2011年10月22日

鹿児島哲学カフェに参加しました。2回目だけどね。

 古瀬先生が参加されていたり、またFacebookでのお友達の能瀬くんが主催されていたり、と言う事も有り、今回10/20、第6回鹿児島哲学カフェに参加させていただきました。

 実は8月にも参加はしているのだけど、このときはまだ一回目でどういうものか訳わかんない面もあったのであえて感想とかを書きませんでしたが、今回はやってみようかな、と(実はアンケートの回答でもある)。

 中央駅西口のカフェ、プロントでの開催。このあたりは駐車場の値段も天文館に比べて安いのが良いんだよね。

 今回のテーマは「仕事」。仕事は楽しいものか、はたまた苦労すべきものか、と言うテーマで1時間半の話を全員でやって行きます。ただし、このカフェでは結論が出たりしないし、お互いの発言で攻撃しあうわけでもない。自由に自分の感性でテーマに沿ったことを話していくことになっております。うん、そういう意味では「結論出せ」とか「お前はケアダメだ」とか抜かしやがるtwitterや2chの輩どもとは全然違いますわね。また、別の記事で書くけど上司や行政が既に回答を持っていて意見を出さないでしゃんしゃんきめていく会議や議会とも違うわけ。これは大きな特徴だと思います。

 今回の参加者についての自己紹介もあったんですが、総合的に「サービス業」、医療福祉関係や飲食のプロデュースをしている方、NPO法人の職員さんや学校の先生など、対人職の方も多かったのも今回の特徴なのかな、とも思ったり。

 前回の「豊かさ」と言うテーマと違い、割と具体的な内容であった為か、結構エキサイトした感は有りましたし、いろんな方向に話が飛ぶ飛ぶ。一時期付いていくのがやっとだった状況も有りましたね。職業倫理や「やりがい」の定義、果てはTPPで医療福祉の世界が変わりかねない、まで話がすっ飛んでしまったり...。

 まとめとしては、能勢くんのサイトや哲学カフェのサイトでやられると思うので(ある意味逃げ?)、ここでは哲学カフェで話したこと+α、と言う形で個人的に持っている仕事観を書いてみようかな、と。

 大学在学中は介護の仕事をする、とかまったく考えてなかった(なんもなかったらたぶん東京で普通に中小企業のサラリーマンかな...今頃)し、大学を離れて本当に目指していたのが鍼灸師だったこともあったので、その滑りどめというか流れというか、バブル崩壊で求職も寂しいものがあるから取り合えず手に職を点ける、と言う意味で介護福祉士の養成学校に入って介護福祉士資格取得して事業所転々としつつ今に至るわけですが、その間に「つまんねーな、この仕事」「いやだな〜」と思った事は数多にあるし、現に一時期パソコン教師やWeb作成を生業にしようとしていた時期も有ります。最も今はそういう事を考えなくなった、といったら嘘になるかも知れないけど、前ほどではなくなりましたね。

 今の仕事楽しいか?と聞かれると「楽しまないとやってらんない」と答えます。これは介護の仕事に限らず対人サービス業全てそうなんでしょうけど、サービスを与える側の心の動きはサービスを受ける側に、差はあれど移るんですよね。具体的には余り元気のない顔で職場に来ると、「どうしたのね?なんかあったのね?」と聞かれることが有ります。利用者に不安感を植え付ける事は我々の業界あってはならんことの一つでもあるわけで、私的な余計な事で不安感を与えるわけには行かない。それもあって出来るだけ職場では明るく、声を大きく、と努めてはいます(良くうるさい、とも同僚に言われるんですけどね)。

 それと、大事だと思う事が一つ。「自分だけが他と突出した何かを持つ事が出来るか、又見つけることが出来るか?」は仕事にとって大きな鍵になると思います。具体的に言えば、会社や事業所の中で「このことならあの人に聞かなきゃ解らないから」とか、「あの人に任せれば大丈夫だ」と言う様なものを身に着けること。

 どんな仕事でも最低限こなしていれば合格、と言うラインはあると思うんですよ。でもそれを毎日こなしているだけでは面白くもなんともないわけで、自分の仕事で常に考えているのは、「+αは何なんだろう」と考え続る、という事でもあったんです。今まで働いてきた事業所によってそれはまちまちでした(グループホームでは料理や庭の手入れ、家庭菜園等がそうだったし、老健では医療的やリハビリ的に分からない事をさまざまなスタッフから聞いてそれを覚えていく、などもそうかな?後これはどこでも共通だけど機械に強い、と言う事も)。

 今は「音楽と人との関係性」と言うテーマを持って、それを極めていきたいという欲求が自分にとって仕事に対するモチベーションの大きな要素になっています。最もこれは財津先生、と言う鹿児島の音楽界の巨人が近くにいてくれたり、周りのスタッフの協力もあってのことですけどね。こういう他人に秀でた能力や興味があれば、それをドンドン伸ばしていこうとする本人の努力は必要なのかもしれませんね。

 あと話の中に出ていた「『やりがい』と言う妄想」に我々は囚われているのでは無いか、と言う話。確かにそれはあると思います。日本でこんな話が出てきたのは何時のことなんでしょうか?確かに戦国時代の主従関係でもあったかもしれませんが、大きくこんなことが言われ始めたのはどうもバブル崩壊後であるような気がします。賃金に見合った報酬が受けられない分を、やりがいという言葉でごまかしているのでは無いか...。

 うん、福祉関係にはよくある話ですよね。介護保険という従事者が救われないシステムが何とか動いているのもこれかな、と。で、そうじゃないだろ、適正な報酬をしっかり従事者に渡すような改正を、と言っているのがおいらなんですが。どうも厚労省は介護従事者すべてを「人の良いバカ扱い」しているようでね。非常に困ります。いるんだよ、おいらみたいなひねくれ者もさ。

 最も自分自身も「やりがい」に誤魔化されてきた面もあるし、今もひょっとしたら、と思う事もないわけじゃない。でもね、本当に自分だけの何かを掴んで、それをもちつつ進む人間は強いし、簡単にその意思はぶれないよ。 そういう芯を持てれば、どんな仕事も最終的には楽しくなるんじゃないのかな、と。

 ...もっと書けるんだろうけど、こんな感じですかね。そういうものも含めて「介護はアート」なんじゃないかな、って。能天気?いいじゃん。悲壮な状態じゃ何のために生きているのかすらわかんないもん。

 この哲学カフェ、ある意味ブレーンストーミングに近いし、こういうことを考えられる、と言う意味では良いサークルでは無いかな、と思っております。うちらのようになかなか外部との接点が限られた介護従事者などは、自分の考えに一本芯を通せる、と言う意味でも是非参加して欲しいな、と。

 ちなみにうちの嫁、「ふ〜ん、40過ぎのおっさんがこういう大学のサークルみたいなのに参加するのね〜」と呆れていたような風にも見えましたけどね。うん、又参加しますよ。

blogram投票ボタン



posted by y-burn at 12:11| 鹿児島 🌁| Comment(1) | TrackBack(1) | 講演会・研修 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
長谷川さん、記事にしてくださってありがとうございます!!アクセス解析見ると長谷川さんのブログからの方が結構いらっしゃいますよ。人気ですね〜。

大学のサークル…確かにそんな感じかもしれませんね。私も基本「遊びに行ってる」としか言われませんので。大学時代バイト三昧だったのでこれから青春を謳歌します(笑)

次回のご参加お待ちしてます!!
Posted by のせ at 2011年10月25日 18:24
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック

【開催報告】第6回鹿児島哲学カフェ
Excerpt: 日時:2011年10月20日(木)19:30〜21:00 会場:PRONTO 鹿児島中央駅西口店(鹿児島県鹿児島市武1丁目1−2) テーマ:仕事は楽しい×仕事は憂鬱 参加者数:15名(初参加6名、男女..
Weblog: 鹿児島哲学カフェ
Tracked: 2011-10-25 18:17