2011年10月31日

大半の福祉施設も「名ばかり合議制」の牢獄の中なんじゃ無いかな?

〜「名ばかり合議制」が会社を潰す〜

・異論、反論が怖い上司ほど「1対1」を避ける


社長:「…このような理由で、基幹システムの一部リニューアルを行うことにした。リニューアルにかかる期間は7カ月。費用は7600万。システム本部長を中心に検討をしてきたが…。何か意見があるか」

全取締役:「…」

社長:「じゃあ、全員から承認を得たということで、いいね」

取締役A:「ええ」

社長:「次に来期の組織編成に関してなんだが、配布した資料の通りにしたい。それぞれの部門長とは話し合ってるんだが、誰か反対の人は、いるかな」

全取締役:「…」

社長:「じゃあ、全員から承認を得たということで、いいね」

取締役A:「はぁ」

社長:「それじゃあ、次に…」

専務取締役:「社長、シンガポールの件は」

社長:「ああ、そうだった。去年から専務とアジア進出についていろいろ議論を重ねてきて、来年の春ごろからシンガポールに支店を出そうと考えてるんだが、それで…。(中略)反対の人、いるかな」

全取締役:「…」

社長:「じゃあ、全員から承認を得たということで、いいね」

取締役A:「異議ありません」


〜「集団思考」が正しい合意形成を阻む〜


 最近、東証1部上場企業で、創業者の孫である会長が、グループ企業から84億円を個人名義で借り入れ、約50億円が未返済で使途不明という報道があった。そのうち約23億円分についての決定過程は、取締役会の議事録にも残っているという。

 上場企業で取締役会を経ずにカネが流れているのは社会的に大きな問題だが、取締役会を経た上でそんなカネが融資されているのも、社内的に大きな問題である。取締役会が全く役割を果たしていないではないか。

 けれどもそれが「建前の正論」でしかないことは、誰もが何となく分かっている。会議で取締役が会長の個人融資に対して意見を言うことなど、できるわけがないだろう、と。
 そもそも会議が多い会社は「合議制」が根づいている。責任ある立場の者たちが集まり、合議によって意思決定することを「合議制」という。

 聞こえはいいが、実際には「集団思考」と呼ばれる問題が発生して、正しい合意形成が行われないことが多々ある。均等に発言する機会が乏しく、リーダーの発言力が強い場合に、集団同調性バイアスが働きやすくなるのだ。

 「誰か意見はあるかな…。誰もないのか…。じゃぁ、次の議題にいっていいかな」

 主催者は、初めから意見が出るとは思っておらず、示し合わせたように議事を進行させる。会議が始まる前に、主催者は議事に関連するキーマンと既に話し合っているから、異を唱える者など出てくることはないと信じている。

 まさに会議が「通過儀礼」になっているのだ。これではコーポレート・ガバナンスが機能するはずがない。


〜意見を出させない卑劣なテクニックも〜


 確かに会議がスタートする前に、関係者によってある程度の調査、分析、吟味が終了していてしかるべきだ。とはいえ「合議制」によって正しい意思決定をし、ガバナンスを支えるためには、会議参加者が意思決定に必要な材料に目を通し、理解し、正確な判断をするべき「時間」が必要だ。

 そして、すべての参加者が手元にある材料のみで物事を見極めることは困難であるため、当然のことながら、質問や意見を述べる機会が公平に与えられなければならない。


〜意見を出せるような環境づくりも不可欠だ。〜


 ところが「名ばかり合議制」の会社は、資料の作り方が「雑」だ。前回書いた通り、会議資料を見れば、その企業のマネジメントレベルが透けて見える。

 どうせ誰もまともに資料を見て、正しい意思決定をしようとしないと分かっていると、平気で中途半端な資料を作る者が増える。分かりづらい資料を作って意見を出しにくくさせたり、主催者の退出時間をあらかじめ指し示しておき、議事進行をスピーディーに実施しなければならないという雰囲気を作って、意見を出させないという卑劣なテクニックを使う者もいる。いずれにしても全般的に会議運営が粗い。

 集団同調性バイアスがかかっている状態では、意見を出すのが難しいものだ。何か引っかかるものがあったとしても、意見や質問を返すタイミングを失い、「門外漢の私が意見を言っても、何を言われるか分からないし…」とか、「確かこの前も、誰かが反論したら徹底的にやり込められてたし…」と遠慮してしまい、口をつぐむ。

 数年前、あるクライアントの営業部長が、「会議で部下が全然意見を出さない。まるでやる気が感じられないがどう思いますか」と私に相談するので、若手を促して会議で意見を言ってもらったことがある。


〜ちょ、ちょっと待て…〜


営業部長:「休眠の顧客開拓をするために、今月から1人当たり20件は当たってほしい。何か意見はあるか」

部下A:「休眠の顧客開拓以前に、新規のお客様回りを強化すべきだと考えます」

部下B:「エリアごとに休眠顧客の数が違いますので、一律で20件はおかしいのではないでしょうか」

部下C:「私は既存のお客様の深耕開拓が先だと思いますので、既存顧客へのアプローチを私は30件でロックします」

営業部長:「ちょ、ちょっと待て…」

部下D:「先月、販促用のチラシを作成したばかりなので新規開拓を継続してやるべきと思います」

部下E:「私も休眠顧客開拓が必要と思いますが、20件は多いので10件でいいでしょうか」
 
営業部長:「おいおい、何を言い出したんだ、お前ら…」

部下A:「E君、20件が多いから10件というのはどうかな」

部下C:「私は30件やりますが、Bさんの意見には賛成です。一律20件はおかしいかな、と」

部下B:「確かにAさんやDさんの言う通り新規開拓をまだ諦めたらいけませんね」

営業部長:「ちょっと待てぇ!」


〜長々と持論を話したい上司が狙う「1対N」〜


 「意見を出せ」と言われ、部下たちが意見を言い出したら、この営業部長は喜ぶどころか、みるみる不機嫌になってしまった。そして最後はキレたのだ。

 「お前ら、好き勝手言いやがって。俺がなんで休眠顧客開拓が必要だと言ったのか、本当に分かってんのか! そんなに俺の言うことが聞けないのか!」

 結局、意見が欲しいと言っても、彼は反対意見が欲しかったわけではないのだ。

 「そうですね、部長のおっしゃる通りです。いやぁ、さすがですね部長」という承認と賞賛との言葉が欲しかっただけなのだ。

 そもそも会議で、長々と持論を話したい上司というのは、「1対1」を避けて「1対N」のコミュニケーションを狙っている。会議という場では、自由に反論しにくいことを分かってやっているのだ。彼らはすなわち「1対1」のコミュニケーションが苦手で、あるいは無意識のうちに「1対1」に恐れのようなものを感じている場合が多いのである。

 例えば部下と「1対1」で対峙したとき、自分より頭が良く弁が立つ部下に反論されると言い返せない。不満ばかり言う部下に対して、どう切り返して意欲を高めていいのか分からない。何を考えているのか分からない若い世代の部下に対して、どう話をしてマネジメントすればいいのか分からない。

 「1対1」コミュニケーションでは、相手のコミュニケーションペースに沿っていくペーシングが大切だ。相手にとって好ましいスピードや、分かりやすい言葉などを選んで話す必要がある。けれども、これができないと「うまく伝わらない、分かり合えない、ということだけが分かって」終わる。「あいつと話すのは難しいなぁ」という失敗した感覚を持つことになる。

 これが会議であったらどうだろう。

「1対Nのコミュニケーション」ならば、N人を前に勝手に持論を繰り広げることができる。相手のことなど気にせず、相手のコミュニケーションパターンにあわせることなく、自分の話したいように話すことができる。全員に平等に同じ情報を伝えたい、全員で討議したい、などと言いつつ、結局は自分が気持ちよく話ができる場として会議を利用している場合も少なくないのだ。

 上司のコミュニケーション能力の有無や技術の低さが問題になることがあるが、最初から恐れてぶつかることもなしに、テクニックは関係ないだろう、と思う。

 職場で言って聞かせてもいない。会議で話を一方的に投げているだけで、職場に戻ってからのフォローもない。コーチングの勉強をしたり、リーダーシップの本も読んだりするけれど、表面的な必要最低限の会話しか部下とはしないものだから生かす場もない。知識は増えていくから「あいつのコミュニケーションパターンは○○タイプで」と分析して笑っているだけ。

 それが会議をやたらと行う管理職に多いパターンではないだろうか。

〜会議を減らせば「報・連・相」が増える〜

 このコラムを通じて私は脱会議、すなわち「会議の『数』、会議の『時間』、会議の『参加者』をそれぞれ2分の1に削減し、『会議総コスト』を90%削減させる」ことを提唱し続けている。

 ここまで会議のムダについて、その削減の方法について、またPDCAサイクルの回し方についてなどを示してきたが、「脱会議を進める効用」はそれだけではない。職場でのコミュニケーションのパターンが変わるのだ。

 私のクライアントで、脱会議を進めてきた企業からの声で一番多いのは、次のようなものだ。

 「報・連・相(ほうれんそう)が増えて、以前よりも部下の状況が把握できます」
 「上司と部下との1対1コミュニケーションが増えて、職場の雰囲気がよくなってきました」

 これはまさに「断捨離」と同じ考え方だ。モノに与えてしまった空間とエネルギーを取り戻すことで、モノへの執着がなくなり、そこで生きる人たちへの愛着が自然と増していく。

 「会議」をやめると、自然発生的にコミュニケーションは増える。何という皮肉だろう。現場が見えない、部下が何を考えているか分からないと嘆き、会議を増やし、資料を多く作らせると、ますます真のコミュニケーションは減っていくのだから。

 部下からの「報・連・相」を増やすためには、「『十割部下』に会議は無用」で書いた通り、PDCAサイクルを使い「期限とノルマ」を設定してロックしてしまうことだ。

 その計画をやりきる方法は2つだけしかない。自分1人でやりきるか、誰かにやり方を相談しながらやりきるか。現状よりも高いレベルで「期限とノルマ」が設定してあれば、自然と報・連・相をしながら進めていくしかなくなるのだ。


〜部下を叱っても相談は増えない〜


部下:「本部長、先日の資料、ここまでできたのですが1度ご確認いただけますか。期限は2日後ですが、明日は出張が入っていますので、今日中にメドをつけておきたいんです」

本部長:「ええっと…。この不良品の発生率と、価格変動との関係性が分かるグラフがあるともっといいな。あとはいいよ」

部下:「ありがとうございます。修正しておきます」

本部長:「そういえば、ついでだけど、新しいラインが稼動したら1度勉強会をすることにした。詳しいことはグループウェアの掲示板を見ておいてくれ」

部下:「かしこまりました。この後すぐにチェックします」

 組織内コミュニケーションの8割は、「部下 → 上司」という方向でなければならない。要するに報・連・相である。

 しかし、「日ごろから言ってるだろう。『報・連・相』をしろって! 『ほう・れん・そう』だよ。『ほう・れん・そう』!」と「上司 → 部下」というベクトルで話をしても、効力はない。

 特に「相談」は、上司から言われたからと儀式的にやるものではなく、内的動機づけに基づいた行動である。部下を叱れば部下から相談が増える、わけがない。

 当初は、前向きな内的動機ではないかもしれない。脱会議を進めてPDCAをきちんと回すようになると、「次の会議で、できなかった言い訳を何となく伝えておけばいいか」ということがなくなるため、渋々、上司に報・連・相をし始める。最初はそれでいいと思う。
 けれども1対1のコミュニケーションを取り始めると、結局その方が心地よいし、仕事もスムーズに進むことが分かるはずなのだ。

 そのような段階を経て、何を報告して、何を相談すればいいのか。次第に部下も分かるようになっていく。


〜部下からの建設的な意見、交換条件〜


 ところで「『十割部下』に会議は無用」で、行動計画をロックし、途中で変更を許すべきでないと書いた。

 しかし、「このやり方は厳しすぎる。行動計画と言ったって、その時々でいろいろと条件があるはずだし、あんまり計画に縛りつけてしまうとストレスでうつ病になってしまうだろう」などといった、「行動はロックして絶対達成」という考え方に反対する意見やコメントを多数いただいた。

 しかし、極論を持ち出したらキリがないと私は思っている。自分で設定した行動計画をやりきらせれば「うつ病」になったり「過労死」したりするのか。自分で宣言したことは「やり切る」のだという組織風土を作ってしまえば、やれもしないのにコミットはしなくなるという別の効用もあるのだ。

 つまり、「来月から、これをやっていこう」と上司から言われ、何も意見も出さずに黙っていると、そこで「合意」したことと見なされる。「合意」した以上はコミットしたことと同じだ。絶対にやり切らなければならなくなる。

 「絶対達成」という組織風土が根づいていれば、黙ってはいられなくなるものだ。上司の好き勝手に言わせておくわけにはいかない。

 「課長のおっしゃることはよく分かります。しかし通常業務も増えていますので、今月はここまでにさせていただけませんか。それなら必ずやり切りますから」

 このように、部下からの建設的な意見、交換条件も出てくるだろう。その上で話し合えばいいのだ。


〜職場というのは、たこ焼きと一緒〜


 会議中に意見を出さないのは、会議主催者の言う通りにやり切らなくても許されるという土壌があるからだ。だから、会議中に下を向き、意見も出さずに黙って過ごしていればそれで済むと考えている部下がいる。

 会議漬けの中間管理職は、幹部との会議ではただの「イエスマン」だ。というか、「イエス」さえも言わせてもらえないことも多いだろうから「イエスマン未満」と言っても差し支えない。幹部には何も楯突かず、ただジッと会議室で座っているだけ。それが会議のあり方だと勘違いしているので、自分の部下に対しても同じやり方でしかコミュニケーションをしない。

 現場の担当者にも長時間会議を強い、上から無理難題を押しつけて振り回す。さらに日常的な職場で部下が困っていても、部下との「1対1」のコミュニケーションをしない。会議漬けなので時間がないなどと言うが、本当は部下との「1対1」のコミュニケーションをとるのが嫌なのである。

 それで現場がうまく回らないと、ほかの役職者と一杯飲みながら「最近の若者はしょうがないですな」「当事者意識がないんですよ」「全く私たちの時代とは変わりましたな」などと愚痴を言うだけ。部下と面と向かって会話もせず放置する。そんな職場が社員をダメにするのだ。

 「計画は絶対達成! などと言ったらあなた、私の部下は萎縮しちゃって明日から出社拒否になっちゃいますよ。最近の若い人はストレスに弱いんですから」

 こう言う管理職こそストレスに弱いのである。部下の反応が怖くて、とても指示徹底ができない。まともに目を見てコミュニケーションが取れないのだから。

 職場というのは、たこ焼きと一緒。たこ焼きは、外はカリッと、中はトロッとしているのが一番おいしい。「期限とノルマ」を守らせるというところはカリッと厳しく、けれどもそのプロセスは心地よく。会議を圧倒的に減らし、時間を作って、部下との「1対1」のコミュニケーションをまず増やすことが先決だ。

〜リソースを別のところへ割いてみよう〜

 繰り返すが、まず会議を減らすのだ。

 多くの会議中毒者が、会議に異常なほどエネルギーを注ぎすぎている。顧客のことなどまるで考えず、どのように会議を乗り切るか、会議資料をどう整えるか、そればかりを考えている。会議のためのコミュニケーション、会議のためのメール処理、会議のための出張、会議のための研修…。

 会議に配分するエネルギー、リソースを別のところへ割いてみよう。

 毎日、部下に関心を持って接しよう。部下の表情を観察しよう。悩んではいないか。仕事に面白みを感じているか。家庭はどうだろうか。子育てで大変か。結婚してから少し老けたな。家から弁当を持ってくる日が増えたな。金曜日は早く帰るんだな。時計が変わったな。携帯のストラップに子供の写真が入ってるな…。最近、少し痩せたんじゃないか…。子供が生まれたら、世話で大変だろう。俺の時も夜泣きがひどかった。仕事も立て込んでいるが早く帰宅してほしい。そういえば親が病弱だと聞いた。東北で農業をしているんじゃなかったか。震災の後も連絡をしているだろうか。たまには休みを取って実家へ戻ったらどうだ。時間を作って孫の顔を見せてやれ…。

 どんな小さなことでもいい。部下の変化を感じているか。そんな時間はない、いちいちカマッてられるかなどと言い訳せずに、部下と信頼関係をつくるための接点を毎日持っているか。

 部下とのコミュニケーションをどうすればいいか、などと考えず、まずは脱会議経営を目指してほしい。会議室に押し込められた負のエネルギーが開放されれば、自然とある程度のレベルまでは風通しがよくなっていくのだから。そう信じてほしい。

 次回は「会議とストレスの関係性」について考えていきたい。ここ数年、新種のうつ病が増えているそうだが、会議中毒者の中で広がっている「会議うつ」について解説したい。社員を無用なストレスから解放せよ! 脱会議を進めるもうひとつの効用である。


 結構長い文章ですが。

 これは営業関係などを例にとって話されているようですけど、最初読んで思ったのは、「うわ〜、これ今まで働いてきた福祉事業所全部に同じ事言えるわ〜」です。

 此処からは福祉法人や事業所の悪口にも繋がるのかもしれませんが、ま、言ってしまいます。

 古くからの社会福祉法人や医療法人に言える事ですが、このような伝達や会議と言うのは、熱心にやっている所も多いと思います。しかしその内容はこの文章の最初にあるまさしくトップダウンで会議参加者は中々意見の言えない、何だか訳分からん状態に終始する事が結構多かったりします。でもって自分は毎回一言多いが故に、トップダウンの会議で余計な事を言ってしまい、「空気が読めない」とか言われる事もあるんですが...。

 そういう意味では以前いた某施設は凄かった。施設長が普通に入所者と一緒にいるし、職員と普通にお茶飲んでいろんな話をして、職員の要望をしっかり聞いてくれたし又逆に言われた事は守ろう、と思える雰囲気作りをしてましたね。たぶんそういった事は施設長は考えてなくて自然にやっていたのか、それとも知っていてやっていたのか...?

 会議と称して、ただのトップダウンの意見を伝えるだけなら、それは会議とは言いません。それは「申し送り」または「申し合わせ」ですよね?更に言うのであれば、この会議、と言う名の申し送りの間、利用者はいったいどうしているんでしょうか?以前、「この会議の間に重篤な事故、とかあったら誰がどう責任を?」と言う話をしたら、さすがに管理側は何も言えませんでしたけどね。

 これがまともに意見を闘わせる会議であるのなら、何の文句も有りません。ただ、「会議」と言う「行事」があること、そこで利用者や客を放って置く時間を作ることが、果たしてサービス業としていかがなものか?そう思うんです。

 普段の職員同士のコミュニケーションを密に(馴れ合い、と言う意味ではだめですが)し、会議は必要最小限で短く終わらせる。でないと競争し合っている業界は勿論、福祉の世界でも通用しなくなる日は近いのでは無いか、と思われます。いや、もうこれが日常化して駄目になっている例も有りますよね。今の地方議会なんか最たるもんじゃなくて?

 無いとは思うけど、もし自分が人の上に立つのなら、ここに書いてあることは充分注意して行きたいな、と思いますよ。 
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posted by y-burn at 06:33| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の仕事のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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