2012年02月16日

悪かった例から学んで介護業界に活かそうシリーズその2 コンパイル

「...って、シリーズ化かよ!」

と、さまーず三村さん風にまず自分に突っ込んでみたいお年頃ですのでご勘弁を。

 Facebookではコンパイルが「ぷよぷよ」の様なキラーコンテンツを持ちつつどうして破産してしまったかを少しだけ語りましたが、ここで改めて考えてみようと思います。我々の業界でも反面教師として学べる事は多い、と思いますので。

 ちなみに。

 その1、とは題名つけてませんが第一弾のHondaF1についてはこちらで。また、それ以前にもチェルノブイリ原発事故について何故事故が拡大したのかと、それで我々介護従事者が学べる事を以前書いていた(この間昔のブログ記事見てたらあったんだよ...)のですが、それはこちらを見て下さい。こちらはその0、ということで。

 まずはwikipediaからの引用になりますが、コンパイルと言う会社について


 株式会社コンパイルは、かつて存在した日本のソフトウェア開発会社。とりわけコンピューターゲームの制作会社として知られ、著名な作品に落ち物パズルゲームである『ぷよぷよ』がある。
 
 ゲームに対して全く知識ない方も、「ぷよぷよ」の名前は聞いた事があると思います。1980年代後半バブル真っ盛りの時代にテトリスで火がついた「落ち物パズルゲーム」ブーム。その中、1992年にアーケードで発表されたこのゲームは、可愛いキャラ設定(元々は「魔道物語」というRPGのサイドストーリーとして設定されていた)と「連鎖」というテトリスには無かった戦略性、それを使った対戦の面白さで、一時期のゲームセンターでは行列が出来るほどのゲームでした。当時の家庭用ゲーム機ではメガドライブとスーパーファミコン(ただスーファミ版の発売元はコンパイルではなく、バンプレスト名義)で発売され、こちらもヒットを飛ばしました。そういやゲームセンターCXでは有野課長、スーファミ版見事攻略失敗しましたね...。

 オールドゲームファンにとっては広島と言えばコンパイルとメサイア、と言う時期もありましたねぇ...。メサイアも会社の形は変わりつつ今でもラングリッサーシリーズやグロウランサーシリーズを出してますが。

 会社の概要についてです



・概略
 仁井谷正充によって1982年に広島市南区に設立され、後に広島県佐伯郡大野町(現・廿日市市)を経て埼玉県所沢市に移転、2002年に解散している。キャッチコピーは「の〜みそ コネコネ コンパイル」であった

・会社設立
 1982年、広島電鉄社員だった仁井谷が、コンピューターソフトの開発・情報誌の企画などを行うベンチャー企業として設立。古くはシューティングゲームやセガの下請け、ゲーム機への移植作品、MSXのディスクステーションで知られた。1983年に『BEE&FLOWER』を開発した際は、「真紅ソフト」という名称を使ったが、以後は使用していない。
1980年代中盤には、『ザナック』『アレスタ』などシューティングゲームで良作を発表した。

・ぷよぷよによる躍進と急激な拡大路線
 その後は、1992年にアーケード版が発表された『ぷよぷよ』シリーズで、一般にも知られる。そのブームが追い風になって、カーバンクルなどゲームに関連したキャラクターグッズや、広島名物のもみじ饅頭を基に作った「ぷよまん」などの販売に手を広げ、一世を風靡した。また、「ぷよマスターズ大会」などユーザーとの親和を図るイベントも積極的に行われた。

 こうした「ぷよぷよシリーズ」の大ヒットを追い風に、1996-1997年にかけて大量の新入社員を採用し、新社屋に移転するなど、会社規模は急激に大きくなっていった。ゲーム会社ということもあり、地元である広島県では注目のITベンチャー企業として頻繁に報道された。また、ビジネスソフト分野への進出も目論んで、グループウェア『パワーアクティ』の開発にも乗り出した。
 

 まさかこの当時、コンパイルと言う企業がこの世から消滅してしまう、と考えた人はいなかったでしょう。

 
 しかし、この時点のコンパイルには『ぷよぷよ』シリーズ以外に目立ったヒット商品が無く、その『ぷよぷよ』も仁井谷が急激に拡大させていた会社の規模を支えられるほどのものではなかった。また、『パワーアクティ』は増大化した開発費用の一方で販売が不振に終わり、他にも数度にわたる本社移転、企業体力を省みない人材の大量採用、広告費への過剰投入など、仁井谷の性急過ぎた事業拡大路線の反動は、1997年に入って急激にコンパイルの経営を圧迫し始め、短期間でコンパイルそのものを行き詰らせてしまった。

・和議による規模縮小
 莫大な開発費を投入した『パワーアクティ』の販売不振の他にも、当初は1997年の年末商戦向けのタイトルとして企画された『わくわくぷよぷよダンジョン』が開発難航により1998年春期に発売延期になったことはコンパイルに大きな打撃を与えた。ついには、1998年3月に入ると資金面で窮し、最終的には3月末決済の約2億円の手形への目処が立てられず、3月18日に広島地方裁判所への和議を申請、事実上の経営破綻となった。負債総額約は75億円。

 和議申請は受理され、大量の新卒者の内定取り消しおよび大々的な社員の解雇を実施した。
 この時期にコンパイルから離れたクリエイターは数多く、コンピュータゲーム業界の内外に幅広く散っていった。コンシューマ・アーケードの分野で再起した人物も多いが、一部には数年を経てアダルトゲームや同人ゲームの分野で知名度を獲得し、ようやくゲーム業界の表舞台に登場する様になった人物もいる。

・経営再建の失敗
 和議成立後のコンパイルは、本社を広島市中心部から郊外部の大野町(現・廿日市市)の食品工場跡地に移転。さらには広島から撤退して埼玉県所沢市小手指町に移転するなどし、再建の道を歩むかに見えた。また、この和議に際して、著作権などがセガなどに売却されていた『ぷよぷよ』シリーズも、コンパイルには2002年8月まで使用期限が与えられた。

 しかし、和議に至るまでの過程での一連の無茶な経営が明らかになったことで、社長である仁井谷の対外的信用が失墜しており、また社内システムの建て直しも不首尾に終わったことから往時の力は戻らなかった。そして最後まで『ぷよぷよ』に代わる新しい作品を生み出すことができなかった。

 2002年8月末で『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権の使用権を失い、関連商品の販売ができなくなる[2]。その後、同年12月8日付で会社解散し活動停止。直後の同年12月25日付で本社を東京都台東区に移転した。2003年11月6日には東京地方裁判所より破産を宣告された。負債総額は約54億円。

 2004年2月17日、費用不足のため破産廃止。その旨の登記が同年5月12日付でなされ、株式会社コンパイルなる法人は完全消滅した。
 このニュースは当時ゲームとあまり縁の無いマスコミでも大々的に報道されました。個人的にはここまでの詳しい経緯を知らなかったため、「え?何で潰れるの?」とビックリした覚えが有ります。

 ゲームとしてのぷよぷよは版権がSEGAに移行され、元々のサブキャラクターも変えられて基本的システムそのままに、現在は携帯やスマホやDS、Wii、PSPで遊べるようになっています。20年前のこのゲームで今は自分達の子供が遊んでいるのを見ると、ゲームは既に日本文化なんだなぁ、とほのぼのしつつも、こうしたほうがいいよ、と思わず横から口出しする自分がいたりしてw。

 さて本題。

 コンパイルは何故失敗したか、という事についても、wikipediaでしっかり説明されています。まずはそのまま抜き出してみましょう。

運営時の問題点など
経営状況の悪化の要因や会社組織としての問題点として、以下のような事柄がいわれている。

1.仁井谷による会社の私物化
 コンパイルの急激な拡大に対して社内組織の管理や拡充が追いつかず、実態としては仁井谷の個人商店のままアンバランスに発展していた。また、仁井谷は強力なワンマンタイプの創業オーナー社長であり、周囲に諫言できる人物がおらず、会社の私物化とも取れる行動が度々見られた。仁井谷は周りを補佐する人材にイエスマンしか置かなかったため、不満や反対意見なども出ず、末端の従業員とのコミュニケーションも不十分な企業体質となっていた。その様な状況下で、経営陣の危機意識は乏しく、実際に経営危機に陥った時の対処能力にも乏しかった。

その上、仁井谷には浪費癖があった。例えば『ぷよぷよ通』『ぷよぷよSUN』での販促展開では、社長が自ら「サタンさま」のコスプレをして各地のイベントに出演していたが、この衣装を作成するのに100万円かかっていたと仁井谷自ら明言している。イベント開催時にも「多額の使途不明金」を発生させるなど、経理面も杜撰だった。

2.人材の過剰採用
 現有社員数と同数またはそれ以上の「新入社員の内定」を確定していた年度があり、必要以上に人件費・不動産費・設備費などが増加していた。しかも、それは利益が大幅に増加し続けるならば問題は小さいが、一度売上が鈍るとたちどころに経営を圧迫した。

 1996年に開催した自社主催イベント「全日本ぷよマスターズ」では幕張メッセに18,000人を集めた。1997年3月期には売上高約69億円を計上。この時期が『ぷよぷよ』人気のピークで、その後も人気はそれなりに持続していたにもかかわらず、その僅か1年後の1998年3月に和議申請に追い込まれている。

3.市場動向を軽視した商品開発
 パーソナルコンピュータ向けミニゲーム集ディスクステーションに収録された内容からヒット商品が発生していることから、そのパターンが再度発生することに期待し人材や経費を投入。結果として収益性の高い家庭用ゲーム機向けソフトの開発が軽視されることとなった。ディスクステーションのゲームはアイデア的に優れた作品はあったが、一つ一つのクリア所要時間は短く、最新ゲーム機で目の肥えたゲーマー達を満足させるものではなかった。

 ぷよぷよがヒットした時点では、パソコンゲーム市場と家庭用ゲーム市場でヒットするソフトウェアの内容には共通点があったが、家庭用ゲーム機のスペックが急速に向上したことで傾向が分離し、以前のパターンが適用できない状況に陥った。

 経営方針においてランチェスターの法則に傾倒、特に弱者戦略を重視し、セガ製携帯ゲーム機ゲームギアなど小市場でのシェア獲得を重視したことが、収益性の低下や社員のモチベーション低下を招く一因となった。プレイステーション(PS)・セガサターン(SS)などの「次世代機戦争」時にセガスーパー32X・ゲームギアなど旧ゲーム機への注力を表明したことで次世代機への参入が遅れた。そのため、PS・SS版『ぷよぷよ通』は外注製作となった。

 その後に開発された家庭用ゲーム機用ソフトは、手堅く凡庸な内容で、過去の成功例を反映したものではなかった。

4.常識に欠ける人材育成システム
 全盛期の社員教育において「丁稚制度」なるシステムを導入。「一年間は雑務のみ、雑務の合間に先達から技術を盗み研鑽すべし」として徒弟制度を重視し、これを画一的に運用したため、有望な新入社員を即戦力として生かすことができなかった。

 さらには、新入社員にピンク一色のジャージの着用を出勤時にまで強制するというパワーハラスメントまがいのことを行ったことで、「丁稚制度」の対象となった者たちに相当のモチベーション低下や短期離職率の上昇があったといわれている。丁稚のジャージ姿が目立つため、会社周辺地域(当時の本社は広島駅から駅前大橋を渡った先にあった)から苦情が出た、社員を狙った事件が起きたなどの話もある。

 後に「セクシャルハラスメントに該当する」という指摘を受けて女性社員のみ出勤後の着用義務に変更されたものの、和議申請時まで全面廃止されることはなかった。和議申請以降にようやく廃止され、使わなくなったジャージはファンへ販売されている。

5.過剰な広告展開
ビジネスソフトの宣伝をゲームソフトと同じ方法論で展開。中尾彬、川島なお美などのタレントを起用したテレビコマーシャルを投下し、企業規模に合わない高額の広告費を支出していた。

 他にも、オートバイチーム「コンパイルレーシングYAMAHA」を設立し、全日本ロードレース選手権にプライベーターとして参戦していたこともある。これは1995年結成、1998年和議申請の際に解散した。レースクイーンの衣装が同社のキャラクターである「カーバンクル」を模したもので当時知名度を誇った。しかし、本来、モータースポーツは収益を上げるまでに非常に多額の資金投入を必要とするものであり、サイドビジネスとして行うにしてもよほど経営的に余力のある会社でなければ継続的な参戦は不可能である。

6.ビジネスソフトへの傾注
 ゲームソフト感覚をコンセプトとした上、ビジネスソフトの開発経験者がほとんどいない状態でソフトの開発を強行した結果、開発費が増大し当初予定を大幅に超過した。販売に至っては、一般ユーザ向けでなく中小企業向けにした結果、ソフトがほとんど売れなかった。そもそも、これもまた仁井谷の鶴の一声で始まったプロジェクトとされる。



6つのポイントがありましたが、これを自分なりに分かりやすく解釈して挙げてみて、更に介護業界とつなげて考えてみると、こうなります。

1.トップが傲慢で従事者の言葉を聞かない事。急にヒット商品を出し、傲慢になったトップに他人の忠告を聞く耳は無かった。また、組織が傾きかけてもトップやその取り巻きに危機管理能力や危険予知能力が無かった。経理面も杜撰だった。
→良く「上司が傲慢で」と言う話を聞きますが、基本介護業界は小規模な所が多く、良くも悪くもワンマン経営、ひいてはブラック企業並みになる事が多い。人をお世話する業種なのだから利用者も大事だろうが従事者も大事にする、と言う発想が無いとなかなか上手くいきません。鹿児島の場合、急成長する大規模な法人に限って離職率が妙に高かったりしますがこれはまさに...しかも周りにイエスマンしか、と言うのも全く良く似ているように感じます。失敗した後、社長に信用がなかったというのも...

2.必要以上の人的資源を導入する事で経費がかかりすぎたこと。毎年少しでも成長するのであればかまわないが、ゲームのようなヒットしないと収入が上がらない業種では浪費そのものになりえるといえる。
→介護保険の収入だからあまり関係ない、と思ってはいけない。介護業界はこれとは全く反対で、法で定められた人員以上を採用したがりませんが、入所者や利用者の状況いかんではそれ以上の人員を採用しないとたちいかない事だってある。要は適材適所、また適当な人員配置が出来なかったという事では、共通することでは有ります。

3.時流を読めなかったこと。ライバルが競合しないハードに移植することが結局会社としての利益に繋がらなかった。ある程度社会の動向や業界の流れを掴まないと得てしてこのような間違いを犯す。
→介護業界に於いても、その時々の状況をしっかり掴まないと同じ間違いをしかねない。そこを踏まえてか、ケアマネなどはネットや講演会などで情報を掴もうと躍起になる事が多いのですが、これもまたトップだけでなく同僚や部下が「人いないんだから研修とか行かないでください」と、とんでもない事をいう事例もある。目先の得だけを見ていても、将来は見えないもんです。

4.パワハラモラハラに近い研修制度。新人は新人であり、こいつらから学ぶ事は何もないと断定しての扱い。社員教育法の根本的なミス。
→どういう業種でも新人教育は難しいもの。丁稚制度自体が悪い、とは断言できないが、ゲーム業界にそれは合うものではないでしょう。介護の世界はどうでしょうか?「え?介護の方法?先輩から盗め!」とかやってる施設もさすがに今はそう無いでしょうが、内容としては丁稚制度に毛が生えた程度の教育法を取っている施設や事業所、まさか無いでしょうね?この業界、意外と新人が持っている情報が先輩が知っているものより数段優れていた、ということも珍しい事では無いんです。特にケアマネなどの最近出来た資格などはその傾向が強いですね。お互い持っている知識や方法論を上手くリンクさせる方が、単に一方通行の教育よりももっと素晴らしいことになると思うのですが...

5.実務に関係ない業務に力を入れたこと。企業としてのレベルを遥かに超えたイベントや広告でのPR活動。
→実務に関係ない業務?それって自治ろ...とか言うとまたどっかの掲示板で叩かれそうですが、本業に力を入れず別な事、コンパイルでは広告ですが、おろそかにする行動はさすがに介護業界だけでなく、どの業界でも問題ですね。うちの業界でも施設内政治とか事業所内政治とかだけに力を入れて(色仕掛けで理事をたらしこんでみたりなぁ...)、その結果本業がおろそかになり、結果監査の時に指摘されて500万円市に返納せざるを得なかったケアマネがトップにいる事業所を知っておりますが。更にこういう事に力入れて逆に利用者から苦情が出ていったいどうするのだ。また、介護事業所の場合なかなか広告については個人情報保護の観点から難しくもあるのですが、カタログとしてのWebサイトに加え、双方向の情報交流としてSNSを上手く使えるようにする、と言う方法を取れればいいんですけどねぇ。

6.ノウハウの無い事にチャレンジし、見事に失敗。それを活かして会社の方向性を変えられなかった事。
→そりゃ失敗する時はどんな業種であろうが失敗するもの。ただ、新しいことを行う前提としてそのジャンルをしっかり学び、いざとなったら即対処できるだけの技術や心構えをしておく事は必要なんですが、おそらくそれすらやってなかったんだろうなぁ、と。また、この失敗を活かしてこの後の業務にフィードバック出来たのであればここまで悲惨な状況にもならなかったのでは?とも思うんですよね。施設や事業所も失敗する事で逆に学ぶものがあるはず。それを活かせなかったり見ないものとしたりすると、本当にコンパイルの二の舞になりそうです。また、利用者の意向などを上手く汲み取れないことも失敗の原因に挙げられますね。

 ...以上の理由が挙げられますが、2〜6の原因をたどると殆んどが1の理由に源流があると思われます。「トップを始めとした上司が傲慢でワンマン経営であった」ということ。中小の事業所で、なおかつ成長過程にあるならそういう形態はある意味仕方ない事ではあると思いますがある程度規模が大きくなり、上司が現場を見ないような事業所では...プライドと傲慢は似て非なるもの。傲慢である事は組織にとって全くプラスにならないばかりか害悪ですら有ります。

 まぁ見てないと思うけど、もし介護事業所のトップの方、これを見ているなら自分がいつの間にかコンパイルの社長のように傲慢になっていないかどうか、客観的に自らを見て下さい。さもないと、コンパイルと同じ轍を踏むことになりかねません。

 蛇足ながら。

 コンパイルと言う企業の出したソフトについてはアレスタシリーズもぷよぷよシリーズもリスペクトしております。ファミコン・スーファミの時代は広島のコンパイル・メサイア以外にも札幌のハドソン(ついこの間潰れちゃいましたが...)や福岡のシステムソフト(派生したLEVEL5がイナイレシリーズやニノ国やレイトン教授やダンボール戦記で今とても元気)や大阪のカプコン(ここもまだ元気)やビック東海(ゲームから足を洗い、別業種で頑張っているそうですが)など、こういった地方の企業がどんどんヒット作を出していました。あの頃のゲーム業界の活気が今となっては懐かしくもあり、また思い出として心の中にあります。そう言う事も有り、今回の記事にいたしました。

 第三弾は...そうですねぇ、TOYOTAF1か?それともコムスンか?はたまた全く毛色の違う企業か?

 乞うご期待!

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