強にあたる7自治体が基準を定めていなかった。さらに15自治体が「データが均質でなく、集計・分析に値しない」と答え、基準のあいまいさも浮き彫りになった。

 事業者から直接報告を受ける市町村では、どのような事故の報告を求めるかについての「基準なし」の割合がさらに高い。全国1805市区町村に対する三菱総研の調査(回収率49.3%)では、基準を「定めていない」が46.7%に上り、「定めている」は40.5%にとどまった(残りは無回答)。

 厚労省は「将来の全国調査に向け、事故の定義付けや調査方法などを検討するため、今年度も引き続き研究事業の補助を続ける」としている。
 事故についての報告義務の怠慢ということ(確かにしてなかったんだが、通知もなかったらしい)で、とある老人ホームを恐怖のズンドコに陥れていたのは鹿児島県ですよね?でも、そのあなたたちが「事故報告の基準って何だろう」ってどういうことだ?それならば、報告義務も何もあったもんじゃないよね。集計が出来ないほど曖昧って、何処の世界にあるんだ、そんな基準。

 各県ではあるけど、日本全体で統一していない・・・それを報告、ってなんて曖昧なんでしょう。曖昧なものを報告しなければならない、と言うふざけた今の状態、早急に改善を望みます。

 介護士のレベルだけじゃなくて、行政のレベルもこれかよ・・・どうしようもねぇなぁ、この世界。

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posted by y-burn at 06:58| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

そもそも在宅で見れない重篤な利用者が施設に集まる現状が・・・

〜介護職に一部医療行為も 厚労省が指針策定へ〜

 厚生労働省は10日、特別養護老人ホームの介護職員に、一定の条件の下でたんの吸引など一部の医療行為を認めるための指針作りに着手した。年内に各地の特養でモデル事業を行って安全性を検証し、来年度の実施を目指す。

 たんの吸引やチューブで流動食を直接胃に送り込む「経管栄養」は、医師や看護師が行う医療行為。特養ホームなどの介護施設では、看護職員が手薄な夜間などに介護職員が無資格で行っている実態があり、安全性を確保した上でこれらの行為を認めるよう望む声が強かった。 モデル事業では、一定の研修を受けた介護職員が、医師の指示の下、たんの吸引や、経管栄養の準備と経過観察などを行う。事前に看護職員が入所者の状態を確認し、常に連絡が取れる態勢を整えておくことが条件。

 医療関係者からは「習熟した技術が必要だ」との慎重論もあり、安全確保のため、吸引できるのは肉眼で確認できる口の中だけで、鼻や気管切開した部分は対象外とする。経管栄養では、チューブの接続や流動食の注入は看護職員だけが行う。

 現在、医療従事者以外では、特別支援学校の教員に障害児のたんの吸引と経管栄養などが認められているほか、在宅の難病患者らに対するたんの吸引は、指導を受けた家族やホームヘルパーなどに容認されている。
 近年、入所系施設である特養や老健、介護病院だけでなく、有料老人ホームでも経管栄養やそれに伴う痰の吸引を必要とするケースは増えています。当然の話で、ここまで重篤になった場合、在宅で経過を見るにはそのリスクが高すぎるからです。

 大きめの施設では看護師の夜勤もあるのでしょうが、50人の施設ではそれも難しい(それをフォローするために特定施設での夜勤看護師常駐加算なのでしょうけどね、単位数足りなすぎだわ、あれ)から・・・。

 ただ、医療と介護の境目、と言うか、そのあたありがどんどんあやふやになっている現状があるし、おかげで現場は困っています。ある程度のガイドラインはあるものの、はっきりしたものではないので、「爪切りは大丈夫なの?」とか言う話もあるわけよね(福岡での事件もあっただけに、なおさら)。更に、研修をする?またその手の天下り系法人がやるのか・・・やれやれだ。

 そもそも、疾患にあわせて、出来るだけ経管栄養にならないような医療を早期に行うのが先決。「経管で良い」というのは最後の手段にすべきだ。介護もそうで、出来るだけ口から、経管になっても早急に経口からの摂取に切り替えるべきで、その為の言語聴覚士のリハビリが重要になってくる(鹿児島の郊外のリハビリ科の言語聴覚士みたいに、介護が状況を聞くのを嫌い、部屋に入ってくるなと言うのは論外)。今回の改正で、経管栄養を出来るだけ減らすのに加算付ければ良かったのに。

 現場の実情をすべて理解しているとは言えない(これ以前に、苦しんでいる場合は、介護士が吸引やっているケースも多いと思う)この指針作り、遅い、と言うか、何というか・・・介護保険施行時に出来たものをここまで引きずるなって。

 総合的な介護の現場を把握できない現状を何とかしろ、厚生労働省よ。

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posted by y-burn at 08:33| 鹿児島 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

これが「地域との連携」と言うことの一つ

〜「キッズヘルパー」 認知症介護に力貸して 遊びや食事…歓声が和ませる 〜

 認知症介護に子供のパワーをいかす取り組みが広がっている。あやとりや相撲といった遊び、食事、入浴などを通じて、高齢者と密接にかかわる方法だ。歓声を上げる子供たちは、側にいるだけでも高齢者を和ませる。さらに踏み込んで接することで、まだ偏見の多い認知症について理解を広げる狙いもある。

 ◆「普通の人だよ」

 茨城県水戸市の「デイサービスセンターお多福」は高齢者の通所介護施設だが、土曜や夏休みなどには小中学生もやって来る。管理者の高橋克佳さんは「自由時間に庭でキャッキャッと遊ぶ様子を、おばあちゃんたちが見て喜びます。窓辺に椅子(いす)を並べて、にこにこして。3世代家族の家のようにしたい」と話す。

 子供が介護施設を訪問しても見学や慰問にとどまる場合が多いが、お多福では独自の制度「キッズヘルパー」を設けており、高齢者の話し相手や掃除もする。2年目の今年は22人が登録。年20回ほど参加する子供もいる。認知症の人が多いため、キッズヘルパーにも認知症に関する基礎的な知識が必要だ。

「『認知症は病気』『名前を何度も聞いてくるので何回も答える』といったことを事前に伝えます」と高橋さん。

 キッズヘルパー制を始めた目的のひとつは、認知症の人について地域住民の理解を得ること。子供たちが「普通の人だよ」と親などに話すことで、認知症の人に気軽に声をかける住民が増えれば、徘徊(はいかい)する人も安全に家に帰れる街になる。

 そのため、子供たちが高齢者と密接にかかわれる仕掛けを設定した。“仕事”をする意識を持たせるため、登録時に履歴書を提出してもらい、採用通知を渡す。一日の賃金として、施設内通貨「オッタ」を支給する。子供たちは「マッサージをしてあげたら、『気持ちよかった』と言ってくれた」などと、やりがいを感じているようだ。

 ◆一緒にお風呂

 岩手県大船渡市の「小規模多機能ホーム後ノ入(のちのいり)」も「弱い人たちに手助けすることを学んでもらえれば」と今年度、キッズヘルパーのような仕組みを取り入れる予定だ。

 同ホームには日常的に近所の子供たちが出入りし、高齢者と入浴を楽しむこともある。運営推進会議には学童保育の指導員も加わる。昨年の開設以来、見学会や防災訓練などを通じて地域住民とかかわる機会をつくってきた成果だ。

 高橋誠一・東北福祉大教授は「多世代がかかわることで施設内がひとつの社会になる。買い物など街へ出て活動する所は多いが、逆に地域の住民を取り込むのもいい方法だ」と話している。
【用語解説】運営推進会議

 認知症グループホームや小規模多機能ホームが定期的に開く会議。運営の透明性やサービスの質を確保するため、平成18年度に開催が義務付けられた。構成メンバーは利用者や家族、地域住民、市町村職員など。ホーム側の働きかけで、消防・警察職員や近隣商店が参加する所もある。全国認知症グループホーム協会が今年3月に公表した調査結果では、運営推進会議を「有効」とする事業者が約6割。「地域の学校関係者や児童が遊びに来てくれるようになった」とする事業者も目立った。
 いろんな施設内行事の際にうちの子に来てもらい、手伝ってもらう(と言っても、歌を歌ったりするだけだけどね)ことが結構あります。理由?「人はどういう状態であろうがみんな同じだよ」と言う教育としての一環ということや、入所者がとにかく喜ぶこと(孫やひ孫を思い出すようで)で、精神的によい刺激を与えたいこと、ま、そんなもんで。子供と高齢者、結構お互いに良い影響を受け合うようです。

 色々な取り組みをしている事業所もありますが、なかなか日々の業務で手一杯。専門的な介助まで手伝ってくれる、と言う訳ではないけれど、こういう取り組みは良いよね、正直。

 うちは特定施設なんだけど、以前働いていたグループホームでは「運営推進会議」参加スタッフの一人として、色々な意見を聞き、それを日々の介護にフィードバックしていました。結構良い制度ですよね、準備は大変だけどさ。これを何故他の介護保険サービスで取り入れないのか、というか、うちの施設もやりたいよね・・・ま、事務方は説得できるけど、今うちにいる「頭のお堅い、プランに文句付ける(付けられるようなプラン放置しているくせに)と怒る、プライドだけはいっちょ前」のようなケアマネにはそういう柔軟な対処は無理でしょうね(本当に歯がゆいのよ。おいらならもっと・・・といつも思っているから)。

 様々な試みをどんどん行い、入所者や利用者にフィードバックできる施設はこれからも問題なく生き残れますよ。問題は、それを良しとしない施設にある。介護保険の枠内にとらわれないで試行錯誤するのが本来の姿なのだけど・・・とらわれすぎているのを間近に見ているだけにねぇ。

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posted by y-burn at 23:31| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢者の環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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