2012年03月10日

今のテレビ、そこまでして見る価値あるのかな?

〜海賊版カードで有料TV見放題 暗号解読か、総務省調査〜

 有料のテレビ番組を放送事業者に金を払わずに視聴できる非正規カードが、インターネットで出回っている。デジタル放送に対応するすべてのテレビに付く「B―CASカード」の海賊版で、不正防止用の暗号化技術が破られた可能性がある。総務省は調査を始めた。

■ネットで「1枚4万9800円」

 暗号が解読された場合、B―CASカードの交換などシステム全体が刷新を迫られる恐れもある。正規カードの発行枚数は昨年3月末時点で約1億5千万枚。

 海賊版カードはホームページを通じ、1枚4万9800円で売られている。WOWOWなどBS89チャンネルとCS「スカパー!e2」全チャンネルが視聴でき、通常の料金なら1カ月あたり計3万6661円分になるが、支払わないまま半永久的に使えると宣伝されている。

 実際に入手した男性が取材に応じた。黒色のカードを一般的なテレビに差し込むと、ハリウッド映画や著名外国人歌手のコンサートの模様などが次々と映し出された。いずれも本来は月2千円程度を払わなければ見られない番組だ。

 この男性は1月末に購入、台湾の私書箱から郵送されたという。同月に売り出され、男性が販売サイトから在庫数を確認した範囲では、すでに約2500枚が売られたとみられる。

 有料番組は通常、映像にガードがかけられ、未契約の状態でチャンネルを合わせても、ゆがんだ映像や契約を促す文章が映る。B―CASカードには有料番組の契約内容が暗号化されて書き込まれ、それに応じてガードを解除している。

 海賊版の制作者はこの暗号を解読し、未契約の有料番組を契約済みに書き換えたとみられる。

 知的財産権に詳しい福井健策弁護士は「技術的に不明な点はあるが、本来必要な契約を回避する手段を提供しており、販売者は不正競争防止法違反に当たる疑いが強い。利用者も業務妨害罪等に問われる可能性はある」とする。

 総務省は「このようなカードは過去に例がなく、悪質性が高い。情報を収集した上で対処を考えたい」と話す。B―CASカードを発行するビーエス・コンディショナルアクセスシステムズや、有料番組を放送するWOWOW(東京)とスカパーJSAT(同)は、「不正なカードの存在は認識しており、詳細を調査中」としている。

 〈B―CASカード〉 デジタル放送のテレビやチューナーに付属し、差し込まないと番組が映らない。有料番組の受信のほか、番組の不正コピーを防ぐために使われる。放送・家電各社の出資でつくる会社が発行する。一般的には銀行キャッシュカードと同程度の大きさで、赤や青、オレンジ色。

 うちのテレビにも職場のテレビにもこれ差し込んであるんだが、次男が小さい頃抜いちゃって自分の大事なものの隠し場所(机の引き出しの中)に突っ込んでしまい、見つかるまで半日間テレビ見れなくなったのを思い出したわ。

 しかしこれ、地デジに伴って制度化されたものなんだろうけど、その裏に何もないといえるのかな?

 基本的にお役人は何もないところから勝手に決まりや法人を作って利権にするのが巧いからなぁ...このB-CASのシステムもそれじゃないのか?テレビ局を管理している総務省の天下り先とかになってそうで。

 最もそれ以前の問題もある。

 今のテレビ、多チャンネル化しているけど本当におもしろいか?

 最近録画するのが子供用のアニメとバラエティ、相棒、プロレス、F1、邦楽洋楽アーティストのライブぐらいしかないんだもの。ニュースすらバラエティ化している昨今では、見る価値もない番組も多くなっているし。Youtube見たりituneでネットラジオ聴いたりFacebookで交流している方がよっぽど楽しかったりするんですよね。

 昔に比べて番組に金がかけられなくなったのはわからなくもないが、それにしても、と言う内容が多すぎる。今まともな番組やっている放送局はNHK教育とBSの放送大学ぐらいじゃないのかな?申し訳ないがそう思います。

 あと、ここまで解析できる人間がいるならそいつを捕まえて罪に問うんじゃなくて、逆にビーエス・コンディショナルアクセスシステムズに入社させるのはどうだい?解析できるなら防御も出来るわけだし。

 最も放送だけでなく、日本にあるすべての利権がらみを撤廃しないとこの国に未来はなさそうなんですが...。


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2011年05月21日

武田先生の非常に重い言葉

〜武田邦彦 (中部大学)科学者の日記110517  「福島の胆力」と「乞食集団」〜

自分が日本人だからかも知れない・・・何回もそう思い直してはいるけれど、それを割り引いても日本人というのは立派な民族だ。

それは今度の地震や原発事故でも見事に示された。

世界でこのぐらい大きな災害が起きても、冷静に我慢強く、礼儀正しく自らを律することができる民族は他にないだろう。

2011年5月16日、私は福島にいって福島県の人とお話しをしてきた。そこで多くの立派な日本人とお会いした。

ある人は絶望の中でも毅然として生活を送り、ある人は不安の中でもそれを必死に耐えていた。そして明るさも失っていない。

私は暴言を浴びせられることを覚悟していたが、温かく迎えてくれた。

・・・・・・・・・

福島の人は「政府がやるべきことをしていない。東電は人の庭を汚しておいて掃除にも来ず、それでも年俸2400万円を受け取るという酷い会社だ」ということが判った上で、それを飲み込み、そして自衛している.

教育委員会の視野には「子供」はなく、ただ自分たちの「保身」だけがあることも承知のうえだ。

指導者と言われる人からのこれほどの仕打ち、それなのに、このような立派な態度、謙虚な心・・・私は、これは日本人だけのことか、福島県民だけのことか?

いや、あのロシア民族のそうかも知れない. かつて見た映画の一場面が思い出される. 

・・・・・・・・・

あの広大なロシアの大地の中で、自然と共に人生を送っていた農夫とその連れ合いの妻。

そこに突如としてヨーロッパの軍隊が襲いかかり、家を焼き払い全てを破壊して去った. 

残された老夫婦にロシアの厳しい寒気と雪が襲う.

「ばあさんや・・・」

農夫は瓦礫になった家の壁によりかかり、老妻と共に1枚の毛布を膝に掛けて遠くを見ている。

「ずいぶん、降ってきたわね」

雪は激しくその老夫婦の上に降り、見るみる内に二人は雪の中に没した。

老夫婦はお互いを愛し、共に生きてきた。今、こうして最後を迎え、二人の間にはいたわりも慰めの言葉もいらなかった。

ただ、心一つに大自然の中に消えていく。

・・・・・・・・・

土の上で人生を送る人たちは、高層ビルで仮想的な競争に明け暮れる東京の下等民族とは違うのだろう.

でも、土の上の人は寡黙で謙虚だ。

・・・・・・・・・

21世紀になり、人が人として尊厳ある人生を送ることができるこの社会で私たちは人生を送っているとばかり思っていた。

「その国の政治は、国民のレベルで決まる」

と言う有名な言葉はウソではないだろうか?

首相は毎年、変わり、政権が交代しても公約を守ってはくれない。地震予知にあれだけのお金をかけても1000年に一度という大地震をまったく予知できない。

原発の事故が起こると、国民の待避は遅れる、重要情報は隠す、それに加えて子供を被曝させる文部大臣が登場するという始末だ。

なぜ、これほど「胆力のある国民」と「正義心のない政府」の組み合わせになったのだろうか?

全ての原因は「税金の取りすぎ」だ。

今の政府や官僚、東大、NHKは明確に「乞食の集まり」・・・自ら額に汗して生活をするのではなく、口先で他人の財布からお金を引き抜くことだけに長けた乞食集団・・・であることが、この福島のプリズムを通してみるとハッキリ見える.

人間社会というのは何時になったら一人一人の人間としての尊厳が尊重される時代になるのだろうか?

それは、国民一人一人がどのぐらい「偉く」なったら、実現するのだろうか?

(平成23年5月17日 午前9時 執筆)武田邦彦
 重い言葉で、これにどうコメントしても無理だと思うのでやりません。でも心にはずっしり来たコラムではある。
 
 この東日本大震災でこれからの日本が良い方向に変わるのかおかしな方向に変わるのかの瀬戸際ではある。どうもおかしな方向を望んでいらっしゃるようだな、日本という国の偉い人たちは。それに疑問も持たずついて行っている輩どもまでもいる悲惨な状況だ...。

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2011年04月08日

カレーは自分で美味しく作るものです。法に守られる必要はないよ。

〜もしも“カレー無料法”ができたら〜


もしも“カレー無料法”ができたら


“カレー無料法”は、「お金のない人にも、せめてカレーくらい食べさせてあげよう」という趣旨の法律。メニューにカレーのある飲食店は、カレーだけは無料にしなければいけない、というもの。もしこんな法律ができたら、まずカレーチェーンは商売にならないので、消滅するだろう。

そして、牛丼チェーンやファミリーレストラン、定食屋などでカレーをだしている店も、カレーはメニューから消えるだろう。こうして、カレーをだす店はなくなってしまう。これまで普通にカレーを食べていた人も、カレーを食べられなくなるのだ。どうしてもカレーを食べたい人は、違法の“裏カレー”をだしている店に行く。“裏カレー”は1万円くらいするが、店側も違法を承知でやっていて、摘発されるリスクがあるので、高額になっている。

そのうち、「なんで普通にカレーを食べられないんだ!」という国民の声が強まって、政府はカレーショップに補助金を出すことにする。無料でだしてもらうかわりに、政府から1杯500円の補助金が出るのだ。

この“カレー補助金”によって、今度はむしろカレーショップが激増する。カレーチェーンが次々にあらわれ、カレーショップでない飲食店も、ほとんどカレーをだすようになった。これによって、カレーが好きな人は、いつでもどこでも、カレーが無料で食べられるようになった。また、特にカレー好きでない人も、カレーならば無料で食べられるので、みなカレーばかり食べるようになった。

いっぽう店の側も、みんなカレーばかり食べるので、カレー以外のメニューは売れなくなっていき、カレーに集中する店が増えてきた。
しかし、経済にフリーランチ(タダメシ)はない。政府は“カレー補助金”のために、膨大な財政支出を強いられることになった。“カレー補助金”自体は1杯 500円だが、補助金の支給や、店が過大な申請をしていないかのチェックなどに、多大なコストがかかる。こうしたカレー関連の仕事のために“カレー庁”ができて、カレー庁の職員は日々、申請を受けつけたり、店に調査員を送り込んで、抜き打ちで検査をしたりしている。

“カレー補助金”以降、カレーチェーンの中には大成功して、一部上場したり、経営者が億万長者になる例も出てきた。しかしいっぽうで、国民からは “カレー無料法”を撤廃せよという声も強くなってきた。“カレー補助金”はけっきょく税金から出ているので、カレーをあまり食べない人にはむしろソンになっているからだ。

しかし“カレー無料法”がなくなったら、カレーチェーンには補助金が入らなくなるし、カレー庁も存在意義を失う。そこでカレーチェーンは、カレー庁から天下りを受け入れて、カレー庁を強くバックアップすることにした。カレー庁はこれに力を得て、「お金のない人にもカレーを」というポスターをそこらじゅうに貼ったり、テレビにコマーシャルを打ったりした。

またカレー庁は、学者やマスコミ人によびかけて、「お金のない人にもカレーを」のキャンペーンに協力してくれるよう手配した。これが功を奏して、あちこちの新聞や雑誌で、カレー庁寄りの記事があらわれた。こうした記事では、最近増えてきた“カレー無料法”撤廃論は金持ちに味方するもので、お金のない人にカレーを無料で提供することは社会的使命である、といった主張がなされた。テレビのワイドショーでも、人気のある司会者が「お金のない人にも、カレーぐらい食べさせてあげましょうよ」と涙ながらに訴えたりして、視聴者の心を動かした。

弱者に味方する気持ちの強い人は、このようなカレー庁寄りの記事や番組に賛同し、“カレー無料法”に反対する撤廃論者は金持ちの味方だ、と思い込んでしまった。こうして、カレーチェーンとカレー庁のキャンペーンは大成功し、“カレー無料法”を支持しつづける人が増えて、撤廃論は下火になった。

このようにして、“カレーは無料”というのが定着し、あたり前になっていった。カレーは国をあげての一大産業になると同時に、カレー以外の食はだんだん衰退していった。また、カレーが売れた数を水増し請求したり、客と共謀してカレーがたくさん売れたことにする、といった不正も横行した。カレー庁は日々、そうしたチェックに追われ、いくら人手があっても足りないような状態で、カレー庁の職員の数はどんどん増えていった。

こうして、日本の財政支出にしめるカレー関連の予算はしだいに増えていき、明白に財政を圧迫するようになってきた。海外の著名な経済紙などにも、「Curry-crazy Japanese(カレーに狂った日本人)」といった批判記事が出て、日本の狂ったカレー政策が日本経済を失速させている、という指摘があいついだ。

日本在住の外国人や、日本好きな外人観光客などからも、「最近の日本はどこの店もカレーばかりで、せっかくの日本の食文化が台無しだよ」といった失望の声があがるようになった。これは日本人もほとんど全員が思っていたが、いまや日本のカレー政策を表立って批判することはタブーに近く、なかなか批判できなかった。

いまやカレーは国をあげての一大産業になっていて、どこの会社も多かれ少なかれ、カレーショップやカレー庁と取引があるような状態だった。よって、国のカレー政策を批判する場合は、会社に不利益を与える可能性があるので、クビを覚悟しなければならなかった。このため、カレー政策を堂々と批判しているのは、カレー庁のシンパでない学者やジャーナリスト、ベンチャー起業家、匿名のブロガーなどが中心だった。マスコミにカレー政策の批判が載ることはなかった。

以上、“カレー無料法”から始めて、いくらか思考実験してみた。この話の要点は、

1)政府がカレーを規制すれば、カレーの供給が減る
2)政府がカレーに補助金を出せば、カレーの供給は増えるが、本来のコスト以上に税金が使われる

という2点だ。どちらにしても、政府が市場に介入することになるので、市場はねじ曲げられ、市場参加者のインセンティブもゆがんでしまう。そして、

3)いったん法規制ができると、それは既得権益になり、それを崩すのは容易でない

というのが、この話の核心である。特に、「国のカレー政策を批判する場合は、会社に不利益を与える可能性があるので、クビを覚悟しなければならなかった」という部分に注目してほしい。雇用の流動性がない場合、このように“クビがかかってしまう”ので、国の政策を批判することが“タブー”になりやすい。

ここでの“カレー”にあたるものは、別になんでもいい。法規制の背後に、このような“構造”や“力学”があるという例は、少なくないだろう。今回のカレー話はフィクションだが、いま実際にある法規制は、まさに現実である。
 日本の法律成立〜軌道に乗るまで、のたとえとしてすごく面白い話。ここではカレーだけど、電気やパチンコや医療や農業や介護もこういうくくりで簡単に説明できそうだから怖い。

 でもって、この有り様を批判したりする人間は逆に壮絶な誹謗中傷で責められるのだから...。はなっから無いんだよね、日本に言論の自由なんてもんは。誹謗中傷する自由は主張するくせに。

 さすがに「一生じいさん、ばあさんのウンコ拭きやってろやwwwwwwwww」は許せる言葉じゃないな、例えネタであるとしても。きっちりその発言は飲んで貰って将来死ぬ方がましなほど反省させるから覚悟しとけよ。

 既得権益を潰さない限りこの国に未来は無い。お役人は「介護士が政治を語っても待遇改善には繋がらない」と言っている(はっきり言ってますよ、URL教えましょうか?)が、違うと思う。向こうさんは「介護従事者はお人よしの馬鹿」ぐらいにしか思っていないようだが(異論あるなら"違います"とコメントしてくださいな、ここに)、お人よしでもなければ馬鹿でもない介護士がいて、考えた事をネット上に残す事が犯罪なのかな?ここではわりと介護の事を語らない(うん、ごめんね)けど、社会や政治や経済の流れが介護、と言う業種にも何らかの影響を与えている事は間違い無い。昔の上司に「政治経済と福祉は全く無関係なのよ」と言いきった保健師がいたが、明らかに間違い。むしろそれらの動向を押さえていないとまともに仕事は出来ない、と思ってます。また、介護従事者一人ひとりが声を挙げられる環境があるのなら、どんどん声出していくべき。現行法というぬるま湯に浸かって満足するほど落ちぶれちゃいないよ、我々も。

 この「カレー無料法」のような法律の流れは、今回の大震災を契機に変えるべきであろう。変わらなきゃ、被災者が満足できる未来なんて作れない。作らせたくない人もいるようですが、そいつらは過去にしがみつくだけでいいんじゃないの?
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posted by y-burn at 10:39| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | お役人の馬鹿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月10日

現場の介護従事者の意見としてはいろんな意味で反対です。

〜介護人材に7段階の段位導入を検討−政府〜
 
 介護人材のキャリアアップ制度の構築に向け、政府の「実践キャリア・アップ戦略推進チーム」の下に設置された専門タスク・フォースの「介護人材ワーキング・グループ(WG)」はこのほど、7段階の段位制度を導入する方向で検討に入った。政府は来年度中に実証実験などを実施した上で、2012年度の本格実施を目指している。

 段位は、政府が導入を目指す「実践キャリア・アップ制度」の中に位置付けられる。技術や能力を客観的に証明することでキャリアデザインを描きやすくしたり、他分野からの労働移動を円滑にしたりすることが狙い。現在は介護、環境・エネルギー、食・観光の3分野で具体的な基準の策定に向けた議論が進められており、他の成長分野にも順次拡大する方針だ。

 介護人材をめぐっては、基本的な知識や技術を修得したレベル1の「エントリー」から、最高位に当たるレベル7の「名人」まで、7段階の段位を設定する案が検討されている。具体的には、レベル2、3が「スペシャリスト」、レベル4が「プロ」、レベル5、6が「上級プロ」とされる。

 また、介護関係資格とも関連付け、▽レベル1が初任者研修(現行のホームヘルパー2級研修)修了相当▽レベル3、4が介護福祉士相当▽レベル5、6が現在検討されている「認定介護福祉士」(仮称)相当―などとする案が出ている。段位を介護報酬とリンクさせることや、具体的な段位の認定方法なども検討課題に挙がっている。

 専門タスク・フォースは月内にも、実践キャリア・アップ制度の骨格に当たる基本方針を取りまとめる予定。介護や環境などの各分野に共通する横断的な段位設定の在り方や評価方法、普及に向けた方策などが盛り込まれる見通し。この基本方針に沿って、各WGは具体的な制度設計に向けてさらに議論を進める。

■職業能力開発基本計画にも位置付けへ
 また実践キャリア・アップ制度については、来年度から5年間の職業能力開発政策の方向性を示す「第9次職業能力開発基本計画」にも新たに盛り込まれる見通し。厚生労働省がこのほど民主党厚生労働部門会議で示した同計画の案では、職業能力の開発・向上やキャリア形成が容易になるよう、同制度を構築する必要性があるとしている。
 この件については、twitterのハッシュタグ#kaigo7で議論されているので、興味ある方は参照してみてください。

 個人的にいえば、このシステムには反対です。むしろ介護従事者を馬鹿にしているのでは?まで考えます。

 まず、「○○という資格相当」と言っても、実際は介護福祉士持っていても何も出来ない、という人間もいるし、何の資格を持っていなくても凄く仕事のできる介護士もいる。資格と関連させる、という行為はこういう状況を一変させる可能性も秘めています。資格は持ってないけど人気があって良い介護従事者が評価されず、資格だけの頭でっかちが間違った意味で評価を受ける。悪化が良貨を駆逐する、を地で行く可能性は否定できません。何しろ資格取得には時間が大きな要因になります。一生懸命介護をしている従事者が資格取得に時間を割くほど余裕のある、という事が現状なかなか難しい(勿論努力する人はするんだろうけどね)。正直、現場を見ないで机上の空論だけでこういう資格を作ろうとしているのがもうバレバレです。

 次に。こういった人材を育成する場合のお金の流れを考えるべきだと思います。この間おいらもケアマネ更新研修を受けているのですが、これ、かかった実費全額計算すると30000円越えるんですよ(100枚近くの書類をコピーする、という苦行までやりました)。都道府県によってかかる金額が違う、という事(国家資格じゃないからね。現在都道府県で行なっている研修の最安値で固定して欲しいよ・・・)も聞いていますが、相当な金額が鹿児島県の社会福祉協議会に流れたのでは無いか?と思います。介護保険という法律で出来た資格が、またそれが更新制になったということは、勿論ケアマネの資質の維持という面もあるし、そのほうが大きいのでしょうが、ある意味そういった法人に対しての収入を得る事に繋がるのでは?と思います。これと同じ流れが今回のキャリアアップで出来るのでは無いか、という事を危惧するんです。認定介護福祉士という資格も実際はどうしても作るべきな資格ではなく、その要請の為の法人や人員を確保し、介護福祉士を一種の集金マシンにする、といえば言いすぎかもしれませんが、そういう風に見えなくもないんですよね・・・。ユーキャンとかの通信教育会社等にとってもその旨みは大きいのでは?

 もう一つ。段位って、介護技術は習い事か何かなのか?馬鹿にしとんのかい?

 介護というのは単なる技術の集約ではなく、全人的な「アート」でもあると個人的には考えています。いくら教科書通りの介護ができるから、と言ってもそれだけでは無い。コミュニケーション一つとっても過去の風習や歴史背景、その時代の考え方までも含めた上で考えるべきことですから、簡単に行くものでは無いんです。現在行なわれている自治体の監査のように、全人的な技術を見るのではなく、その一部の技術だけで評価し、段をつけていく・・・結構危険では無いのかな?良い職員がいなくなる可能性も考えられますね。

 今思いつくのはこんな所ですが、少なくとも現場にいる人間としてこのシステムには賛同しかねます。認定介護福祉士という資格は必要だとは思いますが、段位で分けるべきじゃないでしょう。

 ぶっちゃければ、介護職の待遇が上がらないことに対して、従事者から文句が出る前に「ほ〜ら、こうすればお前ら納得するんだろ?俺らの考えたこのシステム、良いでしょ〜?」と、馬鹿にしとんのか?ということ。もっと根本的なところから考えないと、このシステム導入したとしても介護従事者は増えやしません。ま、見といて。仮にこれが導入されても、絶対失敗するから。


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2010年03月16日

twitterの「萌え系」アイコンも規制、と言うことでしょうか?

〜マンガ・アニメの「ポルノ」 キャラクターが18歳未満に見えるとダメ〜

東京都が都議会に提出した「青少年健全育成条例」改正案をめぐり、波紋が広がっている。改正案では、マンガやアニメのキャラクターを想定した「非実在青少年」という概念を新たに設け、内容によっては「不健全図書」に指定することができるようになっているほか、ケータイのフィルタリングについて、事業者に努力義務を定めている。

これに対して、「表現の自由に抵触する」「これまでの動きを無視した規制は、かえってリテラシーを後退させるのでは」などとマンガ・ケータイの両業界から反発が強まっている。

〜児童ポルノ根絶に向けた動きの一環として自主規制〜

条例案は「東京都青少年問題協議会」の答申を受け、都が2010年2月24日開会の都議会に提出したもの。児童ポルノ根絶に向けた動きの一環として、図書販売の自主規制に関する条項に新たに「非実在青少年」という概念が加わったり、青少年のケータイ利用についての条項を増やしたりしたのが特徴だ。

これまでの各都道府県の青少年健全育成条例でも、「青少年の健全な人格形成に対して有害」と判断された書籍や雑誌については、いわゆる「有害図書」(東京都では「不健全図書」)に指定し、書店やコンビニで「区分陳列」(一般の棚とは隔離して販売)することになっている。この「不健全図書」に指定されうる対象として加わったのが、今回の「非実在青少年」という概念だ。改正案によると、その定義は

「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起される事項の表示又は音声による描写から18歳未満として表現されていると認識されるもの」
というもので、マンガやアニメのキャラクターを念頭に置いたものとみられる。

この条項をめぐっては、都議会でもすでに疑問の声があがっている。例えば3月3日の一般質問では、西沢けいた議員(民主)が

「過激な表現が描写されているものは当然規制すべきだと思うが、こうした新たな概念が具体的にどのようなものか明確ではなく、あいまい。解釈のしようによっては『青少年を描写した漫画やアニメのほとんどが適用されてしまうのではないか』という懸念を持つ方もいる」
と述べている。

これに対して、倉田潤青少年・治安対策本部長は、

「その(「非実在青少年」による)性交または性交類似行為に係る姿態を、正当な理由なく性的対象として肯定的に描写した漫画等について、青少年に対する販売等の自主規制及び不健全図書指定の対象に追加する」
「単に子どもや、その裸の描写が含まれる漫画やアニメを規制するものではなく、また広く成人に対する流通一般を規制するものでもない」
と答弁。つまり、
(1)「非実在青少年」が描かれているからといって、すぐ規制対象になる訳ではない
(2)「非実在青少年」が性行為をしている作品であっても、成人に対しては規制しない、との反論だ。

〜「表現の自由に抵触する重大な結果をもたらす危険」〜

それでも批判が収まる様子はない。例えば京都精華大学マンガ学部の竹熊健太郎教授は、3月11日、自身のブログで「『イメージを取り締まる』という前代未聞の条文は、「拡大解釈による恣意的な運用が懸念されていまして、表現の自由に抵触する重大な結果をもたらす危険があります」と批判。その上で、

「京都精華大学でも、昨日の教授会でこの問題が取り上げられ、マンガ学部を擁する大学としての、公式な反対声明を出すことで議論がまとまりました」
と、大学としても声を上げる予定を明らかにしている。

インターネット関連の条項についても、批判が上がっている。

条例案では、規則で定める「正当な理由」がなければフィルタリング(閲覧規制)が解除できないようになっているほか、都知事が青少年の健全育成に配慮した機能を備えた端末を推薦できるようになっている。

これに対しては、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)や東京都地域婦人団体連盟が10年3月12日に都内で会見を開き、
「神経質になりすぎている。(単なる道具であるはずの)包丁を規制するようなものだ」などと批判した。

また、「ケータイ世界の子どもたち」(講談社現代新書)などの著書がある千葉大学教育学部の藤川大祐准教授(教育方法学)は、今回の条例案が、これまで行われてきたケータイについての啓発活動の後退につながる危険性を指摘している。

「現状でも、実態調査、教材開発や授業、保護者等への啓発、サイト監視、フィルタリングや迷惑メール防止といった取り組みを通信事業者や教育関係者が連携して進め、問題は限定されつつあります。ところが、これまでの努力をすべて否定するような形で条例案が出されています。教育啓発について言えば、『厳しい規制ができたので教育啓発は不要』ということになりかねません。実際、小中学校へのケータイ持ち込みと小中学生のケータイ所持を条例で禁止している石川県の教育現場では、そのような雰囲気が広がっていると聞きます」

3月15日には漫画家らが都庁記者クラブで条例改正に反対する記者会見を開く予定で、今後も改正案に対する異論は吹き荒れそうだ。
 おそらく、海外の幼児ポルノ規制を受けてのこの「非実在青少年」と言う訳のわかんない概念が出来たんでしょうけどね。基本的にこの規制については反対です。

 こんな曖昧な「非実在青少年」という規制をかければ、主観の問題として、普通なら取り締まりの対象にならないイラストや漫画でさえ規制になってしまう可能性は高い。これは憲法の「表現の自由」に接触する事にもなりかねない。ある特定の人間の主観が判定基準という曖昧な規制法は、そもそもあってはならないことでしょ?民主主義では。

 ちなみに・・・こういう規制の厳しい国の性犯罪率より、緩い国の性犯罪率が低いのはご存じなのだろうか?特に児童ポルノにはキリスト教国が厳しい傾向にあるが、これは、彼らの宗教が「禁欲こそ偉大」という精神病的な妄想に取り付かれているからであり、逆に考えれば、彼らがそういう禁断の欲を満足させたいが出来ない、出来ないなら規制してしまえ、という事になっているはず。でなければ、その反動だと思うんだけど、児童への性犯罪率の高さ(日本の数倍が普通である)については説明が出来ない。

 もっと馬鹿だなぁ、と思うのは、そういう宗教上、心理学上のデータがあり、なおかつただでさえ日本の性犯罪率は低いのに、欧米のまねをすればいい、としか考えられないセンスしかない政治家や行政ですね(タバコ規制にも同じ事がいえます)。いかに現実を見ていないか、と言う証拠。それに、本当にここまで表現について神経質で良いのか?とも思う。もっと大らかで良い。それで日本はこれまでやってきたわけだし、その結果もそう悪くないのだから。

 もう一度言います。過度の規制をかけるのは、憲法に表されている表現の自由に反するし、それまで培った日本の世界に誇る「萌え文化」の否定にも繋がりかねない、危険なものであると。この規制には断固として、反対の意を表明します。

 ただ最後に。さすがにおいらも犯罪的ロリータに対して賛成しているわけではありません(それについてはそもそも反対です)ので、その辺は誤解無きようお願いします。

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posted by y-burn at 08:37| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | お役人の馬鹿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

「市長を降ろそうとして、人権団体や部落解放同盟とコラボした自治労職員がいたんですよ」「なぁにぃ〜、やっちまったか?(以下略)」

〜阿久根市長に謝罪求める会、人権団体などが結成〜

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が障害者の出生を否定するような文章をブログに掲載した問題で、県内の労働組合や人権団体などが「市長の差別発言撤回と謝罪を求める会」を結成した。

 28日に市内で人権について考える集会を開き、竹原市長に抗議する。

 会は、左足が不自由な桐原琢磨県議の呼びかけに、部落解放同盟県連合会など12団体や大学教授が賛同し、1月29日に結成された。

 桐原県議は、「集会には市長にも出席してもらい、発言の真意を直接聞きたい。さらに、この問題を機に多くの県民に人権について考えてもらいたい」と話している。
 あ〜あ。

 市長のやることが直接影響のある労組は分からんでもないが、部落解放同盟まで出動ですか?彼らこそ、「ゴネ得」の恩恵を受けている中ボス的存在じゃないの。

 今の日本人の大半は、仮にその団体が本当に人権を考えていなくても「人権」と言う言葉が入っていれば、「逆らうべきじゃない」と考える。いわば、水戸黄門に於ける葵の御紋の印籠ですね。そこで思考停止しちゃう。と言うか、されるよう初等教育の段階でインプットされている訳だ。そこに疑問を持つことさえ「悪」と見なす。しかし、それをうまく利用して得をしている輩もいるわけだ。今の世界、なんかきれいそうな言葉の裏には、その言葉を利用して稼いでいる団体や輩がいる、と思わなければいけない。具体的に言えば、人権や差別で金は稼げるんだよね、今の日本って国は。また、人権に対しての法整備も未だ未熟(例としては、高齢者虐待防止法の穴の大きさは世界に紹介するには恥ずかしすぎる)だから、その隙を突くんだわ、そいつらは。

 綺麗事には裏が必ずあるんだよ。真っ黒な。

 で、反市長派は「これで強い味方が出来た」と喜んでいるんだろうけど、そのあたりを分かっている人間にとっては、「あ〜あ」と言う感想しか出てこないわけ。反市長派のレベルは分かっている。あなた方はこういう人権擁護の皮をかぶった狼どもを制御は出来ない。むしろ、飲み込まれてその後はぺんぺん草も生えない状態に陥ることは容易に予想がつく。前も書いたけど、市長を辞めさせてその後阿久根をどうしたいのだ?あんたらは?鹿児島の夕張がお望み?

 人権屋さんというゴネ得のプロに阿久根が蹂躙されるのは、阿久根や鹿児島の未来を潰すのと同義。竹原市長は彼らの言動に動かされないで欲しい。まぁ、動くような芯の柔い方では無いのはよく理解しているが。

 PS:さつま通信様、リンクどうもです。こちらも明日リンクしようと思います。明日早出なので、今日はもう寝ますので・・・。

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2010年01月06日

その考え方には賛同するけどね、ちょっとやり過ぎかも・・・

〜「私のやり方加速」阿久根市長、ブログでは「革命宣言」〜

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は4日、市役所であった仕事始め式で約3分間あいさつし「今後は私のやり方を加速する。命令に従わない職員は辞めてもらいます」と述べた。

 式には職員約50人が出席した。新聞各社の取材は2009年の仕事納めと同様に拒否した。出席者によると、竹原市長は「今の市の状況で、給料が上がらないと言う職員はいらない。私がやることは国がまねします」などと語った。

 また、1日付のブログでは「今年は激動の年になります。阿久根市政に革命をおこします。これからの作業に比べれば、これまでのものは児戯です」と記載。「革命には多くの苦労と、おそらく血も涙も伴います。全(すべ)てを乗り越えます。私は、これからの作業に全てを賭けようと思います」と宣言した。
(で、ブログの内容ね)
2010/01/01 (金) 虎の年 修羅の如く

 あけましておめでとうございます。
今年は激動の年になります。
転落と崩壊に向かい続けている社会を救う為に阿久根市政に革命をおこします。これからの作業に比べれば、これまでのものは児戯です。
私がこの革命に取り組むのは職員や市民の皆さんに楽をさせるためではありません。金儲けができる面白い人生を差し上げる為でもありません。次の世代、そしてその次の世代を支えあい、慈しみあうものにするためです。
革命には多くの苦労と、おそらく血も涙も伴います。全てを乗り越えます。
どの道、人は生の悲しみと苦しみ、そして死からも逃れる事はできません。私は、これからの作業に全てを賭けようと思います。
 いったい何をするつもりなんだろ?竹原市長?怖さとワクワクさが半々、という感じかな。

 阿久根市に限らず、だけど、地方の行政の財政は疲弊しきっている。その現実も見ずに、今まで通り「こ〜むいん」にしがみつくしか能のない人間は、民間を経験してみるが良いさ。どれだけ甘くない世界かその身に染みつくまでやってみ?公務員という人間がどれだけ優遇されているか、と言う事すら分からない現状だからこその、市長の言葉だ、と思う。

 最も、竹原さんのブラック企業の上司のような言葉はどうしたもんかねぇ。ものは言い様なんだけどな。
「うん、やるだけのことはやりますが・・・ふっふっふっ・・・。それで、結果を出せない職員は阿久根市にふさわしくないと思われますので。それ相応の待遇・・・ひょっとしたら、ですが、最悪の結果すら覚悟して、日々の業務に励んでくださいね、ふっふっふっ・・・。それが私の思う改革、と言うものですよ、ふっふっふっ・・・。おわかりでしょうか?文句があるなら聞くだけは聞きますがね・・・」
ぐらいで良いと思うんだが・・・って、もっと怖いか。

 竹原市長は、その言動が過激な故の批判も多いけど、その考え方はそう間違っている訳じゃない。むしろ、こういう言動がありましたよ、どうですか?批判してくださいよ〜、と新聞社にチクるしか能のない阿久根市自治労こそ攻められて当然だ、と思う。あいつらどういう仕事してるのか一度見てみてぇぜ。毎日2chと市長ブログで粗探し(としか思えないカキコが必ずあるんだよね、市長関連のスレに)?これを擁護するマスコミもブロガーもバカばっか。

 阿久根市自治労関係者諸君に阿久根市議員諸君、貴方達は、阿久根市を素晴らしい町にしようと努力していましたか?その努力が全く報われない証拠に、領収書は改ざんする議員はいるわ、研修旅行と称したオカマとグリーンカレー満載のタイ観光する議員はいるわ、3号線のシャッター街の寂れ方は著しいわ、出水にも川内にも合併にそっぽ向かれるわ、散々じゃないですか?AZ無ければあとは何もない街(最も、自然の豊かさは認めるけどね、これは行政の仕事じゃないし)にしやがってさぁ。結果も見せずに、市長の粗探しだけが仕事なん?

 「私がこの革命に取り組むのは職員や市民の皆さんに楽をさせるためではありません。金儲けができる面白い人生を差し上げる為でもありません。次の世代、そしてその次の世代を支えあい、慈しみあうものにするためです。」・・・ここまで言いきる市長もなかなかいねぇよな。これが本当の政治の理想、というのは言い過ぎかもしれないけれど、ある程度の期待感はある。更にそれが全国に広がる姿も。

 ま、ネトウヨで結構だから、おいら。でも、難しい言葉で悦に浸る様などこぞのブログとは違うぜ。

 ・・・とか言ってたら、まさかこれは・・・

〜阿久根市長、防災無線使いマスコミ批判〜

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が5日夜、同市の防災行政無線で「マスコミは私を陥れようとしている」などと主張した。

 防災行政無線は市内各地の屋外や一部の家庭に設置されており、竹原市長の話は午後7時半頃から突然、数分間流れたという。

 複数の市民によると、市長は、昨年11月に自身のブログに障害者の出生を否定するような文章を掲載したことについて「ブログを発信して1か月後にマスコミが騒いだ。私を陥れるためだ」と訴えた。
  マスコミと自治労だろ?陥れようとしてやがるのは?ま、竹原さん、やり過ぎ、かな?
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posted by y-burn at 12:23| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | お役人の馬鹿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月05日

これまでそう表沙汰になっていなかった発言が・・・何か裏がありそう。

〜阿久根市長に抗議150件 障害者否定ブログ記載 県教委が調査開始〜

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が自身のブログ(日記風サイト)に「高度医療が障害者を生き残らせている」などと障害者の出生を否定するかのような記載をした問題で、同県教委が経緯などについて調査を始めた。同市役所には、抗議の電話やメールが約150件相次いでいる。

 県教委によると、ブログの記載は問題として、3日、事実関係を問い合わせた。竹原市長から4日に「養護学校(特別支援学校)に勤める人の話を聞き、自分もそうだと思ったので書いた。誰が言ったかは答えない」との回答があったという。「事実とすれば、発言者を確かめる必要がある」として、引き続き市に回答を求めている。

 竹原市長は障害者の記述について、報道陣に対し「事実は事実。感情的な反応は分かるが、医療が人の生死をコントロールできる神の領域に踏み込んでいる」と述べ、謝罪や撤回する考えは示していない。

 一方、市によると、この記述に関する意見は4日午後5時までに電話88件、メール51件、ファクス4件、電報3件。大半が「市長は謝罪して辞職するべきだ」といった抗議だったが、賛同意見もあったという。

 この問題では、14日からの市議会一般質問で市議3人が取り上げる予定。竹原市長は「チューブにつないで無理やり生かすのも医療。切りましょうという判断を政治的にどこかでしないといけない」とも話している。

■天皇批判も記述 市議が問題視

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が2年前、自身のブログ(日記風サイト)に「天皇家はどこの馬の骨とも分からない家系」と記載し、現在も削除していないことが分かった。一部市議が「市長の現在の認識を問いたい」として、14日からの市議会一般質問で見解をただす予定という。

 記載は市議時代の2007年6月7日付。明治天皇は伊藤博文が手下とすり替えたとし、「今の天皇家はまさしくどこの馬の骨とも分からない家系。昭和天皇が終戦時に国民を配慮した気配は全くない。ひたすら私財の保全にだけ心血を注いだ」などと記している。

 竹原市長は取材に「歴史的事象はどの情報を真実として考えるか、その人のセンス。市長の立場で説明すべきでない場合もある」と話している。
 どちらの発言も過激で、おそらくそれに対して・・・と言う話なんだろうけどね。そこまで大きく扱う記事かこれ?所謂魔女裁判か?言論を封殺するのが民主主義とは恐れ入ったぜ。それより、日銀のデフレ対策で埋蔵金が10兆円以上でる可能性がある、と言うのを記事にしなよ。

 障害のある人間でも、高度医療で助かっている。それは紛れもない事実だ。しかし医療が進歩することで、これまでその病気なら助からないはずの人が助かるようになっている。が、五体満足じゃない。何らかの障害は出る。高度医療というのなら、もっと高度なラインを目指し、このような障害が残らない方向に持って行くという手もあるだろう。現在の高齢者で意識もない、所謂「スパゲッティ」状態ってのは、医療福祉に携わるものとしての本音で言えば、「これ、本当に生きていて、家族も本人も幸せなんだろうか?」と思う。


 生まれることは喜び、死ぬ事は忌むこと、という価値観も当てはまらないほど今の日本は酷い社会になっている(そうでないと児童虐待や高齢者虐待の説明はつかない)。その「バランスの狂った医療・福祉」という背景に対する警告であり、文章が少々稚拙な故に問題になったのだろう、と思う。少なくとも、障害者やその家族を傷つける為の意図での発言には見えない。むしろ問題は、社会的弱者が一般の社会人より強くなり、それに圧力をかける事になる社会が理想なの?と言うこと。勿論弱者は守らなければいけない。でも、弱者の論理だけで社会を動かすと、「高福祉国家で、国として破綻しかけている」福祉学者が大好きなスウェーデンになってしまうんだよな。高齢者に言わせたい?「人生で大きな事件・・・それは家族の崩壊だよ」って?

 命も障害者もデリケートな問題だからねぇ。最も、これは個人的考えにとどめるべきであり、ブログや公であまり話すべきじゃない。ただでさえこのようなブログを公開していると言うことはその文章をひねくれて見る人間(自治労、って所に加入している人たちでしょうかね?)は多いわけだから、慎むべきである、とは思う。

 天皇ねぇ・・・これはコメント難しい。ただし、東アジアの3馬鹿に対する牽制や、ヨーロッパに対しての有効度を深めるという政治的な理由であれば存続してもかまわない。ま、高齢者は天皇ご一家大好きだから。

 おかしいと思うことを言おうか。医療についての記事が先月の11/8。約一ヶ月前で、その時は別に何の問題にもなっていなかった。天皇についての記事が2年前の6/8。市長になった時点でこの天皇についての記事はあったわけで、これまでこれについても問題になっていなかった・・・。臭うよ。阿久根市自治労とそれと結託するマスコミの臭いがぷんぷんするぜぇ。悪意ある関係者がマスコミにリークした、としか思えないんだよね。

 更に言えば、パワハラや自殺幇助、幹部の家族は生徒をPTSDにしても守るという、やりたい放題(ええ、竹原市長の思想より歪んでいる、と言うことで有名な)の県教委まで乗り込んできたって?やめておいた方が良い。事態はますます悪化する方向になるんじゃね?市長より県教委の立場が悪くなりそうだ。

 竹原市長もうかつな点は否めないけれど、こんな風に発言の揚げ足とりで自分の地位と収入を守る、と言うやり方はどうもね・・・せこいな。発言の薄っぺらな表面だけ見ても、阿久根市の現状は分からないし、それで大騒ぎする連中もどうかな、と思う。そういう風にとらえるのであれば、大騒ぎする連中や阿久根市の職員や議員は給料を全額ボランティアに使うべきだ。自分のために使うなよ、決して。出来ないなら、黙ってろ。

 最後に。
こんなことがあったらしい・・・
「その一方、あるテレビ局が阿久根市の某養護施設へTVカメラと共に「わざわざ」出向き、障害を抱えた入所者に「わざわざ」ブログ記事(ポイントとなる記述)を見せて、「この発言はひどい!」というコメントを引き出したと聞いた。さぞ傷つかれたことだろうと思う。このデリカシーのなさが、すでに差別意識からくる行動ではないのだろうか。」・・・マスコミはこの件を酷い、とか書いているけど、どっちが酷いんだかねぇ。この件で騒ぐ連中よ、同じだよ、これとね。冷静に見ようじゃん、これからの阿久根市を。話はそれからだ。

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2009年10月13日

どうも弱者に回らねばならない金を天下りに使いやがって・・・とか言い出すと、あるサイトでは「ネトウヨ」らしいのだが・・・?わけわかめです。

〜厚労省の天下り先、補助金5000億円超 98団体、厚労相は抑制急ぐ〜

 厚生労働省が関係する独立行政法人や公益法人のうち、公務員OBが在籍する天下り団体が全部で98あり、今年度の補助金の総額が5000億円超だったことが11日、厚労省の資料で分かった。長妻昭厚労相は不透明といわれる補助金の大幅削減を指示しており、膨らむ厚労省予算を抑制したい考えだ。

 厚労省の資料によると、公務員OBが幹部職員として5代以上続けて天下っている団体は、中央職業能力開発協会や全国社会保険協会連合会などで13ある。今年度に配分する補助金は640億円。一方、公務員OBが在籍する法人は独法の雇用・能力開発機構や国民健康保険中央会、日本医師会、日本看護協会など85あり、4512億円の補助金を投入している。補助金総額は5152億円に上る。
 皆さん気づいているでしょうかね?介護保険の出来た背景をもう一度おさらいしてみましょうか?

 この介護保険という法律、彩福祉グループ贈収賄事件で逮捕された、「厚生省事務次官・岡光序治」や、医師を目の敵にするしか能のない「北欧バカ(福祉は北欧、って言う人は、あの国の現実を見てからものを言え。弱者が真面目な労働者を食い物にしている現実を、な)・大熊由紀子」あたりの、福祉の現実を知らない役人やブレーンによって作られたんですが、成立前に彩福祉事件があったのに、この法律はスムーズに通った・・・。そもそも呪われた法律なんだよな、介護保険って。

 介護保険成立時にどうも天下り用の団体が大量にできた様子で、それによる厚生労働省OBの恩恵は計り知れない・・・やだなぁ。

 補助金はどんどん削って然るべきだと思う。え?官僚の天下り先が無くなる?いやいや、有能なお仕事をしているお役人様、あなた方の才能があれば、補助金の下りないような民間に降りていっても素晴らしい仕事が出来ることでしょう。何しろ、日本という国をここまで強者を助け、弱者をくじく国にした才能をお持ちですから、って・・・ふざけろよ!多分掃除一つ出来やしねぇんだぜ、絶対。

 しがらみとか学閥とか、周りの圧力とか、保身とかでしか仕事しない連中が、退職後只の印鑑押しで年間何千万円持って行く、って、どんなソビエト連邦?日本じゃねーのかこの国は?この事態、厚生労働省だけでなく、他の省庁についてもしっかり調べて欲しい。何だ、埋蔵金あったじゃん。馬鹿にばらまく金が。

 で、不思議なんだけど、ここまでお役人の無能さを文章にすると、「ネトウヨ」扱いなんだよね、今のネット上では。権力に楯突き、弱い人間を守るその姿勢はどうも左の人はお気に召さず、「なんになるの?こ〜むいん」が大好きらしい。日本全体こ〜むいん、ってそれは完全な社会主義であり、思想も個性も何もかもそぎ落とされる、みんな平等が一番・・・そんな無理な夢を叶えるのに労力を使う・・・無理です、どう考えても。

 あんな発想しかできない公務員をこれ以上甘やかしても、国が滅ぶだけ。5000億あればどれだけの要介護老人や障害者等の社会的弱者が救えるのか・・・それを蜜のように吸う馬鹿どもがいるのが健全、と言うのなら、最初から左巻きでなくって結構、「ネトウヨ」で結構だ。立場はどうあれ、弱い者を守るために・・・おいらのスタンスはこれで良い。

 ま、民主党政権になって諸手を挙げて結構ですが、本当に公務員の貴族体質を潰せるのか?見物です。

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posted by y-burn at 13:23| 鹿児島 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | お役人の馬鹿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月30日

各自治体の教育委員会ってこんなんばっかですか?

 実は、季節外れの風邪というか、鬼の霍乱というか、一昨日から風邪で寝込んでいます(久しぶりに仕事途中早退したわ。ま、インフルエンザじゃなかったのは良かったが)。でも明日は夜勤なんだよねぇ・・・早く寝なきゃいかんのだが、今日はこれだけは書いときたいので。
2009年(平成21年)6月4日

提訴にあたって
                     元東京都立三鷹高等学校長
                         土肥 信雄

 私は生徒のために全力を挙げて教育活動をしてきたつもりです。その証が、退職時にもらった卒業証書であり、卒業生全クラスからの色紙だと思っています。

教育の主体は生徒であり、教育の目的は教育基本法にも明記されているように、「生徒の人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として育成する」ものです。そのため、民主主義を教える教育の現場には言論の自由が絶対に必要なのです。言論の自由の中でこそ、教育の主体である生徒が、より民主的で基本的人権が保障される国家、社会の形成者となるのです。過去の歴史を見れば、言論の自由がない組織は全て非民主的であり、最終的には崩壊している事実は歴然としています。私は都教委の全てを否定しているわけではありません。しかも都教委の通達、通知等には従いながら問題点を指摘したり、校長の裁量権を奪うような指導について意見表明をしてきただけです。それに対する都教委の指導は、指導の域を超え、私の様々な権利を侵害し、最終的には非常勤教員不合格という報復措置で私を抹殺したのです。まさに都教委という巨大な公権力が、都教委から見れば目に入ったホコリぐらいの土肥というちっぽけな人権を侵害したのです。

憲法は公権力(国家、地方自治体等)による人権侵害を厳しく禁止しています。

この裁判を通じて、巨大な公権力である都教委が、ちっぽけな個人の人権を侵害した場合でも、憲法の理念に反していることを証明したいと思っています。それが将来の生徒の人権保障のため、日本の平和のためだと確信しています。

 具体的には以下の理由で提訴いたします。

(1) 不合格の理由を知りたい東京都の非常勤教員の採用は、基本的に60歳退職と65歳年金支給の間を埋める雇用保障の制度であり、私の聞いた範囲では、日の丸・君が代の不起立者以外はほとんどの人が採用されています。(日の丸・君が代以外の被処分者についても軽いものであれば採用されており、平成19年度の合格率も98.66%でした。)私は法令違反をして処分を受けたりしたことはないので、なぜ不合格となったかその理由が知りたいと思います。私はいままで、生徒のための教育活動については全力を挙げてきており、生徒、保護者、教員からも評価されています。教育は生徒のために行うのであり、都教委のために行うのではありません。いままでも生徒のため、東京の教育のためと言い続けてきており、退職後も東京の教育のために全力を尽くしたい気持ちでいっぱいでした。

(2) 私の意見表明に対する人権侵害

もし都教委に対する意見表明が原因であればそれは納得できません。なぜならば、都教委の出した通達や通知(法令)には従っており、なんら悪いことはやっていないのです。例えば、職員会議における挙手・採決の禁止も三鷹高校では通知どおりやっており、職員の意向を聞く挙手・採決は行っていませんでした。ただこの通知が教員の言論の自由に悪影響を及ぼし、ひいては生徒の言論の自由にも悪影響を及ぼす可能性があり、それは将来の日本のためにならないと思い、撤回を要求しているだけなのです。三鷹高校で挙手・採決をしたために通知違反として処分されたと言うことであれば、まだ納得できます。卒業式も通達どおり、業績評価も要領どおりやっています。しかし都教委は一方で卒業式の個別的職務命令は校長の責任と権限と言いながら、他方で校長に強要していること、業績評価実施要領違反の相対評価を強要していることは間違っていると意見表明しただけなのです。間違った指導をしている都教委を正したことを不合格の理由にされるのは納得できないし、社会的にも許されないと思います。

(3) 公開討論の拒否

都教委はこの問題について私との公開討論を拒否してきました。したがって、ある意味では私の運動は現在のところ、私的で一方的な運動としか見られていません。私が都教委に公開討論を申し入れたのは、この問題は言論の自由に関わる重要な憲法問題であるからこそ公的な問題としたかったからです。公の場で論争することが私の本意です。そうなれば、当然より多くの国民がこの事実を知ることになり、どちらが正しいかを判断してくれると思います。もし裁判所、国民世論ともに都教委が正しいと判断するならば、私は潔くその判断に従いなんら悔いはありません。それが民主主義だと思っています。都教委が公的な場に出ないで、私を悪者に仕立て上げることは断じて許せないのです。

(4) 他の校長への見せしめによる言論統制

私の不合格は、明らかに他の校長に対する見せしめです。「土肥」のように都教委を批判すれば、退職後の職はないぞ、と脅しているのです。今回の結果を見て、ますます校長は都教委に対する批判が出来なくなり、都教委の言いなりになる校長ばかりになるのは明らかだと思います。そのことはまさにファシズムそのものであり、絶対に認めるわけにはいきません。特に統括校長、校長、副校長、主幹教諭、主任教諭、教諭と完全なヒエラルキー化の中で、校長が都教委の言いなりになればその結果は明らかに都教委による教育の支配が貫徹するのです。そうならないためにも、今回、裁判で納得できるところまでやろうと思うのです。

(5) 生徒に対する責任

 私は政治経済の教員として、また担任として、そして校長、教頭としても基本的人権の尊重を生徒に教えてきました。その基本的人権の中でも言論の自由は最も大切であり、「自分が思ったことは、それが正しいか正しくないかは別にして、きちっと発言しなさい」と常に生徒に言ってきました。「自分が間違っていれば相手は納得しないし、正しければ相手は納得する。自分が相手の意見に納得できる場合は相手の意見に従えばいい。相手の意見も納得できないが、相手も自分の意見に納得できない場合は、もう一度考え直して相手を納得させるよう意見を考えることが大切だ」。仮にそのように教えている生徒から、卒業してから私の所へ来て、「土肥先生の教えたとおり、自分の思ったことを言ったら社会的に抹殺されたよ。土肥先生の言ったことは社会では通用しない。先生の教えたことが間違いなのだから、責任を取って欲しい」と言われた時、私自身が自分の思ったことを自由に言わず、結局権力の言いなりになって、自己保身をしているとしたら、生徒に対する責任は取れません。したがって、生徒に対する責任を果たすためにも、都教委との公の場(裁判)で意見を戦わすことが必要なのです。
 これ、夜にやっていた「報道ドキュメント」で見たんだけど・・・教育委員会という団体の方向性は、「生徒の精神を壊しても、謝れば負けかと思っている」な元教頭のいる鹿児島も「黙ってないと報復しちゃうぞ」な東京も、「聖飢魔U等というおどろおどろしいロックバンドが来るのは許さない」と20年前に言った旧羽咋市も変わんないわけだな。

 そもそも問題なのは、何故職員会議が「ただの通達事項確認」でなければいけないのか、と言うこと。それは会議とは言いません。少なくとも福祉の世界では「申し送り」と言います。それとも何かい、意見を戦わしてはいけない、というのは、結局鹿児島弁で言うところの「わいは議を言うな」ってことなん?そうであるならば、上司がその方針を間違えれば、間違ったことも右にならえ、なんですね。おいらはそういう面で間違っていることはしっかり進言するから、ま、もしその資格があっても東京で教師は出来ないわけだな。したくもねぇが。

 批判すれば報復・・・行政の許せない面の一つです。東京都教育委員会のケツの穴の小ささだな。もっと小さそうな鹿児島県教育委員会、って所もあるんだけどね。福祉の世界では、「我々が指導や指摘したところは速攻で直せ」と上から目線で言うくせに、逆をやったら報復。組織としてパニクっているんでしょうか?こういうことをすれば批判が来るのは分かるはずなのに、やってしまう・・・ばっかじゃね?言論の自由を(ウヨだサヨだと批判をしても)奪うのは、民主主義ですらないだろうに。

 ねぇ、もしかして、ここまで肥大している「教育委員会」と言う組織、福祉行政などと一緒で、「解体・そして再構築」の時期に来ているんじゃないのか?少なくとも、「悪い」と言われたことを反省せず、報復、と言う形で応える組織に自浄作用があるとは思えない。それに、この件は氷山の一角で、隠れたところでこの様な報復人事が日常的に行われているとしたら・・・。そんな組織が教育ですか、笑わせんな。

 土肥信雄先生のことは応援するとともに、東京都教育委員会は間違いを正すことを望みます。

 最後に。
あの番組を見て考えたシーンがあってね。三鷹高校に卒業式の前に何故か都教委の役人が必要もないのに訪問し、帰りにインタビューを受けるシーン。あの顔の情けなさってのは笑えたね。お役人って普段は偉そうなのに、自信の無いときにはああいう顔をするんだね。子供にしっかり教えたよ、「ああいう、人のあら探しをするのが、一番人として卑しい仕事なんだけど、あいつらはやりたくてしょうが無いのさ」ってな。

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↓教育委員会をリサイクルする?いいんじゃね?


posted by y-burn at 02:40| 鹿児島 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | お役人の馬鹿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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