2011年11月04日

あえてコメント付けませんが、介護を含むサービス業で大事なことだと思うのでブログにも残しとく。

宝塚歌劇団の舞台裏に貼られているそうです。

【ブス25箇条】
 1・笑顔がない
 2・お礼を言わない
 3・おいしいといわない
 4・目が輝いていない
 5・精気がない
 6・いつも口がへの字をしている
 7・自信がない
 8・希望や信念がない
 9・自分がブスであることを知らない
10・声が小さく、いじけている
11・自分が正しいと信じこんでいる
12・ぐちをこぼす
13・他人をうらむ
14・責任転嫁がうまい
15・いつも周囲が悪いと思っている
16・他人にシットする
17・他人につくさない
18・他人を信じない
19・謙虚さがなく傲慢(ごうまん)である
20・人のアドバイスや忠告を受け入れない
21・何でもないことにキズつく
22・悲観的にものごとを考える
23・問題意識を持っていない
24・存在自体が周囲を暗くする
25・人生においても、仕事においても、意欲がない

まずは、笑顔からなんですね〜☆
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2011年10月31日

大半の福祉施設も「名ばかり合議制」の牢獄の中なんじゃ無いかな?

〜「名ばかり合議制」が会社を潰す〜

・異論、反論が怖い上司ほど「1対1」を避ける


社長:「…このような理由で、基幹システムの一部リニューアルを行うことにした。リニューアルにかかる期間は7カ月。費用は7600万。システム本部長を中心に検討をしてきたが…。何か意見があるか」

全取締役:「…」

社長:「じゃあ、全員から承認を得たということで、いいね」

取締役A:「ええ」

社長:「次に来期の組織編成に関してなんだが、配布した資料の通りにしたい。それぞれの部門長とは話し合ってるんだが、誰か反対の人は、いるかな」

全取締役:「…」

社長:「じゃあ、全員から承認を得たということで、いいね」

取締役A:「はぁ」

社長:「それじゃあ、次に…」

専務取締役:「社長、シンガポールの件は」

社長:「ああ、そうだった。去年から専務とアジア進出についていろいろ議論を重ねてきて、来年の春ごろからシンガポールに支店を出そうと考えてるんだが、それで…。(中略)反対の人、いるかな」

全取締役:「…」

社長:「じゃあ、全員から承認を得たということで、いいね」

取締役A:「異議ありません」


〜「集団思考」が正しい合意形成を阻む〜


 最近、東証1部上場企業で、創業者の孫である会長が、グループ企業から84億円を個人名義で借り入れ、約50億円が未返済で使途不明という報道があった。そのうち約23億円分についての決定過程は、取締役会の議事録にも残っているという。

 上場企業で取締役会を経ずにカネが流れているのは社会的に大きな問題だが、取締役会を経た上でそんなカネが融資されているのも、社内的に大きな問題である。取締役会が全く役割を果たしていないではないか。

 けれどもそれが「建前の正論」でしかないことは、誰もが何となく分かっている。会議で取締役が会長の個人融資に対して意見を言うことなど、できるわけがないだろう、と。
 そもそも会議が多い会社は「合議制」が根づいている。責任ある立場の者たちが集まり、合議によって意思決定することを「合議制」という。

 聞こえはいいが、実際には「集団思考」と呼ばれる問題が発生して、正しい合意形成が行われないことが多々ある。均等に発言する機会が乏しく、リーダーの発言力が強い場合に、集団同調性バイアスが働きやすくなるのだ。

 「誰か意見はあるかな…。誰もないのか…。じゃぁ、次の議題にいっていいかな」

 主催者は、初めから意見が出るとは思っておらず、示し合わせたように議事を進行させる。会議が始まる前に、主催者は議事に関連するキーマンと既に話し合っているから、異を唱える者など出てくることはないと信じている。

 まさに会議が「通過儀礼」になっているのだ。これではコーポレート・ガバナンスが機能するはずがない。


〜意見を出させない卑劣なテクニックも〜


 確かに会議がスタートする前に、関係者によってある程度の調査、分析、吟味が終了していてしかるべきだ。とはいえ「合議制」によって正しい意思決定をし、ガバナンスを支えるためには、会議参加者が意思決定に必要な材料に目を通し、理解し、正確な判断をするべき「時間」が必要だ。

 そして、すべての参加者が手元にある材料のみで物事を見極めることは困難であるため、当然のことながら、質問や意見を述べる機会が公平に与えられなければならない。


〜意見を出せるような環境づくりも不可欠だ。〜


 ところが「名ばかり合議制」の会社は、資料の作り方が「雑」だ。前回書いた通り、会議資料を見れば、その企業のマネジメントレベルが透けて見える。

 どうせ誰もまともに資料を見て、正しい意思決定をしようとしないと分かっていると、平気で中途半端な資料を作る者が増える。分かりづらい資料を作って意見を出しにくくさせたり、主催者の退出時間をあらかじめ指し示しておき、議事進行をスピーディーに実施しなければならないという雰囲気を作って、意見を出させないという卑劣なテクニックを使う者もいる。いずれにしても全般的に会議運営が粗い。

 集団同調性バイアスがかかっている状態では、意見を出すのが難しいものだ。何か引っかかるものがあったとしても、意見や質問を返すタイミングを失い、「門外漢の私が意見を言っても、何を言われるか分からないし…」とか、「確かこの前も、誰かが反論したら徹底的にやり込められてたし…」と遠慮してしまい、口をつぐむ。

 数年前、あるクライアントの営業部長が、「会議で部下が全然意見を出さない。まるでやる気が感じられないがどう思いますか」と私に相談するので、若手を促して会議で意見を言ってもらったことがある。


〜ちょ、ちょっと待て…〜


営業部長:「休眠の顧客開拓をするために、今月から1人当たり20件は当たってほしい。何か意見はあるか」

部下A:「休眠の顧客開拓以前に、新規のお客様回りを強化すべきだと考えます」

部下B:「エリアごとに休眠顧客の数が違いますので、一律で20件はおかしいのではないでしょうか」

部下C:「私は既存のお客様の深耕開拓が先だと思いますので、既存顧客へのアプローチを私は30件でロックします」

営業部長:「ちょ、ちょっと待て…」

部下D:「先月、販促用のチラシを作成したばかりなので新規開拓を継続してやるべきと思います」

部下E:「私も休眠顧客開拓が必要と思いますが、20件は多いので10件でいいでしょうか」
 
営業部長:「おいおい、何を言い出したんだ、お前ら…」

部下A:「E君、20件が多いから10件というのはどうかな」

部下C:「私は30件やりますが、Bさんの意見には賛成です。一律20件はおかしいかな、と」

部下B:「確かにAさんやDさんの言う通り新規開拓をまだ諦めたらいけませんね」

営業部長:「ちょっと待てぇ!」


〜長々と持論を話したい上司が狙う「1対N」〜


 「意見を出せ」と言われ、部下たちが意見を言い出したら、この営業部長は喜ぶどころか、みるみる不機嫌になってしまった。そして最後はキレたのだ。

 「お前ら、好き勝手言いやがって。俺がなんで休眠顧客開拓が必要だと言ったのか、本当に分かってんのか! そんなに俺の言うことが聞けないのか!」

 結局、意見が欲しいと言っても、彼は反対意見が欲しかったわけではないのだ。

 「そうですね、部長のおっしゃる通りです。いやぁ、さすがですね部長」という承認と賞賛との言葉が欲しかっただけなのだ。

 そもそも会議で、長々と持論を話したい上司というのは、「1対1」を避けて「1対N」のコミュニケーションを狙っている。会議という場では、自由に反論しにくいことを分かってやっているのだ。彼らはすなわち「1対1」のコミュニケーションが苦手で、あるいは無意識のうちに「1対1」に恐れのようなものを感じている場合が多いのである。

 例えば部下と「1対1」で対峙したとき、自分より頭が良く弁が立つ部下に反論されると言い返せない。不満ばかり言う部下に対して、どう切り返して意欲を高めていいのか分からない。何を考えているのか分からない若い世代の部下に対して、どう話をしてマネジメントすればいいのか分からない。

 「1対1」コミュニケーションでは、相手のコミュニケーションペースに沿っていくペーシングが大切だ。相手にとって好ましいスピードや、分かりやすい言葉などを選んで話す必要がある。けれども、これができないと「うまく伝わらない、分かり合えない、ということだけが分かって」終わる。「あいつと話すのは難しいなぁ」という失敗した感覚を持つことになる。

 これが会議であったらどうだろう。

「1対Nのコミュニケーション」ならば、N人を前に勝手に持論を繰り広げることができる。相手のことなど気にせず、相手のコミュニケーションパターンにあわせることなく、自分の話したいように話すことができる。全員に平等に同じ情報を伝えたい、全員で討議したい、などと言いつつ、結局は自分が気持ちよく話ができる場として会議を利用している場合も少なくないのだ。

 上司のコミュニケーション能力の有無や技術の低さが問題になることがあるが、最初から恐れてぶつかることもなしに、テクニックは関係ないだろう、と思う。

 職場で言って聞かせてもいない。会議で話を一方的に投げているだけで、職場に戻ってからのフォローもない。コーチングの勉強をしたり、リーダーシップの本も読んだりするけれど、表面的な必要最低限の会話しか部下とはしないものだから生かす場もない。知識は増えていくから「あいつのコミュニケーションパターンは○○タイプで」と分析して笑っているだけ。

 それが会議をやたらと行う管理職に多いパターンではないだろうか。

〜会議を減らせば「報・連・相」が増える〜

 このコラムを通じて私は脱会議、すなわち「会議の『数』、会議の『時間』、会議の『参加者』をそれぞれ2分の1に削減し、『会議総コスト』を90%削減させる」ことを提唱し続けている。

 ここまで会議のムダについて、その削減の方法について、またPDCAサイクルの回し方についてなどを示してきたが、「脱会議を進める効用」はそれだけではない。職場でのコミュニケーションのパターンが変わるのだ。

 私のクライアントで、脱会議を進めてきた企業からの声で一番多いのは、次のようなものだ。

 「報・連・相(ほうれんそう)が増えて、以前よりも部下の状況が把握できます」
 「上司と部下との1対1コミュニケーションが増えて、職場の雰囲気がよくなってきました」

 これはまさに「断捨離」と同じ考え方だ。モノに与えてしまった空間とエネルギーを取り戻すことで、モノへの執着がなくなり、そこで生きる人たちへの愛着が自然と増していく。

 「会議」をやめると、自然発生的にコミュニケーションは増える。何という皮肉だろう。現場が見えない、部下が何を考えているか分からないと嘆き、会議を増やし、資料を多く作らせると、ますます真のコミュニケーションは減っていくのだから。

 部下からの「報・連・相」を増やすためには、「『十割部下』に会議は無用」で書いた通り、PDCAサイクルを使い「期限とノルマ」を設定してロックしてしまうことだ。

 その計画をやりきる方法は2つだけしかない。自分1人でやりきるか、誰かにやり方を相談しながらやりきるか。現状よりも高いレベルで「期限とノルマ」が設定してあれば、自然と報・連・相をしながら進めていくしかなくなるのだ。


〜部下を叱っても相談は増えない〜


部下:「本部長、先日の資料、ここまでできたのですが1度ご確認いただけますか。期限は2日後ですが、明日は出張が入っていますので、今日中にメドをつけておきたいんです」

本部長:「ええっと…。この不良品の発生率と、価格変動との関係性が分かるグラフがあるともっといいな。あとはいいよ」

部下:「ありがとうございます。修正しておきます」

本部長:「そういえば、ついでだけど、新しいラインが稼動したら1度勉強会をすることにした。詳しいことはグループウェアの掲示板を見ておいてくれ」

部下:「かしこまりました。この後すぐにチェックします」

 組織内コミュニケーションの8割は、「部下 → 上司」という方向でなければならない。要するに報・連・相である。

 しかし、「日ごろから言ってるだろう。『報・連・相』をしろって! 『ほう・れん・そう』だよ。『ほう・れん・そう』!」と「上司 → 部下」というベクトルで話をしても、効力はない。

 特に「相談」は、上司から言われたからと儀式的にやるものではなく、内的動機づけに基づいた行動である。部下を叱れば部下から相談が増える、わけがない。

 当初は、前向きな内的動機ではないかもしれない。脱会議を進めてPDCAをきちんと回すようになると、「次の会議で、できなかった言い訳を何となく伝えておけばいいか」ということがなくなるため、渋々、上司に報・連・相をし始める。最初はそれでいいと思う。
 けれども1対1のコミュニケーションを取り始めると、結局その方が心地よいし、仕事もスムーズに進むことが分かるはずなのだ。

 そのような段階を経て、何を報告して、何を相談すればいいのか。次第に部下も分かるようになっていく。


〜部下からの建設的な意見、交換条件〜


 ところで「『十割部下』に会議は無用」で、行動計画をロックし、途中で変更を許すべきでないと書いた。

 しかし、「このやり方は厳しすぎる。行動計画と言ったって、その時々でいろいろと条件があるはずだし、あんまり計画に縛りつけてしまうとストレスでうつ病になってしまうだろう」などといった、「行動はロックして絶対達成」という考え方に反対する意見やコメントを多数いただいた。

 しかし、極論を持ち出したらキリがないと私は思っている。自分で設定した行動計画をやりきらせれば「うつ病」になったり「過労死」したりするのか。自分で宣言したことは「やり切る」のだという組織風土を作ってしまえば、やれもしないのにコミットはしなくなるという別の効用もあるのだ。

 つまり、「来月から、これをやっていこう」と上司から言われ、何も意見も出さずに黙っていると、そこで「合意」したことと見なされる。「合意」した以上はコミットしたことと同じだ。絶対にやり切らなければならなくなる。

 「絶対達成」という組織風土が根づいていれば、黙ってはいられなくなるものだ。上司の好き勝手に言わせておくわけにはいかない。

 「課長のおっしゃることはよく分かります。しかし通常業務も増えていますので、今月はここまでにさせていただけませんか。それなら必ずやり切りますから」

 このように、部下からの建設的な意見、交換条件も出てくるだろう。その上で話し合えばいいのだ。


〜職場というのは、たこ焼きと一緒〜


 会議中に意見を出さないのは、会議主催者の言う通りにやり切らなくても許されるという土壌があるからだ。だから、会議中に下を向き、意見も出さずに黙って過ごしていればそれで済むと考えている部下がいる。

 会議漬けの中間管理職は、幹部との会議ではただの「イエスマン」だ。というか、「イエス」さえも言わせてもらえないことも多いだろうから「イエスマン未満」と言っても差し支えない。幹部には何も楯突かず、ただジッと会議室で座っているだけ。それが会議のあり方だと勘違いしているので、自分の部下に対しても同じやり方でしかコミュニケーションをしない。

 現場の担当者にも長時間会議を強い、上から無理難題を押しつけて振り回す。さらに日常的な職場で部下が困っていても、部下との「1対1」のコミュニケーションをしない。会議漬けなので時間がないなどと言うが、本当は部下との「1対1」のコミュニケーションをとるのが嫌なのである。

 それで現場がうまく回らないと、ほかの役職者と一杯飲みながら「最近の若者はしょうがないですな」「当事者意識がないんですよ」「全く私たちの時代とは変わりましたな」などと愚痴を言うだけ。部下と面と向かって会話もせず放置する。そんな職場が社員をダメにするのだ。

 「計画は絶対達成! などと言ったらあなた、私の部下は萎縮しちゃって明日から出社拒否になっちゃいますよ。最近の若い人はストレスに弱いんですから」

 こう言う管理職こそストレスに弱いのである。部下の反応が怖くて、とても指示徹底ができない。まともに目を見てコミュニケーションが取れないのだから。

 職場というのは、たこ焼きと一緒。たこ焼きは、外はカリッと、中はトロッとしているのが一番おいしい。「期限とノルマ」を守らせるというところはカリッと厳しく、けれどもそのプロセスは心地よく。会議を圧倒的に減らし、時間を作って、部下との「1対1」のコミュニケーションをまず増やすことが先決だ。

〜リソースを別のところへ割いてみよう〜

 繰り返すが、まず会議を減らすのだ。

 多くの会議中毒者が、会議に異常なほどエネルギーを注ぎすぎている。顧客のことなどまるで考えず、どのように会議を乗り切るか、会議資料をどう整えるか、そればかりを考えている。会議のためのコミュニケーション、会議のためのメール処理、会議のための出張、会議のための研修…。

 会議に配分するエネルギー、リソースを別のところへ割いてみよう。

 毎日、部下に関心を持って接しよう。部下の表情を観察しよう。悩んではいないか。仕事に面白みを感じているか。家庭はどうだろうか。子育てで大変か。結婚してから少し老けたな。家から弁当を持ってくる日が増えたな。金曜日は早く帰るんだな。時計が変わったな。携帯のストラップに子供の写真が入ってるな…。最近、少し痩せたんじゃないか…。子供が生まれたら、世話で大変だろう。俺の時も夜泣きがひどかった。仕事も立て込んでいるが早く帰宅してほしい。そういえば親が病弱だと聞いた。東北で農業をしているんじゃなかったか。震災の後も連絡をしているだろうか。たまには休みを取って実家へ戻ったらどうだ。時間を作って孫の顔を見せてやれ…。

 どんな小さなことでもいい。部下の変化を感じているか。そんな時間はない、いちいちカマッてられるかなどと言い訳せずに、部下と信頼関係をつくるための接点を毎日持っているか。

 部下とのコミュニケーションをどうすればいいか、などと考えず、まずは脱会議経営を目指してほしい。会議室に押し込められた負のエネルギーが開放されれば、自然とある程度のレベルまでは風通しがよくなっていくのだから。そう信じてほしい。

 次回は「会議とストレスの関係性」について考えていきたい。ここ数年、新種のうつ病が増えているそうだが、会議中毒者の中で広がっている「会議うつ」について解説したい。社員を無用なストレスから解放せよ! 脱会議を進めるもうひとつの効用である。


 結構長い文章ですが。

 これは営業関係などを例にとって話されているようですけど、最初読んで思ったのは、「うわ〜、これ今まで働いてきた福祉事業所全部に同じ事言えるわ〜」です。

 此処からは福祉法人や事業所の悪口にも繋がるのかもしれませんが、ま、言ってしまいます。

 古くからの社会福祉法人や医療法人に言える事ですが、このような伝達や会議と言うのは、熱心にやっている所も多いと思います。しかしその内容はこの文章の最初にあるまさしくトップダウンで会議参加者は中々意見の言えない、何だか訳分からん状態に終始する事が結構多かったりします。でもって自分は毎回一言多いが故に、トップダウンの会議で余計な事を言ってしまい、「空気が読めない」とか言われる事もあるんですが...。

 そういう意味では以前いた某施設は凄かった。施設長が普通に入所者と一緒にいるし、職員と普通にお茶飲んでいろんな話をして、職員の要望をしっかり聞いてくれたし又逆に言われた事は守ろう、と思える雰囲気作りをしてましたね。たぶんそういった事は施設長は考えてなくて自然にやっていたのか、それとも知っていてやっていたのか...?

 会議と称して、ただのトップダウンの意見を伝えるだけなら、それは会議とは言いません。それは「申し送り」または「申し合わせ」ですよね?更に言うのであれば、この会議、と言う名の申し送りの間、利用者はいったいどうしているんでしょうか?以前、「この会議の間に重篤な事故、とかあったら誰がどう責任を?」と言う話をしたら、さすがに管理側は何も言えませんでしたけどね。

 これがまともに意見を闘わせる会議であるのなら、何の文句も有りません。ただ、「会議」と言う「行事」があること、そこで利用者や客を放って置く時間を作ることが、果たしてサービス業としていかがなものか?そう思うんです。

 普段の職員同士のコミュニケーションを密に(馴れ合い、と言う意味ではだめですが)し、会議は必要最小限で短く終わらせる。でないと競争し合っている業界は勿論、福祉の世界でも通用しなくなる日は近いのでは無いか、と思われます。いや、もうこれが日常化して駄目になっている例も有りますよね。今の地方議会なんか最たるもんじゃなくて?

 無いとは思うけど、もし自分が人の上に立つのなら、ここに書いてあることは充分注意して行きたいな、と思いますよ。 
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posted by y-burn at 06:33| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月29日

久しぶりの天文館で...

 今回のもんじゅ鹿児島前夜祭の話は、以下のブログでも取り上げられている(と言うより、書き始めるの遅いよ俺)ので、この辺りの話はリンク先を読んでね。

・古瀬 徹・鹿児島古稀日記「A0449 財津幹三郎・飯塚裕久・藤田英明氏らが集う夜」
・古瀬 徹・70歳の音楽「M0520 天文館の夜は更けて」
・最新福祉脳!?夢想転生:「鹿児島もんじゅ 前夜〜準備」
・特養のケアマネの施設介護ブログ。〜It's my job to keep care professional〜「鹿児島もんじゅ始動!(裏)」

 最初、メンバーの中に財津先生は入ってなかったのに、何故?と思われた方もいらっしゃるだろうので、説明。 

 みんなが最初の飲み屋に集まる数時間前の出来事。ちょうど財津先生の音楽レクがあり、機材の片付け(司会だけじゃなくて、そう言うのも私の仕事なんです、はい)後に少し話をしたのがきっかけでした。

「今日は古瀬先生や福祉の仲間と飲み会が天文館であるんですよ」

「そうですか...じゃ、そこにお邪魔してもいいかな?古瀬先生とも話ししたいこともあるし」

 ...いや、ビックリですよ。普段私的に飲み、とか行くこと無いんですから。とりあえず現地連絡することにして、業務に戻りましたが。

 あと、少し嬉しかったのは飲みの席でも何回か話ししたんだけど、財津先生の音楽レクには高齢者福祉の考え方として役に立つことも結構入っているのでそう言う意味でも刺激になるのかな、と思いつつ。

 結果的にはやはり凄かった。結構今回の鹿児島もんじゅのメンバーにはジャンル関わらず音楽好きが多いが故に、先生が質問攻めに遭ってたのは面白かったですね。特にryyohrさん、君だ。

 で、問題は二次会ですよ。 

 「天文館の知り合いの店にもう一年以上行ってないので」とおっしゃっていたら、まさか加藤さんのお店でしたか...。

シャンソニエ ソワレドパリ Soiree de paris

 加藤さんは、それこそ結婚前だから8〜9年前かな、良く自分の職場に財津先生と一緒に来られて、シャンソンや歌謡曲をボランティアで歌われておられた方で、自分自身も本当に久しぶりの再会と相成ったわけ。いや〜、以前と変わらないわ、あの美しい歌声は。

 あと鹿児島のCCR親父バンドで有名な松村さんやryyohrさんの歌やギターが聴けたり、と。結構凄い夜になった気がします。

 今回の飲み会に参加した皆様、本当に熱い夜をありがとう、と言いたいですね。特に財津先生、いつもは短い時間でしか話できてませんでしたが、今回ゆっくり話を聞けて本当に良かったです。

 で、その中で先生に言われたことでここまで残っている言葉がいくつかあって...それを紹介して今回の記事のまとめにしておきましょう。ちなみに財津先生の音楽療法に対する考え方については、こちらのPDFファイルを読んでみてください。

実践 音楽療法.pdf

「音楽療法は音楽を演奏する側の力量もあるけれど、それを進める司会者の力量もある。曲の背景が分かっていない状態では療法を進めることも出来ない」
「後進に受け継がないと行けないこの音楽療法を出来る人がいないかなぁ・・・あなたの奥さん(確かにピアノの先生ですが)辺りが受け継いでくれれば良いんだけど・・・」(ちなみに翌日これを嫁に伝えたところ、「私に?出来るかなぁ?」とまんざらでもない返答が...)

・・・で、翌日の「もんじゅ鹿児島」本番に続くわけですな。


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2011年06月23日

2011年06月08日「ものづくりと介護」のコメントへの返答。一年生の社会福祉概論受講者へのメッセージ。

 まず、コメントへの返答が遅れたことについてお詫びいたします。体調不良などでなかなか時間が取れなくなっているという言い訳でしかない言葉しか出ません。

 実は介護は利用者の生活を作る一種のものづくりだ、と言う事について割と好意的な意見が多かったのは意外でした。もっと「いや、ものづくりじゃないよ」と言う意見が出ているのかな、と思っていたのですけどね。よく考えてコメントされているなぁ、と。同年代の自分ならこんな意見は出なかったと思う。授業中普通に寝ている悪い生徒だったもんなぁ、19の頃は。

 「介護はものづくり」と言うのは、実は自分が介護福祉士養成校にいたときに教科書の中の一文に出て来る言葉の一つなんですよね。更に「介護はアートである」と言う事もそこで語られていた記憶があります。

 そりゃそうでしょ。簡単に言うのであれば、一人の人間の出来る面を伸ばして生活環境を整え、寿命尽きる寸前まで満足する生活を提供するのが本来の我々介護従事者の役目であり、介護従事者が最も得意とすべきことです。命尽きるまで輝ける事についての手伝いがものづくりやアートでなくて何なんだろうね?と言う話です。

 それともう一つ。

「たかが介護士風情が」
「おむつ交換だけの介護ドカタじゃないかよ、オマエらの仕事は」
「オマエらみたいな奴らが何話しても介護の待遇改善には繋がらないよwww」

...これ、実際に私がネット上や、直接言われた介護従事者への貶し言葉です。ただ、これらの言葉は「介護がものづくりである」という事を念頭に置いて考えるのならばどうでしょう?ただの悪口以下じゃないですか?言う人間の品格を疑うし、彼らの本職は明らかにプロとして誇れることをしていない。だからこういった声が出るのでしょう。

 この仕事初めてもう15年近く経ちますが、こういう言葉や上司からのいじめなどに負け、本当は去りたくないはずなのに、また自分より才能のある人間が泣く泣く介護の世界から消えて行ってしまっているのが現状です。

 こんな本質も何も見ていないくだらねぇ言葉に負けて欲しくない。プロとしてしっかりした考え方さえ持てれば去りゆく介護従事者が一人でも少なくなるのかな、と思うのです。

 自分自身も目の前から「本当は介護の仕事が楽しかったはずなのになぁ、もう少し自分に力があって、守れていたらなぁ...」と思う従事者が何人も消え、転職していきました。才能も資格もあるのに、です。悔やんでも悔やみきれないケースもあります。

 まだ皆さんは一年生で、色んな本やネットや経験などでしっかりした考え方を持てるだけの時間もあるはずです。この授業を通してまだまだ色んなものを見て欲しいし、ものの考え方、とらえ方を固定しないで欲しい。そうすれば5年後には知識とプライドを兼ね備え、逆風にも負けない良い福祉従事者が世に出て来るとおもいます。あなたたち、と言う。

 最後に。出来ればこの機会にFacebookやtwitterなどに参加してみて下さい。経験豊富な介護従事者がそのあたりにゴロゴロしてますよ。そう言う先輩方から話を直接聞ける機会はなかなかこれまではなかったのですが、ネットの発展で気軽に聞けるようになってます。この授業の受講者二人とはFacebookでは既に友達になっています。

 お兄さんのあほなつぶやきや話が聞けますよwww。


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posted by y-burn at 14:47| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

ものづくりと介護

 昔から思っていること。

 どうも自分は、性格的に所謂コンダクターやマネージャー的な作業は苦手なんですね。むしろ職人的なものに憧れるし、またそちらの方が得意だったりします。

 仕事上でも門松作りや畑作りや機械修理の方が介護よりうまかったり・・・いや、いかんだろ、それは。

 最近は趣味もそちらにどんどん近づいてきているような...。リサイクルショップで壊れたギター買ってきて再塗装や修理して使ってみたり、施設で壊れていらなくなった椅子を持ち帰って修理して使ってみたり。

 うちの祖父や親父の影響もあるのかもしれません。彼らもいらなくなったものを貰ってきては改造したりして再利用するタイプですから・・・。

 改造したりものを作ったりすること。この間の梅酒造りでそれについても考えてみた...。

 特に今回の大震災後に「日本はものづくりの国」とよく言われてますが、実際の所どうなんだろうな、とふと考えてみた。

 儒教の浸透している国々では「ものづくりは卑しい人間のやることだ」と蔑まれてきた過去があります。で、それを実践して亡国の憂き目にあった国が実際あります(でも、今の日本もそうなりつつあるようで非常に嫌なんですけどねぇ)。

 与えられた環境でどうにか工夫してそこから様々なものを生み出し、それで人生を豊かにしていく、それが出来るのも少なくとも地球上では人間と言う生き物だけです。 

 うまい下手にかかわらず、どんなものでも「作る、作れる」と言うのは実は結構重要なスキルで、それが出来るか否かによってその人の人生が豊かであるかどうか、まで関わるものだ、と思います。実際、高齢になっても何か作っている人は何か若く見えるんですよね。

 さて。

 我々介護従事者は少なくとも目に見えるものは作っていません(車椅子を改造しました、とかテーブルの高さを変えました、とかそう言うのはまた別の話)。じゃ、作っているものは何なの?と問うならば...こう言えませんか?

 「我々介護従事者は、介護の必要な人の生活・環境を作っているのだ」ってね。

 介護の必要な人の生活や環境は本人ではどうしようもないことが多いものです。介助、すなわちサポートは実際簡単にできるものが多い。その利用者に対してその時々だけの介助なら単なるサポート。でもその現象を客観的に見て、今日はこれで良いけど、明日は?来週は?一週間後は?一ヶ月後は?一年後は?...と考え、生活や環境を整えていくこと。これはただのサポートではないでしょ。これが「作る」と言う事だと思います。

 具体的には設計図が介護計画であるなら、その設計図通りに作成していくのが直接介護をしていく職員でしょう。ある意味立派なものづくりをしているわけです。勿論完璧な設計図なんてものは作れない訳なので、色々途中で修正しなければならないこともある。でもそれもあってこそのものづくり、と思うのでね。

 逆に「単なる介助のための人間だ(そのとき言われたのはもっと酷い言葉だったが)、オマエらは」と仮に言われたとしても、それで落ち込む必要はないと思う。それは何も分かってない人だから。最も世の中の偉そうな人たちの中にはそのような意識で我々を見ている方々もいるようですが、そう言う連中は放っておけばいい。

 介護従事者、またはその卵の皆さんには、我々はサポーターじゃない、クリエイターであり、アーティストである、と言う意識を持って欲しい。

 ...たかが梅干し作りで変なことを考えたなぁ、と。今更ながら思う。

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posted by y-burn at 22:08| 鹿児島 ☁| Comment(12) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

便利が不便を産み、不便が便利を産む。意外と世の中ってそんなものなのかもね。

 梅干しや梅酒の作り方、と言うのをこの前の記事で載せてますが、そこでふと考えたこと。

 実際問題、梅干しにしろ梅酒にしろ、大きめのスーパーとかに行けば普通に売っています。あ、味が云々とか、良いとか悪いとかは別として。これは食品に限った事じゃなくて、実際手作りすれば出来るものが普通に売られていますよね?昔、うちやその周りでは自宅で様々なものを作っていました。また、それを作るための道具やスキル、そう言う「ものづくり」の技術もたいていの人は持っていたはずです。

 ええ、確かに今の世の中は便利になりました。うちを中心に考えれば、20年以上前は歩いて行ける場所に薬屋なんて無かったのに今はある。コンビニもある。お金さえあれば歩いて行って弁当もカップ麺も買える。いざ病気になってもすぐそこに病院もある。

 ただね、便利である、と言う事が果たしてどういうことなのか、と言うのを改めて考えていきたいんです。

 そりゃね、「便利であること」は悪いことではない。でも、それと引き替えに我々は何かを失ったのかな?と言う気もします。

 例えば。うちの甥っ子が今うちの実家に住みこんで鹿児島市内の私立中学校行っているんですが、自分が同時期に得ていた技術を彼は持っていません。具体的には、この間、ライター渡して
「タケノコ茹でないといけないけどね。今自分できないんだ。代わりにやって欲しい。その辺に木も木っ端もあるから、火を付けてごらん」
と奨めてみて、やってもらったのですが、これが出来ないんですよね...。逆にビックリしました。

 便利であることが実は生活上の手段を奪いかねない、というのは一般社会より、むしろ介護施設という小さな社会ではもっと実感することでもあります。介護施設では「自立支援」と言う言葉がよく使われますが、これをもっと簡単に言い換えると「出来ることは自分でやりなさい」ということ。

 その自立支援と言うお題目があるのに、実際問題どうだろう、と考えてみるとね・・・「時間がなかでなぁ」と言いつつ時間さえあれば利用者の出来る事を介助してしまう、なんてのは実際日常茶飯事。過去にはむしろ「早いほうが良いから」ということでその人間の能力を見ないで介護者主導で勝手に色んな事をやり、逆に本人のペースに合わせようとすると「のろい、あなたは仕事が出来ない」なんてのもあったわけですよ。自分もその当時言われてましたが、その当時からそれは違うんじゃないかな?と思ってました。で、結局その考え方は正しかったわけ。

 介護を必要とする方、または福祉を必要とする方は「出来る事を自分でやりなさい」と言われても出来ないことが多い。でも、便利だから、と言って「出来る事」までをサポートする必要はありません。出来ないことをサポートする、でもできることはやっていただく、それが基本だと思います。便利、と言う事は、実は我々健常者の本来あるべき能力も奪う可能性がある、と言う事。これは覚えておくべきでしょうね。

 ...じゃ、具体的に何をすべきか?答えはそう難しくない。色んなものに興味を持ち、やってみればいいんじゃないのかな?実際自分はそうしているし、そうしない自分も考えられない。

 便利が不便を産み、不便が便利を産む。意外と世の中ってそんなものなのかもね。
 

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posted by y-burn at 21:08| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

介護従事者諸君、我々の未来のために、17kをひとつずつ潰していこうか。

〜介護従事者の仕事は17K〜

「きつい」
「汚い」
「危険」
「帰れない」
「給料が安い」
「休暇が取れない」
「規則が厳しい」
「化粧がのらない」
「結婚できない」
「幹部が傲慢」
「キリが無い」
「気が休まらない」
「休憩できない」
「心を病む」
「子供を作れない」
「過労死」
「記録に忙殺される」

 一つ一つにコメントを付けるのは馬鹿らしいのでやめますが、介護の仕事を表すのにこれ以上の言葉はいらない、と言うレベル。

 ただこの問題、介護従事者にも責任がない訳じゃない。うちだけじゃないことも分かっているけど、「学ぶ」事をしていない。理由?「忙しいから」。忙しかろうが何だろうが、介護についての情報を得るのであれば、ネットがあるんだろうけど、それも使わないのな。こういう17Kがあるから、日々の業務を流していくしかない、と言う諦めを持つ従事者も、実は結構多いです。「収入少ないけど事を荒立てす、金さえもらってればいい」ってね。これでは、環境改善も何もあったもんじゃない。

 これから望まれる介護従事者は、介護保険法についての正しい知識を持っていることは最低条件。それをもって、17kと呼ばれるこれらの状況を改善していくべきであろう。

 さて、どれはどうしたら改善するか?自分なりの答えを持って、働いていって欲しい。全ての介護従事者への、個人的なお願いです・・・

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posted by y-burn at 11:31| 鹿児島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月19日

で、研修の孤独な反省会@ブログ上

 ・・・と言うような研修をやったわけですよ。学習委員会がネタがない、と言うから、いっそのこと介護福祉とは少し離れたことを知って欲しいと言うことで。インターネットという道具をいかに使うか、は今を生きる人間にとっては「鍵」ですからね。

 さすがに高齢な職員からは、「んにゃ、こいはわからんど」と言う感想はありましたが、それは想定内。少なくとも事務方や若手連中はこの程度のネットのことは知っておかないと、福祉の世界でもその他の世界でも情報収集、と言う意味では問題がある、と思うので。若手は真剣に聞いていましたよね。

 で、今回の研修で話を聞いていたある若手職員が、最後の感想のところでやっちまいましたわ。流れてくる情報は吟味する姿勢や洞察力は常にないといけない、と言うようなことを事務長と話していたんですよね、そしたら

「・・・ケアマネは、そう言う洞察力が無いといけないんでしょうね(あなたには無いと思うけど、と言う物言いだった)?」
今回の話を真っ向から否定するような内容は、さすがに切れかけましたが、別質問があったので切り替えましたけどね。

 そもそもこの職員は、全く仕事をしないケアマネと一派を作って、施設内政治に無駄な時間を使っているうえ、仕事の上で色々な規制を作りたがるような人間ではある。おいらはそう言うのと真逆の精神で仕事をしているだけに、元々そりは合わないんです。

 福祉に限らずだけど、色々な取り決めを作って、自分で自分の首を絞めるような状態になって何が楽しいのだろう?ある程度の範囲は自由に動けるのが、本来仕事としては楽しい、と思うけどね。

 しかも、こういう研修とかを押しつけられると、「わたしはどうだからこうだから」で、絶対にやらないタイプ。じゃ、文句言うな。トラブルメーカーめ。

 ま、そう言いながら彼女もケアマネを取りたい、と、介護福祉士の試験を何年も受験はしているんですが、落ちっぱなし。当たり前です。こういう姿勢で、「学ぶ」と言うことを頭から否定するタイプですから、受からなくて当然。知識的にも人格的にもおいらと同格になるまでは、まだあと30年以上かかるんじゃね?

 ま、福祉というのは、現場でこのような「おりこうさん」が自分の権利ばっか声高に主張するような連中が結構いるわけで・・・そう言うのが正しいかどうかを試す、と言う意味でも、ネットを使ってみてよと言うことだったんだけど。それを真っ向から否定されてもなぁ・・・。

 彼女は絶対にtwitterにもネットにも出てこず、せいぜいメールで小さな世界(せいぜい5〜6人だ)を大事にすることに一生を捧げるだけでしょうね。それが楽しいのなら止めないが、さまざまな可能性を否定する姿勢は直さなきゃいけない。また、逆に安心なのは、彼女がおいらを脅かす存在には決してなれない、と言うこと。

 もっととっぱずれた内容の学習会の方が良かったのかな?

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posted by y-burn at 11:00| 鹿児島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昨日の施設内研修の覚え書き

最初に
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・医療・介護・福祉の情報サイトや、介護従事者の個人Webサイトやブログが現在、ネット上で増大しつつ有ります(俗にホームページ、と言いますが、これは表現として正しくないので、以降Webサイト、と呼びます。)。
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・このようなWebサイトを上手く使いこなす事により、自分の知識や経験のレベルアップを図る事も出来ます。今回は、現在のWebの状況の説明と、それをどう自分の糧としていくか、という事を説明しよう、と思います。
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パソコンを持っていない、は理由にならない
・・・主にインターネット閲覧目的のパソコンなら、携帯との連携契約で100円、NTT西日本やBIBIQとの光ファイバー契約で500〜5000円で入手できます。
***** メディエイターと言う中古パソコンショップが鹿児島市内に何ヶ所か有ります。ここでは中古ですが、一世代前のパソコンが4〜5万円、と言う価格で販売中。なお、介護福祉機器として車椅子やベッドも販売しています。
*****
 これから説明するWebサービスは、携帯電話のimode、Ezweb、Yahoo携帯、iphone3Gでもある程度利用はできます(今の携帯電話はアポロ11号で月に行く軌道計算をしたコンピューターや、windows95の頃のパソコンよりずっと優秀です、実は)。
*****
・特に若手、「これからはパソコンの一つもできないと時代に取り残される」と思ってもらった方がいい。「化石」でいいのなら止めはしないが・・・。
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・スーパービジョン・スーパーバイジング、と言う意味で見ても
・・・福祉施設と言う所は、どうしても外界の同業者とのつながりが少なくなる傾向にある(特にうちの場合、研修に行く機会もなかなかないので・・・)。それを打破する為のインターネット利用!
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・互いに教え、教えられ、と言う関係作りにインターネットを活用して欲しい。
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最近のインターネットの動向について
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・Web 1.0からWeb2.0への変化
・・・2004年以降、情報の送り手と受け手が固定され、送り手から受け手への一方的な流れであった従来の状態が、送り手と受け手が流動化し、誰でもがウェブを通して情報を発信できるように 変化したということ。この変化を象徴する語として、変化後の状態を「Web 2.0」、それに対応する形で従来の状態(インターネット上のチラシ・カタログのような状態)を「Web 1.0」と呼ぶ。
*****
・Web 2.0の代表的なサービスとして、ロボット型の検索エンジン、SNS、ウィキ、巨大掲示板、ブログなどが挙げられる。旧来の消費者が書き手・情報の発信源になったものは、すべて狭義のWeb 2.0の定義をみたす。
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現在の福祉施設のWebサイトも、Web2.0を意識した作りを念頭に置いたものが多い(ブログ・twitter・youtube等を活用する、など)。

javaやフラッシュを使った動的サイト、では無いことには注意。
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これから、具体的なWeb2.0関連のサイトについて説明します。
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1.2ちゃんねる
・・・2ちゃんねるは、日本屈指のアクセス数を誇る匿名電子掲示板サイトである。略して「2ちゃん」「2ch」などとも表記される。2ちゃんねるは、いくつもの電子掲示板の集合体である。オープンは1999年5月30日。 『「ハッキング」から「今晩のおかず」まで』というキャッチフレーズの通り、2ちゃんねるの中では幅広い分野の話題が投稿されている。
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その中には「介護・福祉@2ch掲示板」という、介護や福祉についての掲示板もある。しかし、その中身は結構過激で嘘も多いので、あまり参考にはならないかもしれない・・・
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このサイトの元管理人「ひろゆき」曰く「嘘を嘘であると見抜る人でないと、(うちの掲示板を)使うのは難しい」とのこと。
・・・これは掲示板だけの話ではなく、新聞や雑誌やTVでさえ、そういう目で見たほうがいい、という隠れた意味でもある。
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個人的にはニュース関連(一般・芸能スポーツ・科学・IT)、趣味関連(パソコン系・音楽系)等をよく目を通しております。
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2.Google
狭義の検索エンジンは、ロボット型検索エンジン、ディレクトリ型検索エンジン、メタ検索エンジンなどに分類される。 Googleはそのロボット型検索エンジンの一つである。現在の日本ではYahoo!Japanについで利用者数は2位。
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1998年に登場したGoogleは、従来の検索エンジンがポータルサイト化へと進む流れに逆行し、独創的な検索技術に特化しバナー広告等を排除した簡素な画面と2000年に Yahoo!のロボット型検索エンジンに採用されたことにより、急速に人気を集めた。2004年にウェブページ検索の世界シェアのトップに躍り出たと見られている。検索の精度が相当高い事でも知られている。
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 現在、ソフトバンク・Yahoo! JAPANがボーダフォンを買収し、KDDIがGoogleと提携するなど、携帯電話の分野で検索エンジンの戦いが激化してきている。
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また、Googleは「iGoogle(インターネットにアクセスする際のスタートページ作成)」「Googleデスクトップ(パソコン内のファイル検索が出来る)」「Googleアドセンス(外部の方がクリック、又商品購入で一定の収入が入る)」「Googlemap(地図検索)」「Googlechrome(インターネット閲覧用ソフト)」・・・などのWebサービスも行っており、現在「単なるカタログを集めた検索エンジン」であるyahoo!よりも利用価値は高いものになっている。Web1.0=yahoo!、Web2.0=Google、という(かなり乱暴ですが)見方も出来る。
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介護のことやそれ以外のことなど、分からない事や調べたい事は、Googleを使ってどんどん調べて欲しい(現に自分はそうしています)。調べて吸収した事が自分の糧となる(ということで、簡単にWebサイトのアドレスを教える、という事は今回はしません)。
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3.Wikipedia
ウィキ(Wiki)あるいはウィキウィキ(WikiWiki)とは、ウェブブラウザを利用してWebサーバ上のハイパーテキスト文書を書き換えるシステムの一種である。それらシステムに使われるソフトウェア自体や、システムを利用して作成された文書群全体を指してウィキと呼ぶこともある。
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このシステムを採用したインターネット版百科事典が「Wikipedia」である。
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その内容は多岐に渡る。医療介護福祉系の内容も勿論記載されている。個人的には、仕事上では病名や薬品名などを調べる時に良く活用しているサイトの一つ。携帯からもアクセスできるので、仕事上でもかなり使えると思われる。
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4.youtube
YouTubeでは、インターネットで動画共有サービスを行っている。Youは「あなた(視聴者)」、Tubeは「テレビ(ブラウン管)」という意味でありYouTubeは「あなたが作るテレビ」という意味合いが込められている。
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これには、「個人が番組を作り、配信して楽しんでほしい」という願いが込められている。著作権問題はあるものの手軽に動画が楽しめることから、コンテンツ業界に注目されている。
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携帯電話からでも利用可能。又、携帯電話に動画をダウンロードするサービスも存在している。
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何千万もの動画がアップロードされており、PCとつなげば、そのまま大型テレビでも視聴可能。個人的に楽しむのは勿論、施設のレクリエーションや園行事の録画中継、回想療法などに応用できる可能性を秘めている。
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5.ブログ
ブログ (Blog) とは、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名 付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。
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・良く新聞などで「日記風サイト」と言う説明がされている(特に南日本新聞が阿久根の竹原市長をさす時に使っている)が、この認識は間違いである事は覚えて欲しい。
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現在、より頻繁に用いられている広義には作者の個人的な体験や日記、特定のトピックに関する必ずしもウェブに限定されない話題などのような、時系列 で比較的頻繁に記録される情報についてのウェブサイト全般を含めてブログと呼称する。
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介護福祉系で有名なブログサイト
・masaの介護福祉板表板/裏板 (masaさん)
・笑わせてなんぼの介護福祉士 (junkoさん)
・〜人生の黄昏〜介護保険・福祉関係速報3rdseason(y-burnさん。正体は私) 
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この3つのサイトは、鹿児島国際大学の福祉学部、古瀬教授の授業で資料として使われた事があります。ちなみに最後の授業では私自身がゲストとして招かれ、将来の福祉従事者の卵達と色々話する事が出来ました。
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個人的にブログ(〜人生の黄昏〜介護保険・福祉関係速報3rdseason)をやってみて思う事
・介護の仕事をやっている人間やそれに注目している人間との交流が出来て来る事。
・コメントなどで自分の考えている事に何らかのリアクションが来る事。
・ネット上で世界中に流れると言う事も有り、下手な記事(リサーチ不足・勉強不足などの理由)が書けないので、それなりに勉強しておかないと・・・。
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6.twitter
Twitter(ツイッター)は、個々のユーザーが「ツイート(「つぶやき」)」を投稿す
ることで、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービス。
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Twitterはブログとチャットの中間のようなシステムを持つ。各ユーザーは自分専用のサイト(ホーム)を持ち、「What's Happening?(いまどうしてる?)」の質問に対して140文字以内でつぶやきを投稿する。つぶやき一つ一つはブログのエントリに相当し、つぶやきごとに 固有のURLが割り当てられる。
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ホームには自分のつぶやき以外に、フォローしたユーザーのつぶやきもほぼリアルタイムに表示される。このつぶやきの一覧を「タイムライン(TL)」と呼ぶ。
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例えば「ビールが飲みたい」というつぶやきに対し、それを見たユーザーが何らかの反応をすることで、メールやIMに比べて「ゆる〜い」コミュニケーションが生まれる。 また、リアルタイム検索や、流行のトピックにより、「今」何がつぶやかれているのかを知ることができる。
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つぶやきの投稿や閲覧はサイト上で行うほか、便利な機能を備えた各種のクライアント、クライアントウェブサービスが公開されており、それらを利用して行うことも出来る。携帯電話からでも充分利用可能である。特にiphone3Gとは連携が強化されている。
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日本の利用状況
2010年1月時点では、Twitterを日本国内からアクセスしているユーザーは約500万人(全世界では約1億人)。男女比は、男性が72%、女性が28%。
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なお、ビル・ゲイツマイクロソフト代表やバラク・オバマ大統領などの多くの著名人、マイクロソフトやソフトバンク、モスバーガーなどの大手企業も「広報活動」として利用している。また、Twitter議員という、Twitterを利用する海外および日本の議員・政治家の総称まで生まれた。
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日本でtwitterを使っている著名人(自分がフォローしている分から)
・堀江貴文(元ライブドア社長)
・勝間和代(経済評論家)
・東国原英夫(宮崎県知事)※おとといから始めたようである
・片山さつき(元自民党衆議院議員)
・浜田幸一(元自民党衆議院議員)※今、いろんな意味でtwitter上で話題になっているお方でもある。
*****
・原口一博(総務大臣)
・鳩山由紀夫(総理大臣)
・山本一太(自民党衆議院議員)
・世耕弘成(自民党衆議院議員)※つぶやきすぎです。
・河野太郎(自民党衆議院議員)
・木村盛世(医師/厚生労働省医系技官)
*****
・森永卓郎(経済評論家)※休みすぎです。
・平出友久(介護コンサルティング事業潟Aックスウェル代表取締役)
・中田宏(元横浜市長)
・三宅久之(政治評論家)※どうも偽者のような気もしないでもない・・・
・・・この他にも、最近は吉本系のお笑い芸人の皆様が使い始めている様子。
*****
twitterは、携帯電話、メールを超えるコミュニケーションツールとして、これからも発展していく可能性がある。携帯電話でも気軽に登録・アクセスできるツールでもある。
*****
ブログまでは出来ないけど・・・というような介護従事者が、twitterでお互いにケース相談や現在の福祉の有り方を語り合う場面も結構あるのを見ていたり、参加したりしているので、最初に言った「スーパービジョン」的な役割を持たせることも不可能では無い(現実、自分はまだ本格的に始めて2週間ですが、平出友久さんや木村盛世さんとtwitter上で意見を交わしたこともあります)、と思う。
*****
twitterの使い方などについては今回説明はしません(というか、実際を見てもらえないので出来ません)。週刊ダイヤモンド2010/1/23号のコピーを何枚か渡しますので、興味を持った方はこれを見て、アカウントを取って、つぶやいてみてください。

ちなみに、「@y_burn」を検索してフォローすると、私が出てきます。
*****
総論
・ネットというのは、適正な使い方をすれば、新たなる「人との出会い」で、学ぶ事が出来ると共に、人生を豊かにしてくれる「道具」になりえる。逆に、悪用すれば即犯罪の道具、になってしまう危険性をもはらんでいる。ネットのセキュリティは完全なものが望ましい。

・事務方や若い職員は、ここまで説明したWeb2.0を使いこなせる様になってほしい。又使いこなす事で、それまでの視点がもっと広くなるはずである。

・うちの施設のWebサイトは現在作成中ですが、このようなWebサービスを駆使して魅力的なサイト作りが出来ればいいな、とも思います。
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posted by y-burn at 10:28| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月07日

バカに権力、ってのは別に官僚だけの話では無いわけで・・・うちの施設にあるから怖い。

 最近、職場でこんなことがありました。

 ま、その前に、ケアマネージャーのあり方としての自分なりの考え方を話そうと思います。

 ケアマネは実務の話を聞き、それを介護計画にフィードバックする、これが基本ですね?と言うことは、ケアプランに現状と合っていない場合や、介護計画作成過程に於いて何らかのミスがあった場合、速攻修正を掛けるのが当然です。

 ところがねぇ・・・うちのケアマネはそうではないことがこの間判明しました。

 いや、餌まいたんですよ。介護記録に。拘縮のある高齢者が時々叫ぶのを「疼痛」の観点からしか見ていないのに異議を唱え、「いくらしゃべれないし、意思表示が出来ないとはいえ、肉体面だけのものなのか?精神面からもあるのではないのか?」ということを書いたんですよね。そしたら・・・夜勤入りで、「主任クラスとあなたは事務所へ集合!」という訳の分かんない呼び出しくらいましてね。

 わざわざご苦労にも「魔女裁判」にしようとしたのか、事務方やらケアマネやら主任クラスを集めて誹謗中傷しよう、と言う意図がありありでした。ま、謝ることでもないし(そもそもケアマネとしてのものの見方が、おいらのような三流ケアマネが見ても不十分だから)、むしろ滑稽でしたね。逆に噛みつこうとしてこちらから噛みつかれて、躊躇もしていたし。

 要は、「私たちの作ったケアプランに文句を言うことは、たとえ神であっても許さない」と言うことらしい。「口で言えば聞くのに、記録に書くことではないでしょう?」とか、「あなたは私たちをライバル視していませんか?」とかね。逆だよ逆。記録に書いてあるからこそ、第三者は利用者のことを真剣に考えている、と思うだろうし、こちらからはライバルも何も全く言ったことはない(おいらがケアマネ就任までの仮のケアマネもどき、と言う認識はあるがな)し・・・そこでそちらの考えの意図がしっかり見えました。そもそも、ケアマネが介護記録にバイアスをかけること自体問題だろうに(問題じゃない、と言うケアマネさん、いらっしゃいますか?)。

 思ったのは、「ああ、こんな低レベルのケアマネが権力を施設内で持って、それを自分の都合の良いように振り回す、それが彼らにとっての仕事、と言うことなんだろうな」ってね。軽蔑?いや、逆の思考能力の無さと言い、自分らのミスを客観的に眺められないことといい、良い茶番だったよね。神妙な顔をおいらしてましたけど、心の中では大爆笑だった。そのあと、参加したケアマネ以外の人間からは、「あんたの言うことの方が(方法はともかく)正しい」と言われました。

 ケアマネとはいえ、こういうレベルの人間はめったにいないと信じたいんですが・・・。以前、そういえば、ここにリンクしているjunkoさんの所のケアマネもこういう方でしたよね?その後お元気なんでしょうか?そのケアマネどもは。

 ・・・身内の恥をさらすようで悪いけど、はっきり世間に示さないと、悪い膿は抜けませんからね。

 以後、機会があれば、うちの施設ケアマネがどれだけ間違っているか解説したいと思います。いや、あいつら追い出さないと、施設としての進歩はないから。

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posted by y-burn at 22:09| 鹿児島 ☀| Comment(1) | TrackBack(2) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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