2012年02月16日

悪かった例から学んで介護業界に活かそうシリーズその2 コンパイル

「...って、シリーズ化かよ!」

と、さまーず三村さん風にまず自分に突っ込んでみたいお年頃ですのでご勘弁を。

 Facebookではコンパイルが「ぷよぷよ」の様なキラーコンテンツを持ちつつどうして破産してしまったかを少しだけ語りましたが、ここで改めて考えてみようと思います。我々の業界でも反面教師として学べる事は多い、と思いますので。

 ちなみに。

 その1、とは題名つけてませんが第一弾のHondaF1についてはこちらで。また、それ以前にもチェルノブイリ原発事故について何故事故が拡大したのかと、それで我々介護従事者が学べる事を以前書いていた(この間昔のブログ記事見てたらあったんだよ...)のですが、それはこちらを見て下さい。こちらはその0、ということで。

 まずはwikipediaからの引用になりますが、コンパイルと言う会社について


 株式会社コンパイルは、かつて存在した日本のソフトウェア開発会社。とりわけコンピューターゲームの制作会社として知られ、著名な作品に落ち物パズルゲームである『ぷよぷよ』がある。
 
 ゲームに対して全く知識ない方も、「ぷよぷよ」の名前は聞いた事があると思います。1980年代後半バブル真っ盛りの時代にテトリスで火がついた「落ち物パズルゲーム」ブーム。その中、1992年にアーケードで発表されたこのゲームは、可愛いキャラ設定(元々は「魔道物語」というRPGのサイドストーリーとして設定されていた)と「連鎖」というテトリスには無かった戦略性、それを使った対戦の面白さで、一時期のゲームセンターでは行列が出来るほどのゲームでした。当時の家庭用ゲーム機ではメガドライブとスーパーファミコン(ただスーファミ版の発売元はコンパイルではなく、バンプレスト名義)で発売され、こちらもヒットを飛ばしました。そういやゲームセンターCXでは有野課長、スーファミ版見事攻略失敗しましたね...。

 オールドゲームファンにとっては広島と言えばコンパイルとメサイア、と言う時期もありましたねぇ...。メサイアも会社の形は変わりつつ今でもラングリッサーシリーズやグロウランサーシリーズを出してますが。

 会社の概要についてです



・概略
 仁井谷正充によって1982年に広島市南区に設立され、後に広島県佐伯郡大野町(現・廿日市市)を経て埼玉県所沢市に移転、2002年に解散している。キャッチコピーは「の〜みそ コネコネ コンパイル」であった

・会社設立
 1982年、広島電鉄社員だった仁井谷が、コンピューターソフトの開発・情報誌の企画などを行うベンチャー企業として設立。古くはシューティングゲームやセガの下請け、ゲーム機への移植作品、MSXのディスクステーションで知られた。1983年に『BEE&FLOWER』を開発した際は、「真紅ソフト」という名称を使ったが、以後は使用していない。
1980年代中盤には、『ザナック』『アレスタ』などシューティングゲームで良作を発表した。

・ぷよぷよによる躍進と急激な拡大路線
 その後は、1992年にアーケード版が発表された『ぷよぷよ』シリーズで、一般にも知られる。そのブームが追い風になって、カーバンクルなどゲームに関連したキャラクターグッズや、広島名物のもみじ饅頭を基に作った「ぷよまん」などの販売に手を広げ、一世を風靡した。また、「ぷよマスターズ大会」などユーザーとの親和を図るイベントも積極的に行われた。

 こうした「ぷよぷよシリーズ」の大ヒットを追い風に、1996-1997年にかけて大量の新入社員を採用し、新社屋に移転するなど、会社規模は急激に大きくなっていった。ゲーム会社ということもあり、地元である広島県では注目のITベンチャー企業として頻繁に報道された。また、ビジネスソフト分野への進出も目論んで、グループウェア『パワーアクティ』の開発にも乗り出した。
 

 まさかこの当時、コンパイルと言う企業がこの世から消滅してしまう、と考えた人はいなかったでしょう。

 
 しかし、この時点のコンパイルには『ぷよぷよ』シリーズ以外に目立ったヒット商品が無く、その『ぷよぷよ』も仁井谷が急激に拡大させていた会社の規模を支えられるほどのものではなかった。また、『パワーアクティ』は増大化した開発費用の一方で販売が不振に終わり、他にも数度にわたる本社移転、企業体力を省みない人材の大量採用、広告費への過剰投入など、仁井谷の性急過ぎた事業拡大路線の反動は、1997年に入って急激にコンパイルの経営を圧迫し始め、短期間でコンパイルそのものを行き詰らせてしまった。

・和議による規模縮小
 莫大な開発費を投入した『パワーアクティ』の販売不振の他にも、当初は1997年の年末商戦向けのタイトルとして企画された『わくわくぷよぷよダンジョン』が開発難航により1998年春期に発売延期になったことはコンパイルに大きな打撃を与えた。ついには、1998年3月に入ると資金面で窮し、最終的には3月末決済の約2億円の手形への目処が立てられず、3月18日に広島地方裁判所への和議を申請、事実上の経営破綻となった。負債総額約は75億円。

 和議申請は受理され、大量の新卒者の内定取り消しおよび大々的な社員の解雇を実施した。
 この時期にコンパイルから離れたクリエイターは数多く、コンピュータゲーム業界の内外に幅広く散っていった。コンシューマ・アーケードの分野で再起した人物も多いが、一部には数年を経てアダルトゲームや同人ゲームの分野で知名度を獲得し、ようやくゲーム業界の表舞台に登場する様になった人物もいる。

・経営再建の失敗
 和議成立後のコンパイルは、本社を広島市中心部から郊外部の大野町(現・廿日市市)の食品工場跡地に移転。さらには広島から撤退して埼玉県所沢市小手指町に移転するなどし、再建の道を歩むかに見えた。また、この和議に際して、著作権などがセガなどに売却されていた『ぷよぷよ』シリーズも、コンパイルには2002年8月まで使用期限が与えられた。

 しかし、和議に至るまでの過程での一連の無茶な経営が明らかになったことで、社長である仁井谷の対外的信用が失墜しており、また社内システムの建て直しも不首尾に終わったことから往時の力は戻らなかった。そして最後まで『ぷよぷよ』に代わる新しい作品を生み出すことができなかった。

 2002年8月末で『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権の使用権を失い、関連商品の販売ができなくなる[2]。その後、同年12月8日付で会社解散し活動停止。直後の同年12月25日付で本社を東京都台東区に移転した。2003年11月6日には東京地方裁判所より破産を宣告された。負債総額は約54億円。

 2004年2月17日、費用不足のため破産廃止。その旨の登記が同年5月12日付でなされ、株式会社コンパイルなる法人は完全消滅した。
 このニュースは当時ゲームとあまり縁の無いマスコミでも大々的に報道されました。個人的にはここまでの詳しい経緯を知らなかったため、「え?何で潰れるの?」とビックリした覚えが有ります。

 ゲームとしてのぷよぷよは版権がSEGAに移行され、元々のサブキャラクターも変えられて基本的システムそのままに、現在は携帯やスマホやDS、Wii、PSPで遊べるようになっています。20年前のこのゲームで今は自分達の子供が遊んでいるのを見ると、ゲームは既に日本文化なんだなぁ、とほのぼのしつつも、こうしたほうがいいよ、と思わず横から口出しする自分がいたりしてw。

 さて本題。

 コンパイルは何故失敗したか、という事についても、wikipediaでしっかり説明されています。まずはそのまま抜き出してみましょう。

運営時の問題点など
経営状況の悪化の要因や会社組織としての問題点として、以下のような事柄がいわれている。

1.仁井谷による会社の私物化
 コンパイルの急激な拡大に対して社内組織の管理や拡充が追いつかず、実態としては仁井谷の個人商店のままアンバランスに発展していた。また、仁井谷は強力なワンマンタイプの創業オーナー社長であり、周囲に諫言できる人物がおらず、会社の私物化とも取れる行動が度々見られた。仁井谷は周りを補佐する人材にイエスマンしか置かなかったため、不満や反対意見なども出ず、末端の従業員とのコミュニケーションも不十分な企業体質となっていた。その様な状況下で、経営陣の危機意識は乏しく、実際に経営危機に陥った時の対処能力にも乏しかった。

その上、仁井谷には浪費癖があった。例えば『ぷよぷよ通』『ぷよぷよSUN』での販促展開では、社長が自ら「サタンさま」のコスプレをして各地のイベントに出演していたが、この衣装を作成するのに100万円かかっていたと仁井谷自ら明言している。イベント開催時にも「多額の使途不明金」を発生させるなど、経理面も杜撰だった。

2.人材の過剰採用
 現有社員数と同数またはそれ以上の「新入社員の内定」を確定していた年度があり、必要以上に人件費・不動産費・設備費などが増加していた。しかも、それは利益が大幅に増加し続けるならば問題は小さいが、一度売上が鈍るとたちどころに経営を圧迫した。

 1996年に開催した自社主催イベント「全日本ぷよマスターズ」では幕張メッセに18,000人を集めた。1997年3月期には売上高約69億円を計上。この時期が『ぷよぷよ』人気のピークで、その後も人気はそれなりに持続していたにもかかわらず、その僅か1年後の1998年3月に和議申請に追い込まれている。

3.市場動向を軽視した商品開発
 パーソナルコンピュータ向けミニゲーム集ディスクステーションに収録された内容からヒット商品が発生していることから、そのパターンが再度発生することに期待し人材や経費を投入。結果として収益性の高い家庭用ゲーム機向けソフトの開発が軽視されることとなった。ディスクステーションのゲームはアイデア的に優れた作品はあったが、一つ一つのクリア所要時間は短く、最新ゲーム機で目の肥えたゲーマー達を満足させるものではなかった。

 ぷよぷよがヒットした時点では、パソコンゲーム市場と家庭用ゲーム市場でヒットするソフトウェアの内容には共通点があったが、家庭用ゲーム機のスペックが急速に向上したことで傾向が分離し、以前のパターンが適用できない状況に陥った。

 経営方針においてランチェスターの法則に傾倒、特に弱者戦略を重視し、セガ製携帯ゲーム機ゲームギアなど小市場でのシェア獲得を重視したことが、収益性の低下や社員のモチベーション低下を招く一因となった。プレイステーション(PS)・セガサターン(SS)などの「次世代機戦争」時にセガスーパー32X・ゲームギアなど旧ゲーム機への注力を表明したことで次世代機への参入が遅れた。そのため、PS・SS版『ぷよぷよ通』は外注製作となった。

 その後に開発された家庭用ゲーム機用ソフトは、手堅く凡庸な内容で、過去の成功例を反映したものではなかった。

4.常識に欠ける人材育成システム
 全盛期の社員教育において「丁稚制度」なるシステムを導入。「一年間は雑務のみ、雑務の合間に先達から技術を盗み研鑽すべし」として徒弟制度を重視し、これを画一的に運用したため、有望な新入社員を即戦力として生かすことができなかった。

 さらには、新入社員にピンク一色のジャージの着用を出勤時にまで強制するというパワーハラスメントまがいのことを行ったことで、「丁稚制度」の対象となった者たちに相当のモチベーション低下や短期離職率の上昇があったといわれている。丁稚のジャージ姿が目立つため、会社周辺地域(当時の本社は広島駅から駅前大橋を渡った先にあった)から苦情が出た、社員を狙った事件が起きたなどの話もある。

 後に「セクシャルハラスメントに該当する」という指摘を受けて女性社員のみ出勤後の着用義務に変更されたものの、和議申請時まで全面廃止されることはなかった。和議申請以降にようやく廃止され、使わなくなったジャージはファンへ販売されている。

5.過剰な広告展開
ビジネスソフトの宣伝をゲームソフトと同じ方法論で展開。中尾彬、川島なお美などのタレントを起用したテレビコマーシャルを投下し、企業規模に合わない高額の広告費を支出していた。

 他にも、オートバイチーム「コンパイルレーシングYAMAHA」を設立し、全日本ロードレース選手権にプライベーターとして参戦していたこともある。これは1995年結成、1998年和議申請の際に解散した。レースクイーンの衣装が同社のキャラクターである「カーバンクル」を模したもので当時知名度を誇った。しかし、本来、モータースポーツは収益を上げるまでに非常に多額の資金投入を必要とするものであり、サイドビジネスとして行うにしてもよほど経営的に余力のある会社でなければ継続的な参戦は不可能である。

6.ビジネスソフトへの傾注
 ゲームソフト感覚をコンセプトとした上、ビジネスソフトの開発経験者がほとんどいない状態でソフトの開発を強行した結果、開発費が増大し当初予定を大幅に超過した。販売に至っては、一般ユーザ向けでなく中小企業向けにした結果、ソフトがほとんど売れなかった。そもそも、これもまた仁井谷の鶴の一声で始まったプロジェクトとされる。



6つのポイントがありましたが、これを自分なりに分かりやすく解釈して挙げてみて、更に介護業界とつなげて考えてみると、こうなります。

1.トップが傲慢で従事者の言葉を聞かない事。急にヒット商品を出し、傲慢になったトップに他人の忠告を聞く耳は無かった。また、組織が傾きかけてもトップやその取り巻きに危機管理能力や危険予知能力が無かった。経理面も杜撰だった。
→良く「上司が傲慢で」と言う話を聞きますが、基本介護業界は小規模な所が多く、良くも悪くもワンマン経営、ひいてはブラック企業並みになる事が多い。人をお世話する業種なのだから利用者も大事だろうが従事者も大事にする、と言う発想が無いとなかなか上手くいきません。鹿児島の場合、急成長する大規模な法人に限って離職率が妙に高かったりしますがこれはまさに...しかも周りにイエスマンしか、と言うのも全く良く似ているように感じます。失敗した後、社長に信用がなかったというのも...

2.必要以上の人的資源を導入する事で経費がかかりすぎたこと。毎年少しでも成長するのであればかまわないが、ゲームのようなヒットしないと収入が上がらない業種では浪費そのものになりえるといえる。
→介護保険の収入だからあまり関係ない、と思ってはいけない。介護業界はこれとは全く反対で、法で定められた人員以上を採用したがりませんが、入所者や利用者の状況いかんではそれ以上の人員を採用しないとたちいかない事だってある。要は適材適所、また適当な人員配置が出来なかったという事では、共通することでは有ります。

3.時流を読めなかったこと。ライバルが競合しないハードに移植することが結局会社としての利益に繋がらなかった。ある程度社会の動向や業界の流れを掴まないと得てしてこのような間違いを犯す。
→介護業界に於いても、その時々の状況をしっかり掴まないと同じ間違いをしかねない。そこを踏まえてか、ケアマネなどはネットや講演会などで情報を掴もうと躍起になる事が多いのですが、これもまたトップだけでなく同僚や部下が「人いないんだから研修とか行かないでください」と、とんでもない事をいう事例もある。目先の得だけを見ていても、将来は見えないもんです。

4.パワハラモラハラに近い研修制度。新人は新人であり、こいつらから学ぶ事は何もないと断定しての扱い。社員教育法の根本的なミス。
→どういう業種でも新人教育は難しいもの。丁稚制度自体が悪い、とは断言できないが、ゲーム業界にそれは合うものではないでしょう。介護の世界はどうでしょうか?「え?介護の方法?先輩から盗め!」とかやってる施設もさすがに今はそう無いでしょうが、内容としては丁稚制度に毛が生えた程度の教育法を取っている施設や事業所、まさか無いでしょうね?この業界、意外と新人が持っている情報が先輩が知っているものより数段優れていた、ということも珍しい事では無いんです。特にケアマネなどの最近出来た資格などはその傾向が強いですね。お互い持っている知識や方法論を上手くリンクさせる方が、単に一方通行の教育よりももっと素晴らしいことになると思うのですが...

5.実務に関係ない業務に力を入れたこと。企業としてのレベルを遥かに超えたイベントや広告でのPR活動。
→実務に関係ない業務?それって自治ろ...とか言うとまたどっかの掲示板で叩かれそうですが、本業に力を入れず別な事、コンパイルでは広告ですが、おろそかにする行動はさすがに介護業界だけでなく、どの業界でも問題ですね。うちの業界でも施設内政治とか事業所内政治とかだけに力を入れて(色仕掛けで理事をたらしこんでみたりなぁ...)、その結果本業がおろそかになり、結果監査の時に指摘されて500万円市に返納せざるを得なかったケアマネがトップにいる事業所を知っておりますが。更にこういう事に力入れて逆に利用者から苦情が出ていったいどうするのだ。また、介護事業所の場合なかなか広告については個人情報保護の観点から難しくもあるのですが、カタログとしてのWebサイトに加え、双方向の情報交流としてSNSを上手く使えるようにする、と言う方法を取れればいいんですけどねぇ。

6.ノウハウの無い事にチャレンジし、見事に失敗。それを活かして会社の方向性を変えられなかった事。
→そりゃ失敗する時はどんな業種であろうが失敗するもの。ただ、新しいことを行う前提としてそのジャンルをしっかり学び、いざとなったら即対処できるだけの技術や心構えをしておく事は必要なんですが、おそらくそれすらやってなかったんだろうなぁ、と。また、この失敗を活かしてこの後の業務にフィードバック出来たのであればここまで悲惨な状況にもならなかったのでは?とも思うんですよね。施設や事業所も失敗する事で逆に学ぶものがあるはず。それを活かせなかったり見ないものとしたりすると、本当にコンパイルの二の舞になりそうです。また、利用者の意向などを上手く汲み取れないことも失敗の原因に挙げられますね。

 ...以上の理由が挙げられますが、2〜6の原因をたどると殆んどが1の理由に源流があると思われます。「トップを始めとした上司が傲慢でワンマン経営であった」ということ。中小の事業所で、なおかつ成長過程にあるならそういう形態はある意味仕方ない事ではあると思いますがある程度規模が大きくなり、上司が現場を見ないような事業所では...プライドと傲慢は似て非なるもの。傲慢である事は組織にとって全くプラスにならないばかりか害悪ですら有ります。

 まぁ見てないと思うけど、もし介護事業所のトップの方、これを見ているなら自分がいつの間にかコンパイルの社長のように傲慢になっていないかどうか、客観的に自らを見て下さい。さもないと、コンパイルと同じ轍を踏むことになりかねません。

 蛇足ながら。

 コンパイルと言う企業の出したソフトについてはアレスタシリーズもぷよぷよシリーズもリスペクトしております。ファミコン・スーファミの時代は広島のコンパイル・メサイア以外にも札幌のハドソン(ついこの間潰れちゃいましたが...)や福岡のシステムソフト(派生したLEVEL5がイナイレシリーズやニノ国やレイトン教授やダンボール戦記で今とても元気)や大阪のカプコン(ここもまだ元気)やビック東海(ゲームから足を洗い、別業種で頑張っているそうですが)など、こういった地方の企業がどんどんヒット作を出していました。あの頃のゲーム業界の活気が今となっては懐かしくもあり、また思い出として心の中にあります。そう言う事も有り、今回の記事にいたしました。

 第三弾は...そうですねぇ、TOYOTAF1か?それともコムスンか?はたまた全く毛色の違う企業か?

 乞うご期待!

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2012年02月10日

日本の組織の仕組みに負けた第三期HondaF1。

 今、色んな会社や組織の失敗談を少しづつネットや本で読んでます。

 介護というのも今は会社・法人で事業として行っているものですから、組織がどうやって失敗したかを学び、考えるのは組織のありかたや後輩同僚への助言の大きなヒントになると思うんですよね。介護の世界の失敗ではなく、一般企業やプロジェクトでの失敗のほうがまた介護の世界に当てはめると新たな発見があったりして。結構面白いですし、他山の石として自分たちの仕事にも生かすべきだな、とも思います。

 Facebook上ではぷよぷよで有名なコンパイルの破産について話した事がありますが、今回は破産、では無く逆プロジェクトX的なお話を。

 集英社刊、「さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?」を読んでの話になります。F1についての知識が無くても解るようには書くつもりですが、解らなかったらコメント欄に質問書き込んでください。

 〜第三期HondaF1はなぜ失敗したか?〜

 第一期HondaF1は二輪での世界大会での優勝経験があるとはいえ、車は右も左も分からない状態であり、ヨーロッパ至上主義の世界。イエローモンキーの車で何ができる?と貶されつつも日本の技術を世界に知らしめたモンツァでの初優勝。1967〜68の二年間とはいえ、F1の世界に大きなインパクトを与えました。



 第二期HondaF1はコンストラクターとしての地位ではなかったもののスピリッツ、ロータス、ウィリアムズ、マクラーレンにエンジン供給。最強だった88年には16戦中15戦がHondaエンジンのマシンが優勝し(今でもこの記録は破られていない)、87年イギリスGPに至っては1位〜4位がすべてHondaマシン(マンセル、ピケ、セナ、中島)という、まさにHonda黄金時代を築き上げました。



 セナ・プロスト・ピケ・マンセル・ベルガー、中嶋がHondaのマシンで走り、日本でもバブル全盛期でレイトンハウスやフットワーク、Geoなどがチームを持っていた、日本のF1人気全盛時代です。この時代も1992年のHonda撤退と中島悟引退に加え、1994年の悪夢のサンマリノGPでラッツェンバーガーとセナが天に召されることで日本のF1人気も終わりを迎えました。



 その後も実際は無限の名を借りてHonda、Yamahaの名を借りてTOYOTAのエンジンがF1に参戦し続けてはいました(TOYOTAF1については又別の機会で話するかもしれませんが、Hondaの失敗と重なるところが結構あります)が、再びHondaがF1に帰って来る事になります。
 1998年、世間がITバブルで浮かれているその頃。3月9日にHondaは「F1復帰宣言」のプレスリリース(マスコミ向けの告知)を出します。詳細は「オールHondaでの参戦を目指し、2000年参戦を目指す」というものでした。個人的には、このニュースは大歓迎で「再びセナ時代の黄金期のHondaを見る事が出来るのか...」と興奮したのを覚えています。

 で、結果はというと...

BARHonda
2000年 コンストラクターズランク5位 最高位4位
2001年 コンストラクターズランク6位 最高位3位
2002年 コンストラクターズランク8位 最高位6位
2003年 コンストラクターズランク5位 最高位4位
2004年 コンストラクターズランク2位 最高位2位
2005年 コンストラクターズランク6位 最高位3位
→HondaF1チームへ

Jordan Grand Prix
2001年 コンストラクターズランク5位 最高位4位
2002年 コンストラクターズランク6位 最高位5位
→2006年にミッドランドF1(MF1)に変更。 その後も2007年にはスパイカーF1、2008年にはフォース・インディアへと次々に売却。

HondaF1チーム
2006年 コンストラクターズランク4位 最高位1位
2007年 コンストラクターズランク8位 最高位5位
2008年 コンストラクターズランク9位 最高位3位
→チーム代表であったロス・ブラウンに売却され、「ブラウンGP F1チーム」となる。ホンダF1時代に開発されたマシンを引き継いで参戦したブラウンGPは、2009年第一戦で初出場、初優勝を遂げるなどし、最終的にはダブル・タイトルを獲得した。

Super Aguri F1 Team
2006年 コンストラクターズランク11位 最高位10位
2007年 コンストラクターズラン9位 最高6位
2008年 コンストラクターズランク11位 最高位13位
→2008年第4戦スペインGPで撤退。


 第一期で35戦中2勝、第二期で151戦中69勝と華々しい記録を残したHondaが、結局8年間でわずか一勝を上げる(2007年ハンガリーGPでのジェンソン・バトン)のに留まり、2008年のシーズン終了後に突然のF1撤退を余儀なくされる事になりました。

 彼らの言うところの撤退の理由はリーマンショックなどの市場環境の悪化に伴う経営的な資源の再配分、ということでしたが、2009年には知将ロス・ブラウン氏をメインとした強力なチーム体勢で本格的に取り組む予定であったはずなのですけどね...

 で、2009年シーズンはこのHondaから見捨てられ、代わりにメルセデスエンジンを乗せた「ブラウンGP」がジェンソン・バトンをチャンピオンにし、チーム自らもコンストラクターチャンピオンとして君臨。翌年にはこのマシンのポテンシャルを信じてメルセデスがチームを購入、帝王ミハエル・シューマッハが復帰するのですから、世の中とは分らないものです。

 〜最強軍団が泥にまみれる時〜
 今はそう言われる言葉ではなくなりましたが、「モータースポーツはHondaのDNA」と言う表現、使われてきていました。2輪でも4輪でもあくなき技術の意欲、貪欲なまでの勝ちへのこだわりや情熱が優勝を導くだけでなく、世界的な「Hondaブランド」として、また人を「ワクワク」させる会社として見られる事になっていました。それが「Honda」の企業としての成長の根幹たるものでした。

 ところが、この第三期HondaF1の動向はある意味「情熱を捨てたビジネスマン」と表現してもおかしくない物になっていました。

 時系列でこの10年間を簡単に説明すると、こうなります。

1.オールHondaワークスでのF1復帰を発表(1998)
2.ティレル→ブリティッシュ・アメリカンレーシング(以下BAR)とのジョイント。エンジンサプライヤーとしてとりあえず復帰(2000)
3.BARとジョーダンの2チーム体勢(2001)
4.BARの経営陣入れ替え(2004)
5.BARへの一本化(2004)
6.BARへの45%資本参加(2004)
7.100%資本参加によるHondaワークス化(2005)
8.Hondaとスーパーアグリとの2チーム体勢(2006)
9.知将ロス・ブラウンへの全権委任(2007)
10.HondaF1チーム撤退(2008)


 実は既に1〜2の時にワークスとしてレースを戦うと言う軸がぶれているわけで、これ、Hondaの一般スタッフからすれば「俺達は何の為に戦っているんだろうか?」と迷うのは当然と言えば当然です。しかもそれに加え、努力した結果が出ないわけですから、そのモチベーションも下がってもおかしく無い。

 また、指揮するのはいったい誰なのか?と言う問題もありました。Hondaチームと言っても、本社青山の「本田技研工業株式会社」、技術のイニシアチブを取る「本田技術研究所」、イギリスにはレースの指揮を取る「ホンダレーシングF1」「ホンダレーシングディベロプメント」と複数の企業が動いていました。いくつものHondaが、いくつもの異なるビジョンを持ち、プロジェクト全体の責任の所在も明確で無いまま無駄に参戦を重ねて行った...要はマネジメントがお粗末だった、としか言いようが無いわけですね。

 F1に参戦しているHonda社員からの愚痴は「○○が悪い」「いや、××が悪い」が山のようであったし、誰も責任を取ろうともしなかったと言う。たぶん本田宗一郎氏がこれ聞いたら激怒してますよね...。

 「さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?」の著者、川喜田研氏はこの本の最後辺りにこう綴っています。

「何の為に戦うのか」が不明確なまま
責任の所在もあやふやで
勝利に向けた具体的なビジョンも
現代のF1と言う戦場への理解も
自分達の能力への
正確な自己認識も欠いたまま
第二期F1の栄光の記憶と
根拠の無い自信だけで突き進んだ
第三期ホンダF1という
あまりにも悲劇的な戦争は
屈辱にまみれた形で敗戦を迎えた...
(中略)
「サラリーマンにF1をやらせるつもりは無い」
と言った川本信彦(F1復帰発表時の本田技研社長。直後に社長辞任している)の言葉が、空しさの中で強烈なリアリティを持って立ち上がってくる。Hondaに夢を託した多くのファンと共に、おそらく天国の本田宗一郎も大粒の悔し涙をボロボロと流しているに違いない....。


 これが現実でした。以降、Hondaはヨーロッパ主体の国際的なレースから足を洗いました(まだアメリカののフォーミュラからは撤退してはいませんが)。その余波は予想以上に大きく、同じくF1を戦っていたTOYOTAも2009年に撤退、WRC(世界ラリー選手権)からはスバルやスズキ、パリダカの三菱、モトGPのカワサキなど、日本から国際レースに打って出ていた会社が軒並み撤退して、今に至ります。最もこの直後に小林カムイがザウバーからデビューし、センセーショナルな走りで注目され、2012年も期待されてはいますが...。
  
 〜HondaF1惨敗の原因とは?〜
 結論から言えば、「戦う牙をなくした島国的なサラリーマン根性になり下がったHondaではヨーロッパ文化と戦えなかった」ということなんでしょう。もちろん、毎年大きく変わるF1のレギュレーション(ルール)の制約の中で頑張ってきたし、形になって市販車の技術にフィードバックされているものも無いわけではありません。しかし、これがコンストラクターチャンピオンという究極の目的に近づくにはあまりにも...

 F1撤退前からHondaはワクワクさせるような楽しげな車を作るより、家族で楽しむミニバンやエコに配慮した車、一般的な乗用車を得意とする企業になっています。もちろんそう言うのも悪くは無い。でも、昔あったCityとかCR-Xのようなワクワクさせる車を作るのが得意な企業ではなくなってますよね?

 集団や組織が大きくなればなるほどその中から沸き上がってくるのは「安定」と「保身」です。おそらく本田宗一郎氏はこの言葉、大嫌いだったはずです。常にチャレンジし、新しい物を作り、結果を出す。これが「HondaのDNA」なのですから。

 「会社と言うのは実に便利な仕組み。大きな組織で責任の所在を曖昧にするシステムだと思えばいい」...まさにその言葉が今のHonda、と言う企業の体質なのでしょうね。そう言う体質での物作りだから、物はいいんだけどワクワクする何かが無い。

 責任取らないんだからいい加減な仕事でもかまわない、どうせ給料が上がるわけじゃない、何でこんな苦労しないといけないんだ。本社が悪い、開発スタッフが悪い、サーキットが悪い、マシンが悪い、そういってれば問題ない...

 「チャレンジをして大きな失敗をするよりは何もしない事による責任回避」と言う姿勢、これはまさに本田宗一郎の思想ではなく、日本の官僚やお役人の思想です。これはHondaに限った話ではなく、日本全体がバブルやリーマンショック、とどめに東日本大震災を受けた現在の大企業全般に言える事だし、それが中小企業や個人にも伝播している。

 〜じゃ、我々介護従事者としてこの事例を如何考えるか?〜
 いくつか挙げて見ます。

・何か問題が起こった時に「あれは○○さんのせいだ」「いや、××くんのせいだ」「事務方が悪い」「介護保険が悪い」「行政が悪い」などと他人や環境におっかぶせない事。もちろん行政や介護保険は最悪の部類であるし、それを庇って悪態ついて得意になっているバカもいる。それは突っ込み入れないといけないし、良くはならない。が、自分達で解決できるものについてはそうじゃない。文句言う前に動いて次善策をとればいいだけの事です。

・「何の為に仕事しているのか」を明確にする。個人的には施設在宅限らず、基本「高齢者の健康と安全を保持し、生き甲斐を作り、命燃え尽きる際に『良い人生だった、関わってくれた皆、有難う』」と言って頂くのが介護の仕事だと思う。それに如何繋がるか、と言うのが施設や事業所の理念なんだろうが、その理念に沿って仕事をして居るかどうか新ためて確認し、ズレがあれば修正する。又、利用者が如何あるべき姿が幸福なのか、と言うビジョンを常に持つ。

・自分達に出来る事は何?出来無い事は何?を改めて考え、冷静に判断する。もし出来ないのなら、できるようにするには何が必要なのかも視野に入れる。もし自分のいる施設や事業所が過去の栄光等にとらわれて動けないようであれば、そう言う夢想はばっさり切り捨てて新たな道を歩むよう方向転換する。実際問題、過去有名だった施設に限って内情は最悪だったりします。結構この言葉、良く使うんですが「流れる水は腐らない、溜まった水はいつか腐る」。集団も同じです。常に時代や環境、集団に属する人間の行動や思考に合わせて流れて無いといけない。腐って悪臭を放ち、ボウフラのわらわら沸いた水が好きならそれはそれで構いませんが、個人的には嫌ですね。

・お役所の職員や官僚の物まねをしない。物まねをしたからこそのあのHondaの体たらくなんですから。この時期、他のチームは官僚と対極にある職人肌のスタッフも多かったと聞いていますし、プロ意識も高かった。当時無敵を誇ったシューマッハが頂点に立っていたフェラーリなどはまさしくそう言う集団でした。我々はどうか、と云うと...例えるなら、いざとなったら利用者の為なら行政と喧嘩でも何でもしてやる、と言うぐらいの心意気でないと利用者の幸福を望めない、と思うんですよね(自分自信現にやってたし...)。常にチャレンジ精神を持ち、当たって砕けろぐらい考えて動いて、もし失敗したら反省して同じ過ちを二度と繰り返さない。これで良いと思う。それには施設のお偉いさんも意識改革が必要で、職員を減点主義では無く加点主義で見る事も必要でしょう。

・会社、もっと言うのなら集団、と言う便利な仕組みから抜け出すまではしなくても良いけど、第三者として冷静に傍観する視点を持つ事。表向きは上手く行っているように見えても、その内情は...と言う事も結構良くある話です。この時期の本田技研にしても、会社内で反レースの立場を取る重役もいて、レース参戦の邪魔をしていた(川本さんの社長退任もその一例)、と言う噂もありますからね。少なくとも組織内で政治的に動く、という事は本業をおろそかにする愚の骨頂。自分自身自治労や日教組を信用していないのはまさにこれで、プロ意識のかけらも無い愚かな行動だからです。F1コンストラクターに組合があってスト起こされたら...まずスポンサーが離れて御まんまの食い上げですからね。

 う〜ん、思いつくのはこのくらいかな。もう少しゆっくり考えればまだあるかもしれませんが...

 あ、もうひとつ。

 「自分自信がワクワクして、同僚や利用者もワクワクさせることができること!」でも、たぶん難しいよこれ...。

 最後に。

「Hondaは失敗を恐れない。失敗の中に次の進歩の為のヒントが隠されているからだ。これがホンダスピリットだ!」

 これが本当の言葉になり、再びF1に舞い戻り、強いHondaがサーキットに不死鳥のごとく復活する日を、1970年代のアンドレッティやシェクター、ビルヌーブやペテルソンの頃からF1を愛し続けている自分を含めた日本のF1ファンは待っています。

 更に言うなら、失敗を恐れずに突き進む姿勢は、我々介護従事者も見習うべき事であるし、それを心に秘めつつ日々頑張っていこう、と思います。

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2011年04月27日

チェルノブイリ事故は、特定の業種だけに当てはまる要因で起こった訳ではない事は認識すべし。介護にも当てはまります。

〜チェルノブイリ:30キロ圏今も居住禁止 事故から25年〜
 
 1986年に旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で起きた原発史上最悪の事故から26日で25年となる。原発から半径30キロ圏内は高濃度の放射性物質による汚染のため居住が禁止されたままで、立ち入り規制解除のめどは立っていない。完全な廃炉に「あと100年はかかる」(ウクライナ政府の担当機関幹部)とされ、最終的な原子炉解体方法の見通しはついていない。国際評価で同じ「レベル7」となった福島第1原発事故にも重い課題と教訓を突きつけている。

 ◇「完全廃炉まで100年」
 チェルノブイリ原発事故は、原子炉4号機の爆発と火災で大量の放射性物質を大気中に放出した。福島原発では原子炉を覆う格納容器から放射性物質が漏れたが、原子炉は破壊されていない。大気中の汚染レベルも10分の1以下とされる。だが現在も事故は収束せず、今後の事故処理も長期化は確実だ。

 チェルノブイリ原発ではコンクリート製の「石棺」で4号機を覆った。事故から半年間の突貫工事だった。耐用年数は30年といわれ崩壊の危険性がある。このため石棺全体を金属製の新たなシェルターで覆う構想が浮上。キエフで19日に開かれたウクライナ支援国会合では欧米を中心に総額約5億5000万ユーロ(約660億円)の資金拠出が表明され、ヤヌコビッチ大統領は「目標とする15年には完成できる」との見通しを示した。

 ただ新シェルターが完成しても、石棺内には放射能を持つ約200トンの核燃料が残る。放射性物質を含んだがれきも約30トンあり、チェルノブイリ原発のグラモトキン所長は「今も緊迫した状況が続いている」と指摘する。

 石棺は新シェルター完成後に解体される予定だが、内部の放射線量が高いため人間が長時間作業するのは極めて困難だ。専門家の間では遠隔操作のロボットを使う案が出ているが、技術的に可能か見通しは立っていない。解体後のがれきなど大量の放射性廃棄物の処理方法も未定だ。

 事故後、原発周辺30キロ圏内から約13万5000人の住民が強制移住させられたが、その後、高齢者ら約260人が自主的に戻った。また環境保護団体グリーンピースによると、30キロ圏外のウクライナ北西部では今も牛乳やジャガイモから高濃度の放射性セシウム137が検出され、住民の健康被害が懸念されている。

 原子力政策や科学史に詳しい吉岡斉・九州大副学長は「チェルノブイリの最大の教訓は、放射性物質の大量放出事故が起こり得るということだった。だが当時の日米欧の原子力関係者は事故を過小評価し、先進国ではありえない特殊事例と片付けた。福島の事故も時がたつと『特殊な事例』と過小評価されるかもしれない」と警告している。
 もう25年ですか...。当時はまだ高校生で、ニュースはテレビラジオ新聞ぐらいしかなく、しかもインターネットなんてものは無い時代でしたからそう詳しくその内情を知る事はできなかったですね。週刊誌も読んでいるわけじゃ無し、受験勉強だけがやるべきこと、でしたから。数年後大学で旧ソ連のウクライナから来た留学生にその恐ろしさを直に聞くことになるのですが...。しかしまさか、その25年後に同じレベルの事故が日本で起こるとは思ってもみませんでした。

 wikipediaには、この事故の要因として以下のことがあげられています。

・運転員への教育が不十分だった。
・特殊な運転を行ったために事態を予測できなかった。
・低出力では不安定な炉で低出力運転を続けた。
・実験が予定通りに行われなかったにもかかわらず強行した。
・実験の為に安全装置をバイパスした。

 一言で言ってしまうなら、これは完全な「人災」。もしこの要因の一つが無かった場合はここまでの被害は無かった、と言う話です。おかげで現在ベラルーシの国土の相当な面積は耕作不可能になり、ウクライナは上記にあるように余計な国費を注ぎ込まなければならなくなった、ということに。事故当時で万単位の事故収束のために亡くなった方もいますし、いまだに放射線の被害で苦しまれている方々もいらっしゃいます。

 今回の福島第一も正直言えば「人災」。想定外の地震があったとはいえ、同じ津波を受けた女川や福島第二が少しの被害で済んでいるのに。最もこの背景には、本来15年で改修をしなければ成らなかった原子炉を40年近く使い続け、騙し騙し使っていたTEPCO、原子力発電を盲目に反対してきた(それゆえに改修も何も出来なかった点も見逃すべきじゃない)似非環境保護団体、双方責任重大ですけどね。

 将来の電気のことを考えると、個人的にはこうなれば良いのでは、と思う事が有ります。素人考えですけど、是非実現させてほしい。

1.原発の増設は完全に凍結。今ある原発については期間限定(結構長い時間にはなると思いますが)で運転を許可。勿論安全対策には万全を期すこと。最終的には原発は0にすることを目標に据える。
2.その期間で風力、波力、太陽光、温度差、地熱などのいわゆる新エネルギー発電の資源開発及び効率化を目指す。
3.オーランチオトリチウム(これはまた別で説明しますね)などの藻で炭化水素を作り、火力発電にはそれを利用する。バイオマス燃料による火力発電なども視野に入れる。
4.これまで大規模発電所からの送電だった電気を、個人宅や事業所、地域などの小規模発電で使えるようにする(大きな送電線による送電ロス、と言う事も考えないと節電にはならない)。
5.周波数の全国統一。これは実際はなかなか困難ではあるらしいが、長い時間をかけてでも50Khzか60Khzかに統一する。
6.家電などももっと省エネが出来るように改良する。
7.節電を心がける。
8.もっと大きく考えるなら東京への一極集中を此処で完全に止めて、地方でも大企業が有り東京と同じ待遇や賃金レベルで働けることや、ネット以外の情報も全国統一(テレビやラジオなどもね)すること。言い方はおかしいのかもしれないが、今回の震災は今までの東京一極集中をもう一度考え直す良い機会に成ったはず。「東京に住まない人間は負け犬」とおっしゃった誰かさん、自分のマンションが液状化で酷い目に遭ってないことを祈りますwww。

...個人的に思いつくのはこんなもん。ただし、条件として、これらに対して国が思い切りからんでくるような状況では今までと同じ。規制をかなり緩和した状態で、というのであれば有りでしょ。特にオーランチオトリチウム等は量産体勢に入れば絶対に国の特殊法人がからんでくるはずですので。
 
 これからのエネルギー政策は大きく変換しなければならない状況に立たされた、と見るべきでしょう。これは日本だけではなくて、世界中そうです。

 この件で思ったことがもう一つ。もし、事故の要因を意味を変えない範囲でこう書き換えると...?

・介護職員の教育が不十分だった。
・特殊な介助を行ったために事態を予測できなかった。
・利用者が現状では不安定な精神状態でも現状維持を続けた。
・介護が予定通りに行われなかったにもかかわらず強行した。
・楽をする為に安全な介助法を自己流で行なった。

 はい、我々介護職員の事故報告書を書くときに当てはまることが有りませんか?そう、チェルノブイリ事故は、特定の業種だけに当てはまる事故要因じゃないんです。さまざまな業種にこの要因は当てはまります。基本的なことを覚えてないと仕事は出来ないし、特殊な方法を生兵法でやっても介護者や介護される側も傷つき兼ねない。認知症高齢者の不穏状態を放っておくと別な行動障害が出るかもしれないし、プランにない介護サービスを(基本的には)やっちゃいけないし・・・。

 もっと簡単に書けば
1.従事者のスキルのレベルは?
2.悪い意味で仕事に慣れてしまっていませんか?
3.顧客の側に立って物事を考える事が出来ますか?
4.本来あるプランを悪い方向に変更していませんか?
5.安全確認しっかりしてますか?

 こんな感じになりますかね。

 逆に言えば、こういった要因を潰していく事が業務上の事故を防ぐ、または事故を最小限のレベルで食い止める、という事にも繋がると思うんですよね。チェルノブイリや福島第一の失敗には実は小さな組織でも学ぶべき事は多いです。

 最後に。放射線でいまだに苦しまれているロシア・ベラルーシ・ウクライナの核被災者、それに東日本大震災の被災者には改めてお見舞い申し上げます。日本はこの福島第一の事故を最後に核惨事を起こさないように努力していくべきだと思うし、微力ながらそうしていきたいと個人的には思っています。

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