2010年02月25日

寛容をいう人間達が寛容でないという矛盾って・・・

〜「イエス・キリストはゲイ」=エルトン・ジョンの発言にカトリック団体が猛反発〜

 英国の人気ポップ歌手エルトン・ジョンさんが芸能誌パレード(電子版)に19日掲載されたインタビューで、イエス・キリストは同性愛者だと語り、物議を醸している。

 自らも同性愛者であるジョンさんは、「私は、イエスは人間の問題を理解していた慈悲深くて超利口な同性愛の男性だったと考えている」と述べた。ジョンさんは続けて、「イエスは十字架の上で、自分を張り付けにした人々を許した。イエスは私たちが愛に満ち、寛容であることを望んだ。私にはどうして人間がこんなにも残酷なのか分からない。中東で女性が同性愛者であることは死んでいるのも同然だ」と語った。

 これに対して、米国最大のカトリック人権擁護団体の「カトリック連盟」はジョンさんを激しく非難した。同連盟は声明を発表し、「イエスが慈悲深いことは確かだが、『超利口』などという表現は神の御子をゲームショーを勝ち抜いた出場者に例えているようだ。もっと悪いのは、イエスを同性愛者と呼んでいることで、これはイエスに性的異常者のレッテルをはることだ。しかし、かつて『私としては宗教を完全に禁止する』と語った人間(ジョン)から、我々は何を期待できるのか」と猛烈に反発している。
 よりによってこういうリアクションを取りかねない団体がある事を知らないわけじゃ無いだろ、エルトン・・・。

 キリストが同性愛かどうか、というのは今から詮索してどうなる、という事でもあるけれど、自愛に満ちた、寛容な人格者であった事は間違いないだろう。エルトンのいうとおり、今の人間に寛容さ、というのはあるのだろうか、という事を考えると、「私と同じゲイなのよ」といいたくなるのも少しは理解・・・できるのかなぁ?

 しかし、よく釣られるねぇ、カトリック連盟。ゲイ=性的異常者、なんだ。連盟側にはどうも、「寛容」の二文字は存在しないらしい。

 エルトンが本当に言いたかったのは、こちらの勝手な考えではあるけれど、「イエスは私たちが愛に満ち、寛容であることを望んだ。私にはどうして人間がこんなにも残酷なのか分からない。」この部分なんだろうな、と思う。そのたとえに「ゲイ」を使っただけではないのだろうか?

 人間は残酷な生き物である、というのは同意する。でなければ、戦争や差別、虐待、詐欺、犯罪、礼を失する行動などが何故この世で起こるのか、また、そういう事を利用して得をしようとする輩がいるのかが説明できない。

 神は、人間を完璧な存在として作らなかった。ま、だからこそこのくだらない世界は嫌な事もあるけど、驚きや感動や笑いなどの素晴らしい物もあるんだろうけどね。

 ちなみに。「寛容」は介護従事者のスキルの基本的なものの一つです。これが無いと他の技術が素晴らしくても、介護には向いていない、と言われる可能性もあります。覚えておいて下さい。 

blogram投票ボタン


posted by y-burn at 08:41| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。