2012年02月10日

日本の組織の仕組みに負けた第三期HondaF1。

 今、色んな会社や組織の失敗談を少しづつネットや本で読んでます。

 介護というのも今は会社・法人で事業として行っているものですから、組織がどうやって失敗したかを学び、考えるのは組織のありかたや後輩同僚への助言の大きなヒントになると思うんですよね。介護の世界の失敗ではなく、一般企業やプロジェクトでの失敗のほうがまた介護の世界に当てはめると新たな発見があったりして。結構面白いですし、他山の石として自分たちの仕事にも生かすべきだな、とも思います。

 Facebook上ではぷよぷよで有名なコンパイルの破産について話した事がありますが、今回は破産、では無く逆プロジェクトX的なお話を。

 集英社刊、「さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?」を読んでの話になります。F1についての知識が無くても解るようには書くつもりですが、解らなかったらコメント欄に質問書き込んでください。

 〜第三期HondaF1はなぜ失敗したか?〜

 第一期HondaF1は二輪での世界大会での優勝経験があるとはいえ、車は右も左も分からない状態であり、ヨーロッパ至上主義の世界。イエローモンキーの車で何ができる?と貶されつつも日本の技術を世界に知らしめたモンツァでの初優勝。1967〜68の二年間とはいえ、F1の世界に大きなインパクトを与えました。



 第二期HondaF1はコンストラクターとしての地位ではなかったもののスピリッツ、ロータス、ウィリアムズ、マクラーレンにエンジン供給。最強だった88年には16戦中15戦がHondaエンジンのマシンが優勝し(今でもこの記録は破られていない)、87年イギリスGPに至っては1位〜4位がすべてHondaマシン(マンセル、ピケ、セナ、中島)という、まさにHonda黄金時代を築き上げました。



 セナ・プロスト・ピケ・マンセル・ベルガー、中嶋がHondaのマシンで走り、日本でもバブル全盛期でレイトンハウスやフットワーク、Geoなどがチームを持っていた、日本のF1人気全盛時代です。この時代も1992年のHonda撤退と中島悟引退に加え、1994年の悪夢のサンマリノGPでラッツェンバーガーとセナが天に召されることで日本のF1人気も終わりを迎えました。



 その後も実際は無限の名を借りてHonda、Yamahaの名を借りてTOYOTAのエンジンがF1に参戦し続けてはいました(TOYOTAF1については又別の機会で話するかもしれませんが、Hondaの失敗と重なるところが結構あります)が、再びHondaがF1に帰って来る事になります。
 1998年、世間がITバブルで浮かれているその頃。3月9日にHondaは「F1復帰宣言」のプレスリリース(マスコミ向けの告知)を出します。詳細は「オールHondaでの参戦を目指し、2000年参戦を目指す」というものでした。個人的には、このニュースは大歓迎で「再びセナ時代の黄金期のHondaを見る事が出来るのか...」と興奮したのを覚えています。

 で、結果はというと...

BARHonda
2000年 コンストラクターズランク5位 最高位4位
2001年 コンストラクターズランク6位 最高位3位
2002年 コンストラクターズランク8位 最高位6位
2003年 コンストラクターズランク5位 最高位4位
2004年 コンストラクターズランク2位 最高位2位
2005年 コンストラクターズランク6位 最高位3位
→HondaF1チームへ

Jordan Grand Prix
2001年 コンストラクターズランク5位 最高位4位
2002年 コンストラクターズランク6位 最高位5位
→2006年にミッドランドF1(MF1)に変更。 その後も2007年にはスパイカーF1、2008年にはフォース・インディアへと次々に売却。

HondaF1チーム
2006年 コンストラクターズランク4位 最高位1位
2007年 コンストラクターズランク8位 最高位5位
2008年 コンストラクターズランク9位 最高位3位
→チーム代表であったロス・ブラウンに売却され、「ブラウンGP F1チーム」となる。ホンダF1時代に開発されたマシンを引き継いで参戦したブラウンGPは、2009年第一戦で初出場、初優勝を遂げるなどし、最終的にはダブル・タイトルを獲得した。

Super Aguri F1 Team
2006年 コンストラクターズランク11位 最高位10位
2007年 コンストラクターズラン9位 最高6位
2008年 コンストラクターズランク11位 最高位13位
→2008年第4戦スペインGPで撤退。


 第一期で35戦中2勝、第二期で151戦中69勝と華々しい記録を残したHondaが、結局8年間でわずか一勝を上げる(2007年ハンガリーGPでのジェンソン・バトン)のに留まり、2008年のシーズン終了後に突然のF1撤退を余儀なくされる事になりました。

 彼らの言うところの撤退の理由はリーマンショックなどの市場環境の悪化に伴う経営的な資源の再配分、ということでしたが、2009年には知将ロス・ブラウン氏をメインとした強力なチーム体勢で本格的に取り組む予定であったはずなのですけどね...

 で、2009年シーズンはこのHondaから見捨てられ、代わりにメルセデスエンジンを乗せた「ブラウンGP」がジェンソン・バトンをチャンピオンにし、チーム自らもコンストラクターチャンピオンとして君臨。翌年にはこのマシンのポテンシャルを信じてメルセデスがチームを購入、帝王ミハエル・シューマッハが復帰するのですから、世の中とは分らないものです。

 〜最強軍団が泥にまみれる時〜
 今はそう言われる言葉ではなくなりましたが、「モータースポーツはHondaのDNA」と言う表現、使われてきていました。2輪でも4輪でもあくなき技術の意欲、貪欲なまでの勝ちへのこだわりや情熱が優勝を導くだけでなく、世界的な「Hondaブランド」として、また人を「ワクワク」させる会社として見られる事になっていました。それが「Honda」の企業としての成長の根幹たるものでした。

 ところが、この第三期HondaF1の動向はある意味「情熱を捨てたビジネスマン」と表現してもおかしくない物になっていました。

 時系列でこの10年間を簡単に説明すると、こうなります。

1.オールHondaワークスでのF1復帰を発表(1998)
2.ティレル→ブリティッシュ・アメリカンレーシング(以下BAR)とのジョイント。エンジンサプライヤーとしてとりあえず復帰(2000)
3.BARとジョーダンの2チーム体勢(2001)
4.BARの経営陣入れ替え(2004)
5.BARへの一本化(2004)
6.BARへの45%資本参加(2004)
7.100%資本参加によるHondaワークス化(2005)
8.Hondaとスーパーアグリとの2チーム体勢(2006)
9.知将ロス・ブラウンへの全権委任(2007)
10.HondaF1チーム撤退(2008)


 実は既に1〜2の時にワークスとしてレースを戦うと言う軸がぶれているわけで、これ、Hondaの一般スタッフからすれば「俺達は何の為に戦っているんだろうか?」と迷うのは当然と言えば当然です。しかもそれに加え、努力した結果が出ないわけですから、そのモチベーションも下がってもおかしく無い。

 また、指揮するのはいったい誰なのか?と言う問題もありました。Hondaチームと言っても、本社青山の「本田技研工業株式会社」、技術のイニシアチブを取る「本田技術研究所」、イギリスにはレースの指揮を取る「ホンダレーシングF1」「ホンダレーシングディベロプメント」と複数の企業が動いていました。いくつものHondaが、いくつもの異なるビジョンを持ち、プロジェクト全体の責任の所在も明確で無いまま無駄に参戦を重ねて行った...要はマネジメントがお粗末だった、としか言いようが無いわけですね。

 F1に参戦しているHonda社員からの愚痴は「○○が悪い」「いや、××が悪い」が山のようであったし、誰も責任を取ろうともしなかったと言う。たぶん本田宗一郎氏がこれ聞いたら激怒してますよね...。

 「さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?」の著者、川喜田研氏はこの本の最後辺りにこう綴っています。

「何の為に戦うのか」が不明確なまま
責任の所在もあやふやで
勝利に向けた具体的なビジョンも
現代のF1と言う戦場への理解も
自分達の能力への
正確な自己認識も欠いたまま
第二期F1の栄光の記憶と
根拠の無い自信だけで突き進んだ
第三期ホンダF1という
あまりにも悲劇的な戦争は
屈辱にまみれた形で敗戦を迎えた...
(中略)
「サラリーマンにF1をやらせるつもりは無い」
と言った川本信彦(F1復帰発表時の本田技研社長。直後に社長辞任している)の言葉が、空しさの中で強烈なリアリティを持って立ち上がってくる。Hondaに夢を託した多くのファンと共に、おそらく天国の本田宗一郎も大粒の悔し涙をボロボロと流しているに違いない....。


 これが現実でした。以降、Hondaはヨーロッパ主体の国際的なレースから足を洗いました(まだアメリカののフォーミュラからは撤退してはいませんが)。その余波は予想以上に大きく、同じくF1を戦っていたTOYOTAも2009年に撤退、WRC(世界ラリー選手権)からはスバルやスズキ、パリダカの三菱、モトGPのカワサキなど、日本から国際レースに打って出ていた会社が軒並み撤退して、今に至ります。最もこの直後に小林カムイがザウバーからデビューし、センセーショナルな走りで注目され、2012年も期待されてはいますが...。
  
 〜HondaF1惨敗の原因とは?〜
 結論から言えば、「戦う牙をなくした島国的なサラリーマン根性になり下がったHondaではヨーロッパ文化と戦えなかった」ということなんでしょう。もちろん、毎年大きく変わるF1のレギュレーション(ルール)の制約の中で頑張ってきたし、形になって市販車の技術にフィードバックされているものも無いわけではありません。しかし、これがコンストラクターチャンピオンという究極の目的に近づくにはあまりにも...

 F1撤退前からHondaはワクワクさせるような楽しげな車を作るより、家族で楽しむミニバンやエコに配慮した車、一般的な乗用車を得意とする企業になっています。もちろんそう言うのも悪くは無い。でも、昔あったCityとかCR-Xのようなワクワクさせる車を作るのが得意な企業ではなくなってますよね?

 集団や組織が大きくなればなるほどその中から沸き上がってくるのは「安定」と「保身」です。おそらく本田宗一郎氏はこの言葉、大嫌いだったはずです。常にチャレンジし、新しい物を作り、結果を出す。これが「HondaのDNA」なのですから。

 「会社と言うのは実に便利な仕組み。大きな組織で責任の所在を曖昧にするシステムだと思えばいい」...まさにその言葉が今のHonda、と言う企業の体質なのでしょうね。そう言う体質での物作りだから、物はいいんだけどワクワクする何かが無い。

 責任取らないんだからいい加減な仕事でもかまわない、どうせ給料が上がるわけじゃない、何でこんな苦労しないといけないんだ。本社が悪い、開発スタッフが悪い、サーキットが悪い、マシンが悪い、そういってれば問題ない...

 「チャレンジをして大きな失敗をするよりは何もしない事による責任回避」と言う姿勢、これはまさに本田宗一郎の思想ではなく、日本の官僚やお役人の思想です。これはHondaに限った話ではなく、日本全体がバブルやリーマンショック、とどめに東日本大震災を受けた現在の大企業全般に言える事だし、それが中小企業や個人にも伝播している。

 〜じゃ、我々介護従事者としてこの事例を如何考えるか?〜
 いくつか挙げて見ます。

・何か問題が起こった時に「あれは○○さんのせいだ」「いや、××くんのせいだ」「事務方が悪い」「介護保険が悪い」「行政が悪い」などと他人や環境におっかぶせない事。もちろん行政や介護保険は最悪の部類であるし、それを庇って悪態ついて得意になっているバカもいる。それは突っ込み入れないといけないし、良くはならない。が、自分達で解決できるものについてはそうじゃない。文句言う前に動いて次善策をとればいいだけの事です。

・「何の為に仕事しているのか」を明確にする。個人的には施設在宅限らず、基本「高齢者の健康と安全を保持し、生き甲斐を作り、命燃え尽きる際に『良い人生だった、関わってくれた皆、有難う』」と言って頂くのが介護の仕事だと思う。それに如何繋がるか、と言うのが施設や事業所の理念なんだろうが、その理念に沿って仕事をして居るかどうか新ためて確認し、ズレがあれば修正する。又、利用者が如何あるべき姿が幸福なのか、と言うビジョンを常に持つ。

・自分達に出来る事は何?出来無い事は何?を改めて考え、冷静に判断する。もし出来ないのなら、できるようにするには何が必要なのかも視野に入れる。もし自分のいる施設や事業所が過去の栄光等にとらわれて動けないようであれば、そう言う夢想はばっさり切り捨てて新たな道を歩むよう方向転換する。実際問題、過去有名だった施設に限って内情は最悪だったりします。結構この言葉、良く使うんですが「流れる水は腐らない、溜まった水はいつか腐る」。集団も同じです。常に時代や環境、集団に属する人間の行動や思考に合わせて流れて無いといけない。腐って悪臭を放ち、ボウフラのわらわら沸いた水が好きならそれはそれで構いませんが、個人的には嫌ですね。

・お役所の職員や官僚の物まねをしない。物まねをしたからこそのあのHondaの体たらくなんですから。この時期、他のチームは官僚と対極にある職人肌のスタッフも多かったと聞いていますし、プロ意識も高かった。当時無敵を誇ったシューマッハが頂点に立っていたフェラーリなどはまさしくそう言う集団でした。我々はどうか、と云うと...例えるなら、いざとなったら利用者の為なら行政と喧嘩でも何でもしてやる、と言うぐらいの心意気でないと利用者の幸福を望めない、と思うんですよね(自分自信現にやってたし...)。常にチャレンジ精神を持ち、当たって砕けろぐらい考えて動いて、もし失敗したら反省して同じ過ちを二度と繰り返さない。これで良いと思う。それには施設のお偉いさんも意識改革が必要で、職員を減点主義では無く加点主義で見る事も必要でしょう。

・会社、もっと言うのなら集団、と言う便利な仕組みから抜け出すまではしなくても良いけど、第三者として冷静に傍観する視点を持つ事。表向きは上手く行っているように見えても、その内情は...と言う事も結構良くある話です。この時期の本田技研にしても、会社内で反レースの立場を取る重役もいて、レース参戦の邪魔をしていた(川本さんの社長退任もその一例)、と言う噂もありますからね。少なくとも組織内で政治的に動く、という事は本業をおろそかにする愚の骨頂。自分自身自治労や日教組を信用していないのはまさにこれで、プロ意識のかけらも無い愚かな行動だからです。F1コンストラクターに組合があってスト起こされたら...まずスポンサーが離れて御まんまの食い上げですからね。

 う〜ん、思いつくのはこのくらいかな。もう少しゆっくり考えればまだあるかもしれませんが...

 あ、もうひとつ。

 「自分自信がワクワクして、同僚や利用者もワクワクさせることができること!」でも、たぶん難しいよこれ...。

 最後に。

「Hondaは失敗を恐れない。失敗の中に次の進歩の為のヒントが隠されているからだ。これがホンダスピリットだ!」

 これが本当の言葉になり、再びF1に舞い戻り、強いHondaがサーキットに不死鳥のごとく復活する日を、1970年代のアンドレッティやシェクター、ビルヌーブやペテルソンの頃からF1を愛し続けている自分を含めた日本のF1ファンは待っています。

 更に言うなら、失敗を恐れずに突き進む姿勢は、我々介護従事者も見習うべき事であるし、それを心に秘めつつ日々頑張っていこう、と思います。

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